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プロローグ

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 松永の言葉を理解できなかったヒカルは首を傾げる。

「別れる? えっと……どういう意味?」
「だから、この恋人関係を終わらせて欲しいって言ってるんだよ」

 少し苛立った様子で松永は言った。

「この前、実家から電話があったんだ。恋人は居ないのか、結婚の予定はあるのかって」
「け、結婚……」
「その時、ああ、やっぱお前は違うなって思った。男同士じゃ結婚出来ないし、親に孫の顔を見せてやれないんだなーって」
「そんな、待ってよ。松永さんは……その、恋愛対象は男なんだよね? だから、俺に付き合おうって言ってくれたんだよね?」

 ヒカルの言葉を聞いて、松永は少し俯いた。

「そうだと思ってた。男もいけると思ってた」

 二人の出会いはゲイバーだった。初めて足を踏み入れた店内で、緊張のあまり縮こまっていた時に松永に声を掛けられた。話しをしてみると、お互いにこのような場に訪れるのは初めてだというところから意気投合し、二杯目のカクテルを飲み終えたタイミングで松永の方から「付き合ってみない?」と持ち掛けられたのだ。こんなに早く相手に出会えるなんてきっと運命だと感じたヒカルはその場で頷き、二人の交際はスタートした。
 その運命は、こんなにも簡単に終わってしまうのか。ヒカルは絶望のあまりに言葉を失ってしまった。松永はそんなヒカルを横目に溜息を吐く。

「あのバーに行ったのは男もいけるか確かめたかったから。そしたらお前に出会ったんだよ。小柄で顔も可愛いし、付き合ってみるかーって思った。けど、やっぱ無理だわ」
「む、無理って何が……?」

 ヒカルはやっとの思いで声を絞り出した。目の奥がずきずきと熱く痛むが、涙は出て来ない。くちびると喉は砂漠のようにからからに乾いていた。

「俺、料理とか掃除とか、家庭的なこと苦手だけどこれから頑張るし! 結婚とか、子供とかは……出来ないけど、松永さんがご両親に紹介しても恥ずかしくないような人間になってみせるから! だから……」
「頑張られても無理」

 あからさまに不機嫌な表情で松永は息を吐く。

「無理なんだよ。この一か月、お前のこと考えても何も感じないんだから」
「感じないって……?」
「反応しないの。お前じゃ勃たない」
「な……」

 松永とは手を繋いだ。キスもした。けれど、それ以上のことはまだしていない。一度だけヒカルの方から「する?」と誘ってみたことがあったが、松永はそういうことをするのはまだ早いと言って苦笑いを見せていた。大切にされている、そうヒカルは信じていた。それなのに――ヒカルの心は鉛のように重くなった。

「セックス出来ないのに、付き合ってる意味無いだろ?」

 松永は傍らに置いていたスマートフォンに手を伸ばしながら言った。

「お互い、無かったことにしようぜ」
「……」
「もうここには来るなよ。置いてる荷物は……無いな。歯ブラシとか箸とかはこっちで捨てとくから。ほら、さっさと帰れって」
「……っ」

 ヒカルは床に置いてあった自分のショルダーバッグを掴むと、ふらふらと玄関に向かった。気を抜くと眩暈で倒れそうだ。けれど、そんなみじめな姿は見せたくない。ヒカルはジャケットを着て靴を履いてから、振り返って松永に言った。

「松永さん、今日までありがとう……」

 松永は顔を上げることなくスマートフォンを弄っていた。ヒカルの精一杯の「ありがとう」は届いていないようだった。
 ――さようなら。
 心の中でそう呟いて、ヒカルは松永の部屋から飛び出した。

「……寒い」

 冷えた秋の風が、失恋したての身体と心に突き刺さる。

「……はは」

 浮かれていたのは自分だけだったのだと思うと、すべてが馬鹿らしくなった。ヒカルは俯き気味に商店街を抜けて駅に向かう。自分のアパートに真っ直ぐ帰る気にもなれず、通っている大学の最寄り駅の切符を買った。
 もうこの駅を利用することは無いだろう。ヒカルは顔を上げて駅の構内からぼんやりと景色を眺めた。いつだって新鮮に見えていた風景は、今は古い映画のように錆び付いて見える。
 ――さようなら。
 どこかで空っぽになった心を満たしたい。
 そう思いながら、ヒカルはジャケットの中で切符をぎゅっと握った。
 ――次の恋まで連れて行ってくれる切符があれば良いのにな……。
 終わった恋の重さを引きずりながら、ヒカルは到着した電車に乗り込んだ。車内の窓ガラスに映った自分の姿は、朝よりもずっと疲れて見えた。


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