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月と星は涙を流す

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 神殿に入ったのは正午過ぎ、リリィベルは神殿のバスルームで先日からの念入りなマッサージを今日も受けていた。

「うう‥‥」
「リリィベル様、痛みますか?」
「だっ‥大丈夫よ‥‥あなた達が‥毎日毎日解してくれたもの‥‥」

 苦笑いを浮かべながら、リリィベルは振り返った。
「申し訳ありませんが、もう少しですからね。」
「ええ、ありがとう。」

 カタリナと数人のメイド達は部位ごとにマッサージを再開した。


「ふぅ‥‥明日のためだもの‥‥テオに‥‥喜んで貰わなくちゃ‥‥」


 髪もいつもより艶々で、肌も血色の良い桜色の頬をしていた。ただ少し痩せたことがあり、ウェディングドレスのウエストを細く補修したところか。


「‥‥‥‥‥不思議‥‥‥‥」
 日に日に増していた頭痛は、神殿に入ってから急に治った。
 痛さのかけらも残っていない。


 ここに来てから、何故か身体も軽い。心も晴れる。
 頭痛と、夢‥‥テオドールのことを考えると、癒しと同時に息が詰まる様な気持ちが込み上げてくる。

 ただ泣きそうになってしまう。



 なぜ、こんな気持ちになるのだろう‥‥‥。

 この神殿には初めて足を踏み入れた。


 神殿の存在は知っているし、有名だ。
 だが、長年北部のブラックウォールから出たこともなく、
 帝都に来てからもほとんど外出という外出は、視察とデート、それきりだ。妃になったら社交活動も積極的に行わなければならない。今までそれらを控えていたのはもちろん、婚約してすぐの暗殺依頼があったからだ。


「あとで‥‥‥神殿を見て歩くことは出来るかしら‥‥‥。」

 そう言って目を閉じた。

 久しぶりの頭痛に悩まされないこの空間は、まるで天国の様だった。





「‥‥‥なんかさ。」

「はい?」


「ここって、こんなんだっけ?」

 一方のテオドールは、気怠げに部屋にある質素なソファに座っていた。

「どういうことですか?」
 そばにいるフランクが聞き返す。
「なんつーか‥‥‥身体が重いんだよな‥‥俺だけ?」

「私は別に‥‥‥」
 首を傾げてフランクは部屋を見渡した。


 神殿というだけでむしろ清浄な空気感を感じている。
「なんつーかさぁ‥‥‥‥俺なんか、憑かれてる?」
「やめて下さいよ!花婿!しっかりして下さい!」
 顔を青くしてフランクはキョロキョロとまた新たに部屋を見渡した。

「いやお前もしっかりしろよ。ビビってんじゃねぇか。」
「殿下が変な事言うから!!ちょっ‥‥サイモン卿!」
 扉の外で控えているサイモンに向けて扉をドンドンドンドンと叩いた。

「いや、開けろし‥‥てか頭に響くからやめろや‥‥」
 頭を支えて、テオドールは溜息をついた。

「どうしました?フランク殿。」
「殿下!殿下変!」
「いや、いつものことです。」
「おい」
「違いますって!取り憑かれてるみたい!!」
「いや‥‥まさか‥‥殿下に取り憑こうと思う霊なんて居ませんよ。」

「失礼なんだよどいつもこいつも‥‥‥。くそっ‥‥」


 テオドールは米神をグリグリと押さえて目を閉じた。




 ああ、なんだろ‥‥。


 リリィと一緒の時まで平気だったのに‥‥。



 急に頭痛いとか、明日は結婚式だぞ?


