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ある宝石人形の話
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首都から西に、山と森をそれぞれ三つ超えたところに、公爵家の古いお館があるのはご存知ですか。四方が深い森に囲まれていて、別荘にしても、それほど風光明美な場所でもないのです。
どうしてこんな辺鄙な所にお館を建てたのでしょう。
その公爵家には、美しい十二人のご子息がいたのは有名なお話です。男子は全員、高い位に付き、女子は皆、高貴な家のご子息の元にお嫁に行かれました。
いいえ、皆ではないですね。公爵家には十三番目のお嬢様がいました。
あの館は、公爵殿がそのお嬢様を住まわせるために建てたのです。どうしてこのお嬢様だけをその館に住まわせていたのか。それについては、伯爵自身も決して明言しませんでしたので、確かな理由はやはりわからないのです。
そして今から数十年以上前に、お嬢様はその館の中で亡くなられました。今、お館はすっかり荒れ果てて、盗人が出入りしています。
お嬢様の遺品は、どうやら全てあの館の中に、そっくりそのまま取り置かれていたそうです。特に、お嬢様は人形収集が趣味だったため、館には古今東西の様々な人形が揃っていたという話です。どれも全て、公爵が買い与えていたものと言われています。職人に一から作らせたものや、貴重な舶来品などもありましたから、公爵がいかにお嬢様のことを愛でておられたのかがよくわかると、当時のとある伯爵が手記に残しているほどです。
それが今は残念なことに、人形は全て盗人らの手に渡り、闇問屋の間で高値で売買されています。公爵家の財産であるのはさることながら、これらの人形の中に、宝石の瞳を持った人形が数体混じっていると伝わっているからです。俗にそれは「宝石人形」、「ビジュードール」と呼ばれています。そして、この宝石人形にはある驚くべき噂があるのです。
宝石人形は「生きた人形」なのです。
これはにわかに信じがたい話ではあるのですが、私の知人がその宝石人形を実際に手にして、見て、それを体験したのです。
彼はこの年の暮れ、病によりこの世を去りました。これから記すのは、病床で私が彼から聞いた話です。
******
彼はその当時、地方で古物商を営む行商人をしておりました。人家を渡り歩き、壊れた家具や小物なんかを引き取り修理して、それをもう一度売るのです。
ある日、彼が仕入れた古物の中に、朽ちて扉が開かなくなったキャビネットがありました。彼はその扉の中に古い人形を見つけたのです。
その人形は全体が陶器で出来ていて、瞳の色は深紅色でした。この瞳がまさか宝石で出来ているとは、彼はその時にはわかりませんでした。なにしろ、人形は埃塗れで、瞳は煤で汚れていましたから。着ている黒のドレスは生地がほつれ、陶器の身体はひび割れて、ドレスからはみ出た手足が破片となってキャビネットの中でばらばらになっていました。
これを、彼は綺麗に磨いて、修理しました。
破片をひとつひとつ慎重に張り合わせ、曇った瞳は布で優しく磨き上げました。ドレスを繕い、長い髪には櫛を通して、リボンを巻いてやりました。
するとどうでしょう。ビロードのような美しい髪、雪のように白く澄んだ肌、そして眩いばかりに光り輝く真紅の瞳。それは見事なまでに美しい人形だったのです。
彼はなんだか急に、この人形を売ってしまうのが惜しくなりました。ですので一旦、その人形を戸棚の上に飾っておくことにしたのです。
ある日、彼が行商から帰ってくると、人形が部屋の中から消えていました。
彼は泥棒にでも入られたのではと思い、部屋を見渡しましたが、ほかに荒らされた形跡はありません。むしろ、散らかっていた大工道具や計測具が綺麗に片づけられて、床も家具も全てが完璧に磨き上げてあったのです。
彼が不審に思っていると、水屋の方で物音がしました。行ってみますと、そこにはバケツとモップを手に持った十代くらいの少女が立っていました。
