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第3章 ウワサの行方(ゆくえ)
30、近衛騎士の落とし物<前>
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下手な刺繍と聞いて、マーガレットの脳裏に思い浮かんだのは、自分のことだった。
病床の実母から基本のステッチをいくつか教えてもらい、初めて刺繍したものが、同じイチゴだったからだ。
いつも蒼白い顔をして寝込んでいる母親に完成した作品を見せると、この時だけ頬を紅く染め、目を輝かせてマーガレットをたくさん褒めてくれたので、この後、廊下ですれ違った従兄弟たちにも、自慢げに刺繍を見せたところ、「てんとう虫?」と微妙な顔をして言われたのも同じだった。
イチゴの刺繍に失敗すると、てんとう虫に見えるのはやっぱり本当だったのね
マーガレットは従兄弟たちに、今更ながら心の中で謝罪した。
なぜなら、従兄弟たちの刺繍への評価に、失礼な!と怒ったマーガレットは、従兄弟たちの足を踏んづけて、自分の部屋へプンプンしながら帰ったのも、続けて思いだしたからだ。
今思えば、赤の丸い物体に黒いブツブツがついている歪な物は、外遊びが好きな男の子なら、尚更、昆虫であるてんとう虫と思うほうが自然よね
イチゴのヘタもちゃんと刺繍したけれども、ソレって、てんとう虫が葉っぱにとまっているように見えたかもしれないし
でも、なんで私、イチゴを刺繍することにしたんだろう?
食べる手を止めて、しばらくぼんやりと記憶の海を漂っていたマーガレットだったが、隣のテーブルの1人が、「ヤバっ!早く食べないと意外と時間ないよ!」と仲間に告げたのをキッカケに、マーガレットもハッと我に返り、目の前の食事を終わらせることに集中した。
それから数日後。
さあ、今日はどの道を行こうかしら?
午前中の仕事を終え、食堂に向かっていたマーガレットだったが、目の前にある3ルートの岐路で一度立ち止まり、腕込みをして考えていた。
今日はちょっとしたトラブルがあったせいか、いつもよりかなり遅い時間になってしまい、食堂に向かう人も格段に少ない。
下級官吏食堂に辿り着くまでには、この道のまま、真っ直ぐ行く直線ルート、左手の角を曲がる左ルート、または、右手の角を曲がる右ルートの3つがあった。
こうして、マーガレットが悩んでいるのには、もちろん理由がある。
そう……エドワード様と会う確率が最も高いのが、この食堂前だからだ。
そして、ここで会うエドワード様は、必ず落とし物をされるので、エドワード様がよく落とし物をすることは、実体験として、マーガレットは既に知っていた。
目撃するマーガレットが分かったのは、ヒラヒラしたものというだけで、今までエドワード様が何を落としているのかまでは正確には分からず、先日の食堂で隣のグループから聞いて、ようやくその正体を知ったのであった。
なぜマーガレットが、落とした物の正体だけが分からなかったのかというと……。
やっぱり来た!
今日も前方からエドワード様がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた……ちなみに今回のマーガレットは、右ルートを選んでいる。
3分の1の確率なのに、なぜいつもエドワード様は当ててくるの?
マリコさんが言ってた「はいすぺ」だから?
まだまだエドワード様との距離はかなりあるので、マーガレットも心の中で唸りながら考える余裕もあったが、次に予想される落とし物イベントに備えて、少し歩く速度を緩めて警戒体制に入った。
そんな細かい微調整を続けていくうちに、背が高いエドワード様は脚も長いので、踏み出す一歩も大きく、あっという間にマーガレットの方へ、さらに近づいてくる。
自分の顔筋が面倒だ!とばかりに、段々と歪んでいくのをマーガレットは自覚し……さすがに上級官吏のエドワード様に、そんな表情を向けるのは失礼に当たるので、マーガレットは慌てて顔を伏せた。
そんなコトをしているうちに、とうとうエドワード様との距離が、目前に迫ってくる。
いくら色効果で締まって見える紺の制服に包まれているとはいえ、直接目に入ってきた、エドワード様の脚線美は、今日も惚れ惚れする。
いやいやマーガレット、脚に見惚れている暇はないのよ!
俯いた自分の視界に、エドワード様の御御足が入ってきたということは、イベントが近いんだから!!
