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新月の魂

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 バタンっと勢いよく皇太子の部屋の扉は閉じられた。

「・・・・・・・」
 黙って手を握っていたテオドールが動かずに、リリィベルはその背を見つめた。

 なんて言ったらいいか分からなかった。
 リベルという愛称のこと。護衛騎士として仕え、グレンの言った通り、眠った自分を部屋に運んでくれた事があった事。すべてテオドールと出会う前の話だった。それでも、その事実を知られてしまうなんて夢にも思わなかった。

「・・・リリィ・・・。」

 リリィベルが口を開く前に、テオドールが口を開いた。

「はい・・・。」
「お前は・・・・。」


 少しだけの沈黙が、怖かった。何を言われるのだろうかと・・・。


 少しでもグレンとの仲を疑われたら?

 グレンの前で、寝顔を晒した事を問い詰められたら?

 彼だけに許した愛称を許さないと言われたら?


「お前は・・・黒髪が好きか・・・・?」
「え・・・・・?」
「だから・・・黒い髪・・・好きか・・・・?」

 その背から伝わったのは、髪の事だった。

「なぜそんな事を・・・。」

「・・・・・・なんとなく・・・・・・・。」


 テオドールの胸に渦巻くこの気持ちは、暁だった自分が悔やんでいるからだ。

 母親譲りの銀髪。前世と今世が違う髪の色。顔だけは同じなのに。
 グレンの黒髪が、急に恋しくなった自分・・・・。

 リリィベルは、ただテオドールの背に抱き着いた。

「私は・・・テオが好きです・・・。」
「・・・俺がどんな髪色だとしても・・・?」


 リリィベルは瞳を閉じてテオドールの背の温もりを離さぬ様に寄り添った。

「あなたが、赤い髪をしていても・・・水色の髪色でも・・・・

 あなたという存在を・・・いつの世も愛したと思います・・・・。」


 それは真実だ。リリィベルは指輪を持ってこの世に産まれてきた。
 それはテオドールと巡り合う為の目印。

 リリィベルは、意を決してテオドールの目の前にまわった。

「私がっ・・・あなたと同じ指輪を持って産まれた事をお忘れですかっ・・・?」
 その言葉を口にしたら、涙が浮かんできた。

「!・・・・リリィ・・・・。」

 リリィベルはポロポロと涙を流した。

「私はっ・・・あなたしか愛した事がありませんっ・・・・。

 あなたに会う為にこうして生まれたのにっ・・・・・。」

 テオドールは、その時、正気に戻った。

 2人の指に光る指輪。それが、どれだけ大事で、2人を繋ぐ物だったか・・・。

「っ・・・・ごめんっ・・・・。」

 急に焦りが込み上げて、テオドールはリリィベルを抱きしめた。

「ごめんっ・・・・。」
「っ・・・私はっ・・あなたを愛してっ・・・。」
「分かってる・・・すまないっ・・・・バカな事を言った!泣かないでくれ・・・・。」

 リリィベルの涙を見れば、心臓が潰されそうな程痛い。

「・・・本当にごめん・・・・。」

 テオドールは瞳を閉じて、リリィベルの瞼に口付けた。



 暁だった自分が、羨ましくて・・・。

 グレンの髪色が・・・悔しくて・・・。


 何度愚かな事を繰り返せば気が済むんだ・・・。


 これじゃあ、愛を疑うも同然だ・・・。

 俺の為に産まれてきたと、何度も伝えてくれているリリィベルに・・・・。


「リリィっ・・・。」
「私はっ・・・グレンを好きだった事はありませんっ!」
「!!・・・わかったからっ・・・。」
「私はっ・・あなたを愛してますっ・・・・。」

「わかったからっ・・・。」
「お願いですからっ・・・二度とっ・・・他の人の元に私を渡さないでくださいっ・・・。」

「・・・違うんだっ・・・アレはっ・・・・・。」
「あなたがっ・・・私を手放すようで・・・怖かったですっ・・・。」
「そんな事あり得ない!!!」

「うぅっ・・・私はっ・・あなただけの女ですっ・・・・。」

「あぁっ・・・リリィっ・・・・。」

 2人はそのままベッドになだれ込んで抱きしめ合った。

 テオドールの腕の中で涙を流すリリィベルを、テオドールはただ抱きしめて、その涙を唇で拭う。


 胸が痛い・・・。

 俺の愚かな感情が・・・・。

 リリィを傷つけた・・・・。


 また泣かせてしまった・・・。


「リリィっ・・・愛してるっ・・・・。」

 ただその言葉を、何度もリリィベルの耳元で囁いた。

 何度も何度も・・・その身に刻みたい程、囁いた。




