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第一話 始点にして終点
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「次の寺院長の座は、お前に譲りたいと思っていたのになあ……。なにもわざわざ困難な道を行かずとも」
「遊伝僧」とは、よその地に赴き、布教を行う僧侶のことだ。下位の僧侶とは異なり、様々な宗教的活動を自身の判断で、またジグ・ニャギ教の代表として行えるなどの特別な権限を持つ。
ただし遊伝僧がわざわざ出向くような土地は、ジグ・ニャギ教本部の庇護が見込めない場合がほとんどだ。治安が良くなかったり、排他的な異教徒に襲われたりと、危険に遭遇することも多い。
あたら若者の命を散らすことになりかねないため、だから教団本部は審査に審査を重ね、真に力のある僧侶にしか、その資格を与えないのだ。
「お気遣い、ありがとうございます、キャサロッサ寺院長。ですが、僕はこれまで遊伝僧になることを目標にし、頑張ってきたのです。だから……」
「ああ。それを知っておるから、わしも推薦状を書いたのだ……」
だから、引き止めることはできない。
キャサロッサ寺院長は気を取り直し、明るく尋ねた。
「さて、遊伝僧殿。出立はいつにする?」
「そうですね。準備ができ次第……。明日か明後日でしょうか」
「早いな!」
キャサロッサ寺院長は驚くが、メグは余裕の笑みを浮かべている。
「まあ、お前ほど若いと、冒険心を抑えることはできないかもしれんな……。お前が長年研究している、『ズメウ』。それを探しに行くんじゃろ?」
メグラーダ・フィランスが遊伝僧の資格を得て、わざわざ旅に出る。その本当の目的は――。
吸血鬼伝説。
その謎を解くためである。
吸血鬼。世界各国に類似の言い伝えは多くあるが、デカルト王国ではその闇の魔物のことを、「ズメウ」と呼ぶ。
「ズメウ……。かの悪鬼どもは、善良な市民の敵であり、そして救済すべき哀れな生きものでもある……」
「はい。ズメウだって、元々は人間だったといわれています。悪魔の呪いを受け、魔道に堕ちたと。ならば僕たち僧侶が、ニャーギ様の名の下に、彼女たちを助けてあげるべきではないでしょうか」
ズメウは若く美しく、魅力溢れる女の姿をしているという。
おとぎ話か怪談か。これまでズメウは架空の妖怪だと思われてきた。しかし最近になって、彼女たちは実在するのだとの噂が立ち始めたのだ。
それは最近亡くなったある老人が、いまわの際に語った話に端を発する。
「老人の名はなんだったか。確かアラさん? イラさん?」
「ウラさんです、キャサロッサ寺院長」
キャサロッサ寺院長は隅の本棚へ向かい、一冊の雑誌を取り出した。
ちょうど本棚の上で休んでいたボンボアが、寺院長に小さく鳴いて挨拶する。寺院長はフクロウを見上げて微笑みながら、懐から出した老眼鏡をかけた。
「ウラさんはある日、野蛮な男たちに絡まれている美しい女を助けた。女はお礼にと、ウラさんを自分の故郷へ招待した。ウラさんはそこで、下にも置かぬ歓迎ぶりを受けた。奇妙なことに、その里には男がほとんどおらず、美しい女ばかりが暮らしていたという。感謝の宴を十分堪能したウラさんは、元いた場所へ帰ることにした。女たちには引き止められたが、ウラさんの意志は固かった。諦めた女たちは、ウラさんに小箱を渡す……」
ウラさんは住んでいた町に戻ったが、なんと自分が留守にしていた間に、何十年もの時が経っていたことを知る。
途方に暮れたウラさんは、土産にもらった小箱を開けた。するとその箱の中からは、煙がもくもくと――。
煙に包まれたウラさんは一気に歳を取り、女ばかりの奇妙な里のことを、すっかり忘れてしまったのだという。
しかし彼は亡くなる直前、失った記憶を取り戻し、看取ってくれた友人にそれらを語ったのだ。
「月刊『ヤー』六月号の特集、『怪奇! 若さを吸い取る、美しき妖女たち!』の記事だな」
