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しおりを挟む気づくと、知らない場所にいた。そんな経験は二度目だ。
けれど今回、焦りはない。原因は、だいたいわかっている。言葉にするならば、連れ去られる、だ。
言葉こそ不穏だが、蓮を拉致った相手は聖女である澪で、道連れはその友人の悠真だったりする。傍らで、「またかよ」とため息混じりにこぼしていた。
以前にも、似たような経験をしているのが窺える。なんていうか、どんまい、そんな言葉をかけたくなった。
振り回されているんだろうな、自由奔放の幼馴染みに。
「えっと、ここは?」
「神殿にある、ハルの部屋」
「俺の部屋かよ」
「だって、ここのキッチンが一番充実してるもん。レンさんの部屋はまだ、調理器具とかないし」
一歩引いて二人のやりとりを眺めていると、思いがけないことを言われる。どういうことだ。
「俺の部屋?」
そう聞こえた。
今現在は、王宮内で蓮は生活している。引っ越すのだろうかと、疑問が浮かんだ。
「隣に用意してあるよ。ついでに案内するね」
「神殿に、住むってこと?」
「ううん、そうじゃなくて、実家に帰ります! 的な逃げ場所?」
「はい?」
「逃げ込む場所、帰ることのできる場所ってのは、必要なんだよ。この先、何があるかわかんないでしょ」
説得力のある台詞だ。
初めの頃の心細さを思い出させる。何もない喪失感は、ずっと蓮につきまとっていた。今も、どことなくある感覚だ。
「なんか、いいな」
同じ境遇の人がいると、こんなにも心強い。
「でしょ? 私の部屋もあるんだ」
「てかさ、レンさんまで連れて、王城から勝手に転移で出てきていいのかよ」
「ヘーキ、アルフレッドさんに言ってきたもん。帰りは、ハルが転移許可持ってるじゃない。それで、問題ないでしょ?」
「おまえなあ……つか、これって他の人も一緒ってありなのか?」
「そこはまぁ、まかせなさいって」
「ほんとはだめなやつだろ」
ぽんぽんとテンポ良く交わされる会話に、蓮はついて行けない。
親しげに呼ばれる第一王子の名前とか、使える人があまりいないという転移魔法とか、問題になるとかならないとか、思考が理解するのを拒否している気もした。
「だって、エドくんに心労かけかたらかわいそうでしょ、まじめだから」
王太子の名前が、エドワードだった気がする。ここ数日で学んだ知識が、二人の会話の非常識さを教えてくれた。
「ま、そんな些細なことはおいといて、レンさんのオペラー!」
些細のことなのだろうかという突っ込みは、心の中でだけにしておく。
この場で作ってほしいのだろうが、悠真は相変わらずグリューンを頭に乗せているが手ぶらで、澪も何も持っていない。
材料は? と首を傾げたのは間違いで、何もないところから、次々に出てくる光景は不思議な気持ちにさせられた。
「聖女って、なんでもできんの?」
同じ世界から来たはずだ。
それなのに、当たり前のように魔法を使いこなしている。
「どーだろ? 私は努力するのが好きだから。あと、この国にいつでもケンカが売れるように?」
「なんだそれ」
物騒なワードに、冗談だよなと蓮は受け流すが、澪の瞳は本気に見える。ざっとしか聞いていない事情も、二人のこの世界へ来てからの話も、今度ゆっくり聞いてみたい気がした。
「じゃ、作りますか。結構時間かかるよ?」
オペラは、シロップをしみこませたビスキュイ・ジョコンド、コーヒーのバタークリーム、ガナッシュで層を作り、チョコレートで覆ったケーキだ。
「いーよ。だから、朝一でレンさん拉致ってきたの」
「ああ、そういう」
苦笑して、それならばと、ご所望のスイーツを提供するのに集中する。オペラは、工程が多い。けれど父親の作る芸術品のようなオペラを再現してみたくて、一時期必死に作っていたので身体が覚えていた。
(懐かしいな)
そのときの光景、感情を蓮は手を動かしながら思い出す。
だからと言って、感傷にはならない。目の前で、蓮の手の動きを追って、どきどきわくわく、そんな感情を向ける二人がいるからだ。
子どものころの蓮自身を思い出させて、なんだか微笑ましい。
店に整然と並ぶ美しいスイーツたちもいいが、こうして作りながら会話をして、楽しい時間を一緒に過ごしたかった。
あとは冷やすだけの状態になると、隣にあるという蓮の部屋へ案内される。そこは悠真の部屋と代わらないくらい広い。
感心しかけて、廊下に並ぶドアの感覚と部屋の広さが合わないことに気づく。出て確かめると、澪が空間魔法で拡張したと教えてくれた。
(どんだけチートなんだ)
俺も最初は驚いたと、悠真が慰めてくれる。ありのまま受け入れた方が、楽だからとアドバイスもくれた。いい子だ。
その後ざっと神殿内を案内され、蓮の後見人だという、神官長のジェデオンに挨拶に行く。雰囲気のある人で、長いプラチナブロンドの髪を後ろで縛っている美しい男の人だった。
その後で部屋に戻り、ほどよく冷えたオペラをカットする。まずは二人の前に置き、グリューンの前には、ひとくちサイズにカットしたものを置いた。
きらきらっと、二人の目が輝く。
グリューンに至っては、尻尾がぶんぶんと揺れていた。
(なんか、いいな)
嬉しくなって、蓮の表情も綻ぶ。
「うわっ、おいしーい!」
ひとくち食べて、澪が感嘆の声を上げる。やっぱり緊張していたので、蓮は安堵して肩の力が抜けた。
