よみじや

松田 詩依

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3.「ともだちだから」

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平田 沙希様

 この度はご依頼いただきありがとうございました。
 十二月二十五日の午後四時半頃、お近くの河原まで足をお運びください。
 ご要望の苺パフェを用意してお待ちしております。
 
                                 よみじや 店主


 その手紙は丁度クリスマスの一週間前に届いた。
 水色の封筒。中には雪だるまが描かれた可愛らしい便箋。
 よみじや店主と名乗る、美しい字を書く者から届いたクリスマスの招待状。
「……本当、だったんだ」
 手紙を読んだ沙希は心底驚いた。
 誰かの悪戯だと思ったが、はがきを投函したことは誰にもいっていない。
「優紀に会えるかもしれない……」
 こんなことがある筈がないと否定する一方で、優紀と会えるかもしれないという僅かな期待に高鳴る胸。
 沙希は手紙を大切そうに握りしめ、カレンダーの日付に大きく丸印をつけたのだった。



 十二月二十五日――街中はクリスマスムード一色に染まっていた。
 夕刻近く、薄暗くなり始めた賑やかな街中を沙希はマフラーに顔を埋めながら歩いていた。
 初々しそうに手を繋ぐカップル。楽しそうな家族。幸せそうな人々とすれ違う。約束まで時間があるからと此処まで来るんじゃなかったと沙希は少しだけ後悔した。
「……あ」
 ふと優紀が食べたがっていたパフェ店が目に止まり、沙希は思わず足を止めた。
 窓から覗く店内は沢山の客で賑わっている。ぼんやりと店内を眺めていると丁度店から出てきた店員と目が合った。
「申し訳ありません。今日はもう品切れになってしまって」
「……あ。いえ。その……大丈夫です」
 店員は扉にかかる看板を返し、申し訳なさそうに頭を下げると戻っていった。
 店横に置かれた“女王様の苺パフェ”の立て看板が目に止まると沙希はカメラを向ける。
 優紀が食べたがっていたパフェ。食べられないならせめて写真だけでも――そう思ったはずなのに、シャッターは切られることなく沙希の手は落ちた。
 沙希は優紀の死後、写真を取れなくなっていた。
 撮っても見せる人物がいない。そしてなにより、カメラを構える度に、病室の前で聞こえた優紀の言葉が頭をよぎるのだ。
「……帰ろ」
 とぼとぼと背中を丸め駅の方に歩き出す。
 優紀と二人で何度も歩いた道。
 足繁く通ったクレープ屋。皆でプリクラを撮ったゲームセンター。休日に二人で行った古着屋――この街は優紀との思い出で溢れかえっていた。
 思い出の場所が目に止まる度、優紀の姿が見えるような気がした。そんな幻覚を振り払うように沙希は歩く速度を速め、最後には走っていた。
 そうしてようやく足を止めた場所は、いつも優紀と語らった駅近くの短い橋の上だった。
「……なにしてるんだろ、私」
 欄干に凭れかかり息を整える。橋の上に吹き付ける冷たい風が火照った体を冷ましてくれた。
 時刻は丁度約束の十六時半。ポケットに入れていた招待状には少しだけ皺が寄っていた。
 近くの川を指定され、やってきたはいいものの辺りにそれらしい人影はなく、よみじやという店も見当たらなかった。
「そんな上手い話があるわけない……か」
 やはり都市伝説は都市伝説。唯の噂なのだ。
 優紀に会えると浮かれていた期待は溜息と共に消えていく。
 けれども中々諦めがつかず、沙希はもう少しそこで待ってみることにし暇つぶしのために優紀のスマホを取り出した。
《パスワードが違います 六十分後に再度試してください》
 もう何度この字を見ただろう。何度かロック解除を試みたがやはり開くことはなかった。
 既に次のパスワード入力の拘束時間は六十分になってしまっていた。
「……はぁ。どうしてだよ、優紀」
 閉ざされた画面を見つめる。
 パスワードを間違え続けると、スマホ自体がロックされ沙希の手では簡単に開けられなくなってしまう。
 慎重に慎重にパスワードを考えても一向に開かないスマホに、沙希の心は既に折れかけていた。
 開かないスマホ。訪れない招待者。
 これ以上待っていても無駄だ。潔く諦めてしまおう――今度こそ帰路につこうとしたその時、突如捲き上げるような突風が吹き付け沙希は思わず目を閉じた。
 周囲の人々があげる悲鳴をかき消すように轟々と風の音が耳に響いた。
 しばらくして風が止み、ゆっくりと目を開けた沙希は瞬きを忘れた。
「ここ……どこ」
 眼前に広がるは見下ろしていた筈の川。
 驚いて後ずさると石を踏む感触――沙希は橋の上ではなく、河原の上に立っていた。
