湯屋「憩い湯」奇談

さち

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夢を見ました③

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 紅の診察を受けた伊織はまだ自室に帰ることを許されなかった。意識が戻ったとはいえ、体が衰弱していることには違いはない。これは食事と休養で回復させるしかなかった。
「徨葵殿は雪音殿の部屋にお連れしようと思うのだがどうだろうか?屋敷にお連れしてもおひとりだろう?」
玉城の言葉に伊織はうなずいて隣のベッドに眠る徨葵を見た。
「お願いします。目が覚めるのはずっと先かもしれないけど、ここならみんなの気配を感じられるだろうから」
玉城はうなずいて伊織の髪を優しく撫でると、赤鬼と青鬼を呼んで徨葵を雪音の部屋に寝かせるように言った。
「伊織、体のほうはどうだ?辛くはないか?」
「大丈夫です。鬼の力も、陰陽師の力も安定しています。お父さんと稲荷神さまのおかげですね」
小さく微笑む伊織の手を、玉城はそっと握りしめた。
「玉城?」
「俺は、お前を守れなかった自分が情けない」
「でも、あなたは湯屋を守ってくれました。湯屋を守ってほしいとお願いしたのは私です」
「それでもだ。湯屋の主としてのお前の決定に否やを言うつもりはない。だが、番としてお前を守れないことが歯痒い」
そう言って悔しそうな顔をする玉城の頬に、伊織は苦笑しながらそっと触れた。
「ごめんなさい。でも、ここを守るのは私の役目です。これだけは譲れない」
「わかっている。これは単なる俺の我が儘だ」
玉城は小さく笑うと伊織の唇に軽く口づけた。
「さ、もう少し眠れ」
「玉城、目が覚める前に、夢を見たんです…」
口づけに眠りを促す呪いを混ぜていたこともあり、伊織がうとうとしだす。そんな中で伊織は夢の話をした。
「お母さんに、会ったんです。そして、お父さんが、迎えにきてくれた…」
「そうか。雪音殿は今でも伊織を見守ってくれているのだな」
眠りを促すように優しく髪を撫でながら囁くと、伊織は子どものように無邪気な笑みを浮かべて嬉しそうにうなずき、そのまま目を閉じて眠りについた。

「紅、伊織が動けるようになるまでどれくらいかかる?」
伊織が眠ったあと、様子を見ていた紅に玉城が尋ねると、紅はカルテを見ながら眉間に皺を寄せた。
「どれくらい食事を摂れるかにもよるが、起き上がれるようになるまで数日はかかるだろう。まして、刀を振るえるようになるまでと考えれば、ひと月以上はかかるかもしれない」
「それは、人の身としての考えだろう?」
玉城の言葉に紅はハッと顔を上げた。外見上、伊織の姿に変化はない。だが、徨葵の力を与えられ、稲荷神の加護を受けたことにより、伊織の肉体は人間より鬼に近いものになりつつあった。
「鬼として、と考えても数週間はかかるだろう。まして、完全な鬼ではなくなりかけだ。無理は禁物だ」
「わかった。伊織を頼む。俺は俺にできることをやる」
玉城はそう言うと医務室を出て執務室に戻った。伊織が動けぬ以上、湯屋の一切は玉城は取り仕切らなければならない。伊織が休んでいる間に湯屋の評判を落とすなどあってはならないことだった。

「玉城殿、主殿の容態は落ち着いたか?」
朝方、湯屋の大提灯の灯りが消え、暖簾が片付けられた後、九郎が執務室に顔を出した。
「ああ。今はまだ動けんが、もう命の危険はない」
「そうか。だが、まだ仕事に復帰するには無理だろう?ひとりで無理をしないことだ。できることがあれば俺や菖蒲も手伝うし、佳純も夜なら時間もあるだろう。使えるものはなんでも使え」
気遣うような九郎の言葉に玉城は驚きながらも笑ってうなずいた。
「ああ、そうさせてもらう。伊織が休んでいる間に湯屋の評判を落とすようなことがあってはいけないからな」
「主殿も復調すればさらに強くなるだろうさ。今でも主殿の力が強くなったことを感じる。恐らく、ここにいる妖は皆気づいている。客たちもな」
玉城は静かにうなずくと煙管に火を入れて紫煙を燻らせた。
「覚醒した陰陽師の力だけでなく、鬼の力も強くなっている。陰陽師としても強い力を持った家系だし、鬼神と言われる徨葵殿の血を引いているのだ。今までどれほど抑え込まれていたのかわからんが、本来はかなり強い力を持っているはずだ」
「今回のことで眠っていた力がどれほど覚醒したのか楽しみだ。手合わせできるようになるまで俺も鍛練に励むとしよう」
そう言うと九郎は笑いながら執務室を出ていった。

 伊織の回復は紅の予想より早かった。と言ってもちゃんと食事が摂れるようになるまで3日、ひとりで体を起こせるようになるまで4日かかった。
「点滴はそろそろ必要ないな。無理をしないと約束するなら部屋に戻ってもいいぞ?」
「ありがとうございます。では部屋に戻ることにします」
やっと紅から許可がおりた伊織は自室へ戻ることにした。仕事中の玉城には内線で伝えてもらい、赤鬼に運んでもらって伊織は久しぶりに自室に戻った。
「お父さんを様子はどう?」
「変わらずお眠りになっています」
伊織を布団におろした赤鬼が答える。伊織は赤鬼と青鬼に徨葵のそばについていてもいいと言った。
「ふたりは元々お父さんのところにいたのだから、そばにいたいんじゃない?」
「お気遣いには及びません。主さまに何かあればすぐにわかりますから」
「今は若のほうが心配です」
赤鬼と青鬼はそう言うとそろって頭を下げた。
「あなたがここを守りたいように、我らはあなたを守りたい」
「あなたには及ばないかもしれないが、少しは我らを頼ってほしい」
ふたりの言葉に伊織は目を丸くしたあと、ふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます。玉城にも似たようなことを言われました」
「あれは若の番。本心では何をおいても若を守りたいはずです」
「そうですね。私は自分のことばかりでした」
伊織はそう言うと「すみませんでした」とふたりに謝った。
「これからは、力を貸してくれますか?」
「もちろんです」
「我らは若とここを守るためにいます」
力強いふたりの鬼の言葉に伊織は嬉しそうに微笑んだ。
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