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事件

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「どいてどいてッ! 離れてッ!」

 黄昏の空が月夜に変わる頃、とある一帯が大騒ぎになっていた。
 月夜の下で赤々と燃え上がる火柱。舞い上がる火の粉。その周辺には自警団、消防隊、見物に来た野次馬勢が集まっている。
 
「消防車はまだかッ!?」
「すぐそこまで来ているが、馬が火を怖がって近付こうとしないんだ!」

 消防車を引く馬が途中で止まってそれ以上進もうとしないため消化活動が遅れている。
 石造りではなく木造の屋敷は火の回りが早く、燃えていると通報を受けてからあっという間に屋敷全体が業火に包まれた。

「誰かッ! 誰でもいいから水を持ってきてよッ! 私のドレスが燃えちゃうッ! アクセサリーが燃えちゃうッ! ねえッ誰かどうにかしてよぉ!!!!!!」

 金切り声の悲鳴を上げるティーナを両親が抱きしめる。
 我が家が燃えている。夕飯前まで平和だった我が家がどうすることもできないほど燃え上がっているのを呆然と見ているしかできない。
 屋敷にいた使用人達は全員避難している。一体何が原因なのか、まだ使用人達に事情聴取をしていないためハッキリしていない。
 娘の物だけではなく自慢の屋敷が失われていく瞬間を目の当たりして何もできず立ち尽くしているしかできないことにもはやもどかしさすら感じなかった。
 なぜこんなことになったのか、そればかりが頭の中を支配していた。

「早く消しなさいよッ!! アンタ達の仕事でしょッ!!」
「必死にやってるんです! 下がってくださいッ!!」

 両親を押し退けたティーナは消防活動に当たっている者達に涙を流しながら怒声をぶつける。それに対し男達は頭を下げて媚びるのではなく怒鳴り返すことを選んだ。
 相手が貴族だとか関係ない。今は火がこれ以上広がって被害を大きくしないよう必死なのだ。泣いている小娘にぺこぺこ頭を下げる余裕などあるはずがない。
 必死に消化活動が続き、鎮火したのは翌朝、空が白んだ頃だった。
 
「……我が家が……」

 地面は黒焦げとなり、屋敷があった場所に残ったのは消し炭となった木片ばかり。それすら踏めば簡単に灰とかしてしまうほど燃えきっている。
 その前で膝をついて愕然とする夫を妻が抱き締める。娘は全て燃えてしまったと空に向かって悲鳴を上げ続けている。

「何かッ、何か残ってるはずよ! そうだわ! 私のは全部純金だもの! 残ってるはずよね! だって金が燃えるわけないもの! 宝石だってあんなに頑丈なんだから絶対残ってるはずよ! 探しに行かなきゃ! 全部私のよ!」

 止まらない涙を流したまま焼け跡へと走って向かうティーナが叫ぶ。ドレスは燃えてしまっても装飾品は全て残っているはずだと。それがティーナの希望となる。
 だが、焼け跡に足を踏み入れる前に自警団の一人に止められてしまう。

「なによ! どきなさいよ! 私の家なのよ!」
「警察が先だ」
「はあッ!? そんなの知らないわよ! 私の家に入るのに許可なんか必要ないのよ! どいて!」

 横にズレて入ろうとするティーナの前に移動した男が道を塞ぐ。
 どけ、どかないの言い合いが続く中、警察達はそこら中を踏み荒らす。焼け野原同然で骨組みさえ残っていない状態のベルフォルン家を見回して肩を竦めた。
 一人の男が呆れ顔でティーナの横を通りすぎ、ベルフォルン男爵の前にしゃがみ込む。それをティーナが目で追う。

「やっちゃいましたね、ベルフォルン男爵」
「な、何が……」

 まだ詳細は言っていないが動揺を見せる父親にティーナが駆け寄る。

「どうしたの? 何をやったの?」
「木造りの家は法律違反ですよ」
「何それ、どういうこと?」
「お嬢さんが生まれる前の話だが、この国は都市部の半分以上が燃える大火災に見舞われた。ほぼ全ての建物が木造だったせいで火の回りが早かったからだ。建築家達がそれに声を上げた結果、建築物は全て石造にしなければならない法律が作られた。でもお嬢さんのお宅は木造建築。法律違反だ」

