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しおりを挟む俺は一応、社長令息ってことになる。我が家は到底富豪ではないが、小金持ちではあった。
両親が経営している会社は業績も順調で、おかげさまで数年前に規模を拡大した。その折に拠点を関東から、売上のより良い関西へ移し、本社も移転。家族は新しい本社の近くに引っ越した。俺は大学があるから残り、マンションを借りて、一人暮らし中だ。
「えーと、理由を聞いてもいいか? その、なんでお金がいるのか、とか……」
「琢磨が……」
琢磨というのは、あずみの弟の名だ。二歳下だから、今は高三のはず。少しシャイだが、なかなかのイケメンだ。
あずみの家は、彼女が十歳になるかならないかのときに、お父さんが不慮の事故で亡くなってしまった。それからはお母さんが一人で苦労して、あずみと琢磨、二人の子供を育て上げたのだ。
そしてそのお母さんも、働き過ぎが祟ったのか、あずみが大学に入ってからすぐ鬼籍に入ってしまった。だからあずみは今、琢磨と二人きりで暮らしているはずだ。
「お母さんは死んじゃったけど、当面の生活費や琢磨の進学費用は残しておいてくれたの。でも余裕はなくて……。同世代の子たちみたいに、好きなものを買ったり、遊んだりはできない……」
」
父親と、そして母親を亡くしたときのあずみは、とても見ていられなかった。俺の周りで一番快活な女の子だったのに、なにも食べず、一時も眠らず。俺はあずみまでもが死者の世界に引きずり込まれてしまうのではないかと、恐れを抱いたものだ。
心配だったがなにもできず、俺はただあずみの側にいることしかできなかった。己の無力さが、ただただつらかった。
だがそれでもなんとか立ち直り、あずみは生来の明るさを取り戻したのだ。
それなのに今度は弟が――唯一の肉親である琢磨が、あずみの心の平穏を乱しているというのか。
「琢磨はそれが不満だって? 贅沢ができないから?」
あずみは悲しそうに、こっくりと頷いた。
「だから、金を作ってこいって……。手っ取り早く、水商売でも援交でもなんでもしろって。あの子、暴れるの。家のものを壊したり……」
「それは……」
それは酷い。まるでシリアスなホームドラマのようじゃないか。
遊ぶ金欲しさに、実の姉に売春を強要する弟。だがその傍若無人なイメージは、俺が知っている琢磨と一致しない。
琢磨って、そんな奴だったっけ? もっと純朴な、普通のニイチャンだった気がするが。そりゃまあ、あいつの人格の裏の裏まで、詳しく知っているわけじゃないんだが。
「あずみと琢磨は、仲のいい姉弟(きょうだい)だと思っていたんだけどなあ……」
「……………………」
口を突いて出た俺の疑問に、あずみはますますうなだれてしまう。
しかし確かに思い返してみれば、琢磨には表現し難い「影」があったような気がする。
爽やかな雰囲気が、黒く変化する瞬間。それは――。
「私じゃお母さんの代わりにはなれないから、せめて……」
「せめて、お金は用意してやろうって?」
俺が続きを引き受けると、あずみは再び頷いた。
えー、それはどうなんでしょーねー。喉元まで出かかった台詞を、俺は頑張って飲み込んだ。
あずみはこんなにアホだったか?
でも、しょうがないんだろうか。幼少時父親を亡くし、最近母親を亡くし、肉親はたった一人、琢磨だけだ。その弟に縋るしかなくて、ホイホイ言うことを聞いてしまうのは。
でもさー、性根の腐ってしまった弟に言われるまま金を渡したって、状況は悪くなる一方だろう。際限なくたかられて、最後にはあずみだけがボロボロになるに決まってる。
声に出さずとも批判的な空気を醸し出してしまっていたのか、あずみの目線はますます下がり、彼女は地の底でも見詰めているかのように、薄汚れた部屋のカーペットに目をやっている。
「バカだよね。弟の言うこと、真に受けて。でも、怖くて。殴られるの痛いし」
「うん」
「琢磨は、昔はあんな子じゃなかったの。涼夏も知ってるでしょ? いつも私の後ろにくっついてきて……。すごく可愛くて、優しかったのに、お母さんが死んでから変わってしまって」
「うん」
「お金をあげたりなんかしたら、ダメだって分かってるのに。でも、どうしたらいいの? 遊ぶだけ遊んだら満足して、落ち着いてくれないかなあ? 以前のあの子に、戻ってくれないかなあ?」
「うーん……」
最後の問いかけには、さすがに同意しかねる。
「どうしたらいいの? どうしたら……」
混乱のまま思いついたことをただ吐き出していたあずみは、頭を抱えてしまった。「どうして」と「怖い」と「元に戻ってくれるんじゃないか」。ぶつぶつと答えの出ない問いを繰り返している。
身長が百八十ある俺と琢磨の図体は、たいして変わらなかったはずだ。そんな無駄にデカい男から暴力を振るわれるなんて、あずみのような華奢な女の子からすれば、めちゃくちゃ怖いだろう。制止するのも無理なはずだ。
可哀想に、俺がなんとかしてあげると、本当だったらここで金だけ恵んでやるか、もしくは彼女の家庭の問題に介入してあげるべきなんだろう。
見返りなど求めず、助けてあげる。それがいい男ってもんだ。
――でも、俺は違うから。
