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53、もう怖いものなどないわ
しおりを挟むイレーナの必死の訴えにヴァルクは戸惑っている。
彼の目にはイレーナがずたぼろに映っているのだ。
それもそのはず、イレーナは鞭で打たれただけでなく、髪の毛も乱雑に切り落とされてしまっているのだから。
「お前をこんな目に遭わせた奴らを許せない」
「個人的な感情は、今は抑えてください。まず、首謀者を捕らえるのです」
「それならもう済んだ。スベイリ―侯爵は捕らえてある」
「いいえ。もうひとりいます」
「お前……」
ヴァルクがハッとしたような顔つきになったので、イレーナは彼もわかっているのだろうと思った。
口には出せない。
もっとも信頼する騎士が裏切ったのだから。
「傭兵たちは暴れたくてたまらないでしょう。あなたならきっと叩き伏せることができるでしょうが、血を流さずに解決できる方法を模索してください」
「イレーナ、一度戦が起こったらそう簡単に止めることは……」
「まだ起こっていません! どうか、少しは頭を使ってください!」
呆気にとられるヴァルクを見て、イレーナはもうどうにでもなれと思った。
皇帝相手にとんでもなく無礼な発言をしているのだ。
しかし、つい先ほどまで命を失うところだった。
今さら怖いものなどない。
「女が戦のことを語るとはな」
ヴァルクはふっと笑いを洩らした。
イレーナは真剣な表情で話す。
「私の中では情勢や商売の話をするのに男も女も関係ありません。私の母は、女は着飾ってお茶でも飲んでいればいいという考えを持つことを嫌っておりましたので」
ヴァルクはぎゅっとイレーナを抱きしめる。
イレーナは胸に抱かれてどきりとした。
「あ、あの……生意気なことを申しまして」
「いや、だからこそ俺は自ら願ってお前を妻にしたんだ」
「えっ……」
ヴァルクの腕にぎゅっと力が入る。
そのせいでイレーナは背中の傷にずきりと痛みが走った。
「い、いたたっ……」
「ああ、悪い……くそっ、服が破れるほど鞭打ちしやがって」
ヴァルクがふたたび怒りの表情になるので、イレーナは彼を安心させるために笑顔を向けた。
「大丈夫です。こんなのは子を産む痛さに比べたら、かすり傷のようですわ」
「産んだことがあるのか?」
「ございません! 例えです」
ヴァルクは怪訝な表情をしていたが、わずかに口調が柔らかくなった。
「背中の傷は治癒師が癒してくれるだろう。大丈夫だ。傷が残らないようにしてやる」
「そうなのですか。それはありがたいです」
イレーナはそっと目を閉じると、ふたたび意識が薄れていった。
ヴァルクの懐があまりにもあたたかく、安心してしまったから。
その後――。
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