黒いドレスを身に纏い、真紅の美しい瞳をしています。長い髪にはリボンが巻いてありました。彼はすぐに、この美しい少女があの人形だとわかりました。ですが、このようなことは普通ありえませんので、彼はまさに驚天動地といった様子で呆然と立ち竦んでいました。すると少女が小さな口を開いてこう言ったのです。
「私の名前、リコリス。あなた、私を、直した。ありがとう」
そう言ってぎこちない動きで少女はお辞儀をしました。彼はそれを見て、とうとう尻餅をついてしまいました。
「…ど、どういたしまして」
彼はやっとのことで言葉を返しました。
ここからは一旦、彼がそのリコリスから聞いた話になります。
リコリスは、公爵家のお屋敷で、十三番目のお嬢様に仕えていました。そのお嬢様は人形遊びが好きで、人形の気持ちを読んだり、人形を操って動かすことが出来ました。
それから、人間を人形に変える不思議な「術」を持っていました。お嬢様は、屋敷を訪れた人間を人形に変えて自分のコレクションにして遊んでいました。他の人はこれを知りませんから、屋敷で突然人が消えるのは何かの呪いだと噂していました。その噂のせいで、屋敷に仕えたがる者はとうとう誰もいなくなってしまったのです。
その代わりとして、屋敷に連れてこられたのは事情を知らない浮浪少年たちでした。少年たちは身体を洗われて、上等な給仕服を着せてもらい、馬車で屋敷に連れて来られるのです。リコリスもその一人でした。
彼女はこれらの少年もみな人形に変えました。そして、人形たちは遊び飽きたら地下室に捨てられます。古くなって要らなくなった人形は全て焼却炉に入れて燃やされます。リコリスは焼却係でした。リコリスは焼却係をする時にだけ、特別に人形から人間の姿に戻されました。他にも、リコリスのように、時々人間の姿で給仕することが許された少年が数名いました。
リコリスはそこまで話すと、ばたりと床に倒れました。そしてまた元の人形の姿に戻っていたのです。
この日から、彼とリコリスの奇妙な共同生活が始まりました。
どうやらリコリスが人間の姿に戻れるのは、一日の内でほんの数時間だけのようです。大方は、午前に人間の姿で仕事を手伝った後、午後には人形の姿に戻るといった調子でした。
また、リコリスは人間の姿になっても、食事を摂ることは一切ありませんでした。本人曰く、飢えも渇きも感じないのだそうです。当然、太ることも痩せることもありません。
リコリスはぎこちない動きではありますが、重い荷物を運べましたし、仕事熱心で、大工仕事も進んでやろうとしてくれました。
彼はリコリスに、ドレスではない動きやすい服と、丈夫な靴を与えました。リコリスの長い髪は、切っても元通りになってしまうので、髪を束ねる革紐とひさしの付いた帽子も用意してやりました。
彼はリコリスを、もうすっかり自分の弟か息子のようにかわいがっていたそうです。二人は毎日を楽しく、誰よりも仲良く、過ごしていました。
それから三年の月日が過ぎようとしていたある日、彼を訪ねる者がおりました。リコリスの入っていたキャビネットを手放した家の主人です。
主人はキャビネットの中に、ビスクドールが入っていなかったかと彼に問いました。
彼はこの時、キャビネットの中には、木片しか入っていなかったと偽りを申しました。そして、そのビスクドールとはどのような人形だったのかを主人に尋ねました。
「ええ、全身が陶器でできた人形でしてね。私が譲り受けた時には、すっかりひび割れした汚い人形でしたから、私はそのことをずっと忘れていたのですよ。しかし昨今、この種のドールが巷で少しばかり話題になっていましてね。どうも、古いビスクドールの中に、公爵の娘さんが持っていたドールが紛れ込んでいるそうで。ええ、公爵家のビスクドールです。特注品で、目に大きな宝石が埋まっているんですよ。お宅は、古物商だから、古いビスクドールを譲り受ける機会もありましょう。その時は、目をよく見るんですな。今にここに大豪邸が立ちますぞ」