 もっとウキウキで居させて欲しい‥‥‥。


 リリィは何してるかな‥‥‥。


 あぁ、マッサージ中かもな‥‥‥。


 いいな‥‥‥俺もしてもらおうかな‥‥フランクに‥‥

 この際サイモンでも良い‥‥。

 1番うまいのはアレックスだけど、リリィについてるしな‥‥。


 一眠りしたら良くなるかな‥‥‥


 少し‥‥‥休もうかな‥‥‥。



 そうだよ‥‥少し休んで‥‥‥


 後で‥夕食は‥‥‥リリィとするんだし‥‥‥‥


 こんなんじゃ心配かけちまうし‥‥‥




「‥フランク、わりぃ俺ちょっと寝るわ‥‥‥」
「‥‥‥殿下?!まじですか?」

 座った体勢からテオドールはそのソファーに横たわった。



「だってよ‥‥‥あとで飯リリィと食うし‥‥‥‥

 適当な時間に起こ‥‥‥して‥‥‥‥」


 ふっと消える意識、テオドールは糸が切れた様に眠りに落ちた。





 《‥‥‥‥よく、ここまできたな?》




 なんだよ‥‥‥




 《わざわざここを選んだのは、どうして?》




 だって‥‥‥



 《そなたにしてはいい選択だ。おかげであの魂は護られる》




 なんの事だよ‥‥‥




 《ああ、そうだ。‥‥見せに来たのか?》






 そうだよ‥‥‥てめぇに‥‥‥‥



 俺は‥‥礼蘭と‥‥この世界で‥‥幸せに‥‥‥‥



 《くくく‥‥そうか‥‥‥》



 だってさ‥‥‥‥


 やっと‥‥‥これで‥‥‥‥俺の願いは‥‥‥‥






 《そなたの願いは、あの子との記憶を思い出して、そのすべてを含めて、今世で幸せになる事だものな‥‥‥‥?》




 ‥‥‥記憶?‥‥‥あぁ‥‥‥そうだよ‥‥‥‥


 じゃないと‥‥‥‥



 俺はずっと‥‥‥何も知らないまま‥‥‥




 《そうだな‥‥、私が絶ったはずなのに‥‥‥


 あの子はお前を巻き込んで、お前の全てを代わりに受けて





 何度、ここに来るまでもがき苦しいんでいたのだろうな‥‥》





「ハッ‥‥‥‥っ‥‥‥‥」

 パッと目が開き、テオドールはガバッと身体を起こした。
「はぁっ‥‥‥」

 息ができなかった様に心臓がドキドキした。
 身体も震えていた。


 窓から夕陽が差し込んでいた。
 汗をかいた、額からこぼれ落ちる程‥。

 ふと顔を向けた先で、フランクも椅子に座って眠りこけている。



「はぁ‥‥‥‥っ‥‥‥‥え‥‥‥?‥‥‥‥」


 頭の中に声が響いてた。

 誰かと会話した。


 聞き覚えのある‥‥‥。




「ア‥‥‥アレクシスが‥‥‥っ‥‥‥」

 夢に、現れた?


 テオドールは顔を手で覆った。


 何を言われた?最後‥‥‥。


 何度もがき苦しんだ?誰が?




「っ‥‥なんだ‥‥‥何のことだ‥‥‥。」

 髪を掻き乱した。割れそうな程頭が痛んだ。


 スクっと‥‥テオドールは立ち上がった。ふらりと少しよろめいて扉を開けた。


「殿下?どちらへ?‥‥えっ?殿下??ちょっと!」
 カールとサイモンは慌てた。迎えの部屋に控えているイーノクとアレックスまでギョッとした。
 ラフなシャツの胸元を押さえながら、テオドールはぐらつく身体を引きずる。


「るせぇ‥‥‥っ‥声が響くっ‥‥」
「すごい汗です!どちらへ行くのですか!!!」

 腕と身体に寄り添ったカールにテオドールは、弱々しくも拒絶し押し除けた。
「っ‥‥ぅるさいっ‥‥‥黙っていろ‥‥‥」


 壁をつたいテオドールは歩いた。


 そんなテオドールの様子に人々は大慌てになった。
 それは部屋の中にいたリリィベルにも届いた。




「えっ‥‥‥テオがどうしたの?!」

 リリィベルは入浴したばかりでまだ毛先が濡れていた。
 それでも外でガヤガヤと騒ぐ声にテオドールが関わっている事が聞き取れる。



 ガタンっとドレッサーの前から立ち上がった。


 神殿の壁に肩をつけて歩き続けた。
「近付いたらお前ら全員謹慎させるっ‥‥‥いいから1人にしろっ‥‥。」


 追いかけてくる騎士達にそう吠え、テオドールはズルズルとアレクシスがいる神殿の最奥の儀式殿へ向かった。

 明日ここで結婚式がある。




 アレクシスの声を聞いた。


 ここにやつは居る。


 ステンドグラスだとしても‥‥‥。



 俺は、何度も‥‥巡り会える日を願った。

 16歳のあの日‥‥記憶ではなく、本人が現れた‥。


 礼蘭の魂を持つ、今世のリリィベル‥‥。


 たくさんの後悔と、たくさんの愛情‥。



 どんなに打ちのめされようと、リリィが居てくれたら、
 それだけで、生きていける‥‥。

 けれど、俺の前世の未来になぜ礼蘭が居ないのか‥‥

 その記憶は取り戻せなかった‥‥‥。




 ギィィ‥‥と音を立て、扉は開いた。

 明日2人でここに立つ‥‥‥。





 目の前に広がった、夕陽の光が差し込むアレクシスのステンドグラスが‥‥‥



 テオドールは、目を見開き震えた。


 そんなはずはない‥‥俺の幼い記憶の中では‥‥


 ここにアレクシスが‥‥‥‥


「なんだ‥‥‥これは‥‥‥っ‥‥‥何の冗談だ‥‥‥っ‥‥‥」


 ガンガン頭が痛み、心臓まで響く。
 身体中が、恐怖に支配されじわじわと涙が浮かんでくる。



「そんなっ‥‥‥‥っ‥‥‥‥俺はっ‥‥知らな‥‥‥っ‥‥‥」



 ドッドッドッドッと心臓が破裂しそうなくらい鼓動が速くなった。






 アレクシスがいたはずのステンドグラスには、





 閉じた瞳に、黒髪のリリィベル、いや礼蘭の姿が‥‥‥


 天井まで届くステンドグラスとなって目の前に広がった。






 《ああ‥‥‥‥なんて美しい死に顔だ‥‥‥‥



 お前は、この真実を受け止められる程、強くなっていただろうか‥‥‥‥。



 さぁ‥‥‥お前が欲しがった記憶だよ‥‥‥?》



「っ‥‥‥‥ぃ‥‥ぃや‥‥‥‥‥‥っ‥‥‥。」



 テオドールは、膝から崩れ落ちた。


 ぼたぼたと流れ落ちる涙。





 そして、それを遠くから見た。



「‥‥‥‥‥‥‥‥」



 生気が抜けたリリィベルの瞳から、涙がこぼれ落ちた。




 ああ‥‥‥ダメよ‥‥‥‥‥。



 思い出しては‥‥‥‥‥。





「‥‥だ‥‥め‥‥‥っ‥‥だ‥めぇっ‥‥‥だめぇぇぇ!!!」

  



 崩れ落ちた暁の背に手を伸ばし、礼蘭の大きな叫び声が神殿に響き渡った‥‥。

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