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花瀬 5 (花瀬side ※R18描写注意)
しおりを挟む僕に150だと値をつけたサングラスの男が、連れの男に目配せをする。された男は頷いて、持っていた黒いクロコ柄のセカンドバッグから札束一つ取り出し、米田の足元に投げた。
「え、あの、150じゃ…」
飛びつくように札束を拾いながら、困惑声で米田が言う。しかしサングラスの男は、呆れたようにそれに答えた。
「オッサン、ウチのツケがいくらあるのか忘れてねえか?50で勘弁してやるだけありがたいと思えや。おい、行くぞ」
男は吐き捨てるようにそう言うと、玄関に向かって踵を返す。僕は床に項垂れた米田を見下ろしながら、連れの男に腕を掴まれて部屋から連れ出された。
2年ぶりに歩く廊下、押すエレベーターボタン。2年も住んでいたのに、見るのも通るのは来た時きりだから記憶も曖昧で、まるで知らない場所だ。通勤通学の帰宅時間の筈なのに、不思議な事に住人の一人にすらかちあわない。
結局、誰にも遭遇しないまま、エントランスを出られてしまった。すぐ外の通り沿いに黒い国産車が停めてあり、僕は促されるままそれに乗り込んだ。
車内で名前や歳を聞かれた気がするが、久しぶりに見る部屋以外の窓からの景色に気を取られていたから、あまり覚えていない。男達がどんな表情をしているのかも、興味が無かった。
これから何処へ連れて行かれるのか、どんな境遇が待っているのか、もうどうでも良かった。
どうせどこへ行ったって、今更何も変わらない。
案の定その翌日には、僕はとある店の小部屋で客を取らされていた。
前日、米田から僕を買った男は、男性同性愛者専用風俗店の雇われオーナーだったのだ。もっと簡単に言えば、ゲイ風俗。所謂、売り専だ。
けれど他と少し違うのは、反社組織が経営に関わっている事と、ボーイの質にうるさい事。なら何故に平凡な僕をと思ったが、オーナーが言うには「綺麗なのだけ並べてても駄目」なんだそうだ。
要するに、引き立て役だ。背後組織が売り上げにシビアだから、あまり酷いのは置けない。しかし、美形ボーイ達を上手く引き立て、損しない程度に売り上げを上げられそうなレベルのボーイなら、タイプ別に置いておきたいという思惑。
だから米田に僕を買ってくれないかと話を持ちかけられ、自家に俺を見た時、オーナーは(ちょうど良い)と思ったらしい。僕みたいな平凡な男にポンと金を出したのは、実はそういう理由だったのだ。
そして、そういう"用途"のつもりで買われた僕は、そう期待もされていなかった。
ところが、そんなオーナー達の思惑をよそに、僕はそれなりに売れてしまった。売買の時の、「意外とこういうのが客受けは良かったりする」という言葉が現実になってしまったのだ。
予想外の成果にオーナーは喜んでいたが、僕自身はあまり興味はなかった。
体を売る相手と場所が変わっただけで、する事は同じなのだから、それは別にどうでも良い。人気が出れば、それだけ僕を買う客も増えるけれど、それもどうでも良かった。
店には様々な年齢層の客が来る。中には、僕とそう変わらない同年代やいくつか上のリーマンなんかもいる。少しだけ困るとしたら、そういた若い客。たまに水村先輩と背格好が似たような人も居て、そんな客とプレイしていると、あの夜に引き戻されたような錯覚に陥ったりした。
水村先輩が使っていたのと同じボディーソープや整髪料の香りを纏う客が来た時には、もう駄目だった。顔は似ても似つかないのに、懐かしくて苦しくて、嬉しくて、辛い。情緒が乱れる。
何一つ重なる部分の無い中年客相手なら、仕事だと割り切れるのに……。
龍彦さんに初めて会ったのは、そんな風俗ボーイ生活を送り始めて3ヶ月が過ぎた頃だった。
龍彦さんは、ウチの店の上部組織の人間だった。
「見た目はごく普通なのに、妙に色気のあるガキで」
最初、龍彦さんはオーナーから、僕の事をそう聞いたんだそうだ。彼は、ウチの店を含む、飲食店や風俗店を管理する立場に居る。毎月の収支が上がって来る時に、ふとウチの店の売り上げが2ヶ月連続で上がっているのに気がついた。そして、ランカーの中に見慣れない僕の源氏名とその売り上げを確認した。僕と前後して入店したボーイは他に4人居たが、ランカー入りしたのは僕だけ。それが、あの人の興味を引いてしまったのだ。
それで、僕についてオーナーに聞いた時の答えが、さっきの一言だったらしい。
それに好奇心を掻き立てられたらしき龍彦さんは、その日の夕方、突然ウチの店に来た。店のマンション寮から出勤したばかりだった僕は、事務所に顔を出したところで、オーナーや店長とソファに座っていた龍彦さんと遭遇した。
(誰だろう?)