読み終えた雑誌を棚にしまうと、キャサロッサ寺院長は老眼鏡をずらし、メグの顔をちらっと覗いた。
メグはうっとりしている。
「ウラさんは女たちのことを恨むことなく、『最後にまた会いたかったなあ』と言い残したそうですよ。恐ろしくも、愛のある話ではありませんか……」
「つーても、いかにも胡散臭い雑誌の記事じゃし。デタラメじゃろ」
「夢は信じることから始まるんです!」
「……………………」
このような面倒くさい状態になってしまった弟子を正気に戻すのは、ほぼ不可能である。キャサロッサ寺院長は口をへの字に曲げて、長い髭をいじった。
つまり――。
先ほどの記事にあった、ウラさんを囲っていた女たち。それこそがあの吸血鬼「ズメウ」ではないかと、一部のオカルトマニアたちは色めき立っているのだ。
「若く美しく、歳を取らない」、「女だけの里に住んでいる」、「男の若さを吸い取る」。それらはデカルト王国に伝わる吸血鬼「ズメウ」の伝説に、酷似しているのである。
「まあ、記事の内容が正しかったとして……。ウラさんは屈強な漁師だったというし、そのような男を拉致し、企みに気づかれることなく飼っていたわけじゃから――敵は手強いぞ」
無駄とは思いつつ、キャサロッサ寺院長は忠告した。
メグは即答した。
「望むところです!」
――やはり、情熱を滾らせた若者を正気に戻すのは、不可能なのだ。
キャサロッサ寺院長は、ため息をついた。
「ああ、僕は……! 小さい頃からずっと追ってきた、ズメウ伝説……! このミステリーを解き明かしたいのです! 血が騒ぐぅ!」
拳を握り、勝手に燃え上がっていくメグを、キャサロッサ寺院長は冷たく見据えた。
「お前、その女たち――ズメウに会いたいだけじゃないのか?」
「な、な、なにを……!」
師匠の指摘に、メグはしどろもどろになった。
「べっぴんさんらしいしなー、ズメウは。それに、言い伝えによると、吸血鬼というよりは……。『そっち』が目的ならわざわざ旅になんぞ出ず、ふつーに嫁さんもらったほうがいいんじゃないのか?」
「ちちちち、違います! 僕はそんな、不純な男ではありませぇん!」
「……………………」
寺院長の顔つきが好々爺から、弟子を教え導く厳しい師匠のそれへと変化する。
ただならぬ雰囲気を察したのか、本棚の上のボンボアは、相棒とその上司をハラハラしながら見守った。
「忘れてはおるまいな、メグラーダ・フィランス! ジグ・ニャギ教僧たる者の、鋼の掟を! さあ、言ってみろ!」
キャサロッサ寺院長の一喝を受けて、メグラーダはぴしっと背筋を伸ばし、声を張り上げた。
「はい! 生涯一穴主義ィ! ただ一人の女に身も心も捧げ、全身全霊をもって、愛した女を幸せにすべしィ!」
「うむ、よし!」
キャサロッサ寺院長は満足そうに頷いた。
ボンボアは低く唸る。――この賢い猛禽類は、常々思っているのだ。先ほどメグが高らかに斉唱した、ジグ・ニャギ教僧の鋼の掟とやら……。あれは聖職者が掲げる主義主張にしては、あまりに下劣過ぎないか、と。
「実はな、本部からはお前の昇格の件のほかに、注意喚起の知らせが来ていてな。近頃、行方不明者が増加しており、また、惨殺体の発見が相次いでいるらしいのだ。しかも男性の、だ。皆、体力のある年代の男たちでな……」
奇妙だろ? と言いながら、キャサロッサ寺院長は本部からの書状を、メグに見せてやった。
確かに被害に遭うのが非力な女性ならともかく、男性ばかりがその対象になるのは珍しい。
「ズメウの被害者ではないかと……?」
「まあ、なんの関係もないかもしれんが。ただ、お前がこれからどこへ行くか決めていないのなら、参考までにと思ってな」
確かにノープランである。メグは寺院長から渡された書状を、しばし眺めた。
「被害は……クィンキー山脈の近くですね。先の話のウラさんが、晩年を過ごした町も近い……」
決まりである。
まずは、ここミュジ寺院より歩いて三日ほどの距離にある、クィンキー山脈を目指そう。
メグは二日後、古巣をあとにした。
ワクワクドキドキのアドベンチャーが始まる!
吸血鬼伝説の神秘を解き明かすのだ!