「すっげぇ、うまいです」
「ぎゃあ!」
グリューンまで、声を上げてくれる。
「目の前で用意してもらえると、格別だよね。自分だけのためにって、感動する。レンさん、モテたでしょ」
「そうでもないなぁ。最終的には、太るからやめてって言われるし、イベント時には家が忙しくて手伝いに行くこともあって、なんで私を優先できないのってフラれることもあるしさ」
「ばかだなぁ」
そうだよな。彼女の願いを聞き、優先できない不器用な蓮が悪い。
「太るって思うなら、食べた分自分が努力すればいいだけじゃない」
「え」
「こんなに美味しいんだよ? 最初は喜んで、後から不満ぶつけるとか、ただの贅沢慣れじゃない。元々甘いものが苦手なら初めからそう言えばいいし、特別を提供してもらえる優越感と、太りたくないって気持ちを天秤にかけての八つ当たりは、ただのわがまま」
過去の彼女たちを、澪は容赦なくばっさりと切ってくれる。同じ女性だからなのか、ふっと、蓮は気持ちが楽になった。
「ハルだって、毎日走ってるし」
「俺はダイエットのために走ってんじゃねぇよ」
聞けば、悠真は日課として騎士団の演習場を走っているという。
すごいな、と蓮は素直に感心する。学生の頃の体育のように、強制されなければ走る気になどなれない。
「アルフレッドさんの、細マッチョが羨ましいらしい」
「うっせえ、ばらすな」
暴露され、悠真はむすりとするが、その気持ちはわかる。蓮も、ディルクの細マッチョが非常に羨ましかった。
「ね、いろんな思惑があるけど、努力は自分のためにするんだよ。それをしないで、人にばっかり望むような人ってサイテー」
なんだか、笑いたい気分になる。女性の、自分を美しく見せるための化粧にネイル、身につける装飾品の数々、努力する姿は純粋にかわいらしく、好ましい。
けれど蓮の作る料理やスイーツたちは、そんな彼女たちの優越感を満たすだけの、装飾品の一部にしてほしくなかった。
「はあ、すっごい、美味しかった」
「ありがと、そう言ってもらえると嬉しいな」
心からの賞賛はくすぐったくて、あたたかい。
「これ、美味しいものを食べさせてくれたお礼だよ」
手を差し出され、蓮は反射で受け取る。手のひらに、金属の感触が触れた。
「ネックレス?」
プレートがついている。
「なんでアクセサリー?」
唐突な贈り物に、蓮は首を傾げた。
「それ、王宮内の通行許可証で」
「おまえからの礼じゃねぇじゃん」
「ハル、最後まできこう?」
「はい」
やっぱり、二人から姉弟のような空気を感じる。
「聖女の癒しの力を込めてあるから、身につけていれば少しくらいの怪我なんて、あっという間に治っちゃう優れものなのです!」
はい? と、蓮は思考が固まった。
「ああ、俺のブレスレットと、おんなじやつ?」
「そう」
え、え、と驚いている間にささっとぱぱっと使用者登録をされて、うっかり落としても、盗まれても、勝手に戻ってくる安心安全仕様だと説明された。
「はあ、まじか……」
「ここの神殿も、それが許可証になるから」
誰もが、居住区に入れるわけではない。部外者が勝手に入れないように、許可証が必要だった。
「ちょ、ま、これ、すげぇ貴重な品では?」
「うん。だから、使用者登録したの」
否定されなかった。
こわい。こんなものを持っていると知られたら、渡り人でなくても、狙われそうだった。
「たぶん、ハルの部屋までいけるんじゃない? なんかあったら、逃げ込めばオケ」
オケじゃない。よけいにこわい。
そんな蓮の戸惑いは、完全にスルーだ。
聖女である澪のところへ行くには手続が複雑だから、とりあえず悠真の方を頼ればいい。大抵のことはなんとかなるんじゃなーい、と軽い声が軽く言った。
「俺、なんもできないけど、保護者が最強だから、他力本願で大抵のことはなんとかできるはずだよ」
いつでも頼ってと、悠真にも言われる。その傍らで、スイーツを食べ終え寛いでいたグリューンも、ぎゃあ、とひと声鳴いた。
「本当、俺なんかが持ってていいわけ?」
いーよ、と二人の声が重なる。
「俺も、蓮さんとおんなじこと思ったことあるけどさ、この世界で遠慮してたら損なんだよ」
「そうそう。巻き込まれたんだから、楽しまないとね」
「澪なんて、初対面でエドワードにケンカ売ってたからな」
ええ、とさすがに軽く引く。けれど、なんだか楽しい。
今度詳しく訊こうと、蓮は心に決める。あと足りないものは、きっと。
「それで、レンさんはどうしたい?」
「え、俺?」
勝手に流れていく思考が、ぴたりと止る。浮かんでいた顔が、蓮の名前を呼んだ。
「そう。実家のような、いつでも帰れる場所、家出先はここにできたでしょ? じゃあ、普段は誰とどこにいたいのかなって」
「だれと、どこに……」
「私はハルがいるからまあいいかで王宮にいるだけだし、なんだったらこうして勝手に出てくるし、ハルが王宮にいるのは、一緒に居たい人がいる場所だからなの」
「まあ、そうだな」
少し照れたように、悠真が頷く。
二人とも自分で選んで、王宮にいる。いなければいけない場所ではないと、蓮に教えてくれた。
「遠慮しなくっていいんだよ? 望みは叶うんだから」
望んでいいのなら、それで迷惑がかかることがないのなら。
「俺は――」
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