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 表情には出ていなくても、ディルクが楽しそうに手伝いをしていたのは、本格的な忙しさが始まるティータイムの時間に突入する前くらいまでだった。

 裏方とはいえ、慌ただしさに辟易するのも仕方がない。まったくジャンルの違う仕事だ。本来は働く必要のないディルクなので、ダーフィットの家の方で休んでいたらどうか、と蓮が声をかける前に、深いため息が空気を揺らした。

「このままここに居たい。飲み会に、行きたくない」
「そこかよ」

 うっかり突っ込めば、ディルクが瞳を瞬く。視界の端にいるレオンが、肩を揺らしていた。

「忙しいから、疲れたのかと思ったんだよ」
「いや、それはいい」
「いいのかよ。せっかくの休日なのに」
「レンが働いているとこを見れて、少しだけでも手伝えて、俺としては充実してるよ」
「ああ、そう」

 無自覚なたらしは性質が悪い。ストレートな台詞に妙に照れてしまい、蓮は他に言い様がない。さらに、レオンの肩の揺れが大きくなる。
 笑うなら、盛大に笑ってほしい気分になった。

(まあ、楽しいのは俺もだけど)

 蓮の後をついて回るようなディルクに、みんなの目が生温かい。
 けれど飲み会の時間が近づくにつれ、ディルクの表情が本格的に曇りだした。

「俺がいなくてもいいだろうにな」
「いやだめだろ」
「何かにつけて、飲みたいだけなんだよ」

 どこも同じなのだな、とうんざりした顔を見ながら蓮は苦笑する。何かあれば、慰労会だ、打ち上げだ、特に何もなくても、無理に理由をつけて飲み会が開催されるのは、異世界でも同じだった。

「気軽に行って、楽しんでくればいいだろ」

 今回は第一王子のポケットマネーから飲み代が出るので、会費がいらない。その第一王子は不参加というから、畏まった飲み会ではなかった。

「行っても、楽しめる気がしない」
「大丈夫だって、ほら行ってこいよ」
「……レンも来るか?」
「行くかよ!」

 ぶほっと、デュークが盛大に吹き出す。追加の材料を取りに来て、ディルクと蓮のやりとりをタイミング良く目撃したようだ。

「ずっと、あんなだよ」

 笑いを堪える派のレオンに、今も笑っているデュークへ暴露される。当のディルクは、我関せずだ。
 今はもう憂鬱な飲み会のことが気がかりで、他のことは些末のことと聞き流していた。

「そろそろ出ないとだろ」
「……ああ」

 会場である酒場は、店から遠くない。本当に出なければいけない時間になると、絶望感を漂わせ、すぐに帰ってくるとディルクは店を後にした。

「行ったか」
「行ったな」

 半笑いで、リュークとレオンが頷き合う。ダーフィットとヨリックは、まだ接客中でここにはいない。でかい男がひとりいなくなったからか、室内が静まり返ったような錯覚を覚えた。

「ディルクって、飲めんの?」

 この世界の成人は十六で、飲酒も許される。ディルクも飲める歳ではあるが、蓮と居て飲んだことはない。

「飲めなくはない、って感じかな」
 食事の席で、飲ませたことはあるとリュークが言った。
「好きじゃない?」
「どうなんだろうな。どっちでもいいのかもな」
「食べる方がいいだけだろ、絶対」
 レオンが、的確なツッコミを入れる。笑いがおきた。

「お、アイツちゃんと飲み会行ったな」

 ひょいっと、ダーフィットが顔を出す。今にも参加しないと言い出しそうだったディルクの姿がないことに気づいて、苦笑した。

「駄々っ子のようだったけどな」

 昔から知っているせいか、レオンは容赦がない。うっかり、駄々っ子になるディルクを想像した蓮は、吹き出しそうになって口を押さえた。

「適当に切り上げて帰ってくるだろ」
 そんな弟をよく知るダーフィットの予想が、外れるとは誰も思わなかった。

「――じゃあ、送り届けましたので」
「ありがとね」

 ディルクを送ってきた騎士は、ダーフィットと顔見知りらしく、軽く雑談してから帰って行く。邪魔をしないよう離れて見ていた蓮は、やっとディルクの元へと行った。

「わるい、おそくなった?」

 舌足らずな話し方に、蓮は一瞬動きが固まる。いつもの冷たく見える顔が、ほんのりと色づき緩んでいた。

(なんだこれ)

「れん、かえろ」

 ふぐぅ、と変な声を上げそうになる。色っぽさがあるのに、言葉遣いはたどたどしい。まるで縋るような眼差しを向けられ、蓮のキャパシティはオーバーした。

(やっべぇ、かわいい)