主人が帰った後、彼は改めてリコリスの瞳を観察しました。まばゆいばかりに輝く赤い光。これは、やはり宝石の光だったのです。
宝石人形の噂はついに、彼の住む小さな村にまで届きました。古物を扱う彼のもとに、連日、人形を探し求める人たちが訪れました。
「古いビスクドールなら、どんなものでも構いません」
前金を渡して、ビスクドールを探すように頼む者までいましたが、彼はそうした頼みを全て断りました。
ところで、リコリスはこの頃、人形よりも人間の姿でいる時間の方が長くなっていました。言葉も流暢に話せるようになっており、身体も何不自由なく動かせるようになっていました。
それは彼との生活の時間が影響していたのかもしれませんが、詳しくはリコリス本人にもわからないようでした。
リコリスは村人の前に姿を現すこともありましたが、村人たちは皆、リコリスをただの下働きの少年だと認識していました。リコリスが宝石人形だとは、誰も思っていませんでした。
ですが彼は、リコリスが宝石人形だと気付かれるのを恐れていました。彼はリコリスが外で仕事をすることを禁止しました。荷物運びも、大工仕事も辞めさせました。
「どうして外に出てはいけないの。僕はもうこんなに自由に動ける。人形でいる時間も、今は眠っている時だけなんだよ。うまくいけば、人形でいる時間なんか、もうすぐなくなるかもしれない。そしたら僕は本当に人間に戻れるかもしれないんだ」
そう言って、リコリスは彼に強く反論しました。これには少し他の理由もあります。
この時、リコリスには好きな娘がいたのです。二軒先に住む金物屋の少女で、リコリスと丁度同じくらいの歳でした。その少女と会うことも、彼は禁止だと言い張ったので、リコリスは反発したのです。
「駄目だ駄目だ!お前は人形なんだよ。お前は年を取らない。お前がここに来てもうすぐ三年が経とうとしているが、お前の外見はひとつも変わっていない。怪しまれるのも時間の問題だ。彼女だって、本当は変に思っていて、気が付かないふりをしているだけかもしれない」
彼はそう言って、とうとうリコリスを地下室に閉じ込めました。
「いやだ、ここから出して!僕は人形じゃない!ねえ、話を聞いてよ!」
地下室の戸を叩く音を背後に聞きながら、彼は自分の部屋へと戻りました。
「赤色の瞳をした少年が、ここに住んでいますね。会わせていただけますか」
明朝、黒い背広姿の男たちが彼の家を尋ねて来ました。皆シルクハットを深くかぶっており、その顔はよくわかりません。
少年の事は知らないと言って、彼は戸を閉めようとしました。ですが、シルクハットの男は長い腕を、するりと伸ばし、戸が閉まらないように押さえ付けました。その手にも真黒な手袋がしてあります。
「それは嘘ですね。ちゃんと調べて来ましたから。複数の証人がいます」
「あなたは誰ですか、警察か何かですか」
「いいえ、でもそれに近いものです」
スーツの男はそう言いながら、腰に差してある拳銃を見せました。
「失礼ですが、少し調べさせてもらいます」
黒ずくめの男たちは一通り彼の家の中を物色した後、部屋のすみの床板を指さして言いました。地下室へ通じる隠し階段がある所です。
「地下室を見せてください」
「地下室は廃材の倉庫ですから、何もありませんよ」
彼は唇を震わせながら答えました。そこには昨日閉じ込めたリコリスがいるからです。本当なら今日鍵を開けて、もう一度一緒にゆっくり話をするつもりでした。
「何もなければ、何もないで良いのです。あなたが開けなければ、私たちが力ずくで開けるまでです」
そう言って、男は拳銃を彼の背後に突き付けました。
「少年がいても、危害は加えません。それよりも、今ここであなたが抵抗したら、私はあなたを殺します。そして、あなたから鍵を奪い、地下室の扉を開けます」
「……本当に何もしないと誓うか」
「ええ。ですので、早く」
背後に拳銃を押し当てられながら、彼はおそるおそる地下室の戸を開けました。
ですが、そこには本当に何もありませんでした。
