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しおりを挟む顔が見えないよりは、見えたほうがいい。コミュニケーションも円滑になる。
至って普通の考えで、おかしくないよな? と、ヨアヒムが不安になるほどヴィンの主張には揺るぎがない。声にも、感情は含まれていなかった。
――なんで、顔を出さなきゃいけない?
あれから思い出しては繰り返し答えを探してみるが、ヴィンが納得するような解をヨアヒムは見つけられない。そのせいで触れられない話題に、もどかしさだけが募っていく。顔を隠すに至った事情があるのかもしれないが、訊いたところで話してくれるはずもなく、勝手に憶測するばかりだ。
それなりに長く共に旅をしているのに、距離は少しも縮まらない。話しかければ、応えはある。けれど見えない壁があって、拒絶されているようにも感じた。
「街は、ここが最後だな」
感慨深いようなクリスピンの声で、ヨアヒムは我に返る。いつの間にか、乗合馬車は目的地としていた街まで来ていた。ここより先の移動は徒歩だ。
そう遠くない距離に、迷いの森と言われ、誰もが好んで近寄らない場所がある。公にはされていないが、魔族の地へと続く森だった。
「とりあえず、宿かな」
「そうだな」
宿を取り、必要なものを買い足し、あとは少しゆっくり休もうと話すメンバーから、ヴィンが自然に離れて行くのにヨアヒムは気付く。いつものように、ここでも別行動を取るようだ。
「ヴィン、一緒に街を歩かないか」
慌てて、ヨアヒムは声をかける。迷いの森に入る前に、ゆっくり話したかった。
何を話したいかもよくわからないが、話しているうちに出る答えもある。何より、ヨアヒムがヴィンと交流を持ちたかった。
「歩かない」
けれど答えはそっけない。ちらりと、視線すら向けられなかった。
それくらいでくじけるようなら、ヨアヒムは最初から声などかけない。
「そう言わず、なんかうまいもん食べようぜ」
「食べたければひとりで食べる」
取り付く島もない。親しくなれば色々と話してくれるかと歩み寄っても、つれない態度に毎回ヨアヒムが肩を落とすところまでがセットになっていた。
「ヨアヒム、またフラれてる」
どこか楽しそうなファティの声が、耳に届く。
すっかり馴染みのある光景となっているので、パーティメンバーの反応も鈍い。むしろ、よくやるなぁという生ぬるい眼差しを向けられた。
「少し前から、ヴィンのこと構いすぎだろ。元々あーいう性格なんだから、ほっとけよ」
「そーなんだけどさ」
嫌がられるのがわかっていても、気になり始めるとどうにもならない。いつの間にか、目で姿を追っている。思うような反応が返ってこなくても、一緒の時間を過ごしたいのだから、どうしようもなかった。
相変わらずフードを目深にかぶり、顔を隠しているけれど、ヨアヒムはもう知っている。整った、涼やかな印象の美しい顔だった。漆黒の髪は艶やかで、向けられた切れ長の瞳は意志の強さが窺えた。
旅の途中で無遠慮とも言えるストレートな発言も、手合わせで負けたことからクリスピンは苛ついていたけれど、ヨアヒムは裏表がなく好ましいと感じていた。
一目惚れ、だったのかもしれない。フードで隠されていた素顔を見た日から、少しずつ、少しずつ、気持ちが動き始めたのかもしれない。自己分析は、うまくできなかった。
元々、考えるのは苦手だ。身体を動かす方をヨアヒムは得意としている。感覚で生きているところはあるが、素性も何もかもわからないヴィンに惹かれていくのは、さすがにヨアヒム自身も不思議だった。
それでも、なかったことにできないのだから仕方がない。心からの、ヴィンの笑顔がヨアヒムは見たかった。
「ほんとに、ヴィンはなんで同行してるのかな」
軽く嘆息しながら、誰もが持っている疑問をファティが口にする。魔王を倒したいから、それ以外の理由を誰も知らない。
「さあな、まあ、実力は確かだから、助かってるのはほんとだけどさ」
アンドレイが淡々と答えると、ふん、とクリスピンが鼻を鳴らした。
「俺らだけでも、いいはずだ」
「だとしても、先のことを考えたら、負担が少ない方がいいだろ」
苦く笑いながら、アンドレイがとりなす。それにファティも同意した。
「戦力は多い方がいいよ」
「……そうだな」
嫌そうにしながら、クリスピンが頷く。
未知の相手との戦いは、不安がつきない。
