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春樹

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それは覚の部屋から自宅に帰った翌日の事だった。


玄関チャイムが鳴ったのだ。

母が出るかと思っていたが、そう言えば今日はパートの曜日だったかと思い出した。
父は仕事。

ちょうどポットの湯を取りに1階のキッチンに降りていて、モニターを確認すると 久しぶりに見る春樹の母だった。

( 春兄んちのおばさん…?)


緋夜は首を傾げた。

本人同士が別れたとはいえ、ご近所なので、何かしら母に用があるのかもしれないと思った。

昼日中だし、何の気無しに開けてしまった。
本当に、無防備に。


玄関ドアを開けた瞬間、

「ひぃくん、ごめんなさい。」

と、涙声で春樹の母が緋夜に小さく言ったかと思うと、直ぐ脇から春樹が割り込んで来て 玄関の中に滑り込みドアを閉められた。

突然の事に状況判断が追いつかない。緋夜は呆然と玄関先の廊下に尻もちをついた。

「ヒィ。」


春樹に見下ろされ、真っ暗な瞳に全身が震えた。

何故、春樹が。


「匂いが…。」

春樹は緋夜の前に屈み、緋夜の頬に手を伸ばし撫ぜたが、ハッとしたように緋夜の後頭部を鷲掴んだ。


「ヒィ?お前…まさか、」


緋夜は血の気が引いた。

(しまった…、ダメだ…、未だ…!)


咄嗟に右手で項を覆った。

未だ番は成立していない。
咬印は定着していない。
未だ。
何故か、守らなければと思った。


「緋夜。」

春樹に名前で呼ばれた。
恐ろしい程のプレッシャーを感じる。

怖い。

逃げなければと四つん這いで奥に逃げようとして、足首を捕まれ引き戻された。

馬乗りになられて乱暴に項にかかる髪と手を避けられた。


「お前…彼奴に、噛ませたのか…。」


春樹の声はあの夜よりも更に低く、怒りが篭っていた。

緋夜はカッとなった。


「春兄に言われたくないよ!!
春兄が俺からいなくなったんじゃん!!
春兄が俺を、」

「黙れ。」

短い抑止の言葉に喉が引きつった。


「俺は…お前を守る為に…俺は、お前を傷付けさせない為に…っ!」

春樹は激昂していた。

緋夜には春樹が何を言っているのかわからない。
だって、春樹は緋夜に何も言わなかったのだ。
何か理由があったのなら聞かせてくれても良かったんじゃないのか。

「…何があったって言うんだよ…。
春兄の言ってる事、ひとつもわかんない!」

緋夜は恐怖で震えている。
でも、別れを告げられたあの日の悲しみと悔しさも蘇ってきて、逆上させてはいけないとわかっていても、言葉が口をついて出てしまう。

何故、自分が一方的に責められなくてはならないのか。

緋夜は緋夜なりに、やっと前に進めただけなのに。

「そんなに怒るなら理由を言ってよ!!自分は番を作った癖に!!」

背中に覆いかぶさっている春樹に、涙声で叫んだ。

春樹の、緋夜を抱き締める力が強まる。

そして、緋夜の耳元で春樹は呟いた。


「…ヒィが酷い目に遭ったのは、俺のせいなんだ。
俺のストーカーが、お前を…」


今度はもっと酷い事をされるとわかった。
だから、相手の言う事を聞くしか無かった。


「ヒィの火傷は警告だったんだ。
だからヒィの体と命を守る為に、俺…。」

何か温かいものが緋夜の頬に伝い落ちてくる。
春樹は泣いていた。

緋夜が春樹と出会い、別れたあの日迄、春樹の涙を見た事は1度も無かった。

春樹の言っている事は真実なのだと、緋夜にはわかった。


「もしかして…あの、写真とか、も?」

「あの女が…俺と緋夜を引き離す為に、俺にあたっても効果がないから緋夜を標的にしたと言ってた。」

悔しさを滲ませた声。


緋夜はようやく納得できた。

醜くなったから捨てられたのだと、思い込もうとした。
でも、春樹の性格やそれ迄の優しさや積み上げてきた信頼を思った時、そんな人では無いと納得できない気持ちもあった。

しかし、春樹は何も言わなかった。だから、緋夜もそれ以上は未練だと、振り切ったというのに。

それにもう、今更それを知ったからと言って…。



「ありがとう。」

緋夜の唇から零れた言葉。

「ありがとう、俺を守ってくれる為だったんだね。
春兄も…辛かったでしょ。」

「ヒィ…」


緋夜は春樹の置かれた立場を思った。
自分のせいで春樹が傷付けられたなら、自分も同じように離れただろう。

緋夜を守る為に、卑劣な人間の手の内に自ら入っていかなければならなかった春樹の気持ちを思えば、胸が痛んだ。

春樹はやはり、優しい人だったのだ。
変わらず自分を愛してくれていたのだ。


けれど、もう、緋夜には覚がいる。


緋夜は首に回されている春樹の腕を撫でた。


「春兄、辛かったでしょ。
俺の為にたくさん我慢してくれたんだろうね。ごめんね。」

ゆっくりゆっくり、労うように撫で、ポンポンと軽くはたいた。


「でも、もう俺達は、無理だよ。」



緋夜は、静かにそう告げた。



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