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ナミダ

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オリヴァーの泣いている姿を、テオドールは廊下の陰から見てしまった。
「・・・・・父上・・・・・」

あんなに強い父も、母を断罪する事は、どれほどつらい事だろうか・・・。

どんな会話で、どんな思いでその涙を流していることか・・・。
幼少期、母しかいなかった生活の中でも、いつも聞いていた。父のすべてを
母はとても父を愛していた。初めて会えた時も、優しい父に愛されていた。
自分はとても恵まれていた。両親の強い愛に守られ過ごしてきた。

そして、祖母も、祖父も、笑って・・・受け入れてくれた。
誕生日に、おめでとうと言ってくれた祖母は・・・幻だったのか・・・。

誕生祭の度に、エスコートをした祖母は、偽りだったのか・・・。

いや・・・違う・・・。

祖母の古傷を抉った自分が、リリィベルを愛して、祖母は正気を失った。


それでも・・・。犯してはいけない罪が、あった・・・。



皇太子は、静かにその場から離れた。


ロスウェルが、オリヴァーの背を摩っていた。
苦しみ、声を殺しながら泣くオリヴァーに、ロスウェルが瞳を濡らした。






その声は部屋の中には届かなかった。

「・・・・・・・・・・・・」
けれど、確かに母に響いた言葉があった。


皇太后は、暗い部屋の窓から、外を眺めていた。


今までのすべてがオリヴァーの言葉でホロホロと解けていく。

なんと単純な事か・・・・。


オリヴァーは確かに、腹を痛めて産んだ子だった・・・・。


例え夫に愛されなくとも・・・愛する男と結ばれなくても・・・・。


あの子は、私を愛していた・・・。母として・・・・。


「私は・・・母では・・・・なかった・・・・。」



私は子を産み育てながらも・・・あの若き公爵令嬢のまま・・・・


我儘に、今まで生きながらえてきたのか・・・。


女としての幸せを求め、抱き着く我が子を抱きながら・・・

何を考えて生きてきた・・・?