上部組織の人間などまだ知らなかったから、然龍彦さんの事も知らない。オーナーの客だろうかと、小さく会釈だけをした。 ただ、少し目を奪われたのは確かだ。
精悍な顔立ちに、整った濃い眉、切れ長の目。艶のある黒髪を綺麗に後ろに撫で付けて、一目で上質だとわかる黒いスーツに身を包んだその姿は、一見すると俳優かどこぞの若手経営者という風にも見えた。ただその、凄みのある眼光に気づきさえしなければ。
(まあ、オーナーのお客さんなら、仕事関係だろうな。俺には関係無い)
そう思った僕は、すぐに割り当てられた部屋に歩きだそうとした。
(今日もスタートから予約が入っていた。また8時間、淡々と仕事をこなさないと)
僕の何が良くて来るのかわからない客達に、悪くないと言われる程度に愛想を振りまき、流れ作業と感じさせない程度に喘ぎ、口や手や尻を使って気持ちよく搾り取ってやるセックス。
先輩以外なら誰としたってさして変わらないその味気ない行為だ。いくら重ねたって平気。
そうして、事務所から数歩歩いた時だった。僕の右手首が、後ろから誰かに掴まれたのは。
反射的に振り向くと、それはつい数秒前に事務所の中に見た男…龍彦さんだった。驚きに声を上げる前に引き寄せられ、抱き上げられ、肩に担ぎ上げられてその場から攫われた。 その手際はあまりに鮮やかすぎて、彼がけして堅気の人間ではない事を示していた。
思考停止した僕は、ただただ大人しくされるがままになるしかなく。
店の近くの駐車場に停めてあったフルスモークの車に連れ込まれ、互いに一言も発さないままに唇を奪われ、セックスに及ぶには狭い車内で体を暴かれ穿たれ続けても、為す術無く受け入れるしかなかった。
そうして、僕の中に何度目かの欲を流し込んだ後。彼は、俺の顎に滴る汗を舐め取りながら、こう言った。
「お前、俺のオンナになれ。死ぬまで大事にしてやる」
至近距離で睨め上げるように言われ、僕は体を震わせた。寒かったのでも怖かったのでもない。ただ、痺れるように震えたのだ。惚れ惚れするような低音が肌を這う蛇のようで、抗う事が許されない独特の威圧感が、何故か心地よくて。
奪われ、搾取されるのは慣れているつもりだった。米田にも客にも、僕の体は金と引き替えに消費され続け、それに引き摺られるように精神も磨り減っていく。
でも、別にそれで良いと思ってた。
どれだけ搾取されたって、胸の奥深くにしまい込んだたったひとつ、水村先輩とのあの一夜の記憶だけは、誰にも奪われる事はない。汚れ切った僕に唯一残された、綺麗なもの。
それさえ守れれば、僕は良かったのだ。
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