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5話「見える者と見えない者」
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神流水と共にきたのは新宿御苑。
雨模様ということもあり、来園者は極端に少ない。下手な喫茶店に入るよりも確かに誰の邪魔も入らない静かな場所だろう。
神流水は園内にある東屋で待っているように指示するとどこかに姿を消していった。
幾ら夏で蒸し暑いといえども、服が濡れていれば多少なりとも寒さは感じるものだ。
肌に張り付く布が不快で、はしたなくワンピースの裾をたくし上げ大量の水を絞り出す。
「……まさかこのまま放置とかないわよね」
額に張り付いた前髪をかきあげながら、美夜は神流水がいなくなった場所を見る。
彼が姿を消してからもうすぐ十五分が経とうとしていた。もし本当に置いていかれたとしたら、いいつけを守りこの場でじっと待つのも実に馬鹿らしい。
服の水分も随分となくなり、雨脚も少しだけ弱まってきた。
美夜はベンチに座り、あと五分待ってあの男が帰ってこなかったら帰ってしまおうと決心を固めたとき、見覚えのある黒傘が見えた。
「意外とコンビニが遠くて……待たせちゃってごめんね。これ、タオルとコーヒー」
神流水はコンビニ袋を手に戻ってきた。しかも律儀に二人分のホットコーヒーと真新しいタオルを買って。
「さすがの夏でもそんなにずぶ濡れなら風邪を引いてしまうからね」
「わざわざすみません。助かります」
差し出された袋の中にはフェイスタオルとおまけに女性物の下着も入っていた。
中身を確認して思わず美夜は赤面して神流水を見たが、彼はなに食わぬ顔でもう一つの袋からコーヒーを取り出している。
「コーヒー。砂糖とミルクは使う?」
「……っ、砂糖を二本お願いします」
「了解。望月さんは甘いものが好きなんだね」
一言一句、一挙一動、全てがスマートすぎる美男子だ。
あまりにも自然すぎる気遣い。これなら女性だろうと男性だろうとこの男の魅力に飲まれてしまうだろう。所謂人誑しというやつに違いない。
下着ごときで動揺する生娘だと思われるのも癪で、美夜も平静を装いタオルで髪を拭く。
本当はコーヒーにはスティックシュガーを三本入れたいところだが、子供扱いされたくなくてあまりにも小さすぎる見栄を張った。
神流水は要望通り美夜のコーヒーに二本の砂糖を入れ、ご丁寧にかき混ぜ蓋をしてから渡してくれた。
そうして自分はなにも入れずにブラックを飲む。
自分が使わないのなら何故砂糖が二本もあるのだ。まさか美夜が最初から砂糖を多めに使うと予期していたのか。
美夜は神流水を疑い深く睨みながらいつもより苦いコーヒーを啜った。
やはりどれだけ親切にされたとしても、この男を信用してはならないと本能が警鐘を鳴らしているのだ。
「さて。先程の様子から察するに、まどかちゃんになにかあったのかな?」
先に切り出したのは神流水だった。
「例えば――体調が悪くなった、とか」
その言葉にコーヒーを傾けていた手が止まった。
口内に残っていたコーヒーをごくんと喉を鳴らして飲み、おし黙る。
「……ほら。僕がいったとおりじゃないか。彼女には悪いものが憑いているって」
全てを見透かしたように神流水は美夜を見て笑みを深めた。
そして続けざまに「この間のブレスレットあるけれど……どうする?」と悪魔のように囁いてきた。
意地悪そうな神流水の笑顔に、美夜は俯き拳を握りしめた。
「あの日……あの日は確かに、まどかにはなにも憑いてなかった……」
「まるで悪いものが見えているみたいな物言いだね」
無意識に口をついた言葉を指摘され、美夜はしまったと顔を上げた。
「その顔は……図星かな?」
自分が霊を見えることはまどかにもいっていない。何故こんな垢の他人に、それもまどかを拐かした詐欺師に知られなければならないのか。
だが慌てて否定するのも妙に癪に触る。この人の心を覗き込む様ないけ好かない詐欺師の顔が気に食わない。
「……………だったらなによ。貴方だって本当に祓い屋なら見えてるんでしょう」
「はは……それもそうだね。お仲間に会えるなんて嬉しいよ。望月さんとは仲良くなれそうだ」
顔色ひとつ変えずこちらに微笑みかける神流水を、美夜はじろりと睨みあげた。
「嘘つき。本当は見えてないくせに」