リコリスは地下室を抜け出して、町の中にいました。その日、リコリスは娘と一緒に、町に大道芸を見に行く約束をしていました。リコリスは一晩かけて、地下室の鍵穴をこじ開け、また元通りに直して出てきていたのです。
夕刻、彼の家にリコリスが帰ってきました。
「リコリス、お前はもうここにいない方がいい」
彼はリコリスにそう言いました。するとリコリスは悲しそうな顔をして彼に言いました。
「ごめんなさい。勝手に抜け出したのには理由があるんだ。彼女との約束があったんだよ。それで、今日、僕は彼女とお別れしたよ。もう会わないって言ったんだ。ちゃんと伝えないと、彼女が心配するから。僕、これからもあなたのそばにいたいんだ。外に出られなくてもいい。あなたと一緒にいることができたらそれでいいって、思ったんだ…」
そう言って、リコリスは床に目を落としました。綺麗に磨かれた床の上に、たくさんの大きな足跡が付いています。よく見ると、家具を動かしたような跡もありました。
「お前を探して、今朝、黒ずくめの男たちがここに来た。彼らはお前のことを宝石人形だと言っていたよ。そしてお前が人間の姿になれることも知っていた。お前のことを保護しにやって来たと言っていたが、あまりまともな連中には見えなかったよ。彼らは明日もここに来ると言っていた」
彼はそう言って、テーブルの上に顔を伏せました。そして、こう続けました。
「私はお前の事が大嫌いだ、リコリス。大嫌いなんだ、だから出て行け。うんと遠くに、今すぐ出て行け」
戸が閉まる音がしました。
リコリスはもうそこにはいませんでした。
明朝、また同じ背広姿の男たちが現れました。
「少年はいませんよ、本当です。地下室でも、納屋でも、どこでも好きに見てください」
彼はそう言って、男たちを部屋に通しました。男たちは昨日よりも念入りに、部屋を物色しました。
そして少年がいないとわかると、彼に銃を突き付けて言いました。
「どうやってあの人形を人間に変えたのですか」
「……私はただ、普通に生活していただけだ。一緒に仕事をして、一緒に本を読んで、一緒に眠った。それだけだよ」
「それだけで、人形があれほどまでに動けるようになりますか。昨日も同じ事を言いましたが、あなたはやはり術師でしょう。……私達、機関の元へ来ませんか。機関には保護されたドールたちが他にも数体いましてね。報酬は約束しますよ。ですのでまずは、少年の居場所を教えてください」
「私は知らないと言っている!術師でもなんでもない!帰れ!帰れ!ここは私の家だ!」
「そうですか…」
男は彼に向けて銃の引き金を引こうとしました。
その時です。玄関の戸が開き、そこにはリコリスが立っていました。それも束の間、眩いばかりの光が部屋の中を包み込みました。
その光は真っ赤な炎となり、スーツの男たちに纏わりつきました。そして瞬く間に、男たちだけを全員焼き尽くしたかと思うと、その灰と共に、悉く空気の中へと消えて行ったのです。
部屋の中には、ただ彼一人だけがぽつんと立っておりました。
握りしめた手の中に、彼は何か固いものを感じました。手を開き見ますと、そこには二片の光り輝く赤い宝石が乗っていたのです。
******
以上が、私が彼から聞いた話の全容です。彼はこの話を今まで誰にも語った事がないと言っていました。
この話を信じるか信じないかは君次第とも言われましたね。
もちろん、私は信じますよ。彼は私の大切な友人でしたから。それに、彼は嘘を付くのが下手なのです。
ところで今、その宝石ですが、私の手元にあります。綺麗な化粧箱にきちんと並んで入っています。彼の親族が遠方に住んでいる関係で、暫くの間、私が彼の遺品を預かっている次第です。
彼の遺言により、宝石はこの後、孤児救済の基金として慈善団体に寄付されることになっています。
私は思いますよ。人形もそれが本望でしょうとね。
彼の身代わりとなって消えた人形……いや、少年です。
彼がそうしてほしいと望むなら、少年は喜んでその身を捧げるでしょう。
END
どうしてこんな辺鄙な所にお館を建てたのでしょう。
