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4 そんなもの、欲しいなんて言ってない
しおりを挟む「もう二度と国には帰さない」
「は、」
力強く引き寄せられて、鼻と鼻がくっつきそうな距離で視線を浴びる。明るい部屋の中、私を映す黒い瞳の奥に、深淵のような底の見えなさを見て取った時、羞恥と困惑が恐怖に変わった。
そうか、この男にホーンに連れて行かれてしまえば、二度と国にも城にも戻れないのか。父上にも母上にも、誰にも会えなくなる。
「い、嫌だ…」
シュウに言われた事で、私はやっと自分の置かれた状況を理解した。不味い。見ず知らずの国に、しかも奴隷として連れて行かれるなんて。我が国には奴隷などいなかったが、他国にそういった存在があるのは知識としては知っている。殆どは人権の無い労働力なのだと…。
何度目かの悪寒に、シュウの腕から逃れようと藻掻く。だが、力の差があまりにも歴然だった。私の抵抗を全く意に介さないような涼しい顔で、シュウは左手で私の腰を抱いたまま、捉えた右手に指を絡めて来て、まるでワルツでも踊るように体を揺らしながら話し出す。
「あの夜からずっと動向を探ってきた。お前の身に起きた事もつぶさに知っているぞ。婚約者を奪い従兄弟を裏切ったとして、今や、国中の嫌われ者になった事もな。あの従兄弟は皆に好かれているらしいものなあ。お前とは正反対だ。」
「く……」
図星を指され、心が抉られる。そうだ。サイラスは昔から人気者で、私はそうではなかった。そんな事はわかっている。会ったばかりの人間に指摘されずとも、十分に。
だが、腹立たしい。
唇を噛み締めて睨みつけると、シュウは目を細めて笑った。どこまでも馬鹿にしている。
「そんな顔も愛いぞ」
「……」
「愛らしいお前を一目見た瞬間から、どうやって手に入れようかとそればかりを考えていた」
先ほどから愛らしい愛らしいと何を言っているんだ、この男は。そんな事、幼い頃にしか言われた事は無い。すっかり成長してそろそろ1人前の大人になろうという男を捕まえて。
しかしその直後、そんな事を考えている余裕はなくなった。
「だがお前は腐っても王族だったからな。王宮の中に居る内は、警備の人数も人の数も多く、難しかった。そんな広範囲に術をかけてしまえば、流石に不味い事になるだろう?そんな事が出来る者など、この世界にそういるものではないのだし。お前は欲しかったが、ホーンの人間の痕跡を残したくはなかった」
「お前に下された処罰が北の塔とやらでの謹慎と聞いてすぐに調べさせてみれば…北の塔の警備は手練れ揃いで厳重だが、絶対的に数が少なかったな。それならば術を使う範囲も狭く痕跡を消すのも容易だ。天が与えし千載一遇の機だと思ったぞ」
「お前の身代わりに置いてきたのは、近隣の山を根城にしていた賊の一人だ。心配するな。…まあ、少し可哀想な事はしてしまったかもしれないが…それだけの事はしていただろうし、な」
寝台の横の、そう広くもない空間で楽しそうにステップを踏もうとするシュウ。無謀過ぎるそれを止める事も出来ずされるがまの私は、彼の美しい唇から次々溢れ出る、衝撃的な事実の数々に震撼した。
この男は本当に、私を奪う為だけに私の身辺を探り、その機を狙い、"私の死体"役までも準備したらしい。
用意周到すぎる。
死体役になった賊の可哀想な最後とはどういう事だ?顔も判別できなくなるほど惨たらしい殺し方でもしたのか?
体の震えが強くなった。
そうまでして私を欲したこの男は気狂いに違いない。
こんなヤツの傍に居たら、何をされるか…。
けれど、ほんの少し蘇っていた怒りは恐怖に飲まれてしまい、身を捩る事もできない。だって、逃げてどうなるというのだ。この、広くもない部屋。そして、シュウの言った事が事実ならば、この部屋から逃れても海の上に浮かぶ船に逃げ場など無い。
それに、口づけをしてきた事からしてこの男、男色家だ。そんな人間に捕らえられてされるであろう事と言えば…。
そこから先は、無理矢理思考を止めた。
「はな、放せ…っ」
無駄だとわかっていても、言わずにはいられなかった。そして勿論、私の要望が受け入れられる事は無い。それどころか、後ろに押し倒されてしまった。
男2人が倒れ込んでも軋む事無く衝撃を吸収する寝台。見た目は粗末な造りに見えるのに、王宮の自室にある寝台の寝心地と遜色無い事に驚いた。だが今はそれどころではない。
シュウに縫い付けられた四肢はビクとも動かず、腹の奥がひやりとする。
「やめろ、気色悪い」
先ほどシュウに口づけされてしまった事を思い出してそう言った。
「私は男など…」
「奴隷の好みや都合など私にはどうでも良い」
尊大な返しに、ぐっと詰まる喉。気圧される。
「私は欲しい時にお前を抱く」
「ひ…」
喉が引き攣り悲鳴は短く終わる。
抱く?私が抱かれる?いや、嫌だ。
(むり…無理だ、私は男色は…)
首を振りながら、血の気が引いていくのがわかる。だがシュウは、私の表情など気にもならないようだ。
「天邪鬼なお前の言葉は全て反対の意味なのだろう?」
「…は?」
「憎まれ口も不遜な態度も、全ては欲しいものがあるからこそ」
「なに…」
この男は一体何を言っているのかと、私は彼の顔を見つめる。重力に従って落ちてくるシュウの黒髪に頬を撫でられると、何とも言えぬ良い香りがした。
「愛してやろう」
「……は?」
「私ならばお前がどんな風になろうと可愛がってやれる」
言葉の真意がわからずポカンとする私の唇に、シュウが再び唇を重ねてくる。
唇を重ねたまま、彼の手はゆっくりと私の服の中に侵入し、胸をまさぐり始めた。
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