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8 僕が宇宙一、幸せにする予定。(氷室side)
しおりを挟む僕の声に振り向いた彼の顔は、撮影した画像を拡大したのとは比較にならない程に、凛々しく愛らしかった。
この世にこんな奇跡的なコラボが可能なのかと、天に感謝してしまうくらい。
やっと、やっと勇気を振り絞ったんだ。
初めて見た時、彼はとても急いでいた。
小走りで、少し息を切らして、そのせいなのか頬もほんのり上気していた。
少年から青年への過渡期というような、幼さの残る顔つきに、健やかに伸びた身長と手足。細身に見えて筋肉はしっかりついていそうだと思ったのは、捲っていた袖から覗いていた腕がそれなりに筋張って男っぽかったからだ。
ちょっとヤンチャな少年っぽい、可愛い顔とのアンバランスさが堪らなくて、否応無しに目を惹かれた。
それは僕だけに限らず、あの場に同じように彼を見ている人間は少なからずいたから、男性だけでなく、女性にだって彼は魅力的なんだろうと思う。
僕はその時、少しだけ彼に近づけたのだ。 彼の 甘いのに爽やかな、魅惑的な香りが鼻先を擽る距離に迄。
(Ω、だ…。)
その時の僕の喜びがどれ程だったか想像出来るだろうか?
やっと見つけたと思った。
しかも、しかもだ。
彼からは、彼以外の誰の匂いもしなかった。
それはつまり、今現在、彼にマーキングを許されているような関係の人間がいない事を指す。こんな魅力的なΩに、忌々しい他のαの匂いがしないなんて奇跡だと驚いたよ。
とうとう神様が奇跡をくれたんだって思った。
彼の名は松永 樹生さんと言った。
彼の制服の胸元にある名札を見た時に、何か引っかかった。
情けない事に、この歳迄 色事にはてんで腰抜けの僕は、最初に彼を見た時には声すらかけられず見失い、2ヶ月後に運良く彼の姿を見つけてからも、遠目から見守る事しか出来なかった。
なので、勇気を振り絞ったその時迄、樹生さんの名字すら知らなかったのだ。
そして、名字を知り真正面から見た樹生さんに、少しの既視感を覚えた。
彼の面差しは、大学時代のゼミ仲間の1人に少しだけ似ていた。
話をしてみると、件のゼミ仲間、松永 美樹はやはり樹生さんの兄だった。
松永 美樹。
正直、この美樹くんという人に関しての記憶は、あまり良い印象は無い。
美樹くんとは、大学に進学してから出会った。
何時でもその時々で違うαの匂いを纏っていた彼は、僕と顔を会わせる度に、2人きりで相談したい事があるだの、食事に行こうだの誘ってきた。
正気だろうか、と僕は毎回驚いた。別に他人の性生活にどうこう口出しするつもりは無いが、僕は奔放な人は苦手だ。
もしかして、αはαの匂いを嗅ぎ取れないと思っているのだろうか。
Ωの匂いに対するより鈍くはあるが、わからない訳では無い。
だからこそ、他のαにマーキングされているΩには手を出さないという暗黙の了解が成り立っているのではないか。
僕は呆れ、彼を避けるようになった。
だというのに、彼は何故か僕に粘着してきた。
見た目からして、好ましくない相手に纏わりつかれてもストレスなだけだ。
更に言うなら、彼の"匂い"も合わなかった。
甘ったる過ぎて胃もたれを起こしそうな。
とにかく、申し訳ないけれど彼は僕の好みからは悉く逸脱していた。
ここで明かしてしまうと、僕は愛する人を抱きたいが、抱かれたいでもある。
リバというものなんだろう。
だから好みの男性のタイプはそれなりの体躯が望ましかった。
それで言うと美樹くんはΩらしいΩで、華奢で中性的過ぎた。
おおかたのαや世間が求めたりイメージするΩはそういうもんなのだろうが、残念ながらそれらは僕の心にも下半身にも全くヒットしないのだ。
それに僕は、一生を共にする番になる相手にも妥協はしたくないという気持ちがあった。万が一にも、妙な所で足を取られて、一生の後悔をするような羽目に陥りたくはない。
だから僕は、美樹くんに限らず、寄ってくるどんなΩにも、曖昧な顔はしなかった。
そんな僕が、初めて樹生さんを見た時、稲妻に撃たれた気がした。理想にドンピシャ過ぎたのだ。
逃がしたくないと思ったのは、αの本能でもあるんだろうが、既に僕が恋に落ちていたからだ。
何とか食事に連れ出せたのは僥倖だと思った。
けれど、僕はそこで樹生さんと兄の美樹くんとその番である男性、3人の間にあった事を聞いてしまった。
僕に付きまとっていた美樹くんが、運命の番に出会ったという旨のツイが回ってきたのは、もう2年前の事だ。
実の弟さんの恋人が、美樹くんの相手であったというような内容に眉を顰めたのを覚えている。
運命の番、その話は誰でも聞いた事がある筈だ。
どんな障害も2人の間の壁にはならず、全てを凌駕して惹かれ合い結ばれるという、"運命の番"。
それは聞いているだけならロマンチックにも思えそうな話だが、リアルに起きるとするなら、ケースバイケースではないだろうか。
当該の2人がフリーのαとΩなら問題はない。それは文句無くハッピーエンドだが、既に番持ちだったり恋人がいた場合は、周囲に多大な被害を及ぼす只の悲劇だ。
そんな後味の悪い状態から幸せになれるような図太さを持っていれば別だが、大概はそうはならないように思う。
そして、美樹くんのケースはまさにその後者。
とてもじゃないが手放しで祝福ムード、とは言い難く、恋人を奪われて尚、兄と元恋人を祝福する健気な弟さんに同情する雰囲気の方が圧倒的だった。
美樹くんはキャンパス内でも所在無くしている事が増え、まるでお姫様を取り囲むように美樹くんの傍に侍っていた男達は、何時の間にやら霧散していた。
あのツイの日付けの前日にも、美樹くんに言い寄られていた僕は、それを白けた気分で見ていた。
僕の顔を見て、あれは違うんだ、と何故か必死で縋りついてきた手をやんわり引き剥がして、おめでとう、弟さんの恋人だなんてやるね、と微笑んだ僕に、美樹くんは真っ青になって黙り込んだ。
弟さんにはかなり気の毒だけど、これで解放されるのか、と思った。その時は…。
だけどその時苦しんでいた、その弟さんが、樹生さんだったとは。
自分が美樹くんから解放された事を喜んでしまった自分が恥ずかしい。
樹生さんは1人でどれだけ葛藤して苦しんだのだろうか。
その時の事を話す樹生さんの表情は、辛い記憶を反芻しているのか 庇護欲をそそられる程に痛々しく、愛おしい。
しかし、よくよく聞いていると、樹生さんはその元恋人に番になろうと申し込まれていたという。美樹くんとの事が無ければ、今頃は…。
樹生さんを恋人にしておきながら美樹くんを選んだその元恋人は許せないが、その男がそういう軽率な行動を取ったからこそ今現在 樹生さんがフリーな訳だ。
それを考えれば、樹生さんを手放してくれた事に感謝する矛盾した気持ちもあり、複雑だ。
ありがとう。君が愚かだったお陰で、僕にチャンスが巡って来たよ。
樹生さんは僕が全力で愛して宇宙一幸せにするから、君は美樹くんと一緒に見守っていてくれ。
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