 頭上には真夜中のように星一つない暗闇が広がっていた。
 困惑して辺りを見回せど、周囲には誰もおらず立っているのは沙希一人きりだった。
 不安と恐怖に苛まれる中、十数メートル先に暖かな赤の光が揺れていることに気がつくと沙希は石に足を縺れさせながらも一直線に駆け寄った。
「――よみじや」
 光の正体は古い屋台にかけられた提灯だった。
 風で揺らめく暖簾には、招待状にあったように“よみじや”の文字が書かれていた。
 暖簾の向こうに人影が見えたが、まさか本当にこの向こうで優紀と会えるのだろうか。
「優紀!」
 沙希は親友の名を呼びながら躊躇なく暖簾を潜った。
 カウンターの向こうには店主と思われる女性が立っていた。沙希の勢いに驚き、目を丸くした彼女と数秒見つめ合う。
「あっ……あの……私……」
「平田沙希さん、ですね?」
「はっ、はい!」
「お待ちしておりました。ようこそ、よみじやへ」
 沙希の緊張を解すような柔らかい笑みを浮かべたまま店主は深々と頭を下げた。
「このお手紙くれたの、お姉さんですか?」
「はい。私が書いたもので違いありません」
 沙希が握りしめていた招待状を見せると、店主はゆっくりと頷いた。
「私、さっきまで橋の上にいたんです。そしたら急にびゅーっと風が吹いていつのまにか河原にいて……ここは一体どこなんですか? 本当に優紀に会えるの?」
 沙希はカウンターに手をついて矢継ぎ早に疑問を投げかける。
 店主は両手を前に出しどうどう、と往なし優紀の興奮を抑えた。
「水瀬優紀さんは来てくれます。ですからその前にこの店についてきちんと説明をしておきたいので……お座りください」
 店主に促されるままに沙希は目の前の丸椅子に腰掛けた。
「寒かったでしょう。温まってください」
 店主に出された暖かいほうじ茶を、沙希は息を吹きかけ冷まして啜る。 
 香ばしい香りと、落ち着く暖かさが動揺した体の中を駆け巡り、無意識にほっ、と息をついた。
「そういえば……ここ寒くないですね」
 冷静さを取り戻した沙希が一番最初に気づいたのは、この場所の体感気温だった。
 身を縮こめる程の寒さを感じていたのに、今はなにも感じない。屋台も暖簾一枚隔てているだけだというのに一切の冷気が入って来ていないように思えた。
「場所が場所ですから……恐らく感覚が曖昧になるのだと思います」
 暑くもなく、寒くもない。まるで夢の中にでもいるかのようなふわふわとした不思議な感覚。
 自分がいた場所とは明らかに異質を放つ空間に、沙希は恐る恐る店主に尋ねた。
「あの……ここって一体どこなんですか?」
「ここは三途の川。あの世とこの世を繋ぐ川のほとりです」
 耳を疑う言葉に、沙希はぽかんと口を開けた。
「えっ……三途の河って、死んだ人が渡る所ですよね? もしかして私……優紀と会うために死んじゃったんですか?」
 お茶で取り戻せた落ち着きが帳消しになった。
 美味しい話には訳がある。知らぬうちに取り返しのつかないことをしてしまったのだと沙希は慌てふためいた。 
「落ち着いて。貴女は生きているし、命を奪うなんて恐ろしいことはしないので安心してください」
 声を上擦らせる沙希に店主は宥めるようにゆっくりと声を掛ける。
「ここは、生きている方と亡くなられた方が一度だけ食事をすることができる屋台『よみじや』です。たった三つのルールを守っていただければ、普通のお店と変わりはありません」
「ルール?」
 首を傾げた沙希に店主はゆっくりと頷き、指を一本ずつ立てながら言葉を続けた。

 一つ、故人と会えるのは一生に一度きり。
 二つ、故人が口にしているものを口にしてはいけない。
 三つ、故人と会っている間は絶対に屋台の外に出てはいけない。

「……たったそれだけでいいんですか?」
 死者と会うにしてはあまりにも緩すぎる制約だった。
「ですが、水瀬さんとお会いできる時間にも限りがあります。後ろの暖簾の向こうを覗いてください」
 店主に指示されるがままに沙希は身を屈め暖簾向こうに広がる闇を見る。
「水瀬さんがいらっしゃる合図として、川を流れる灯篭に灯が灯ます。そしてその灯篭が再び消える時――それがお別れの合図です」
 幾ら目を凝らせど灯篭の影も形も見られなかった。
 諦めて体勢を戻そうとしたその時、目の前がぱっと明るくなった。
「……綺麗」
 それは息を飲むほどに美しい景色だった。
 大きな川に浮かぶ幾千幾万もの灯篭に一斉に灯が灯り、ゆったりとした川の流れに身を任せ揺らめく幻想的な灯。 
「短い時間ですが、お二人で過ごす最後の時間が掛け替えのないものになりますように」
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