――予定では、そのようなはずだったが。
メグラーダ・フィランスは目的地に着いた途端、あっけなく囚われの身となったのだった。
「遊伝僧」とは、よその地に赴き、布教を行う僧侶のことだ。下位の僧侶とは異なり、様々な宗教的活動を自身の判断で、またジグ・ニャギ教の代表として行えるなどの特別な権限を持つ。
ただし遊伝僧がわざわざ出向くような土地は、ジグ・ニャギ教本部の庇護が見込めない場合がほとんどだ。治安が良くなかったり、排他的な異教徒に襲われたりと、危険に遭遇することも多い。
あたら若者の命を散らすことになりかねないため、だから教団本部は審査に審査を重ね、真に力のある僧侶にしか、その資格を与えないのだ。
「お気遣い、ありがとうございます、キャサロッサ寺院長。ですが、僕はこれまで遊伝僧になることを目標にし、頑張ってきたのです。だから……」
「ああ。それを知っておるから、わしも推薦状を書いたのだ……」
だから、引き止めることはできない。
キャサロッサ寺院長は気を取り直し、明るく尋ねた。
「さて、遊伝僧殿。出立はいつにする?」
「そうですね。準備ができ次第……。明日か明後日でしょうか」
「早いな!」
キャサロッサ寺院長は驚くが、メグは余裕の笑みを浮かべている。
「まあ、お前ほど若いと、冒険心を抑えることはできないかもしれんな……。お前が長年研究している、『ズメウ』。それを探しに行くんじゃろ?」
メグラーダ・フィランスが遊伝僧の資格を得て、わざわざ旅に出る。その本当の目的は――。
吸血鬼伝説。
その謎を解くためである。
吸血鬼。世界各国に類似の言い伝えは多くあるが、デカルト王国ではその闇の魔物のことを、「ズメウ」と呼ぶ。
「ズメウ……。かの悪鬼どもは、善良な市民の敵であり、そして救済すべき哀れな生きものでもある……」
「はい。ズメウだって、元々は人間だったといわれています。悪魔の呪いを受け、魔道に堕ちたと。ならば僕たち僧侶が、ニャーギ様の名の下に、彼女たちを助けてあげるべきではないでしょうか」
ズメウは若く美しく、魅力溢れる女の姿をしているという。
おとぎ話か怪談か。これまでズメウは架空の妖怪だと思われてきた。しかし最近になって、彼女たちは実在するのだとの噂が立ち始めたのだ。
それは最近亡くなったある老人が、いまわの際に語った話に端を発する。
「老人の名はなんだったか。確かアラさん? イラさん?」
「ウラさんです、キャサロッサ寺院長」
キャサロッサ寺院長は隅の本棚へ向かい、一冊の雑誌を取り出した。
ちょうど本棚の上で休んでいたボンボアが、寺院長に小さく鳴いて挨拶する。寺院長はフクロウを見上げて微笑みながら、懐から出した老眼鏡をかけた。
「ウラさんはある日、野蛮な男たちに絡まれている美しい女を助けた。女はお礼にと、ウラさんを自分の故郷へ招待した。ウラさんはそこで、下にも置かぬ歓迎ぶりを受けた。奇妙なことに、その里には男がほとんどおらず、美しい女ばかりが暮らしていたという。感謝の宴を十分堪能したウラさんは、元いた場所へ帰ることにした。女たちには引き止められたが、ウラさんの意志は固かった。諦めた女たちは、ウラさんに小箱を渡す……」
ウラさんは住んでいた町に戻ったが、なんと自分が留守にしていた間に、何十年もの時が経っていたことを知る。
途方に暮れたウラさんは、土産にもらった小箱を開けた。するとその箱の中からは、煙がもくもくと――。
煙に包まれたウラさんは一気に歳を取り、女ばかりの奇妙な里のことを、すっかり忘れてしまったのだという。
しかし彼は亡くなる直前、失った記憶を取り戻し、看取ってくれた友人にそれらを語ったのだ。
「月刊『ヤー』六月号の特集、『怪奇! 若さを吸い取る、美しき妖女たち!』の記事だな」
読み終えた雑誌を棚にしまうと、キャサロッサ寺院長は老眼鏡をずらし、メグの顔をちらっと覗いた。
メグはうっとりしている。
「ウラさんは女たちのことを恨むことなく、『最後にまた会いたかったなあ』と言い残したそうですよ。恐ろしくも、愛のある話ではありませんか……」
