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実力で這い上がるわ
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3人がやって来たのはザスター商会の事務所である。
数多くある商会の中ではまだ規模は小さく、ひとりで運営しているようだ。
その部屋に入るとそこはまるで物置のような汚部屋だった。
その惨状を見たエマが悲鳴じみた声を上げた。
「ひえっ……いつから掃除していないんですか?」
「1年以上は放置しているだろうな」
「こんなところにリエルさまをお連れするなんて……」
エマはあからさまにいやな顔をする。
「大丈夫。リエルがやるべきことは取引相手と交渉をすることだ」
「それが仕事?」
リエルが訊ねるとグレンは笑顔でうなずいた。
「そう。君にはとある人物の営業補佐をしてもらいたい」
「営業なんてしたことないわ」
「そうだろう。でもやってみればいいよ」
グレンはリエルに外で待機させて自分は汚部屋に入り、本棚から分厚い書物を取り出して持ってきた。
「取引先の顔と名前を覚えて。仕入先と顧客と、分けて記してある。相手の性格も見極めるんだ。できる?」
リエルはグレンに渡された名簿をパラパラめくって確認した。
「結構あるわね。でも、できないことはないわ」
「君ならそう言うと思った」
グレンはにっこり笑って言った。
そして、グレンはエマに目を向ける。
「それから君にはこの部屋の掃除と主人の食事の準備をお願いしたいんだけど?」
「え? 本当ですか! はい、やります!」
久しぶりに仕事を与えてもらったエマは目をキラキラさせた。
「ここの主人がろくに食事をしないから心配でね」
「お任せください! ああ、やっと仕事ができる!」
エマは張り切って腕まくりをした。
するとそこへ、ちょうど主人である人物が戻ってきた。
りんごとパンの入った紙袋を抱えた眼鏡をかけた青年だった。
「あああっ! グレンさま、先にいらしていたんですね!」
「彼がこの汚部屋の主人だ」
グレンが青年に手のひらを向けてリエルたちに紹介すると、彼は憤慨した。
「汚部屋って、ひどい! ほんとのことですが……」
「彼はカイル。ザスター男爵家の三男だ。彼の兄が俺の護衛を務めている縁でね」
カイルが慌ててリエルに頭を下げると、りんごがころんと転がった。
リエルはそのりんごを拾って彼に手渡しながら挨拶をする。
「はじめまして。リエルです」
「は、はじめまして……どうぞ、よろしくお願いします!」
カイルはふたたび頭を下げた。
聞けばカイルは事業を起こし、このザスター商会を立ち上げたものの、いまいち軌道に乗らないようだ。
「彼の目利きは素晴らしいのだが、毎回ライバルに取られてしまうんだよね」
「いやあ、面目ないです」
カイルは複雑な表情で苦笑する。
エマは掃除をしていい箇所と触れてはいけない物などをカイルに確認する。
ふたりが汚部屋で話しているあいだ、グレンがリエルに話しかけた。
「本当はお姫さまの暮らしをさせてあげてもいいんだけど、君はじっとしている性分じゃないだろ?」
「そうね。何もしないのはかえってストレスだわ」
「それに商人に顔を広めるのは悪くない。人脈ができるからね」
「あ、私に後ろ盾がないから……?」
リエルはグレンが何をしたいのか悟った。
他国の貴族の名を名乗ってもこの国では通用しない。ましてや追い出された令嬢とあっては誰も相手をしないだろう。
この国で生きていくにはまず自分で自分を売り込まなければならない。
「君の噂が広まればやがて社交界にその名が届く。君を紹介するのはそれからでもいいかなと」
「たしかに、今あなたの婚約者と言ってもバカにされるだけだわ」
グレンはにやりと笑みを浮かべた。
「実力で這い上がって来い」
「ええ、もちろんよ」
リエルは力強い笑みを返した。
しかし、ふと疑問に思うのである。
(あら……? うまく乗せられてやる気にさせられたけど、あくまで婚約者のふりなのよね?)
