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16 それからの話

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 俺と西谷が家の門を出ると、近くに待機していた車が滑るように出て来て目の前に停まった。 運転席には犀川さん。
 見送りは、迎えに出てきた中年の家政婦だけだった。さっきと違って無表情だったが、何処かホッとしたような様子に見えたのは何故だろう。
 車が発車して、少し走ったところで振り返ってみたら、まだ家の前に立ってて、小さく手を振ってくれていた。俺が振り返るなんて、思ってなんかいないだろうに。

 彼女も、俺の処遇に対して思うところがあったのかもしれない。只、主である父には、俺に構うなと命令されていたんだろう。
 俺が誰かと番になって家を出た事を、静かに喜んでくれているのかなと、そう感じた。

 しかし正直、こんなに短期決戦で帰れるとは思ってなかった。幾ら西谷が高位‪α‬だといっても、年齢は年齢だ。絶対に舐められるし、父は‪α‬にありがちな高圧的且つ支配的な人だから、簡単には帰れないのではないかと。
 俺の事でとは言わずにアポを取ったのは、西谷にすれば、理論武装の準備をさせずそれに関する根回しの時間を与えない為の奇襲のつもりだったんだろうか。

 住宅街を抜けて大通りを走り始めると、車窓からの景色は流れるように変わり始めた。

「坊ちゃん、首尾は?」

「上々だ」

「そいつはようございました」

 犀川さんは小さく頷いて、また運転に戻る。気にしてくれてたんだろうな。車の中で気を揉ませてしまったかも。

「信貴沢さんって、誰?」

 聞いたような名前の気もする。でも、思い出せなかった。珍しい名前なのに。

「父の古い友人だ。…まあ、そっちも大っぴらには出来ないらしいが」

 西谷が答えてくれて、俺の肩を抱く。

「お父さんは何だか複雑な立場なんだな」

「…孤独な人だ。人は生まれを選べないからな」

 西谷は寂しそうな横顔でそんな事を口にする。人は生まれを選べない。西谷がよくそんな言葉を口にするのは、自分の事というよりお父さんの事があるからのような気がした。

「父は、生き辛い立場の人だ。望んだ訳ではなかったが、父がその立場を蹴る事で犠牲になる人達が多く居た。だから、甘んじるしかなかった。
それでも一度は母の為に家を捨てようとしたが、上手くはいかなかった」

「…そうだったのか」

「だから、俺と母を守る為に、自分とは切り離している。学生時代から親しい友人達も、大切な人程、表向きは離れている。
だが、愛してくれているのはわかる。情の深い人だ」

「そっか。何時か、お会いしてみたいな」

 大体は、わかる。きっと西谷の父親は、裏社会の人間なんだ。それも、かなりの地位にいるような。だから出来る事と、だからこそ出来ない事がある。
 表社会で地位のある人間程、関わり合いがある事を知られてはならないと自分から距離を置いているんだろう。

 あくまで憶測に過ぎない。でも、それは限りなく真実に近いのではないかと、俺は考えている。

「そうだな、その内会えるだろう。余と番になった事を報せたら、とても喜んでいた」

「そっか。良かった」

 離れていても温かい情を感じられる家族もいれば、同じ屋根の下に暮らしていても情の通い合わない家族もいる。
 俺は西谷の肩に頭を預けながら、目を閉じた。







 俺が完全に西谷の家に居を移してから数週間の内に、西谷は大学進学の為に家を出て、用意していた大学近くのマンションに移り住んだ。俺も一緒に引越しの手伝いに行ったけど、犀川さんの車で帰って来る時、ずっとグズグズ泣いてしまった。
 まあでも泣いたのはあの1回だけだ。あんまりメソメソするのも性に合わない。