瞬き一つせず、一切目を逸らすことのない美夜の眼差しに神流水は僅かに目を見開いた。
「貴方と会った日までは、間違いなくまどかに悪いモノは憑いていなかった。だから貴方の言葉が嘘だとすぐに見抜いた」
「自分が人には見えないモノをみる……ということは否定しないんだね」
「こんな非現実な話、神流水サンが信じるか信じないかは分からないけれど。もう否定したところで意味はないから」
美夜は生まれつき常人には見えないモノが見える--霊能力者だった。
それもかなり霊を引き寄せる体質らしく、常になにかが美夜の背後に憑いて来るのだ。良いものも。悪いものも。
だが、それらは直接美夜に悪い影響を与えることもなければ、良い影響を与えることもない。それらは、美夜を媒介にして移動し、新たな宿主、住処を探している――それは現在進行形で。なので自分の背後に憑いている者達に神流水が気づいていないということは、つまり彼は霊を見えると偽っていることになる。
「うん。君の力が本当なら、嘘をついても仕方がないね」
男は一切焦ることもなく、にこやかに美夜に向き合った。
「確かに、僕は霊を見ることはできない」
「さ、詐欺を認めるんですか?」
すんなりと嘘を白状した神流水に美夜は唖然として声がひっくり返ってしまった。
詐欺師というものは何があっても非を認めたり、己の嘘を他人に漏らすことはないはずだ。 何より「霊が視える」という美夜の話をすんなり聞き入れたことに驚きを隠せない。
「……自分は霊が見えないのに、見えるといっている私の話を信じるんですか? 私も嘘をついているかもしれないのに」
男が何を考えているかわからず、美夜は疑り深く隣に座る詐欺師を見上げる。
「僕はね、人の嘘がわかるんだよ」
それは事実だろう。嘘をつく詐欺師が、相手の言葉を真実か嘘か見分けられないはずがない。
「それにね。見えないけれど、感じることはできるんだよ。これは、ホントウ」
神流水は美夜に顔をぐっと近づけた。
完全にキスの距離感だが、二人の間に甘い空気は一切流れない。神流水の瞳は真っ直ぐに美夜の瞳を写している。
「キミからは色々なモノを感じるよ。良いものも。悪いものも。ごちゃごちゃに混ぜ合わされて、実に不愉快で気味が悪い。おまけにそれは自分に対するものではなく、第三者に向かって放たれていく迷惑極まりないものだ」
美夜は言葉を失った。
この男の言葉は全て正しかった。
美夜に取り憑く霊たちは皆新たな憑依先を探しているに過ぎない。自身の家族を除き、気の知れた友人から名も知らない赤の他人まで無差別に移っていく。美夜の意志関係なしに。
だから彼女の周囲にいる人間は時に幸せになる者もいるが、その大多数が不幸になる。
美夜にはどの人にどんな霊が取り憑いていったのかが見えるが、あくまでも見えるだけ。祓う力を持たない彼女にはどうすることもできない。
だから彼女は他人との接触を極力さけた。自分のせいで誰かが不幸になるのが、仲良くなった友人に恨まれるのが嫌だから。
だが、まどかは違った。彼女は霊感はないが守護の力が強いのだろう。学生の時から美夜の霊は彼女になんの影響も示さなかった。それからの付き合いだった。
だが、今その友人が霊に取り憑かれて弱っている。それをしっているのに自分はどうすることもできないのだ。
「僕は本当にまどかちゃんから悪いものを感じたんだよ。騙したつもりはない。まぁ、金儲けの意思があったのは認めるけどね」
神流水は一切悪びれる様子なくくすりと笑う。
「あのブレスレットでまどかちゃんの守りを高めた。だが、それを失い、守りが薄くなったことで君に憑いている悪いものが移ってしまったのかもしれないね」
「…………っ」
挑発するような神流水の視線に美夜は奥歯を噛み締めた。
「こんな僕だけどね、一応祓う力はあるんだよ。お高いけどね」
「……詐欺師のいうことなんて信じられない」
どうせ高額な依頼料を請求するのだろう。
眼鏡の奥の瞳は感情が読めない。
「まぁ、好きにするといいよ」
睨む美夜に神流水はなんの反応もなく席を立った。
「なにかあったらいつでも相談にのるよ。あ、もちろんきっちり相談料は頂くけどね。今回はサービスしておくよ」
神流水は傘を刺し、外に立って振り返る。
「その傘は貸してあげる。あのお守りも買い戻したくなったらいつでも連絡しておいで」
にこりと笑って詐欺師は姿を消した。