とは言え、ふりをするにもやはり社交界で名を知られなければならない。
たとえ演技でもしっかり基盤は作っておくということだろうか。
首を傾げるリエルをよそに、エマは仕事を与えられて張り切っていた。
(まあ、いいわ。ここで生きていく力を身につける必要はあるもの)
リエルは深く考えるのをやめて、とりあえず目の前の仕事に専念することにした。
数多くある商会の中ではまだ規模は小さく、ひとりで運営しているようだ。
その部屋に入るとそこはまるで物置のような汚部屋だった。
その惨状を見たエマが悲鳴じみた声を上げた。
「ひえっ……いつから掃除していないんですか?」
「1年以上は放置しているだろうな」
「こんなところにリエルさまをお連れするなんて……」
エマはあからさまにいやな顔をする。
「大丈夫。リエルがやるべきことは取引相手と交渉をすることだ」
「それが仕事?」
リエルが訊ねるとグレンは笑顔でうなずいた。
「そう。君にはとある人物の営業補佐をしてもらいたい」
「営業なんてしたことないわ」
「そうだろう。でもやってみればいいよ」
グレンはリエルに外で待機させて自分は汚部屋に入り、本棚から分厚い書物を取り出して持ってきた。
「取引先の顔と名前を覚えて。仕入先と顧客と、分けて記してある。相手の性格も見極めるんだ。できる?」
リエルはグレンに渡された名簿をパラパラめくって確認した。
「結構あるわね。でも、できないことはないわ」
「君ならそう言うと思った」
グレンはにっこり笑って言った。
そして、グレンはエマに目を向ける。
「それから君にはこの部屋の掃除と主人の食事の準備をお願いしたいんだけど?」
「え? 本当ですか! はい、やります!」
久しぶりに仕事を与えてもらったエマは目をキラキラさせた。
「ここの主人がろくに食事をしないから心配でね」
「お任せください! ああ、やっと仕事ができる!」
エマは張り切って腕まくりをした。
するとそこへ、ちょうど主人である人物が戻ってきた。
りんごとパンの入った紙袋を抱えた眼鏡をかけた青年だった。
「あああっ! グレンさま、先にいらしていたんですね!」
「彼がこの汚部屋の主人だ」
グレンが青年に手のひらを向けてリエルたちに紹介すると、彼は憤慨した。
「汚部屋って、ひどい! ほんとのことですが……」
「彼はカイル。ザスター男爵家の三男だ。彼の兄が俺の護衛を務めている縁でね」
カイルが慌ててリエルに頭を下げると、りんごがころんと転がった。
リエルはそのりんごを拾って彼に手渡しながら挨拶をする。
「はじめまして。リエルです」
「は、はじめまして……どうぞ、よろしくお願いします!」
カイルはふたたび頭を下げた。
聞けばカイルは事業を起こし、このザスター商会を立ち上げたものの、いまいち軌道に乗らないようだ。
「彼の目利きは素晴らしいのだが、毎回ライバルに取られてしまうんだよね」
「いやあ、面目ないです」
カイルは複雑な表情で苦笑する。
エマは掃除をしていい箇所と触れてはいけない物などをカイルに確認する。
ふたりが汚部屋で話しているあいだ、グレンがリエルに話しかけた。
「本当はお姫さまの暮らしをさせてあげてもいいんだけど、君はじっとしている性分じゃないだろ?」
「そうね。何もしないのはかえってストレスだわ」
「それに商人に顔を広めるのは悪くない。人脈ができるからね」
「あ、私に後ろ盾がないから……?」
リエルはグレンが何をしたいのか悟った。
他国の貴族の名を名乗ってもこの国では通用しない。ましてや追い出された令嬢とあっては誰も相手をしないだろう。
この国で生きていくにはまず自分で自分を売り込まなければならない。
「君の噂が広まればやがて社交界にその名が届く。君を紹介するのはそれからでもいいかなと」
「たしかに、今あなたの婚約者と言ってもバカにされるだけだわ」
グレンはにやりと笑みを浮かべた。
「実力で這い上がって来い」
「ええ、もちろんよ」
リエルは力強い笑みを返した。
しかし、ふと疑問に思うのである。
(あら……? うまく乗せられてやる気にさせられたけど、あくまで婚約者のふりなのよね?)
とは言え、ふりをするにもやはり社交界で名を知られなければならない。
たとえ演技でもしっかり基盤は作っておくということだろうか。
首を傾げるリエルをよそに、エマは仕事を与えられて張り切っていた。
(まあ、いいわ。ここで生きていく力を身につける必要はあるもの)
リエルは深く考えるのをやめて、とりあえず目の前の仕事に専念することにした。
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