「・・・・・・・。」

 やがて泣きつかれて眠ってしまったリリィベルを抱きしめながら、テオドールは悲し気に瞳を閉じた。


 自分とグレンと、どちらが好きかと問うたも同然だった・・・。

 どうかしてる・・・。


 それでも、聞かずにはいられなかった。


 その黒髪に、惹かれはしなかったか・・・・。

 俺を思い出してくれなかったか・・・。

 リリィベルの中の礼蘭に聞きたかった・・・・。


 俺の取り戻した記憶と、苦しみに共鳴し続けたリリィベルに・・・・


 なんてことを言ってしまった・・・?



 だが、聞いてしまった。
 俺と出会う前も・・・俺を思い出してくれたか・・・・。

 欲が多いにも程がある・・・。


 こうして指輪を持って産まれてきてくれたのに・・・・。

 ジリジリと胸が痛くて、耐えきれずにリリィベルから静かに離れ、テオドールはバルコニーに出た。

 冷たい秋風に当たり・・・頭を冷やすようにため息をついた。


 今夜は真っ暗闇だった。星だけが輝いている。


「俺は馬鹿だ・・・・。」



 黒髪、幼馴染・・・。空白の16年・・・。


 悲しいんだ・・・・。


 寂しいんだ・・・・。


 この胸が、魂が・・・それを羨んでドンドンと胸を叩く。


 リリィベルは、自分の婚約者で、これからの未来があるのに・・・・。


 過去くらい・・・グレンにくれてやればいい・・・。


 俺は・・・それよりもっと・・・ひどいじゃないか・・・。


 他の人と結婚し・・・・子を・・・。


「うぐっ・・・・。」

 そう思った瞬間に、吐き気がした。


 コポコポと込み上げてくる異物を吐き出したかった。


 何が幸せだ・・・。


 俺の前世の人生・・・・。礼蘭のいない人生の・・・どこが・・・・・。



「くそっ・・・・どうしてっ・・・・・。」

 泣きたくなる程、嫌悪した。

 顔も思い出せない妻だった人・・・。


 俺は、本当に・・・どうして・・・・。


 ドカッ!!!
 バルコニーの柱に頭を打ち付けた。

「っ・・・ぅ・・・・っ・・・・。」



 《人生はどうだった・・・・?》


 《お前は、これまで健康的で、普通の幸せな人生を送った。良かったな。》


 初めて言われたアレクシスの言葉が頭の中を駆け巡った。


 あの時俺は、悔いはないと言った。幸せだったと・・・。


 礼蘭を失った世界で、幸せだったものか・・・。


 思い出一つ思い出す度に、指輪を見るたびに・・・・。

 リリィの顔を見るたびに・・・・。



 ついにしゃがみこんでテオドールは涙をこぼした。
「っ・・・どうしてっ・・・・どうしてっ・・・・・。」


 どうして幸せだったと言えた?

 気持ち悪い・・・・。


 それなのに、リリィをあんな風に追い詰めて・・・。


 俺はもっとひどいじゃないか・・・・。他の女と・・・・・・。



「ごほっ・・・っうぅっ・・・・・。」

 考えるだけで、止まらない吐き気が押し寄せる。

 口元を押さえて、テオドールは泣いた。



 どうして、幸せだなんて言えたんだ。


 俺が死ぬまでの間に礼蘭は居なかった。



 頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。


 返して貰った記憶のカケラ。

 礼蘭とは隣の家で生まれ、生まれた時からずっと一緒だったこと。

 礼蘭の為に剣道を始めた事。

 礼蘭と幼馴染の枠を超えて、恋人になった事。


 初めてキスをした事。


 初めて身体を抱いた事。


 礼蘭に指輪を贈った事。



 礼蘭と結婚をすると・・・・。



 そこからの記憶がない・・・・。



 あんなに幸せだったのに、その先に、礼蘭が居なかった事。


 死んでアレクシスに言われるまで、礼蘭を忘れていた事。



「ぅ・・・がはっっ・・・・」

 テオドールはとうとうその場に吐き出した。
 気持ち悪い思いを。


 気持ち悪い・・・・。


 俺が1番・・・最低だ・・・。


 吐き出すと身体が震えてきた。耐えられない。
 この身体はリリィベルだけのものなのに。
 グレンに嫉妬し、リリィベルを追い詰め、駄々を捏ねて、
 泣かせて。俺を愛してると死ぬ程言わせて置きながら‥

 自分は・・・・。


 心が震える。もう全て打ち明けたい・・・。
 全部吐き出してしまいたい・・・。

 俺は暁だと・・・お前は礼蘭だと・・・。

 生まれ変わって、また巡り合ったのだと・・・。

 だが、何故俺のそばに居なかった?

