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42 多分、俺の中にもきっと

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 目を閉じる暇も無いくらい、それは一瞬の早業だった。
 熱い唇に唇を掬われたかと思ったら、次には大きな手で後頭部を引き寄せられて唇の密着が深くなる。

 「…っ…」

 角度を変えながら何度も重ねられる口づけ。これは舌が来そうだとサイラスの服の背を掴みながら受け入れ態勢を整えた俺だったが、その時馬車が再び砂利道に差し掛かったらしく、車体が大きく揺れた。車輪が砂利を踏むとどうしてもガタつく。
 そして、その所為で諦めたのか、サイラスは唇を離した。良い判断だ。このまま続行したら俺はきっとサイラスの舌を噛んでしまっていたに違いない。悪路を進む際の馬車の中での蜜事は非常に危険だと俺は思う。
 乱れた息を整えながらそんな可愛気の無い事を考えていたら、サイラスは俺の額にコツンと額を合わせて来た。

…何だ、可愛い事をする…なんて思っていたら、サイラスの唇が動いた。

「アル」

「…なんだ」

「私が今、どんな気分かわかるかい?」

 そう質問して来る彼の瞼はまだ閉じていて、瞳の表情から感情を読み取る事はできない。でも頬や唇の端が上がっていて、穏やかに微笑んでいるように見える。だから、こう答えた。

「機嫌は良いみたいだが…」

「決まってるだろう、最高の気分だよ。やっと君の方から私に心を傾けてくれたんだぞ。こんな嬉しい事があるか?馬車の中じゃなきゃ駆け出すか踊り出すかしたいくらいだ」

「相変わらず大袈裟だな、君は」

「何とでも言ってくれ。ああ、夢みたいだ」

 そう言ったサイラスの瞼が上がり、その煌めく瞳が俺を捕える。 いつもながら、なんという清らで深い青なのだろう。サイラスが大枚はたいて取り寄せたあの稀少な貴石すら、この生きた輝きには及ぶべくもなく、俺はただ目を奪われるばかり。その珠玉を縁取り守る睫毛は黄金色。そんな美しいものに俺みたいなみすぼらしい者を映していても良いものだろうか。
 サイラスが綺麗な男なのは既知の事である筈なのに、彼への気持ちを認めた今では殊更に美しいと思ってしまう。
 
 いや、違うな。

 サイラスを知った時から、俺の美の基準は彼になったんだ。都中の男を惑わせる美貌だと謳われたエリス嬢がサイラスの隣に並んでいた時ですら、俺の目にはエリス嬢の姿がくすんで見えていた。自分の生涯で、おそらくサイラス以上に美しい人間と出会う事はきっと無いだろうと、眩ゆい気持ちで彼を見ていたのだ。それは羨望を含む憧憬だった。
 王家に次ぐ家格に加え、才貌両全、温厚篤実。奇跡の体現のような存在に対し、人は崇拝にも似た気持ちを抱く。そんな彼に友と呼ばれる事で、俺が優越感を感じていた事も、否定しない。

 今にして思えば、同性である事や格差を超えて惹かれていたのは、きっと俺の方が先だった。でも、サイラスに迫られたりしなければ、俺はおそらく自分の胸の中にあったその気持ちの正体に気づかないまま一生を終えた筈だ。それなりに優秀な成績でアカデミーを卒業して身を立て、適当な家の娘と家庭を持つ事になったろう。
 妻を娶り、子を得てそれらを守り、貧乏子爵家を継ぐ兄を支え、汗と土に塗れつつ、領地経営を立て直すべく尽力して生きる、地味ながら堅実な人生。それはそれで良いものになったのだろうと思う。だがその日々には、おそらく今味わっているようなときめきは無いだろう。
 だから俺は、サイラスに絆され…いや、彼を選んだ事に本当に後悔はしていないのだ。


「サイラス」

 俺は彼の名を呼んだ。互いの吐息のかかる距離。もう接触には慣れて来た筈なのに、以前よりも胸が高鳴ってしまうのはサイラスに芽生えた恋心故なのか。合わせた額の皮膚から伝わってくる早い脈と熱い体温に、彼の方も同じなのだと安心した。

「こんな俺を好きになってくれてありがとう」

 そう言うと、サイラスは右手で俺の左手を握り、指を絡ませながら答える。

「アル、それは逆だ。私の気持ちに応えてくれて、ありがとう」

 殊勝な言葉。あの日登校途中の馬車で俺を拉致した人間とは思えなくて思わず笑ってしまうじゃないか。

「不可抗力なところは大いにあったけどな」

「…すまなかった。私も切羽詰まっていたんだ」

 伏せられた金の睫毛が細かく震えている。そうだろうな。あれはサイラスにとっても賭けだっただろう。もし俺が少しも彼を受け入れられず強く拒絶していたら、培われた友情も信頼も全てが失われ、俺達の関係は断然されてもおかしくなかった。
 そうならなかったのは、あのネールの屋敷で過ごした2人だけの時間があまりに濃密だったからだ。外堀を埋めに埋められて、サイラスの気持ちが一時の戯れではない事を思い知らされたから、覚悟を決めるしかないと思った。

「うん。今更それを責めるつもりは無いさ」

「そうか…」

 俺の手を握ったまま、俺の鼻に鼻頭を擦り寄せてくるサイラス。誰の前でも威風堂々としたこの男が、こんな風に甘える仕草を見せるのも俺にだけだと知っている。

「とうに腹は括ってる。君が俺を幸せにすると誓ってくれたように、俺も全身全霊で君を幸せにする」

 俺の言葉に、サイラスが息を飲んだのがわかった。

「…君の口からそんな言葉が聞けるなんて…今日は槍でも降るのかな」

 数秒後、茶化すような口調でそう言ったサイラスの声は、少し震えていて、俺はその背に腕を回しながら抱きしめた。
 



 サイラスが背にした窓から見える青い空を、渡り鳥が滑空していく。
 そろそろ緑の蔦に覆われた、慎ましやかな我がリモーヴ家の門扉が見えてくる頃だ。














 
 

 








 


 
 






 

 
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