魔王討伐の任を受け、国を出発した当初のメンバーは四人だった。
聖剣の主に選ばれ、勇者とした立ったヨアヒムをリーダーとし、王宮魔術師でもあるクリスピン・ベルナール、次期騎士団長と名高い剣士のアンドレイ・ビエフ、神聖魔法の使い手で聖女のファティ・ヴァロワだ。
元々の、知り合いではない。魔王討伐のために編成されたパーティで、ヨアヒムは貴族ではないので、顔を合わせるのも初めてだった。
となれば、すぐにはパーティとして機能するわけがない。王城内で共に鍛錬をし、戦う力を身につけながらいくらか親交を深めたところで、実践を経験するべきだと旅に出るように進言された。
魔王の実力は誰も知らず、定かではないが、間違いなく個の力だけが強くても勝てる相手ではない。そのための、パーティだ。けれど今のままでは、全滅もあり得ると言われる。実戦経験がなければ、臨機応変に対処はできないものだと説かれた。
そのことから魔獣被害のある街や村を回り、実戦経験を積み、パーティメンバーとの連携を深めてから魔王討伐に向かうことになった。
訓練と、実践は違う。パーティメンバー全員がわかっていたことで、そのときも油断していたわけではない。けれど旅に出たばかりで実践慣れしていない中、想定外に強い複数の魔獣と同時に対峙することになれば、必然的に苦戦を強いられる。囲まれ、撤退することもできずにいると、飄々とした雰囲気をまとい現れたのがヴィンだった。
――手を貸そうか?
――頼む!
涼やかな声に提案され、ヨアヒムは頷く。フードを目深にかぶり、顔も見せない相手にクリスピンは不満の声を上げていたが、パーティメンバーだけではどうすることもできない。せめてわずかでも活路を見いだすことができればと、思ってのことだった。
――いいよ。あなたたち、今にも死にそうだから。
――おまえごときに何ができるっ!
反発するクリスピンをあざ笑うかのように、ヴィンはあっさりと殲滅して見せる。その強さに、誰もが唖然とした。そして魔王討伐へと向かう勇者パーティだと知ると、ヴィンは同行を申し出た。
随分とクリスピンが渋り、同行が決まると不機嫌そうに鼻を鳴らしていたが、手合わせであっさりと負けてプライドが傷ついていたからだ。
本当にヴィンの実力に関しては、申し分ない。戦い方を含め連携を模索している中で、絶対的な力はありがたかった。
ただ、驚くほどに行動に歩み寄りがない。最初から、自分のペースでしか動かなかった。
宿泊や食事、その他もろもろ、パーティメンバーに合わせるということをヴィンはしない。渋々――と見える態度で、食事を共にするときがあっても、絶対にフードは目深にかぶったままでいる。気付けば姿が消えていて、いつの間にかまた戻ってきている、なんてことも多々あった。
幾度となくそれを繰り返し、今ではもうヴィンはそういうものだと、パーティメンバー全員が納得している。
「もう、向かうんだろう?」
「実力もずいぶんとついたし、いいだろう?」
三人から、思い思いに同意が返る。この場にヴィンはいないけれど、否とは言わないはずだ。めずらしくはっきりとは言わないが、魔王の元へさっさと向かえと思っているのは伝わってきていた。
(ほんとに、こわいもの知らずだよな)
ヴィンの強さが羨ましい。けれど、どこか危うさも感じる。自分自身の生に執着が感じられないというか、希薄というか、今にも消えてしまいそうな存在感の薄さがあった。死と隣り合わせの旅のせいで、そんな風に感じてしまうのかもしれないけれど。
時折、魔王討伐がうまくいかなかった瞬間のことが、ヨアヒムは脳裏を掠める。勇者といえども、魔王と対峙することに恐れがないわけではない。けれどそれが勇者に与えられた役割で、人の世の平和のためには全うすべき任だ。
(もしものとき、後悔しないように)
迷いの森へ立ち入れば、もう後戻りはできない。する気もないが、今は少し、旅立った時と気持ちの持ちようが違った。
変わらず、家族や友人たちを大切に思っている。勇者となった当初の、ヨアヒムの原動力だった。けれどヴィンと出会い、魔王討伐を終えた後のふたりで歩む未来を夢想し、それが今のヨアヒムの力になっているのも事実だった。
(絶対はないから)
できることなら、魔王と対峙する前にヨアヒムは、ヴィンへと気持ちを伝えたかった。
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