マーガレットは小さな声でそう呟くと、あらためて気を引き締め直し、心の中でカウントダウンを始めた。
5秒前、3・2・1……
このタイミングで、真横に並んだエドワード様から、ヒラヒラヒラ~っと軽い物体が解き放たれ、マーガレットの目にスローモーションで映った……その時、
「はい!103番行きます!!」
凛とした声と共に、エドワード様のはるか後方から、すごい勢いでこちらに向かう人影が見えた。
その速度、もはや人ではない……狙いを定めた魔獣だ。
キタ~~~ッ!
マーガレットは実際に声を出さぬよう、自分の口を片手で塞ぎながら、自身の胸の中だけで大声で叫ぶと、人影との正面衝突を避けるため、咄嗟に右側の壁に張り付いた。
ズササササ~~~っ
優雅に空中を舞ってふんわりと着陸しようとしたヒラヒラを、103番さんがスピードを緩めず、頭から床へ突っ込んで、鼻息を吹きかけながら着陸を遅らせ、間一髪で手に収める。
それから何事もなかったように立ち上がった103番さんは、エドワード様の横に立つと、両手の平にヒラヒラを大切そうに乗せて、エドワード様に差し出した。
「おっ、おっ、落とし物です」
あっ、緊張のあまり噛んだ、103番さん
この場面にて、もはや観客となったマーガレットは、自身の存在が無粋にもこの寸劇を壊さぬよう、相変わらず口を片手で塞ぎ、身体を壁に張り付かせたまま、マリコさんから教わった「しのび」のごとく気配を消し、だが観客として冷静な判断を下した。
「感謝する」
エドワード様は、103番さんにお礼を言って、差し出されたヒラヒラを受け取ると、壁に張り付いたままのマーガレットと目線を合わせて、一瞬だけフッと表情を緩めると、すぐ無表情に戻り、何事もなかったかのように立ち去っていった。
「今回は、ファンクラブナンバー103が務めさせていただきました。
ありがとうございました」
そんなエドワード様の去り行く背中に向かって深々とお辞儀をした103番さんと、片手で口を塞ぎ、毛虫のように壁に張り付いたままの観客マーガレットを、いつものように残したまま。
病床の実母から基本のステッチをいくつか教えてもらい、初めて刺繍したものが、同じイチゴだったからだ。
いつも蒼白い顔をして寝込んでいる母親に完成した作品を見せると、この時だけ頬を紅く染め、目を輝かせてマーガレットをたくさん褒めてくれたので、この後、廊下ですれ違った従兄弟たちにも、自慢げに刺繍を見せたところ、「てんとう虫?」と微妙な顔をして言われたのも同じだった。
イチゴの刺繍に失敗すると、てんとう虫に見えるのはやっぱり本当だったのね
マーガレットは従兄弟たちに、今更ながら心の中で謝罪した。
なぜなら、従兄弟たちの刺繍への評価に、失礼な!と怒ったマーガレットは、従兄弟たちの足を踏んづけて、自分の部屋へプンプンしながら帰ったのも、続けて思いだしたからだ。
今思えば、赤の丸い物体に黒いブツブツがついている歪な物は、外遊びが好きな男の子なら、尚更、昆虫であるてんとう虫と思うほうが自然よね
イチゴのヘタもちゃんと刺繍したけれども、ソレって、てんとう虫が葉っぱにとまっているように見えたかもしれないし
でも、なんで私、イチゴを刺繍することにしたんだろう?
食べる手を止めて、しばらくぼんやりと記憶の海を漂っていたマーガレットだったが、隣のテーブルの1人が、「ヤバっ!早く食べないと意外と時間ないよ!」と仲間に告げたのをキッカケに、マーガレットもハッと我に返り、目の前の食事を終わらせることに集中した。
それから数日後。
さあ、今日はどの道を行こうかしら?
