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2.飼い犬の憂鬱

番外編2

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 逗留中の安宿から外に出て、少年は大きく伸びをする。
 いい天気だ。もっとも、今日も一日薄暗い地下に潜ることになるのだろうから、晴れていようが曇っていようが関係ないのだが。

 ――世界の命運を賭けた戦いっつーが、地味なもんだな。

 少年が空を見上げているうちに、男が一人、往来の向こう側から近づいてきた。

「良かった、間に合いました。おはようございます」

 少年の前に現れた男は、今の仕事を一緒にしている僧侶だった。

「うぃっす」

 僧侶に軽く応じる少年はといえば、職業は盗賊――ということになるのか。とはいえ、盗み等の不法行為からは、既に足を洗っているが。
 少年の父親は、かつて名の売れた義賊だった。少年はその父から解錠の技や各種罠の知識などを引き継ぎ、今は困難な冒険に挑む者たちの相談役として働いているのだ。

「どうしたんすか? そんなに急いで」
「いや、それがですね……」

 表情を曇らせ、よく似合っている口髭を撫でている僧侶は、少年が以前から抱いていた「僧侶」のイメージとはだいぶ違っていた。
 僧侶なんて神様の前で祈っているだけだから、ひょろひょろと細く、弱っちい奴らだろう。貧弱で苦労知らずなくせに、偉そうに説教する、鼻持ちならない人種に違いない。
 そう思っていたのだが、しかしこのたび共に働くことになった僧侶は、かなり腕っ節が強かった。そのうえ頭も良く気さくで、旅の仲間としては申し分なかった。

「勇者が倒れてしまいましてね……。多分過労だと思うんですが」

 僧侶は声を潜めて言った。

「えっ!」
「『異界の扉』を開こうと、不眠不休で色々試していましたからねえ」

 現在、盗賊の青年と僧侶、そして倒れたという勇者は、王都に詰めていた。
 彼ら勇者たち一行はこの王都を拠点とし、特殊な魔法を使って、遠く離れた魔王城を毎日訪れているのである。
 一週間前、魔王城地下に眠っていた魔法の扉の封印を解き、悪しき魔導師・イズーは異世界へ向かった。
 彼奴の目的は、魔王を連れ帰ること。
 勇者たちはイズーを追いかけようと、異世界へ繋がる扉を開くべく奮闘している。しかし状況は芳しくなく、扉は一向に開く気配を見せなかった。

「勇者不在のときに、万一『異界の扉』が開いてしまっても困りますからね。だから今日は、急遽休養日ということになりました」
「そーっすか……。それで、勇者は大丈夫なんですか?」
「幸い、倒れたのは、宿でのことでしたからね。処置も早かったし、今は病院で安静にしています。彼にはクララがついています」

 クララというのは、仲間の一人の女魔法使いである。
 盗賊の少年は、困ったように腕を組んだ。

「実は……。俺、今日で勇者との契約、終わりなんすよね」
「ああ、そういえばそうでしたね。確かお父上の調子があまりよろしくなく、あなただけ短期のお約束だったとか……」

 盗賊の少年は頷く。彼の父親は数年前から大病を患い、ほぼ寝たきりになっている。勇者のたっての希望で仕方なく魔導師追跡の任を受けたが、少年は本当は父のそばを離れたくなかった。

「勇者には私から伝えておきますので、どうぞお気になさらず、ご実家に帰ってあげてください」
「すみません……。なんか俺、あんまり役に立てませんでしたね……」
「そんなことは。というより、勇者も含めて私たちは、まだなにも働いてませんからね」

 盗賊の少年と僧侶は、共に力なく笑った。

「家に着いたら、改めて勇者に手紙を書きます。お大事にと伝えてください。クララさんにもよろしく」
「はい、伝えます。あなたもお気をつけて。お父上が快癒なさいますように」

 二人は握手をして、別れた。




 盗賊の少年の実家は、王都から二週間ほど歩き詰めた先にある。すぐに帰っても良かったが、気がかりなことがひとつ残っていた。
 王都滞在中、お気に入りになった露店の肉まんを二つ三つ買い求めると、盗賊の少年は都の外れにある空き家へ足を踏み入れた。二階の一室に上がると、壊れかけたテーブルをどかし、埃まみれの絨毯を払う。その下から現れた床には、不思議な模様が刻まれていた。――魔法陣だ。
 少年は魔法陣の中央に立つと、つい先ほどまで仲間だった女魔法使い、クララから教えられた合言葉を唱えた。
 体がふわりと浮き、光りに包まれる。眩しさに堪え切れず目を閉じ、再び開けると、盗賊の少年は魔王の住処「真紅城」の前に立っていた。




 ――魔王が復活しても、しなくても、世の中は大して変わんねーんじゃねえ?