美夜はその場で呆然としていた。傘を開くと、一枚の紙きれが落ちてきた。
そこには先日もらった神流水の名刺が落ちていた。
雨模様ということもあり、来園者は極端に少ない。下手な喫茶店に入るよりも確かに誰の邪魔も入らない静かな場所だろう。
神流水は園内にある東屋で待っているように指示するとどこかに姿を消していった。
幾ら夏で蒸し暑いといえども、服が濡れていれば多少なりとも寒さは感じるものだ。
肌に張り付く布が不快で、はしたなくワンピースの裾をたくし上げ大量の水を絞り出す。
「……まさかこのまま放置とかないわよね」
額に張り付いた前髪をかきあげながら、美夜は神流水がいなくなった場所を見る。
彼が姿を消してからもうすぐ十五分が経とうとしていた。もし本当に置いていかれたとしたら、いいつけを守りこの場でじっと待つのも実に馬鹿らしい。
服の水分も随分となくなり、雨脚も少しだけ弱まってきた。
美夜はベンチに座り、あと五分待ってあの男が帰ってこなかったら帰ってしまおうと決心を固めたとき、見覚えのある黒傘が見えた。
「意外とコンビニが遠くて……待たせちゃってごめんね。これ、タオルとコーヒー」
神流水はコンビニ袋を手に戻ってきた。しかも律儀に二人分のホットコーヒーと真新しいタオルを買って。
「さすがの夏でもそんなにずぶ濡れなら風邪を引いてしまうからね」
「わざわざすみません。助かります」
差し出された袋の中にはフェイスタオルとおまけに女性物の下着も入っていた。
中身を確認して思わず美夜は赤面して神流水を見たが、彼はなに食わぬ顔でもう一つの袋からコーヒーを取り出している。
「コーヒー。砂糖とミルクは使う?」
「……っ、砂糖を二本お願いします」
「了解。望月さんは甘いものが好きなんだね」
一言一句、一挙一動、全てがスマートすぎる美男子だ。
あまりにも自然すぎる気遣い。これなら女性だろうと男性だろうとこの男の魅力に飲まれてしまうだろう。所謂人誑しというやつに違いない。
下着ごときで動揺する生娘だと思われるのも癪で、美夜も平静を装いタオルで髪を拭く。
本当はコーヒーにはスティックシュガーを三本入れたいところだが、子供扱いされたくなくてあまりにも小さすぎる見栄を張った。
神流水は要望通り美夜のコーヒーに二本の砂糖を入れ、ご丁寧にかき混ぜ蓋をしてから渡してくれた。
そうして自分はなにも入れずにブラックを飲む。
自分が使わないのなら何故砂糖が二本もあるのだ。まさか美夜が最初から砂糖を多めに使うと予期していたのか。
美夜は神流水を疑い深く睨みながらいつもより苦いコーヒーを啜った。
やはりどれだけ親切にされたとしても、この男を信用してはならないと本能が警鐘を鳴らしているのだ。
「さて。先程の様子から察するに、まどかちゃんになにかあったのかな?」
先に切り出したのは神流水だった。
「例えば――体調が悪くなった、とか」
その言葉にコーヒーを傾けていた手が止まった。
口内に残っていたコーヒーをごくんと喉を鳴らして飲み、おし黙る。
「……ほら。僕がいったとおりじゃないか。彼女には悪いものが憑いているって」
全てを見透かしたように神流水は美夜を見て笑みを深めた。
そして続けざまに「この間のブレスレットあるけれど……どうする?」と悪魔のように囁いてきた。
意地悪そうな神流水の笑顔に、美夜は俯き拳を握りしめた。
「あの日……あの日は確かに、まどかにはなにも憑いてなかった……」
「まるで悪いものが見えているみたいな物言いだね」
無意識に口をついた言葉を指摘され、美夜はしまったと顔を上げた。
「その顔は……図星かな?」
自分が霊を見えることはまどかにもいっていない。何故こんな垢の他人に、それもまどかを拐かした詐欺師に知られなければならないのか。
だが慌てて否定するのも妙に癪に触る。この人の心を覗き込む様ないけ好かない詐欺師の顔が気に食わない。
「……………だったらなによ。貴方だって本当に祓い屋なら見えてるんでしょう」
「はは……それもそうだね。お仲間に会えるなんて嬉しいよ。望月さんとは仲良くなれそうだ」
顔色ひとつ変えずこちらに微笑みかける神流水を、美夜はじろりと睨みあげた。
「嘘つき。本当は見えてないくせに」
瞬き一つせず、一切目を逸らすことのない美夜の眼差しに神流水は僅かに目を見開いた。
「貴方と会った日までは、間違いなくまどかに悪いモノは憑いていなかった。だから貴方の言葉が嘘だとすぐに見抜いた」