 俺は西谷 余となって、西谷家から高校に通い、卒業した。卒業式には犀川さんとばあやと憂里さんが来てくれて、写真を撮って帰ろうとした時に西谷が現れて、西谷を知る在校生達も卒業生達も驚いていた。俺が西谷の番になってた事は知られていたから、西谷が卒業して俺が1人になってもちょっかいをかけてくる輩はいなかった。虎の威を借るではないけれど、面倒事は御免だから助かったと思ってる。高位‪α‬の旦那様々だ。
 そうして無事卒業して、夜は卒業のささやかな祝いをしてくれた。それから1週間ばかりを久々に皆で過ごしてから、俺は西谷に着いて1年間暮らした西谷の家を出た。西谷のマンションで、一緒に住む為だった。
 俺は進学ではなく、西谷を傍で支える事を選んだ。
 その為に高三の1年間で、犀川さんに料理を始めとした家事を習った。まあ、俗に言う花嫁修行ってところだろうか。憂里さんと買い物に行ったりするのも、お茶をするのも楽しかった。
 たった1年で、西谷家はすっかり俺の家になった。
 人間、血ではないらしい。温かい人は、どんな関係でも温かい。
 仁藤の家からは、あれ以来音沙汰は無い。それで良い。血縁があるからと不毛な関係を続ける理由は無いのだから。向こうに俺が余計者だったように、俺には不要な人達だった。
 俺をあれ程に冷遇した両親の、本当の胸の内はわからないし、今更知りたくもない。俺には義母である憂里さんが母で良い。
 時折、気軽に帰れる温かい家が出来た事が、ばあやを訪れる事が出来るようになった事が、只、嬉しい。

 西谷は大学卒業後、そのまま此処で就職した。何れは憂里さん達の待つ西谷の家に帰るつもりだが、もう少し2人きりの生活を楽しみたいという、西谷にしては浮ついた理由だった。西谷は俺にデレデレなのだ。

 俺も社会を経験してみようと始めたバイト先で、中学時代のヤンチャ仲間とも再会できた。どうやら祖母さんと引っ越して来ていたらしい。
 可愛い顔して相変わらずヤンチャな奴だが、猫を被る事を覚えていて驚愕した。
 …まあ、奴も色々あったらしい。

 高2のあの日を境に、全てが変わっていった。
先の見えなかった俺の未来に西谷という光が射した。
灰色だった日々に色がついた。
余りものの、不要な存在の筈の俺を、たった1人の人のかけがえの無い存在だと言ってくれた。

 西谷の真っ直ぐな愛が俺を満たしてくれたから、俺は今、此処に居る。




「すまん、余。ちょっと原田を殴りに行ってくる」

「え、えっ、嘘だろ、今から?」

 再会した友人に紹介した、西谷の昔の友人が、とんでもない事をしてくれた。そのとんでもない友人が、人伝てに知られる前にと自己申告で電話してきて、夜も遅いと言うのに我が旦那様は大層ご立腹だ。

「余の大事な友達を傷つけるような奴は友人でも何でもない。今自宅らしいから行ってくる」

「えぇえ、嘘だろ…23時過ぎてんだよ?今度にしたら?」

「風悠君の悲しみに今度もクソもない。行ってくる」

「あ、はい。気をつけて」

 こうなると頑固者の西谷は聞かない。特に、俺に関わる事になると、余計に。

 仕方ないので黙ってマンションのベランダから、下のガレージから出ていく車を見送る。

(明日、風悠って出勤だっけ?)

 気の強い奴だけど、涙脆くて優しいとこもある、あの頃の俺を受け止めてくれた、大切な友達。同じΩのやり切れなさを、分かちあった。
 そんな奴を傷つけた‪α‬、俺だって今度殴りに行こうと思ってたから、西谷が殴りにいくならちょうど良かった。

「今度は、ちゃんとした‪α‬を見つけてやらないとなあ」

 ベランダから車通りも少なくなった車道を見下ろして、そう呟いた。

 そんな事のあった数日後、

『…なんか…番、できた…』

なんて電話を件の友達から受ける事になるとは、全っ然想像もしていなかった。


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