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再会と交感 -05
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それからは話題を変えて、十分ほど談笑していた。
ユーリがこの度福岡公演を行う予定で、その下見のため、この便に乗ったということ。今のマネージャーとソリが合わず、こっそり一人で来てしまったので、後でまた怒られるかもしれないということ。
和人が来週に教育実習を控えているのだと話すと、ユーリはひどく興味深そうに話を聞いた。なんでも、子供が好きなのだと言う。
自分が教えるのは高校生だ、と返すと、彼は尊敬するような眼差しで、和人を見てきた。僕は勉強が出来なさすぎて、大学に行けなかったから、と。
いや、あんたの方がよっぽど非凡な業績を残してるだろ、と思いながらも、悪い気はしなかった。ユーリの飾らない人柄を、好ましく感じている自身に、和人は気づく。
話の種が一通り尽きると、ユーリは読書を再開し、和人は手すりに肘を載せて頬杖を突き、ユーリに話しかけられる前にそうしていたように、再び窓の外に視線を流した。
腕時計は十一時過ぎを指している。離陸してもうすぐ三十分が経つ。福岡空港まで、あと一時間。機内は空調がよく効いていて、適度に暖かく、薄手のセーターの布地越しに、身体をぽかぽかと温もらせる。
相変わらず、機内は静かだった。和人の前の席からは、穏やかな寝息が聞こえている。座席の隙間、壁にもたれかかった頭が見えた。
目蓋が重い。荷造りのために、いつもより早起きしたせいだろうか。
掌に顎を載せたまま、欲求に素直に従って、目を閉じた。
――夢を見ている。
乾き、ひび割れた地面の上で、和人は胡坐をかいていた。
青白い満月が煌々と輝き、辺りを照らしている以外は、完全な黒闇の中。
彼は、自分が着古したノースリーブの作務衣のようなものを纏っているのが分かった。というより、知っていた。剥き出しの腕に、暑気が不快だ。しかし、もう長いこと炎暑が続き、この気温に身体がすっかり慣れていることも、彼は知っていた。
これは夢だ。そう認める明晰な意識を保ちながらも、一方で、身体は彼の思い通りには動かない。
まるで、別人の肉体に、和人の意識だけ潜り込んでしまったかのようだ。
この肉体が感受するもの全てを、和人も共有している、不思議な感覚。
すぐ隣には誰かが座っており、笛の音を奏でている。ユーリの夢の話に感化されたのだろうか、状況があまりに似ているな、と和人の意識は冷静に分析する。が、肉体の方は、くつろぐように弛緩していた。側に座るもう一人の人物に対して、完全に心を開き、安らいでいる。
そして――そのような時間を過ごせることが、自分の人生においてどれほど大きな救いとなったか。この時間を与えてくれる相手の存在が、どれほどに得がたくて、かけがえのないものであるか。
深い感謝と、震えるほどの幸福感に包まれるのを、和人は感じた。
自分がねだると必ず笛を吹いてくれる相手への愛おしさ。頬を撫でただけでぎこちなくなってしまう初心な相手を、いじらしく思う気持ちが、胸にじんわりと沁みていく。とても強い感情だった。
それを和人も共有するにつれ、彼の意識と、別人の意識とが、重なり、同化していく。
今や和人は、この肉体の持ち主と同じく、目の前の相手に対して完全に懸想していた。右手を持ち上げ、その白い頬に触れる。自分が触れれば、笛の音が止むことも、触れた場所がすぐに赤くなることも、和人は知っている。
指の背で撫でた肌は、滑らかで心地よく、熱を帯びていた。その体温が、微かに聞こえる呼吸の音が、自分を見上げてくる碧い瞳の清澄さが、全てが尊くて。息が苦しい。
「――」
その人の名を呼んだ。目の前の美しい人は、なぜか泣きそうな顔をして、それでも微笑んだ。
「――」