その公爵家には、美しい十二人のご子息がいたのは有名なお話です。男子は全員、高い位に付き、女子は皆、高貴な家のご子息の元にお嫁に行かれました。
いいえ、皆ではないですね。公爵家には十三番目のお嬢様がいました。
あの館は、公爵殿がそのお嬢様を住まわせるために建てたのです。どうしてこのお嬢様だけをその館に住まわせていたのか。それについては、伯爵自身も決して明言しませんでしたので、確かな理由はやはりわからないのです。
そして今から数十年以上前に、お嬢様はその館の中で亡くなられました。今、お館はすっかり荒れ果てて、盗人が出入りしています。
お嬢様の遺品は、どうやら全てあの館の中に、そっくりそのまま取り置かれていたそうです。特に、お嬢様は人形収集が趣味だったため、館には古今東西の様々な人形が揃っていたという話です。どれも全て、公爵が買い与えていたものと言われています。職人に一から作らせたものや、貴重な舶来品などもありましたから、公爵がいかにお嬢様のことを愛でておられたのかがよくわかると、当時のとある伯爵が手記に残しているほどです。
それが今は残念なことに、人形は全て盗人らの手に渡り、闇問屋の間で高値で売買されています。公爵家の財産であるのはさることながら、これらの人形の中に、宝石の瞳を持った人形が数体混じっていると伝わっているからです。俗にそれは「宝石人形」、「ビジュードール」と呼ばれています。そして、この宝石人形にはある驚くべき噂があるのです。
宝石人形は「生きた人形」なのです。
これはにわかに信じがたい話ではあるのですが、私の知人がその宝石人形を実際に手にして、見て、それを体験したのです。
彼はこの年の暮れ、病によりこの世を去りました。これから記すのは、病床で私が彼から聞いた話です。
******
彼はその当時、地方で古物商を営む行商人をしておりました。人家を渡り歩き、壊れた家具や小物なんかを引き取り修理して、それをもう一度売るのです。
ある日、彼が仕入れた古物の中に、朽ちて扉が開かなくなったキャビネットがありました。彼はその扉の中に古い人形を見つけたのです。
その人形は全体が陶器で出来ていて、瞳の色は深紅色でした。この瞳がまさか宝石で出来ているとは、彼はその時にはわかりませんでした。なにしろ、人形は埃塗れで、瞳は煤で汚れていましたから。着ている黒のドレスは生地がほつれ、陶器の身体はひび割れて、ドレスからはみ出た手足が破片となってキャビネットの中でばらばらになっていました。
これを、彼は綺麗に磨いて、修理しました。
破片をひとつひとつ慎重に張り合わせ、曇った瞳は布で優しく磨き上げました。ドレスを繕い、長い髪には櫛を通して、リボンを巻いてやりました。
するとどうでしょう。ビロードのような美しい髪、雪のように白く澄んだ肌、そして眩いばかりに光り輝く真紅の瞳。それは見事なまでに美しい人形だったのです。
彼はなんだか急に、この人形を売ってしまうのが惜しくなりました。ですので一旦、その人形を戸棚の上に飾っておくことにしたのです。
ある日、彼が行商から帰ってくると、人形が部屋の中から消えていました。
彼は泥棒にでも入られたのではと思い、部屋を見渡しましたが、ほかに荒らされた形跡はありません。むしろ、散らかっていた大工道具や計測具が綺麗に片づけられて、床も家具も全てが完璧に磨き上げてあったのです。
彼が不審に思っていると、水屋の方で物音がしました。行ってみますと、そこにはバケツとモップを手に持った十代くらいの少女が立っていました。
黒いドレスを身に纏い、真紅の美しい瞳をしています。長い髪にはリボンが巻いてありました。彼はすぐに、この美しい少女があの人形だとわかりました。ですが、このようなことは普通ありえませんので、彼はまさに驚天動地といった様子で呆然と立ち竦んでいました。すると少女が小さな口を開いてこう言ったのです。
「私の名前、リコリス。あなた、私を、直した。ありがとう」
