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20 優しいキスが潤す心

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その夜から2週間後、千道が帰国した。

俺が莉乃を保育園に迎えに行く時間になってマンションを出ると、そこに見覚えのある車が停まっていた。

千道の車だ。

後部座席のドアが開き、千道が中から身を乗り出して俺を呼んだ。

「咲太さん。」

「…千道…さん。」

千道は少し痩せたようにみえたが、元気そうにニコニコ笑って、乗ってくださいと俺を促した。

「莉乃ちゃんのお迎えでしょ?園まで送ります。」

「ありがたいけど、嵐くんは?」

「一緒に一時帰国した義兄と家にいます。疲れて寝てしまっていて。」

「そうか。元気なのかな。」

「元気ですよ。ずっと莉乃ちゃんに会いたいと言ってます。」

「そうか、良かった。」

俺は千道の横に乗り込みながら、本当は、帰って来たら真っ先に言おうと思っていた言葉があったのにと思い出した。


「おかえり。」

千道は少し目を見張り、直ぐに相好を崩して答えた。

「ただいま、咲太さん。」

その笑顔を見ると、俺は胸がぎゅっと掴まれたように苦しくなり、なのに嬉しさでいっぱいになる。

これはトキメキというやつなのでは…?

そう自覚してしまうと千道の甘い面立ちも、俺に向けられる慈しみに満ちた、なのに熱い瞳も、嬉しくて堪らなくなる。

嬉しいけれど、気恥しい。

昔、βだった頃に付き合っていたカノジョ達にさえ、こんなに気持ちが持っていかれた事はなかった。


「触れても?」

千道は俺に触れる前、必ずそう聞いてくる。
俺を尊重してくれているその慎重さが、今となってはもどかしい。
俺は自分から千道の手に触れた。

「俺達、どういう関係なんでしたっけ。」

問いかけた言葉に、千道の王子様然とした顔が見る間に赤くなっていく。

「…こ、恋、人…です。」

俺はにこりと微笑んで、両手で千道の左手を持ち上げて、その手の甲に唇を落とした。

「その通りです。
俺は貴方を受け入れました。

なら、この次は?」

言い終わる前に千道の腕が背に回って、抱きしめられて唇を重ねられた。

性急なのに、優しくて、柔らかな、しっとりと染み入るようなキスだった。
何処かにまだ、俺への気遣いを残す、触れて密着するだけのくちづけ。

それなのに俺の胸がには暖かさが広がって、満たされた。
胸の中に広がっていた暗雲も頭の中にかかっていた靄も、一気に晴れたように感じる。

そして千道の胸に顔を埋めた時、わかった。
そうか、この男のいなかった1ヶ月、俺はとても不安で寂しかったのだ。
こうしているだけで与えられる揺るぎない安心感に、そう、自覚せざるを得なかった。


そして思った。


俺の太陽は、帰ってきたのだと。







嵐くんは翌日から再び保育園に通い出した。

朝、莉乃を送りに行くと、千道と細身の綺麗な男性が一緒に園長先生と話していた。
その男性の黒目がちな目を持つ面差しは嵐くんとよく似ていて、一目で親子だとわかる。
この人が嵐くんを産んだ人で、千道のお兄さんの番なのか。

一見華奢にも見えるスーツ姿の男性は、なるほどこれがΩという種なのか、と思わせるような美貌だった。
であるのに、何故かΩ特有の筈の、頼りない雰囲気は全くなかった。何と言うか…強い。圧が強い。気の所為かな…。

俺に気づいた千道は、直ぐに笑顔で手を振って来て、隣の男性も俺を見た。
ドキリとした。正面顔、すごい美人。

「おはようございます。今日もよろしくお願いします。」

保育士にそう言って莉乃を託すと、園長先生との話を終えたらしい千道と、隣の彼が一緒に俺に近づいてきた。
ちょ、眩しい…この2人、眩しい。

「咲太さん、おはようございます!」

「おはよう、昨夜は眠れたかな。」

「咲太さんを補給できたからバッチリです!!」

「え、お、おい…。」

隣の彼に聞かれているのにあまりに堂々と言う千道に戸惑っていると、その人が口を開いた。

「初めまして、千道 由人です。嵐の母です。」

「初めまして、峯原 咲太です。千道君には何時も何時もお世話に…。」

綺麗な落ち着いたテノール。やはり、と思い会釈をしながら俺も名乗る。

由人さんは興味深そうに俺を観察しているようだった。

「聞いてます、やっと付き合ってもらえたと、大はしゃぎされたので。」

笑顔でそんな事を言われて顔から火が出そうだ。
周りには子供を送ってきたママ友達がぼちぼちいるのに聞かれてしまうんじゃないかとハラハラした。

しかし…


「えっ、やっと付き合うの?」

「アレ克服したの?おめでとう~!」

「えっ、なっくんとうとう口説き落としたの?
ガッツあるよねマジで。」


そんな事を口々に言いながら通り過ぎていくママ友達。

「…なっくん?」

「あ、俺です。名城だからなっくん。」

「……へ、へえ…。」

知らなかったよ、そんな風に呼ばれてたのも、俺達の関係性が知られてたのも…。


「で、番契約と入籍はいつ頃のご予定で?ウチはもう、いつでも大歓迎なんで。
お仕事、エンジニアなんですってね。即戦力…。

名城、良い人捕まえてくれたな…お手柄だ。後で小遣いをやろう。」

「ちょ…義兄ちゃん、やめて…。咲太さんは疲れた義兄ちゃんのサポート社員候補じゃないからね。小遣いとかいつ迄子供扱い…?
やっとOKもらえたのに逃げられたら一生恨むから。」


義兄ちゃん。

何か呼び方からしてイメージと違った。
こっちが肉親の方の兄みたいじゃん…。
俺が言うのも何だけど、Ωってこんな感じだっけ?感がすごい。お兄ちゃん感がすごい。
見た目と中身の漢臭さとのギャップがすごい。

「…あは…よ、よろしくお願いします…おいおいで…。」

「少しお時間あります?
是非とも千道家に入るメリットをお伝えしたい。」

「義兄ちゃん??!
やめて!!!
咲太さん逃げて!!!」



しかしその後、断りきれず、近くのカフェで一時間お茶した。
千道は俺の隣でずっとヒンヒン泣きべそをかいていた。

千道家内のパワーバランスがめちゃめちゃわかった日だった。

由人さん、面白。



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