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残した者、残された者

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『お前に一つ、教えてやろう。‥あぁ、一つでは終わらないかな?』



額に当てられた奴の手は、その言葉と共に俺の頭を強く掴んだ。

「いっっっ‥‥‥」
『痛いか?お前の人生は本来痛かろう。知らぬが仏とは、お前のような者の為かもしれんなぁ?』

ギリギリと強くなる手の力に、俺は咄嗟に両手で奴の手首を掴んだ。

『如月 暁(あきら)お前の名だ。理解しているな?
お前はある魂によって生かされていた。何度も何度も、死にたがりのお前を何度も何度も‥‥あの魂は天使か?聖女か?天女か?女神であったのか?良かったなぁ?』

目をぎらりと光らせながら、妖しい笑顔と共に力が込められていく。
俺の頭は割れそうに痛みが増していた。


「たっ‥ましい‥って‥‥俺はっっ‥死に‥たいなんっ‥て‥」
奴の手首を掴み離そうと踠きながら、俺の頭の中は混乱していた。

死にたがり?何のことだ、俺は死にたがってなんかいなかった!
なんでコイツに俺は締め上げられなきゃならねぇんだ!


『あぁ‥お前は何も知らないのだった‥。あの魂が哀れで、健気な願いを私に懇願するものだから、いつの間にか、親が子を見るようになってしまったようだ‥。
お前のような男に娘はやらぬと暴れる父と言うのはこのことか?面白いものだ‥。』

クツクツと笑いながら力を込められていく。

「ふざっっけ‥んじゃ‥‥」

バシッッ‥‥

「ぐぁっっ‥‥」

殴られるように俺の体は解放された。


そんな俺を見下ろしながら、微笑んでいる。

『お前は何も覚えていない。よかったな?幸せだ。』

はははっと乾いた笑い声。

痛んだ頭を抑えながら、奴を睨み上げた。

「なんだってんだ‥‥天使だ?女神だ?
一体誰の事だ!俺は残してきた嫁しかしらねぇぞ!」

俺は確かに嫁に看取られた。世話を掛けた。
俺の方が年上で、俺と共に生きてくれた女性。
歳には、寿命には抗えない。妻を残してきた。

「俺の嫁は‥‥」

『残してきたそなたの妻に、お前の感想は?」

「死んじまったんだから‥‥そりゃっ‥悲しい思いをさせちまって‥‥」


『そうであろうな‥悲しみ、寿命である事を諦め、
そなたの冥福をさぞ祈っているだろう。そのうち、自分も死ぬのだからと‥子供達と共にな。』

やれやれといった仕草で俺の目の前にゆっくりと近づいてきた。


『だが、お前は違った‥‥』
「‥‥は‥‥?」


また奴は妖しく笑みを浮かべた。


『お前は、悲しみに耐えきれず、あの魂に何度も縋り‥あの魂を天には返したがらなかった。

何故置いていったと、来る日も来る日も嘆いては、
泣き、喚き、あの魂を、彷徨わせていた‥』


「‥いっ‥‥たい‥‥誰、の‥‥‥」



俺は、知らない‥‥‥
俺は誰も見送ってなどいない‥‥

『見送っていない?‥あぁ、そうだったな?
そなたを残した事に、ひどく心を痛めた魂は、
その身を削り、お前の悲しみを取り除いた。』



『自分が生きていた証を消すとしても‥厭わぬと‥』




「‥‥は‥‥‥?‥‥」


混乱が隠せない。隠せるわけない。
俺は誰を見送った?祖父母なら、冥福を祈った。
俺は誰も見送ってなんかいない。知らない。

なぜ?誰?誰が消えた?誰を亡くした?
誰に縋った?何に喚いた?一体なにが‥‥




頭を抱えた俺を見下ろし、奴はすぅっと息を吐いた。


『まぁ、正気を保つ事など難しいのであっただろう?
あれはお前の番(つがい)であった。だが、お前を残して逝ってしまったのだからな‥‥』


「‥‥番(つがい)‥?」



そう呟いた時、俺の目には涙が溜まっていた。
知らずにとは言わない。明らかに、俺の目に溜まっていた。溢れてきた涙は、ついに頬を流れていた。

「俺の‥‥番(つがい)‥‥‥?」


番(つがい)
本来切って離れることのない絆がある者。
二つが一つであるように一緒で離れぬ者。


なぜ、こんなに締め付けられる?
胸が痛い。覚えてないのに、心が揺さぶられる。
何も分からないのに、なぜ?
誰?なにが?どうして?