自分も名前を呼ばれたのだと、和人は悟った。しかし、その声は聞こえなかった。赤い唇がやけにゆっくりと動くのが、見えるだけだった。
ユーリがこの度福岡公演を行う予定で、その下見のため、この便に乗ったということ。今のマネージャーとソリが合わず、こっそり一人で来てしまったので、後でまた怒られるかもしれないということ。
和人が来週に教育実習を控えているのだと話すと、ユーリはひどく興味深そうに話を聞いた。なんでも、子供が好きなのだと言う。
自分が教えるのは高校生だ、と返すと、彼は尊敬するような眼差しで、和人を見てきた。僕は勉強が出来なさすぎて、大学に行けなかったから、と。
いや、あんたの方がよっぽど非凡な業績を残してるだろ、と思いながらも、悪い気はしなかった。ユーリの飾らない人柄を、好ましく感じている自身に、和人は気づく。
話の種が一通り尽きると、ユーリは読書を再開し、和人は手すりに肘を載せて頬杖を突き、ユーリに話しかけられる前にそうしていたように、再び窓の外に視線を流した。
腕時計は十一時過ぎを指している。離陸してもうすぐ三十分が経つ。福岡空港まで、あと一時間。機内は空調がよく効いていて、適度に暖かく、薄手のセーターの布地越しに、身体をぽかぽかと温もらせる。
相変わらず、機内は静かだった。和人の前の席からは、穏やかな寝息が聞こえている。座席の隙間、壁にもたれかかった頭が見えた。
目蓋が重い。荷造りのために、いつもより早起きしたせいだろうか。
掌に顎を載せたまま、欲求に素直に従って、目を閉じた。
――夢を見ている。
乾き、ひび割れた地面の上で、和人は胡坐をかいていた。
青白い満月が煌々と輝き、辺りを照らしている以外は、完全な黒闇の中。
彼は、自分が着古したノースリーブの作務衣のようなものを纏っているのが分かった。というより、知っていた。剥き出しの腕に、暑気が不快だ。しかし、もう長いこと炎暑が続き、この気温に身体がすっかり慣れていることも、彼は知っていた。
これは夢だ。そう認める明晰な意識を保ちながらも、一方で、身体は彼の思い通りには動かない。
まるで、別人の肉体に、和人の意識だけ潜り込んでしまったかのようだ。
この肉体が感受するもの全てを、和人も共有している、不思議な感覚。
すぐ隣には誰かが座っており、笛の音を奏でている。ユーリの夢の話に感化されたのだろうか、状況があまりに似ているな、と和人の意識は冷静に分析する。が、肉体の方は、くつろぐように弛緩していた。側に座るもう一人の人物に対して、完全に心を開き、安らいでいる。
そして――そのような時間を過ごせることが、自分の人生においてどれほど大きな救いとなったか。この時間を与えてくれる相手の存在が、どれほどに得がたくて、かけがえのないものであるか。
深い感謝と、震えるほどの幸福感に包まれるのを、和人は感じた。
自分がねだると必ず笛を吹いてくれる相手への愛おしさ。頬を撫でただけでぎこちなくなってしまう初心な相手を、いじらしく思う気持ちが、胸にじんわりと沁みていく。とても強い感情だった。
それを和人も共有するにつれ、彼の意識と、別人の意識とが、重なり、同化していく。
今や和人は、この肉体の持ち主と同じく、目の前の相手に対して完全に懸想していた。右手を持ち上げ、その白い頬に触れる。自分が触れれば、笛の音が止むことも、触れた場所がすぐに赤くなることも、和人は知っている。
指の背で撫でた肌は、滑らかで心地よく、熱を帯びていた。その体温が、微かに聞こえる呼吸の音が、自分を見上げてくる碧い瞳の清澄さが、全てが尊くて。息が苦しい。
「――」
その人の名を呼んだ。目の前の美しい人は、なぜか泣きそうな顔をして、それでも微笑んだ。
「――」
自分も名前を呼ばれたのだと、和人は悟った。しかし、その声は聞こえなかった。赤い唇がやけにゆっくりと動くのが、見えるだけだった。
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