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11 男の沽券も砕け散る

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外を見せない為か、中を覗かれる事を避けてか、サイラスが車窓のカーテンを片手で閉める。視界は一気に暗くなり、戸惑っている間も無く俺は唇を奪われた。執拗くねちっこく俺の唇を食み舌先で歯列を割りながら、彼はこの体を抱きしめた腕の力を緩めようとはしない。混乱していた俺は抗う事も忘れされるがままになり、好き勝手に貪られた。初めて知る、自分以外の唾液の味。自分の味もサイラスに知られたと思う恥ずかしさで我に返り身を捩る。けれど、結局は力負けしてそのままサイラスの腕から逃れられない。しかも悪い事に、変に気持ち良くなってきている。
まるでサイラスの舌先からじわじわと媚薬でも注入されているように…。

時々唇を離しては、鼻の頭を触れ合わせながら俺の顔を見つめ、視線を合わせてくるサイラス。そしてまた、飽きもせず唇を重ねる。お前のような男がそんなに何度も味わいたくなるほど俺の唇は魅力的なのか。
薄暗い中、至近距離で見るサイラスの蒼い瞳は、取り込む光もないのに濡れたように光って見え、俺の心臓を刺してくる。

早く血迷えと言わんばかりに。
ぐらついてしまいそうになるのは俺の心が弱いんじゃない。サイラスが美し過ぎるからいけないのだ。誰だって綺麗なものが好きだろう?最終的な事を考えて男は無理だと結論を出した心も、天使の如く美しい人間にこんなにも熱烈に誘惑されたら、誰だってぐらつく筈だ。
例えそれが男でも、女でも。

息苦しくなりサイラスの背を拳で何度か叩くと、やっと唇と唇の間に隙間を開けてくれた。

「…はぁ…っ」

「アル…アル、可愛い私のアル…」

「…ンあ!」

似たような体躯の男に臆面も無くそんな事をよく言えるものだ。彼の目には俺がどんな風に見えているのだろうか。こうなるとそれが気になってくるな…。

そんな事を考えている間にも、この男は何度も俺の唇を啄んでくる。
やっと離れたと思ったのに、更に下に降りていくサイラスの舌。顎を舐められ、反らした喉仏に軽く歯を立てられて、そこから妙な痺れが広がった。ついでに変な声も出てしまう。

(な、何だこれ…。)

羞恥で顔が熱くなる俺の頬を、サイラスは両手で柔らかく挟むように囲って言った。

「アル。やはり君は私の傍にいるべきだ」

「……?」

今の流れで何故そうなるのだろうとは思ったが、肩で息をしていた俺には何も返せなかった。
サイラスの声は、優しく穏やかなのに、人が逆らえない圧を含む声だ。そして俺に向けられる時、それは常に甘さまで帯びていて…。
そうだ、確かに友愛にしてはあまりにも甘かった。

兆候は何年も前からあったじゃないか…。

俺は自分の迂闊さに後悔しながらサイラスに頬を舐め上げられた。


…どれほど走っただろうか。

外から男の声がサイラスを呼んだ。

「開けてよろしいでしょうか」

馬車の振動は止んでいた。何時から停まっていたのだろうか。
酸欠でぼやけた頭ではまともな思考が追いつかない。だから俺はただぼんやりと男の声を聞いていただけだったのだが、サイラスは違った。
乱れた俺の襟元を素早く直し、髪を手櫛で整えてくれ、その後自分の髪の乱れをささっと直して、その声に答えた。

「ああ、降りよう」

キリッとした声。流石の切り替えだと、俺は呆けたようにその様子を見つめる。

サイラスが返答を返してすぐに、外から馬車の扉が開けられた。開けたのは御者で、その横には初老の男性と、同じ年頃の女性。彼らの後ろにはお仕着せ姿の若い男が数人立っていた。

「アル。ネールの屋敷に着いたぞ」

「…ん」

どうやらここがサイラスの言っていた目的地・東ネールの別邸。今馬車の外に居る数人は、その屋敷を管理するのに使っている使用人達なのだろう。

「大丈夫か。無理をさせたかな」

「…そう思うならもう少し加減してくれ。初めてだったんだぞ」

そう言いながら彼の胸をドンと叩くと、サイラスはふっと笑いながらこう言った。

「奇遇だな、私もだ」

「えっ?」

その答えに驚いた俺は思わずサイラスの目を見た。

嘘だろう?

「だって…エリス嬢…」

「まさか。婚約が整った時、私も彼女もまだ十になったばかりだった。それから会うのは年に数回。12になる頃には彼女のお遊びが始まっていたし…。まあ、その事が無くとも、彼女は私の好みではなかったしね」

「あ、そう…」

「アルは私の好みドンピシャだ。理想そのまま。」

「……そうか…。」

国一番の美女をあっさり好みではないと切り捨て、俺を理想だと言い切るサイラス。
そうだな。お前の好みが俺って事なら、確かにエリス嬢は好みではないんだろう。しかし、俺が言うのも何だが、あまりに好みが奇抜過ぎやしないか。

俺は何だか痛々しい気持ちになって、じっとサイラスを見つめた。全てに於いてあまりにも人間離れして優れていると、何処かでこんな落とし穴があるのだな…。
好みが俺だなどと、可哀想に…。

それをどう解釈したのか、彼はトロンと笑みを深くして言った。

「何だ?そんな可愛い顔をして。さあ、降りて屋敷に入ろう。湖の傍の屋敷で景観が良いぞ。ん?足腰が立たない?大丈夫だ、抱き上げてやる。」

 そう。初めてなんて絶対嘘だと叫びたくなるような濃厚な口づけは、俺の腰を砕いていた。何なんだ。ハイスペックは生まれながらにあらゆる事でハイスペックなのか。初めから何でも人並み以上にできるのか。凡人の俺はハイスペックに翻弄されながら腰砕けで生きるしかないのか。

微妙に悔しいような気になり、キュッと下唇を噛む俺。解せぬ。

しかしそんな納得いかない気持ちなどお構い無しに、その後俺は本当にサイラスに抱き上げられた。そして使用人達の見守る中、屋敷の中に運ばれるという恥の上塗りを余儀なくされたのだった。


無念。








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