逝ってしまった‥‥


俺は誰に残された‥‥‥?



ただ流れる涙をそのままに、俺は奴を見上げた。


「なんだよ‥‥っ誰が‥‥俺を‥‥‥つがい?‥

誰だよ‥なんだよ‥‥‥なんでっ‥‥誰を‥‥‥」



涙が、止まらない‥‥‥


抑えられない、悲しみだけが溢れる。込み上げる。


俺の顔は、ぐしゃぐしゃに歪んだ。


「俺をっ‥‥残して逝ったのはっっ‥‥‥‥

だれっっだ‥‥‥‥ったん」





『れいら』






「れ‥‥‥‥いら‥‥‥?」


俺の言葉を待たずに、奴は一言呟いた。


涙は止まらない。覚えてないのに
身体がガクガクと震える‥‥



奴は黙って、俺を見つめていた。
そして、静かに話し始めた。




『礼蘭(れいら)聞き覚えなど、お前にはもうないであろう。』

「れいら‥‥‥‥?れ‥い‥‥」




ガハッ‥‥‥


奴の口から、赤黒い血が噴き出した。


「っっ?‥‥なんだよ‥‥なんで血が‥‥」


口元を抑えた奴が、身体をくの字に曲げ膝をついた。


『れい‥ら‥‥‥お前の想いは‥‥私にまでっ‥‥』



震えながら、奴はニヤリと笑みを浮かべた。

『ある意味‥恐ろしい‥。私に苦痛を与えてまでも、
こやつを‥』


小さく呟いた、その声は歓喜ともとれた。


『あぁ‥‥愛とは恐ろしいものだ。
まだそんなに愛しているというのだな‥‥‥見事だ。
だからこそ、こんな真似が出来たのだろうな‥』


口元を拭い、奴はゆっくりと立ち上がった。


「‥‥‥お前‥‥‥」


『私が‥言えるのは今はここまで‥‥
そなたに名を呼ばれた事で、あの子の魂は反応したようだ。‥そなたはやはり、幸せな男なのだろうな』



「ぜんぜん‥‥わかんねぇよ‥‥‥」

血を噴いた奴を呆然と見つめた。

そんな俺に、奴は穏やかな笑みを浮かべた。


『そなたが、幸せだったと言えるくらいの人生を、
今度は、そなたが与えられるとよいな?

せっかく与えられたその健康な身体。

あの子はどこにいてもそなたを想っている。

お前の姿が分からなくなっていても、魂が、

そなた以外を望まぬのでな‥‥

今度こそ‥‥あの子を天に返してくれるなよ。』



奴の顔が光に包まれていく‥。


「待てっ‥‥待ってくれ!!俺は、れいっ‥」

ゴファッ‥‥‥


俺の口から血が噴き出した。これ以上は話せない。

喉の奥が焼き切れそうな程、痛い‥


『はっ‥‥厳しい奴だ。まだお前の身を案じているようだ。』


光で目が眩む。奴の顔が、消えていく‥‥



もう、姿形も光で見えない。


ぎゅっと目を瞑るしかなくなった俺に


奴の声は天から降り届いてきた。




『これからは、お前の願いが、あの子へ導いてゆくであろう。まさに神頼みだな?お前がした事がないと言った雲を掴むような望みの薄い願いな。だが、
どんな事を知っても、身を滅ぼそうとしてはくれるなよ。さもなくば、あの子はどんどんお前から遠ざかっていくだろう‥。お前の魂の番(つがい)。あの子が心から安堵できたなら、再び、気付くであろう。お前達が運命の番(つがい)であることを‥。』
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