 ギャップにときめきすぎて、胸が苦しい。
 とくとくとくと、鼓動が逸る。よく誰にもお持ち帰りされなかったものだと感心して、責任を持って送り届けてくれた同僚を、蓮は拝みたい気分になった。

「あーあ、酔ってんなぁ。泊まっていけよ」
「やだ」
「歩けないだろ?」

 ダーフィットが子どもに言い聞かせるようにするから、ディルクがいやいやをする子どものように見えて悪い。緩みそうになる口元を引き締めながら、蓮はふたりのやりとりを見守る。アルコールで、こんなに印象が変わるものかと感心するばかりだ。

「あける」

 いや、言えてないからなと、二人のやりとりを眺めながら蓮は心の中でつっこむ。頑として引きそうにないディルクに、ダーフィットも困っていた。

「俺がいるから平気だろ」

 もだえている場合ではない。
 いつもの道を歩いて帰るだけだ。歩いていればディルクの酔いもさめる、といいなと希望的観測で蓮は帰る方を選択した。

「レン、ほんと気をつけて帰れよ」
「大丈夫だろ。お疲れさま」
「おつかれ。無理そうなら、引き返してこいよ」
「わかった」

 外に出て歩き出すと、ディルクは存外しっかりした足取りで、蓮が肩を貸すまでもない。空気は秋の気配を漂わせ、肌を冷やした。

「ディルク、いっぱい飲んだのか?」
 こくん、と頷く仕草も緩慢だ。

「のまされた」

 はあ、なんだこのかわいい生き物はと、ふにゃふにゃでまろいディルクを蓮は愛でる。いつもはぴしりとしているから、想像できなかった姿だ。

(明日、覚えてんのかなぁ)

 蓮は今まで、酒を飲んでも記憶をなくしたことはない。今のディルクのように、飲み過ぎてふらふらになって、友人に連れ帰ってもらったこともあるが、ひどい二日酔いになっただけで記憶はあった。

 駅の自動改札で入れないと嘆き、学生証をかざしていたのが原因だったという、間抜けで恥ずかしい記憶もしっかりと。

(あのとき教えてくれた、通りすがりのおねえさんありがとう)

 思い出せば、なんとなくアルコール飲料が飲みたい気分になる。今度、夕食の時にディルクと飲むのも楽しそうだ。酒に合う、つまみを作ってもいい。ダーフィットたちには好評だった。

「ついたぞ。部屋まであとちょっとだからな」

 風呂は無理だろうと思っていたが、家に入った途端、しっかり歩いていたのが嘘のように、ディルクはぐだぐだになる。驚き、座り込みそうになるのに慌て、蓮は肩を貸して支えた。

 身体を鍛えていなかったことを、心底後悔する。重い。
 細身に見えてもしっかり筋肉のついているディルクは、肩にずっしりとくる。ふらふらと、一歩一歩進んで、なんとか部屋までたどり着く。

「ほら、ベッドで寝ろよ」

 ほっとしてディルクの顔をのぞき込むと、近い距離で目が合い、ぐいっと唇を押しつけられる。柔らかな感触に、蓮は目を見張って驚く。

 キスというよりも、本当に押しつけられて唇が重なっている。重い体をぐいぐいと手でなんとか押しやり、荷物のようにディルクをベッドへ放り投げると、うめくような声が響いた。

 自分よりもガタイのいい男の世話はしんどいものだ。その上酔っているからふにゃふにゃで、重かったので仕方がない。許せ、と蓮は心の中で謝罪を落とした。

 のし掛かる重さがなくなって、はあ、と息をつく。

(キス魔かよ)

 大学でも酔うとキス魔になる男がいた。
 それは最初から教えてもらっていたので、蓮は極力飲み会では近付かないようにしており、犠牲者にはならないですんだ。

(どこにでもいるんだな)

 そんな感想だ。本当にただ唇を押しつけただけのことに、いちいち動揺などしない。明日、覚えているかもわからない、まったく意味を持たないものだ。

「れん?」
「ん?」

 視線を落とすと、見上げてくるディルクと目が合う。妙な色気を感じ、蓮はどきりとした。

 手が伸びてきたのが見えても、動けない。首の後ろに手のひらが回り、引き寄せられて蓮は慌てた声を上げる。バランスを崩し倒れそうになるのを、すんでの所で堪えた。

「あっぶねぇだろ」
「いっしょに、ねないのか?」
「は? 一人で寝な」

 腕を外して、蓮は身体を起こす。なんだか疲れた。

(寝よ)

 ベッドに沈んでいる男を一瞥して、蓮は部屋を後にした。

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