午前中の仕事を終え、食堂に向かっていたマーガレットだったが、目の前にある3ルートの岐路で一度立ち止まり、腕込みをして考えていた。
今日はちょっとしたトラブルがあったせいか、いつもよりかなり遅い時間になってしまい、食堂に向かう人も格段に少ない。
下級官吏食堂に辿り着くまでには、この道のまま、真っ直ぐ行く直線ルート、左手の角を曲がる左ルート、または、右手の角を曲がる右ルートの3つがあった。
こうして、マーガレットが悩んでいるのには、もちろん理由がある。
そう……エドワード様と会う確率が最も高いのが、この食堂前だからだ。
そして、ここで会うエドワード様は、必ず落とし物をされるので、エドワード様がよく落とし物をすることは、実体験として、マーガレットは既に知っていた。
目撃するマーガレットが分かったのは、ヒラヒラしたものというだけで、今までエドワード様が何を落としているのかまでは正確には分からず、先日の食堂で隣のグループから聞いて、ようやくその正体を知ったのであった。
なぜマーガレットが、落とした物の正体だけが分からなかったのかというと……。
やっぱり来た!
今日も前方からエドワード様がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた……ちなみに今回のマーガレットは、右ルートを選んでいる。
3分の1の確率なのに、なぜいつもエドワード様は当ててくるの?
マリコさんが言ってた「はいすぺ」だから?
まだまだエドワード様との距離はかなりあるので、マーガレットも心の中で唸りながら考える余裕もあったが、次に予想される落とし物イベントに備えて、少し歩く速度を緩めて警戒体制に入った。
そんな細かい微調整を続けていくうちに、背が高いエドワード様は脚も長いので、踏み出す一歩も大きく、あっという間にマーガレットの方へ、さらに近づいてくる。
自分の顔筋が面倒だ!とばかりに、段々と歪んでいくのをマーガレットは自覚し……さすがに上級官吏のエドワード様に、そんな表情を向けるのは失礼に当たるので、マーガレットは慌てて顔を伏せた。
そんなコトをしているうちに、とうとうエドワード様との距離が、目前に迫ってくる。
いくら色効果で締まって見える紺の制服に包まれているとはいえ、直接目に入ってきた、エドワード様の脚線美は、今日も惚れ惚れする。
いやいやマーガレット、脚に見惚れている暇はないのよ!
俯いた自分の視界に、エドワード様の御御足が入ってきたということは、イベントが近いんだから!!
マーガレットは小さな声でそう呟くと、あらためて気を引き締め直し、心の中でカウントダウンを始めた。
5秒前、3・2・1……
このタイミングで、真横に並んだエドワード様から、ヒラヒラヒラ~っと軽い物体が解き放たれ、マーガレットの目にスローモーションで映った……その時、
「はい!103番行きます!!」
凛とした声と共に、エドワード様のはるか後方から、すごい勢いでこちらに向かう人影が見えた。
その速度、もはや人ではない……狙いを定めた魔獣だ。
キタ~~~ッ!
マーガレットは実際に声を出さぬよう、自分の口を片手で塞ぎながら、自身の胸の中だけで大声で叫ぶと、人影との正面衝突を避けるため、咄嗟に右側の壁に張り付いた。
ズササササ~~~っ
優雅に空中を舞ってふんわりと着陸しようとしたヒラヒラを、103番さんがスピードを緩めず、頭から床へ突っ込んで、鼻息を吹きかけながら着陸を遅らせ、間一髪で手に収める。
それから何事もなかったように立ち上がった103番さんは、エドワード様の横に立つと、両手の平にヒラヒラを大切そうに乗せて、エドワード様に差し出した。
「おっ、おっ、落とし物です」
あっ、緊張のあまり噛んだ、103番さん
この場面にて、もはや観客となったマーガレットは、自身の存在が無粋にもこの寸劇を壊さぬよう、相変わらず口を片手で塞ぎ、身体を壁に張り付かせたまま、マリコさんから教わった「しのび」のごとく気配を消し、だが観客として冷静な判断を下した。
「感謝する」
エドワード様は、103番さんにお礼を言って、差し出されたヒラヒラを受け取ると、壁に張り付いたままのマーガレットと目線を合わせて、一瞬だけフッと表情を緩めると、すぐ無表情に戻り、何事もなかったかのように立ち去っていった。
「今回は、ファンクラブナンバー103が務めさせていただきました。
ありがとうございました」
そんなエドワード様の去り行く背中に向かって深々とお辞儀をした103番さんと、片手で口を塞ぎ、毛虫のように壁に張り付いたままの観客マーガレットを、いつものように残したまま。
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