だってこのまま善行を積んでも、あずみは俺のものにはならないだろう。
ひどい奴、悪い奴。だけど、世界一幸運な俺。
「お金はあとでいいか? それとも先に払う?」
「……!」
俺に向けられたあずみの顔は、驚きに満ちていた。まるで初めて会った相手に対するかのようだ。
次にあずみは、俺を睨んだ。
「涼夏がそんな人だったとは思わなかった」
非難されようとも、強気にものを言うほうがいつものあずみに近く、俺は少しホッとする。
「なにが」
「人でなし。女の子をお金で買うなんて」
「うおい、なんだよ。お前が言い出したことだろーが。己の身を投げ打つ、その心意気やよしって思って、言い値で買ってやろうとしてるのに」
「だって本当にそんなことをするなんて……」
あずみは黙ってしまった。自分の気持ちを言葉にすればあまりに図々しいと、そういう判断力はあるらしい。
無償で助けて欲しい、なんとかして欲しい。それがあずみの本音だろう。本当はまるっと俺に頼りたいのだ。
でもそれは自尊心が許さない。今までライバルだった男の手を借りるなんて――。そんなところか。
でも。
――こっちだって、やなこった。
「だいたいお前の不幸が、俺になんか関係あんの?」
あずみはぐっと唇を噛んだ。
「涼夏は昔からそういうところあるよね。優しそうなのに、どっか冷たいっていうか。草食系ってそういう人ばっかなの?」
今度は俺の人格批判が始まった。
「じゃあ、いいよ。やめる? 帰ろっか?」
「……………………」
あずみは悔しそうな顔をする。
「やるよ、やればいいんでしょ」
最後は捨て鉢で吐き捨てる。てか何度も言うけど、「私を買って」ってお願いしてきたのは、お前だからね?
まったく、女ってやつは。
――まったく、男ってやつは。
そりゃ女の子を金で買うなんて、最低最悪の所業だよ。でもこれがほかの女相手だったら、そんなことしようなんて思わなかった。
――あずみ、だから。
お前は腐れ縁だと笑うけど、本当は違う。俺が必死に守ってきた絆なんだ。
よく考えてみろ。中学、高校まで一緒なのはともかく、大学の、しかも学部まで同じなんて偶然が、そうそうあるものか。
バカみたいに頭のいいあずみの関心を引くために、そしてどこまでもついていくために、俺は寝る間も惜しんで、血を吐くくらい勉強したんだ。
ストーカーの自覚はある。
好きだ。大好きだ。ずっとずっとずっと――。
だけどあずみは気づかない。俺なんて眼中にない。
だから――。
いつか汚して壊して沈めて、黒く染めてやりたいとも思っていた。
やりたいことをやったろうと思った。
まずはベッドカバーを掴むように握っていた小さな手を取って、俺の口元に運ぶ。
細い指だ。噛みついてやりたい。
自分の指先を前にじっとしている俺を、あずみはおっかなびっくり見守っている。
「あ……」
第一関節のあたりに唇をつけると、あずみはぴくっと肩を震わせた。
次に頬に触れる。柔らかくて、つきたての餅のようだ。すべすべの肌を、俺の無骨な手で囲う。
ちょうど肩に届くくらいの髪を、こめかみの辺りで梳いて、そのままゴシゴシ頭を撫でた。
これが俺のしたかったこと。恋人のように、あずみに触ってみたかった。
いつも側にいたのに――そう、いただけ。こんな風に接することは、許されなかった。
臆病だ、メンタル弱い等々、好きなだけ誹ってくれ。だが下手に色気を出して、ちょっとでもあずみに引かれる、避けられるくらいなら、ただの友人に徹するほうがいい。指一本触れられなくても、側にいられれば――。
恋愛感情なんて微塵も持っていないし、スケベなことを考えたりもしない。そんなの全部演技だ。警戒心を持たれないように、草木のように泰然と構え、日々を送った。
だが隙を見つけたら、そのときはパクッと喰らいにいく、自らの中へ追い落とす、と決めていた。
なんだっけ、そんなのあったよな。ハエトリソウとかネペンテスという名の、「食虫植物」。植物を敬愛してやまない俺だからこそ、彼らに習って生きたいものだ。
「……………………」
あずみは最初俺のちょっかいを迷惑そうにしていたが、そのうち瞼を閉じ、されるがままになった。緊張と嫌悪に満ちた表情も、落ち着いてくる。
再び目を開けたあずみと、視線がぶつかった。きっと俺はだらしなく、デレデレ笑っていたと思う。
「ちょっと怖い……。涼夏、普段と違うんだもん」
「なら、いつものタモリのモノマネ、やってやろうか?」
「やめて、タモさんとエッチしたくない」
くだらないやりとりのあと、俺たちは吸い寄せられるように唇を重ねた。最初は触れるだけだったそれは、何度も繰り返すうち、深くなっていく。
俺は夢中であずみの舌を吸い出し、唾液を啜った。――甘い。そのまま口の中に自分の舌を差し入れると、顎の内側から歯茎からべろべろと舐めた。
「ちょ、や……!」
胸を押されて、我に返った。
「あ、ごめん」
呆然となりながら謝る。
頭はぼうっとするし、なにより股間が重かった。
俺の顔を見上げるあずみの、瞳は潤み、息がかすかに乱れている。色っぽくて、たまらない。
俺はあずみを抱き締めると、そのままベッドに押し倒した。
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