「つーても、いかにも胡散臭い雑誌の記事じゃし。デタラメじゃろ」
「夢は信じることから始まるんです!」
「……………………」
このような面倒くさい状態になってしまった弟子を正気に戻すのは、ほぼ不可能である。キャサロッサ寺院長は口をへの字に曲げて、長い髭をいじった。
つまり――。
先ほどの記事にあった、ウラさんを囲っていた女たち。それこそがあの吸血鬼「ズメウ」ではないかと、一部のオカルトマニアたちは色めき立っているのだ。
「若く美しく、歳を取らない」、「女だけの里に住んでいる」、「男の若さを吸い取る」。それらはデカルト王国に伝わる吸血鬼「ズメウ」の伝説に、酷似しているのである。
「まあ、記事の内容が正しかったとして……。ウラさんは屈強な漁師だったというし、そのような男を拉致し、企みに気づかれることなく飼っていたわけじゃから――敵は手強いぞ」
無駄とは思いつつ、キャサロッサ寺院長は忠告した。
メグは即答した。
「望むところです!」
――やはり、情熱を滾らせた若者を正気に戻すのは、不可能なのだ。
キャサロッサ寺院長は、ため息をついた。
「ああ、僕は……! 小さい頃からずっと追ってきた、ズメウ伝説……! このミステリーを解き明かしたいのです! 血が騒ぐぅ!」
拳を握り、勝手に燃え上がっていくメグを、キャサロッサ寺院長は冷たく見据えた。
「お前、その女たち――ズメウに会いたいだけじゃないのか?」
「な、な、なにを……!」
師匠の指摘に、メグはしどろもどろになった。
「べっぴんさんらしいしなー、ズメウは。それに、言い伝えによると、吸血鬼というよりは……。『そっち』が目的ならわざわざ旅になんぞ出ず、ふつーに嫁さんもらったほうがいいんじゃないのか?」
「ちちちち、違います! 僕はそんな、不純な男ではありませぇん!」
「……………………」
寺院長の顔つきが好々爺から、弟子を教え導く厳しい師匠のそれへと変化する。
ただならぬ雰囲気を察したのか、本棚の上のボンボアは、相棒とその上司をハラハラしながら見守った。
「忘れてはおるまいな、メグラーダ・フィランス! ジグ・ニャギ教僧たる者の、鋼の掟を! さあ、言ってみろ!」
キャサロッサ寺院長の一喝を受けて、メグラーダはぴしっと背筋を伸ばし、声を張り上げた。
「はい! 生涯一穴主義ィ! ただ一人の女に身も心も捧げ、全身全霊をもって、愛した女を幸せにすべしィ!」
「うむ、よし!」
キャサロッサ寺院長は満足そうに頷いた。
ボンボアは低く唸る。――この賢い猛禽類は、常々思っているのだ。先ほどメグが高らかに斉唱した、ジグ・ニャギ教僧の鋼の掟とやら……。あれは聖職者が掲げる主義主張にしては、あまりに下劣過ぎないか、と。
「実はな、本部からはお前の昇格の件のほかに、注意喚起の知らせが来ていてな。近頃、行方不明者が増加しており、また、惨殺体の発見が相次いでいるらしいのだ。しかも男性の、だ。皆、体力のある年代の男たちでな……」
奇妙だろ? と言いながら、キャサロッサ寺院長は本部からの書状を、メグに見せてやった。
確かに被害に遭うのが非力な女性ならともかく、男性ばかりがその対象になるのは珍しい。
「ズメウの被害者ではないかと……?」
「まあ、なんの関係もないかもしれんが。ただ、お前がこれからどこへ行くか決めていないのなら、参考までにと思ってな」
確かにノープランである。メグは寺院長から渡された書状を、しばし眺めた。
「被害は……クィンキー山脈の近くですね。先の話のウラさんが、晩年を過ごした町も近い……」
決まりである。
まずは、ここミュジ寺院より歩いて三日ほどの距離にある、クィンキー山脈を目指そう。
メグは二日後、古巣をあとにした。
ワクワクドキドキのアドベンチャーが始まる!
吸血鬼伝説の神秘を解き明かすのだ!
――予定では、そのようなはずだったが。
メグラーダ・フィランスは目的地に着いた途端、あっけなく囚われの身となったのだった。
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