そう言ってぎこちない動きで少女はお辞儀をしました。彼はそれを見て、とうとう尻餅をついてしまいました。
「…ど、どういたしまして」
彼はやっとのことで言葉を返しました。
ここからは一旦、彼がそのリコリスから聞いた話になります。
リコリスは、公爵家のお屋敷で、十三番目のお嬢様に仕えていました。そのお嬢様は人形遊びが好きで、人形の気持ちを読んだり、人形を操って動かすことが出来ました。
それから、人間を人形に変える不思議な「術」を持っていました。お嬢様は、屋敷を訪れた人間を人形に変えて自分のコレクションにして遊んでいました。他の人はこれを知りませんから、屋敷で突然人が消えるのは何かの呪いだと噂していました。その噂のせいで、屋敷に仕えたがる者はとうとう誰もいなくなってしまったのです。
その代わりとして、屋敷に連れてこられたのは事情を知らない浮浪少年たちでした。少年たちは身体を洗われて、上等な給仕服を着せてもらい、馬車で屋敷に連れて来られるのです。リコリスもその一人でした。
彼女はこれらの少年もみな人形に変えました。そして、人形たちは遊び飽きたら地下室に捨てられます。古くなって要らなくなった人形は全て焼却炉に入れて燃やされます。リコリスは焼却係でした。リコリスは焼却係をする時にだけ、特別に人形から人間の姿に戻されました。他にも、リコリスのように、時々人間の姿で給仕することが許された少年が数名いました。
リコリスはそこまで話すと、ばたりと床に倒れました。そしてまた元の人形の姿に戻っていたのです。
この日から、彼とリコリスの奇妙な共同生活が始まりました。
どうやらリコリスが人間の姿に戻れるのは、一日の内でほんの数時間だけのようです。大方は、午前に人間の姿で仕事を手伝った後、午後には人形の姿に戻るといった調子でした。
また、リコリスは人間の姿になっても、食事を摂ることは一切ありませんでした。本人曰く、飢えも渇きも感じないのだそうです。当然、太ることも痩せることもありません。
リコリスはぎこちない動きではありますが、重い荷物を運べましたし、仕事熱心で、大工仕事も進んでやろうとしてくれました。
彼はリコリスに、ドレスではない動きやすい服と、丈夫な靴を与えました。リコリスの長い髪は、切っても元通りになってしまうので、髪を束ねる革紐とひさしの付いた帽子も用意してやりました。
彼はリコリスを、もうすっかり自分の弟か息子のようにかわいがっていたそうです。二人は毎日を楽しく、誰よりも仲良く、過ごしていました。
それから三年の月日が過ぎようとしていたある日、彼を訪ねる者がおりました。リコリスの入っていたキャビネットを手放した家の主人です。
主人はキャビネットの中に、ビスクドールが入っていなかったかと彼に問いました。
彼はこの時、キャビネットの中には、木片しか入っていなかったと偽りを申しました。そして、そのビスクドールとはどのような人形だったのかを主人に尋ねました。
「ええ、全身が陶器でできた人形でしてね。私が譲り受けた時には、すっかりひび割れした汚い人形でしたから、私はそのことをずっと忘れていたのですよ。しかし昨今、この種のドールが巷で少しばかり話題になっていましてね。どうも、古いビスクドールの中に、公爵の娘さんが持っていたドールが紛れ込んでいるそうで。ええ、公爵家のビスクドールです。特注品で、目に大きな宝石が埋まっているんですよ。お宅は、古物商だから、古いビスクドールを譲り受ける機会もありましょう。その時は、目をよく見るんですな。今にここに大豪邸が立ちますぞ」
主人が帰った後、彼は改めてリコリスの瞳を観察しました。まばゆいばかりに輝く赤い光。これは、やはり宝石の光だったのです。
宝石人形の噂はついに、彼の住む小さな村にまで届きました。古物を扱う彼のもとに、連日、人形を探し求める人たちが訪れました。
「古いビスクドールなら、どんなものでも構いません」
前金を渡して、ビスクドールを探すように頼む者までいましたが、彼はそうした頼みを全て断りました。
