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花瀬 3 (花瀬side)
しおりを挟む契約の始まる日までの自由、暇潰しの大学生活。そう思っていた灰色の日々は、水村先輩によって色付けられた。けれど、使う事を忘れていた表情筋は上手く動かなくなってしまっていて、無愛想だと囁かれたりもしたけれど、心はいつも躍っていた。
日々、水村先輩の姿を探し盗み見ている内に、僕はどんな場所に居ても水村先輩の姿を見つけられるようになった。
先輩は背が高いから、遠目からでも目立つ。後ろ姿、横顔、人に囲まれて歩く姿。
僕のスマホの画像フォルダは、そんな先輩の隠し撮りでいっぱいになった。拡大するとせっかくの先輩の美貌がボヤけてしまうから、一枚くらいアップの写真が欲しいところだったけど……カテゴリが違いすぎてあまり話す機会の無い水村先輩に「写真撮って良いですか?」なんて言い難く、結局最後まで撮れずじまい。
でもその頃には、既に水村先輩の顔は隅々まで僕の記憶に刻まれてしまっていたから、そう残念には思わなかったけど。
サークルで行った初夏の山、夏の海、秋の京都、冬の温泉郷。その打ち合わせと称した、月2度はある飲み会。そのどれもに水村先輩は居て、また僕も居た。一度、飲み会で酔った水村先輩が、ずっとソフトドリンクを飲んでた僕に絡んできてくれた事もあった。
水村先輩は僕の肩に右腕を掛けて上機嫌で話し、僕はといえば、そこから伝わってくる先輩の体温と、香水混じりの体臭にドキドキしっ放し。ありえないほど近い距離で響く、常より高い声と少し酒臭い息の匂いに緊張し、惜しげも無く向けられる笑顔に惚け、満足に相槌すら打てなかった。
表情が乏しいから周囲にはわからなかったと思うけど、嬉しくてずっと心臓が高鳴っていたのを、今でもハッキリ覚えてる。
まあ先輩の方は、翌日には酒と一緒に記憶も抜けてしまったのか、すっかりいつもの距離感に戻ってしまっていたけれど。
けれどその出来事は、僕が先輩に抱いていた想いを再確認させ、さらには淡く憧憬に似ていた想いを、一気に激しい恋情へと変えてしまった。
綺麗で優美で、時に凛々しいその顔。どんな芸能人を目にした時ですら、こんな感情を持った事はない。個人的な好みの問題もあるんだろうが、とにかく僕にとっては世界一美しい、素晴らしく好みの顔立ち。
それを間近で拝み愛でられるだけで、幸せだと思ってた。
でも、この日を境に欲が出た。
彼がその美麗な面の下にどんな醜悪な性根を隠していたとしても構わない。
触れたい。触れられたい。
もう一度、あの体温を感じて痺れたい。あの声で名前を呼ばれたい。向けられたい、笑顔を。
―――いや、僕だけに向けられる、俺しか知らない表情が欲しい。
一度認めると、気持ちは日に日に募っていくばかりだった。胸の中でそれ以上育ててもどうにもならないのだから、いっそ今の内に思い切ろうと泣きながら決めた夜もあった。
なのに、翌日大学へ行って、先輩の姿を目ざとく見つけてしまうと、倍になってぶり返した。
いっそ告白して玉砕してしまえば荒療治で断ち切れたのかもしれないが、僕が告げた恋心を先輩の中で"男の後輩に告白されて気持ち悪かった話"にされるのは嫌だった。後々、酒の席でツマミとして嗤い話にされるくらいなら、今の"特に親しくもないタダの後輩"の方がマシだ。
地味で陰キャで、20歳になったら太った中年成金オヤジの愛人予定の男にマジ惚れされてるなんて、水村先輩は気の毒だと思う。でも、先にそんな将来しか待ってない僕だって少しは可哀想なはずだ。その真っ暗な未来は1日過ぎる毎に着実に近づいているし、そして、その日が来たら……僕は二度と、先輩の姿を見ることは叶わなくなる。
その後に待っているのは、一筋の光も差さない地獄。
覚悟はしていた。けれど、先輩を知ってしまった今となってはその地獄に向かうのが、何も知らなかった頃よりもずっと辛い。先輩に会えなくなる、見られなくなる、それが辛い。
(なにか……なにか、欲しい。僕と、先輩だけの、何か……)
そうして思い詰めた僕は、ある考えに至った。
(一度だけで良い。先輩に抱かれたい。初めてがあのオッサンなんて嫌だ)
切実にそう思った。
考えてみれば、両親と会社を救う代わりになんでもする愛人契約はしたものの、処女を捧げるとは言ってない。
男は、20歳になるまでは自由に過ごして良いと言った。
だから僕は大学進学もしたし、片想いだけど恋愛もしている。なら、その先の事だって―――。
「かまわないはず、だよな」
初めて寝る時に、僕が処女じゃなくたって。
とは言ったものの、元々性的な事には奥手、男との契約を決めてからは意識的にそういうことを避けていた僕は、おそらく周りの同年代よりも、かなり無知だった。保体の性教育では男同士のセックスの詳細など教えてはくれなかったし、僕みたいな冴えない陰キャでは、男女間のセックスで実践と経験を積むのすら難しかったからだ。
なので手始めに、ゲイのセックスについて知識を得る事から始めた。
前にも言った通り、水村先輩は女性関係が激しい。 見た限りでは、特定の彼女というより、入れ替わり立ち替わりで色んな女の子と遊んでいるようだ。
だがそんな関係ばかりではなく、先輩は交友関係自体が広い。人伝に聞いた話によれば、数多く居る友人の中にはセクシャルマイノリティの人間も少なからず存在するのだとか。
つまり水村先輩は、マイノリティで差別するタイプの人間ではないということだ。少なくとも、当時の僕にはそう思えた。朗報だ。
だから僕は、決めたのだ。
19歳最後の夜に、先輩に抱いてもらおうと。
正直に気持ちを告げれば重くなる。その場で振られて終わるだろう。だから、それは言わない。
言わずに、もっとライトにOKしてもらいたい。けれど、真剣にセックスしたいこともアピールしたい。揶揄だと思われたら、それこそ怒らせてしまいそうだから。何なら、謝礼も用意して……。
「大丈夫だ。ちゃんとお願いすれば、先輩ならわかってくれる。きっと大丈夫だ」
薄暗い部屋の角に置かれたベッドの上。頭からタオルケットを被ってスマホを眺めながら、僕は呟く。
その画面の中では見知らぬ若い男優が、後ろを突かれて嬌声を上げていた。
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