無償で・・・純粋な愛は・・・すぐ近くにあったと言うのに・・・・。

「・・・・・・・・・」

皇太后の瞳から、涙が流れた・・・・。


夫が距離を置いたのはいつだったか・・・・。

アドルフから断られたにも関わらず私を娶った皇帝の夫が・・・・・。


【セシリア・・・我が妻よ・・・。たとえ今は望まなくとも・・・

いつの日か、笑って話せる時がくるであろう・・・。

その時、私もそなたの隣で笑おう・・・。長い人生を共にするのだから・・・】


結婚式の前夜、夫が笑顔を向けてくれた。あれは同情だが確かに唯一差し伸べられた手だった。

それを恋に傷ついた幼い自分が・・・拒否をしたのだ・・・。


「・・・・・・・・・」

何度歩み寄ってくれていたか・・・見向きもしなかった。


愛される機会を捨てたのは、自分ではないか・・・。


今更悔いた所で・・・死んだ人間に何を伝えられると言うのだ。

いつまでも愛した男に執着していたのにも関わらず、
手を差し伸べてくれた夫を顧みず
エレナに嫉妬だけを燃やし・・・おもちゃを取り上げられた子供の様に・・・・。


それは私のものだと・・・


バカな女だった・・・・。

生きていれば、こうして、血を分けた息子から・・・・

愛を伝えてくれる日がきたのに・・・・。


息子は・・・妻を娶っても、親子の愛で・・・私を愛してくれていた。


なんと愚かなの・・・。

憎い恋敵の姿を思い出した時、再燃した愛の執念・・・・。


そして、息子に一生の傷を負わせる事となった。


「・・・・私は・・・母ではなかった・・・・。
あんなに・・・優しい子の・・・母であるわけがない・・・。オリヴァーは・・・」

今は亡き夫を思い出していた。息子と同じ黒髪の‥そう、若い頃の夫はオリヴァーとそっくりだった。
優しく声をかけてくれた夫と、似ているから‥


だからあの子は優しいのね‥‥‥


それなのに‥私は少し前に、なんて言葉を言ってしまったの‥‥‥

取り返しのつかない‥‥ひどい言葉を‥‥‥

「‥‥‥‥‥‥」
失意の中、ただただ、久しくなかった涙を流した。



その日の夜、皇帝と皇后はダイニングルームに現れる事はなかった。

テオドールとリリィベルがその席に着き食事をした。
「・・・テオ・・・・」
テオドールの顔を見て、リリィベルが心配そうに声を掛けた。
「あっ・・・なんだ?」

慌てて、気をリリィベルに向ける。
「・・・・無理を・・・しないで・・・・・?」

リリィベルがそっと呟いた。
「・・・リリィ・・・・」

きっと、ここに皇帝と皇后がいない事も心配している。
皇太后が監禁されている事も分かっていた。

「心配いらないぞ?俺は大丈夫だ・・・。」
「・・・テオもそうですが・・・・お義父様も・・・おつらいでしょう・・・?」

「・・・・ぁ・・・あぁ・・・・。」
食事が進まないのは、あの父の涙を見たからだった。

せっかく久しぶりの食事なのに、あの姿が忘れられない。
今、どんな思いで時を過ごしている事か・・・・。

「・・・私は・・・」
リリィベルが悲し気に俯いた。
「違うっ・・・絶対お前のせいじゃない・・・・・。」
「・・・でも・・・・」

「俺たちが産まれる前の出来事だ・・・アドルフにも、グレースにも罪はない・・・。
誰かの願いが叶う一方で・・・叶わないものがあるのは当然だ・・・。

どんなにその思いが強いとしても・・・仕方のない事がある・・・。

それは、愛を通わす者が、1人であるからだ・・・。私がお前をだけ1人を愛する様に・・・。
他の誰かが、たとえお前や俺を愛したとしても、俺たちを引き裂く事など出来ないだろ?」

「・・・はい・・・」
「皆が傷つかないようにするのは不可能だ・・・。父上だって分かってる。

罪がなければ・・・こんな思いをせずに済んだ。避けられなかったんだ・・・・。
既に、俺たちが出会う前から、罪があった・・・。どうしようもないだろう?」


そう・・・避けられない事だった。
アドルフとグレースの仲を引き裂こうとした時から・・・。
皇太后が、エレナに罪を着せた時から・・・。

「父上は分かっている・・・。お強い方だ・・・。俺は・・・父上を支える存在になる・・・。
今の俺たちを、守って下さる様に・・・。俺が、父上を支えて見せる・・・。」

その言葉にリリィベルは弱々しく微笑んだ。

「さぁ・・・食べてしまうぞ?俺たちの時間が減ってしまう。」
そう言って、笑って見せた。
「久しぶりにお前を抱いて眠れるんだ・・・。」
頬を一撫でした。その手に、リリィベルも手を重ねた。


皇帝陛下の私室では、オリヴァーとマーガレットがソファーに寄り添い座って居た。
オリヴァーの目の下は赤くなっていたが、マーガレットがその頬を優しく撫でた。

「オリヴァー様‥‥」
「‥‥‥わかっている‥‥」
オリヴァーはマーガレットの手を握りしめた。

マーガレットは微笑んで、その手を握り返した。

「‥‥あなたに罪はありません‥‥」

優しい声色のマーガレットの言葉がオリヴァーの緩んだ涙腺を刺激する。

「‥あなたに会えて、私は幸せです‥‥」

ポタポタと、オリヴァーの瞳から涙が流れ落ちる。

「あなたを愛することが出来‥テオを授かり‥
私は幸せです‥。」

「あなたの全てを‥‥私は愛しています‥。」

オリヴァーの顔は涙に歪んだ。

「あなたの母上に、感謝しております‥
あなたを産んでくださった事‥‥私は感謝しております。」

「っ‥‥マーガレットが‥そう言ってくれるのなら‥‥

私は‥‥これで‥良かったのだろう‥‥」

そっと視線を合わせると、マーガレットはにこりと笑った。


「あなたは‥間違っておりません‥‥」

「‥‥‥っ‥‥‥ぅ‥‥‥」

「あなたは立派です‥‥‥」


マーガレットは、オリヴァーの頭を優しさで包む様に抱きしめた。

まるで幼い子を慰める、母の愛の様に‥‥。

そして、愛する夫と共に、涙を流した。
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