 地下へ続く階段を下りながら、盗賊の少年はそんなことを思う。
 人類が平和を謳歌したのは、魔王が消えたあとたった数年だけだ。そのあとは魔族の大討伐が始まり、それが一段落つくと、各国が覇権を求めて争い出した。
 国家間の小競り合いは現在に至っても絶えることはなく、噂ではそのうち世界中が巻き込まれる大きな戦争が、勃発するだろうとのことだ。

 ――まあ、俺にはよく分かんねーけど。

 世界情勢だとか、そんな大きなくくりの事柄は、一介の市民には理解できない。そんなことよりも、もうじき身近で起こるだろう小さな変化のほうが、少年にとっては重要だった。
 あと少しで、きっと父は死ぬだろう。その悲しみに耐えられるかどうか。残される母や兄弟たちを、支えることができるかどうか。

 ――でも、なんとかやってかねーとな……。

 父亡きあとは義賊の看板を完全に畳み、少年は身につけた技術をもとに、なにか新しい商売を始めるつもりでいる。

 ――鍵屋とか、防犯関係のアドバイザーにでもなるかな。

 元泥棒がその仕事を防ぐ立場に回るなんて滑稽な気もするが、きっと実践的な指導ができるだろう。もしかしたら流行るかもしれない。
「真紅城」地下の広場に降り立つと、少年は辺りを見回した。隅に小さな人影を見つけると、声をかける。

「おい。今日は勇者来ないんだってよ」
「……………………」

 人影はむっくり頭を上げた。頭頂部には猫のような耳があり、尻には尻尾が生えた半獣の少女だった。

「ほら、食え」

 盗賊の少年がそばに寄り、買ってきた肉まんを差し出すと、少女は匂いを確かめてから、ぱくっとそれに齧りついた。
 この少女は魔導師イズーの従者だ。一時勇者一行に拘束されたが、魔導師についてなにも知らないことが分かり、放免された。
 しかし少女は、魔導師が旅立ったここ「開扉の間」から離れようとしない。健気にも魔導師の帰りを待っているのかと思えばそうではなく、単に行く宛てがないのだという。
 少女は獣人の血を引いてはいるものの、体格も小柄で腕力も乏しい、ごく普通の女の子だった。人間と戦っても、あっさり負けてしまうだろう。魔導師の側にいればまだ安全だったが、彼のいない今、一人にしておくのはあまりに危ない。世の中の治安も良くないし、魔物の血を引く者に厳しい昨今、この獣人の少女がどんな目に遭うのか。
 自分でも想像がつくのだろう、だから彼女はここから動かない。いや、動けないのだ。

「お前、これからどうすんの?」

 残りの肉まんも少女に渡してやりながら、盗賊の少年は尋ねた。

「どうもなにも……。イズー様、私も連れて行ってくれれば良かったのに……」
「まーなー。でも着いた先がどんなところか、あの男にも分かんなかったろうしよ。あいつなりに、気を使ったんじゃね?」

 あの魔導師はそういった気遣いができる、というかそんな優しそうなタイプには見えなかったが……。だが残された少女が不憫で、少年はつい魔導師を庇うようなことを言ってしまった。

「そうかもしれないけど……。でももしかしたらイズー様が行った先は、猫のような耳がついていても尻尾があっても、なにも言われない世界だったかもしれないじゃないか」
「猫耳や尻尾がOK? そんな狂った世界、あるかあ?」

 盗賊の少年は壁に寄り掛かりながら、隣りに座っている少女の横顔をちらりと覗いた。
 勇者たちが異界の扉を開こうと悪戦苦闘している間、やることもないから、盗賊の少年は獣人の少女とお喋りをして過ごした。言葉を交わしているうちに、少年は彼女の生い立ちについて詳しく知った。
 物心ついたときから、少女は山野で家族と狩りをし、日々の糧を得ていたそうだ。そしてある日うっかり大ケガを負った彼女を、親兄弟たちは捨てていったらしい。
 無情にも思えるが、役に立たなくなった仲間を切り捨てるのは、獣人たちにとって当たり前のことなのだそうだ。共倒れになるのを防ぐためらしい。
 動けなくなって、あとは死を待つだけだった少女を助けたのが、魔導師イズーだ。もっともイズーは人道的な観点から少女を助けたわけではなく、新しく編み出した治癒魔法の効果を確かめたかっただけらしいが。それでも獣人の少女にとって、イズーが恩人であることに変わりはない。
 そしてイズーは強かった。どんな人間も、魔物も、彼の魔法には敵わない。なんの鎧も盾も持たない非力な獣人の少女にとって、魔導師イズーは保護者であり、憧れの存在だったのだ。

「今日さ、俺、実家に帰るんだけど。お前も来るか?」
「えっ?」

 盗賊の少年が切り出すと、獣人の少女は肉まんから口を離して、大きな目を見開いた。

「うち、親父が病気でよ。看病を手伝ってくれるなら、家に置いてやってもいいぞ。俺の住んでる町は、昔から獣人と共存してるっていうか、仲良くやっててよ。お前が来ても、ひどいことはされねえと思うし」
「……………………」

 獣人の少女は呆然と盗賊の少年の顔を見詰めている。とりあえず拒絶されることはなさそうで、少年はホッとした。気安く「うちに来い」なんて口説けるほど、彼は女慣れしていないのだ。

「――で、どうだ? 来るか?」
「あ……!」

 獣人の少女は手に持っていた肉まんを一気にガツガツ食べてしまうと、盗賊の少年に向き直り、深々とお辞儀をした。

「行く! 行きます! よ、よろしくお願いします……!」
「おっ、ちゃんと頭下げられるんじゃん。でも俺も育ちはいいほうじゃないんで、礼儀とかその辺は適当にな。ま、よろしく」

 盗賊の少年も笑いながら、ぺこっと頭を下げた。

「そういや、まだ名前聞いてなかったな。お前、なんつーの?」
「ココ……」
「ふーん、ココか」

 盗賊の少年は無造作に、ココの頭の上に手を置いた。

「ずっと撫でたかったんだよな~! おお、猫だ猫だ! もふもふ!」
「猫じゃない!」

 最初は迷惑そうだったココの金色の瞳は、だがそのうちとろんと、気持ち良さそうに細くなった。




~ 終 ~




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