「自分が人には見えないモノをみる……ということは否定しないんだね」
「こんな非現実な話、神流水サンが信じるか信じないかは分からないけれど。もう否定したところで意味はないから」
美夜は生まれつき常人には見えないモノが見える--霊能力者だった。
それもかなり霊を引き寄せる体質らしく、常になにかが美夜の背後に憑いて来るのだ。良いものも。悪いものも。
だが、それらは直接美夜に悪い影響を与えることもなければ、良い影響を与えることもない。それらは、美夜を媒介にして移動し、新たな宿主、住処を探している――それは現在進行形で。なので自分の背後に憑いている者達に神流水が気づいていないということは、つまり彼は霊を見えると偽っていることになる。
「うん。君の力が本当なら、嘘をついても仕方がないね」
男は一切焦ることもなく、にこやかに美夜に向き合った。
「確かに、僕は霊を見ることはできない」
「さ、詐欺を認めるんですか?」
すんなりと嘘を白状した神流水に美夜は唖然として声がひっくり返ってしまった。
詐欺師というものは何があっても非を認めたり、己の嘘を他人に漏らすことはないはずだ。 何より「霊が視える」という美夜の話をすんなり聞き入れたことに驚きを隠せない。
「……自分は霊が見えないのに、見えるといっている私の話を信じるんですか? 私も嘘をついているかもしれないのに」
男が何を考えているかわからず、美夜は疑り深く隣に座る詐欺師を見上げる。
「僕はね、人の嘘がわかるんだよ」
それは事実だろう。嘘をつく詐欺師が、相手の言葉を真実か嘘か見分けられないはずがない。
「それにね。見えないけれど、感じることはできるんだよ。これは、ホントウ」
神流水は美夜に顔をぐっと近づけた。
完全にキスの距離感だが、二人の間に甘い空気は一切流れない。神流水の瞳は真っ直ぐに美夜の瞳を写している。
「キミからは色々なモノを感じるよ。良いものも。悪いものも。ごちゃごちゃに混ぜ合わされて、実に不愉快で気味が悪い。おまけにそれは自分に対するものではなく、第三者に向かって放たれていく迷惑極まりないものだ」
美夜は言葉を失った。
この男の言葉は全て正しかった。
美夜に取り憑く霊たちは皆新たな憑依先を探しているに過ぎない。自身の家族を除き、気の知れた友人から名も知らない赤の他人まで無差別に移っていく。美夜の意志関係なしに。
だから彼女の周囲にいる人間は時に幸せになる者もいるが、その大多数が不幸になる。
美夜にはどの人にどんな霊が取り憑いていったのかが見えるが、あくまでも見えるだけ。祓う力を持たない彼女にはどうすることもできない。
だから彼女は他人との接触を極力さけた。自分のせいで誰かが不幸になるのが、仲良くなった友人に恨まれるのが嫌だから。
だが、まどかは違った。彼女は霊感はないが守護の力が強いのだろう。学生の時から美夜の霊は彼女になんの影響も示さなかった。それからの付き合いだった。
だが、今その友人が霊に取り憑かれて弱っている。それをしっているのに自分はどうすることもできないのだ。
「僕は本当にまどかちゃんから悪いものを感じたんだよ。騙したつもりはない。まぁ、金儲けの意思があったのは認めるけどね」
神流水は一切悪びれる様子なくくすりと笑う。
「あのブレスレットでまどかちゃんの守りを高めた。だが、それを失い、守りが薄くなったことで君に憑いている悪いものが移ってしまったのかもしれないね」
「…………っ」
挑発するような神流水の視線に美夜は奥歯を噛み締めた。
「こんな僕だけどね、一応祓う力はあるんだよ。お高いけどね」
「……詐欺師のいうことなんて信じられない」
どうせ高額な依頼料を請求するのだろう。
眼鏡の奥の瞳は感情が読めない。
「まぁ、好きにするといいよ」
睨む美夜に神流水はなんの反応もなく席を立った。
「なにかあったらいつでも相談にのるよ。あ、もちろんきっちり相談料は頂くけどね。今回はサービスしておくよ」
神流水は傘を刺し、外に立って振り返る。
「その傘は貸してあげる。あのお守りも買い戻したくなったらいつでも連絡しておいで」
にこりと笑って詐欺師は姿を消した。
美夜はその場で呆然としていた。傘を開くと、一枚の紙きれが落ちてきた。
そこには先日もらった神流水の名刺が落ちていた。
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