ところで、リコリスはこの頃、人形よりも人間の姿でいる時間の方が長くなっていました。言葉も流暢に話せるようになっており、身体も何不自由なく動かせるようになっていました。
それは彼との生活の時間が影響していたのかもしれませんが、詳しくはリコリス本人にもわからないようでした。
リコリスは村人の前に姿を現すこともありましたが、村人たちは皆、リコリスをただの下働きの少年だと認識していました。リコリスが宝石人形だとは、誰も思っていませんでした。
ですが彼は、リコリスが宝石人形だと気付かれるのを恐れていました。彼はリコリスが外で仕事をすることを禁止しました。荷物運びも、大工仕事も辞めさせました。
「どうして外に出てはいけないの。僕はもうこんなに自由に動ける。人形でいる時間も、今は眠っている時だけなんだよ。うまくいけば、人形でいる時間なんか、もうすぐなくなるかもしれない。そしたら僕は本当に人間に戻れるかもしれないんだ」
そう言って、リコリスは彼に強く反論しました。これには少し他の理由もあります。
この時、リコリスには好きな娘がいたのです。二軒先に住む金物屋の少女で、リコリスと丁度同じくらいの歳でした。その少女と会うことも、彼は禁止だと言い張ったので、リコリスは反発したのです。
「駄目だ駄目だ!お前は人形なんだよ。お前は年を取らない。お前がここに来てもうすぐ三年が経とうとしているが、お前の外見はひとつも変わっていない。怪しまれるのも時間の問題だ。彼女だって、本当は変に思っていて、気が付かないふりをしているだけかもしれない」
彼はそう言って、とうとうリコリスを地下室に閉じ込めました。
「いやだ、ここから出して!僕は人形じゃない!ねえ、話を聞いてよ!」
地下室の戸を叩く音を背後に聞きながら、彼は自分の部屋へと戻りました。
「赤色の瞳をした少年が、ここに住んでいますね。会わせていただけますか」
明朝、黒い背広姿の男たちが彼の家を尋ねて来ました。皆シルクハットを深くかぶっており、その顔はよくわかりません。
少年の事は知らないと言って、彼は戸を閉めようとしました。ですが、シルクハットの男は長い腕を、するりと伸ばし、戸が閉まらないように押さえ付けました。その手にも真黒な手袋がしてあります。
「それは嘘ですね。ちゃんと調べて来ましたから。複数の証人がいます」
「あなたは誰ですか、警察か何かですか」
「いいえ、でもそれに近いものです」
スーツの男はそう言いながら、腰に差してある拳銃を見せました。
「失礼ですが、少し調べさせてもらいます」
黒ずくめの男たちは一通り彼の家の中を物色した後、部屋のすみの床板を指さして言いました。地下室へ通じる隠し階段がある所です。
「地下室を見せてください」
「地下室は廃材の倉庫ですから、何もありませんよ」
彼は唇を震わせながら答えました。そこには昨日閉じ込めたリコリスがいるからです。本当なら今日鍵を開けて、もう一度一緒にゆっくり話をするつもりでした。
「何もなければ、何もないで良いのです。あなたが開けなければ、私たちが力ずくで開けるまでです」
そう言って、男は拳銃を彼の背後に突き付けました。
「少年がいても、危害は加えません。それよりも、今ここであなたが抵抗したら、私はあなたを殺します。そして、あなたから鍵を奪い、地下室の扉を開けます」
「……本当に何もしないと誓うか」
「ええ。ですので、早く」
背後に拳銃を押し当てられながら、彼はおそるおそる地下室の戸を開けました。
ですが、そこには本当に何もありませんでした。
リコリスは地下室を抜け出して、町の中にいました。その日、リコリスは娘と一緒に、町に大道芸を見に行く約束をしていました。リコリスは一晩かけて、地下室の鍵穴をこじ開け、また元通りに直して出てきていたのです。
夕刻、彼の家にリコリスが帰ってきました。
「リコリス、お前はもうここにいない方がいい」
彼はリコリスにそう言いました。するとリコリスは悲しそうな顔をして彼に言いました。