 何故、アレクシスに俺の幸せを願った。


 お前は・・・。

「・・・お前は・・・いつ・・・」

 俺の前から居なくなった・・・・。




「おや、大丈夫ですか?」
 膝をついて涙を流すテオドールの前に現れた。

 星しかない夜に水色の髪。
「ロス‥ウェル‥?」

 にっこり笑ったいつものロスウェルが何故かそこに現れた。
「あぁあぁ、こんなに汚れて。」

 指をパチンっと鳴らすと、テオドールの身は綺麗になった。
「今日は新月ですね・・・。なんだか、変な感じで・・。
 言葉に出来ないんですけど・・・。」

 テオドールの前にしゃがみ込んだロスウェルの顔が微かに見えた。

「ロスウェル・・・・」
 涙を流しながら、テオドールは名を呼んだ。

「殿下・・・。遅くなりましたが、お帰りなさい。」
 ロスウェルが笑ったのが見えた。

「俺は・・・皇太子なんかじゃ・・・」
「え?」

 テオドールの顔が激しく涙に歪んだ。

「俺はっ・・・皇太子なんかじゃないっっ・・・・」
 その場に蹲ってだだそう泣いた。

「なにを・・・・」

 何を言い出すんだと、ロスウェルは焦った。


 ここに現れたのは、新月の夜で、テオドールが気に掛かったからだった。


 彼は月だ。


 そう思ってもう何年が過ぎただろう。


 だから、姿を隠す新月はいつもテオドールが気にかかっていた。

 オリヴァーにも伝えられない。この伝えようのない事。

 案の定、今夜のテオドールはおかしかった。
 いや、想像以上だった。

「うぅぅ・・・・っっ・・・・ぁぁっ・・・・っ」

「・・殿下っ・・・」
 ロスウェルはテオドールの肩を掴んだ。


「どうしたらいいんだっ・・・もうわかんねぇ・・・っ」

 フリフリと頭を揺さぶった。
「殿下、落ち着いて下さいっ・・・」
「俺はぁっ・・・テオドールじゃっ・・・・っ・・」

 ボロボロ泣きながら、ロスウェルの両腕を掴んだ。

「違うっ・・俺だけどっ・・・俺なはずなのにっ・・・っ」

「殿下・・・」


 月がない夜は‥‥テオドールの髪が黒くなる‥‥。

「俺はっ‥‥‥なんでっ‥‥‥うぅっ‥‥っ‥」





「では‥‥‥あなたは‥‥誰なのですか‥‥‥?」

 ロスウェルは意を決してそう聞いた。
 月がない夜、現れる黒髪のあなた。



 その男は、泣きながら顔を上げ胸をぎゅっと掴んだ。

「おれはっ‥‥‥っ‥あいつはっ‥‥‥っ」


 ロスウェルは真剣にその言葉を読み通ろうとした。

 あいつとは、リリィベルの事だろう‥‥。


 新月の夜に現れる黒髪の2人。



「俺達はっ‥‥‥ずっと一緒だったんだっ‥‥‥。

 永遠に‥離れないっっ‥‥‥それなのにっ‥‥っ‥‥

 あいつは俺を残してっ‥‥‥ぅぅっ‥‥っ」


「‥‥‥‥‥」


 ロスウェルは、胸に秘める覚悟をした。
 リリィベルと出会ってから、それは起こり始めた。

 新月になるとテオドールの銀髪は黒く見えるようになった。最初は、月がない夜だからだと思った。
照らす月がないから、銀色の髪が黒く見えるのだろうと。
もちろん、他の人には分からないだろう。
 
 だが、違う‥‥。

 今日この夜に会ったテオドールには‥


 いや、2人には‥‥




 救われない魂が‥‥宿っている。
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