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さくらさくら
しおりを挟む咲き誇る桜をただ綺麗だと思えていたのはいくつまでだっただろうか。
左手に箒とはりみを持ち、右手で扉を開けた光也は、店の前の道を目にして溜息を吐いた。
店の前には桜並木が連なっている。
散り落ちて美しい絨毯になるのもほんのひととき。これが川面の上にでも落ちたのなら、流れゆくさまが風流なのだろうが、生憎とその小川は通りを挟んだ向こう側。こちら側には、人々に無惨にふみしだかれたあとの穢らしく汚れた花弁がアスファルトにへばりつき、見苦しい事この上ない。それが毎年、商いをしている店前の歩道で繰り広げられるのだ。
客商売だからと母はよくそれを気にして、客足の途切れたのを見計らってはマメに掃き掃除をしていたものだが、父母が交通事故で亡くなってからは、それは生業の酒屋と共に光也の仕事として引き継がれた。
もう2年、この時期には毎日、桜の花弁を箒で掃いている。掃いても掃いても風が吹けば舞い落ちてくる花弁を相手にするのは普段の店前掃除よりも遥かに手間のかかる作業で、うんざりだ。早く全ての花が終わってくれないだろうかと思ってしまう。
光也はこの春という季節が嫌いだ。そして、桜はもっと嫌いだ。
しかしそれは、先に述べた花弁掃除の事だけではなく、今まで光也の大切なものが失われるのがいつもこの季節だったからという理由もあった。
大好きだった祖母も、父も母も、大切な相棒だった猫も、可愛がっていた小鳥も、友人も、そして初めての苦すぎた恋も。
世の中がこぞって浮き足立つうららかな春は、光也にとっては呪いの季節なのだった。
(つまらない事を思い出してしまった)
自分の店の前だけを掃き浄め、集めた花弁をはりみに取り店内のゴミ箱に捨てた光也は、一旦手を洗いに店の奥の住居に入った。そして店に戻り、今度は店内清掃に取り掛かった。午前中の内に済ませておかなければ、今日は午後から配達がある。
カロンカロン、と店の出入口に取り付けられた竹製の呼び鈴が鳴った。
「いらっしゃい」
商品の陳列棚に端から順にはたきをかけていた光也は、音に反応してそう口にしながら振り返った。だが店の扉から入ってきた筈の客の姿は無く、光也は暫しその事に呆然としたが、すぐに我に返る。
「...あれ?」
確かに扉の開く音と鈴の音がしたのに、と光也は首を傾げた。
◇◇◇
どこか見覚えのあるような茶トラの猫が店に入って行ったように見えて、慶一は思わず指で目を擦る。
(見間違えか?)
考えてみればあの店の扉は自動ドアなんてものでは無く、猫が一匹で開けられるようなものではなかった筈だと思い出した。やはり気の所為だったのだろう。それに、あそこの猫は、5年も前に友人が看取ったのではなかったか...。
店のガラス越しに懐かしい友人の姿を認めて、慶一は小さく息を吐いた。
棚に並んだ酒瓶たちにはたきをかけている、細身の青年。その後姿にも、時折見える無表情な横顔には、あの頃の面影がそのまま残っている。
4年前、大学進学の為に見送られた新幹線のホームで、友人は慶一に、友情以上の想いを告げてきた。6年も胸に秘めていたという。生真面目で一途な彼らしいと、慶一は思った。だが友人は、玉砕覚悟だったからと言いながら告白の後すぐに走り去ってしまった。迫る出発時刻に追う事も出来ず、その時の慶一には為す術がなく...。その後どれだけ連絡を取ろうとしても、スマホは着拒、メッセージもブロック。連絡手段はあちらから一方的に断たれてしまった。
慶一の方にも事情があり、4年間地元に帰る事も出来なかった。内向的だった彼とは共通の友人も他に居らず、せいぜい地元の元同級生達から風の噂が流れてくる程度。
彼の家族の訃報も、知ったのは随分後だった。
すう、と息を吸い、吐き、それを何度か繰り返して息を整えた。友人に会うのは暫くぶりだ。緊張している。だがそれは、数年ぶりだからというだけの理由ではない。
4年前に出す事を許されなかった、友人への答えはまだ間に合うだろうか。
とうに固めてきた筈の決意を固め直すように、慶一は目を閉じ、ゆっくりと開いてから頷いた。
(もしも、とっくに彼が俺を諦めていても、他の誰かが傍に居ても、きっともう一度振り向かせてみせる。そして今度は、今度こそは...)
あの華奢な背中を抱きしめて、今度は逃がさずに自分の想いを告げる。
そして、願わくばこの先の人生を傍で支えていきたいと伝えるのだ。
慶一は姿勢を正し、まっすぐに店の扉を見つめ、歩み寄っていく。そして、少し重い、古びた扉を押した。
後ろから風が吹き、頭上の桜の木からひらひらと舞い落ちてきた花弁の内の1枚が、静かに慶一の肩に乗った。
光也が苦さに泣いて忘れようとしていた恋を再び、白い小さな花弁が運んでくるまで、あとほんの数歩。
春の呪いの解けた来年の桜は、きっとまた美しい。
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