「ごめんなさい。勝手に抜け出したのには理由があるんだ。彼女との約束があったんだよ。それで、今日、僕は彼女とお別れしたよ。もう会わないって言ったんだ。ちゃんと伝えないと、彼女が心配するから。僕、これからもあなたのそばにいたいんだ。外に出られなくてもいい。あなたと一緒にいることができたらそれでいいって、思ったんだ…」
そう言って、リコリスは床に目を落としました。綺麗に磨かれた床の上に、たくさんの大きな足跡が付いています。よく見ると、家具を動かしたような跡もありました。
「お前を探して、今朝、黒ずくめの男たちがここに来た。彼らはお前のことを宝石人形だと言っていたよ。そしてお前が人間の姿になれることも知っていた。お前のことを保護しにやって来たと言っていたが、あまりまともな連中には見えなかったよ。彼らは明日もここに来ると言っていた」
彼はそう言って、テーブルの上に顔を伏せました。そして、こう続けました。
「私はお前の事が大嫌いだ、リコリス。大嫌いなんだ、だから出て行け。うんと遠くに、今すぐ出て行け」
戸が閉まる音がしました。
リコリスはもうそこにはいませんでした。
明朝、また同じ背広姿の男たちが現れました。
「少年はいませんよ、本当です。地下室でも、納屋でも、どこでも好きに見てください」
彼はそう言って、男たちを部屋に通しました。男たちは昨日よりも念入りに、部屋を物色しました。
そして少年がいないとわかると、彼に銃を突き付けて言いました。
「どうやってあの人形を人間に変えたのですか」
「……私はただ、普通に生活していただけだ。一緒に仕事をして、一緒に本を読んで、一緒に眠った。それだけだよ」
「それだけで、人形があれほどまでに動けるようになりますか。昨日も同じ事を言いましたが、あなたはやはり術師でしょう。……私達、機関の元へ来ませんか。機関には保護されたドールたちが他にも数体いましてね。報酬は約束しますよ。ですのでまずは、少年の居場所を教えてください」
「私は知らないと言っている!術師でもなんでもない!帰れ!帰れ!ここは私の家だ!」
「そうですか…」
男は彼に向けて銃の引き金を引こうとしました。
その時です。玄関の戸が開き、そこにはリコリスが立っていました。それも束の間、眩いばかりの光が部屋の中を包み込みました。
その光は真っ赤な炎となり、スーツの男たちに纏わりつきました。そして瞬く間に、男たちだけを全員焼き尽くしたかと思うと、その灰と共に、悉く空気の中へと消えて行ったのです。
部屋の中には、ただ彼一人だけがぽつんと立っておりました。
握りしめた手の中に、彼は何か固いものを感じました。手を開き見ますと、そこには二片の光り輝く赤い宝石が乗っていたのです。
******
以上が、私が彼から聞いた話の全容です。彼はこの話を今まで誰にも語った事がないと言っていました。
この話を信じるか信じないかは君次第とも言われましたね。
もちろん、私は信じますよ。彼は私の大切な友人でしたから。それに、彼は嘘を付くのが下手なのです。
ところで今、その宝石ですが、私の手元にあります。綺麗な化粧箱にきちんと並んで入っています。彼の親族が遠方に住んでいる関係で、暫くの間、私が彼の遺品を預かっている次第です。
彼の遺言により、宝石はこの後、孤児救済の基金として慈善団体に寄付されることになっています。
私は思いますよ。人形もそれが本望でしょうとね。
彼の身代わりとなって消えた人形……いや、少年です。
彼がそうしてほしいと望むなら、少年は喜んでその身を捧げるでしょう。
END
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「いらっしゃいませ、茉莉花堂へようこそ」
カクヨム、なろうにもほぼ同じ内容のものを掲載しております。
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追記
基本的に土日(祝)で更新致します。
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