 法律違反という言葉にティーナの涙が止まる。

「し、知らなかったんです! 我が家はどう見ても石造りだったでしょう!? け、建築家がやったことだ! 私は知らない! 騙されたんだ!」

 当主の必死の釈明に警察官が声を上げて笑う。

「そりゃあ通用しませんよ、男爵。貴族の家は建売じゃない。ベルフォルン家は十七年前に建て替えを行った。調べりゃわかることに嘘つくだけ無駄だと思いますけどね?」
「し、知らない……わ、私が言ったんじゃない……私は知らなかった、騙されたんだ。石造りの金を請求されて木造を建てられた……そうだ! そういうことだ! 私は被害者なんだ!」
「そうよ! パパが法律違反なんてするわけないじゃない! そんなデタラメなこと言う暇があったらあの中から私の宝石取ってきなさいよ!」

 よく似た親子に呆れている警察官の後ろから「銃がありました!」と大きな声が聞こえた。
 その場にいた全員が驚きに目を見開き、警察官の男だけが面白いことになったと言わんばかりの笑みを浮かべる。

「男爵、これはお聞かせいただくことが多そうですね」
「し、知らない! それは本当に知らないんだ! 私は銃など握ったことはない! たった一度もだ! 狩りにだって出たことがないんだからな! 銃など所持しているわけないだろう! 調べればわかる!!」
「一丁か?」

 男爵の言葉を無視して振り返った警察官が問いかけると同僚は指を二本立てた。

「二丁か……。建築法違反に銃所持法違反……これは大変なことですよ」
「知らない! 本当なんだ! 私は銃なんて所持していない! 本当に知らないんだ! お願いだ! 調べてくれ! 私の指紋は出てこない!」
「焼け跡から出てきた銃を知らないなんてことないでしょう。それに、燃えた銃から指紋を検出するなんて不可能ですよ」
「お願いだ! 調べてくれ!」
「ご同行願います」
「嫌だッ! 私じゃないんだッ! 私は何も知らないッ! 私の物じゃないんだぁぁあああッ!」
「勝手に連れて行かないでよ! パパは悪くないんだから! パパの話聞いてなかったの!? 私のパパは──ッ!」

 野次馬達が見つめる中、連行されていく父親を引き止めようとするも警棒を突きつけられて手を掴むことも許されなかった。

「ママぁ……」

 母親は失意のどん底にいるのか、口を半開きにした状態で地面に座りこみ動かなかった。

「何見てんのよ! 見せ物じゃないのよ! 人の不幸がそんなに美味しいわけ!? アンタ達の家も燃やしてやろうか!?」

 野次馬達の中に同情している人間が一人もいないことはわかっている。だからこそ腹が立つ。
 声の限り怒鳴り散らすティーナの迫力に貴族達は蜘蛛の子のように散っていった。
 この事件は今日の昼までには知れ渡るだろう。

「ベンフィールドの仕業よ……絶対にそう……」

 娘の言葉に母親もハッとする。そして何度も頷き、フラつきながらも立ち上がった。

「私がアリスの髪を切ったからってここまでする!? こんなの犯罪よ! ベンフィールドが放火したのよ! うちに火をつけたのはベンフィールドよ! カイル・ベンフィールドがやったの!!」

 まだ散りきらない貴族達に噂を広めてもらおうとまた声を張るが、貴族達の表情は「何を言ってるんだ」「家が燃えて頭がイカれたのか」と言わんばかりの表情で誰も信じようとはしなかった。

「絶対に許さない……私、行ってくる……」
「ママも行くわ」
「ママはいいから座ってて。パパはすぐに戻ってくるはずだからここで待っててあげて」
「そ、そうよね。すぐ戻ってくるわよね。だって誤解なんだもの」
「うん、だからママはここにいて。私もすぐ帰ってくるから」
「気をつけてね?」
「うん」

 ここから上を向くだけでベンフィールド邸が見える。
 まるでこの国の頂点に立っているかのように高台に構えられた豪邸がベンフィールド邸。
 地位も名誉も権力も財産も何もかも手にしているくせにまだ人を貶めないと気が済まないのかとギリッと歯を鳴らしたティーナはドレスの裾を持ち上げ一気に駆け出した。
 ベンフィールド家までは遠い。長い坂を上がるだけでも一苦労。行き慣れた場所で、そこへ行けば贅沢ができたため何も気にはならなかったが、今はただただ遠く感じた。
 だが、それも頭の中で再生する「ベンフィールドのせい」という怒りで段々と気にならなくなっていく。
 何度か角を曲がった先にある坂を登れば見えた巨大な門。どうやっても乗り越えることは不可能なその門の前には必要などないだろう門番が二人立っている。

「こんな時間に何用だ?」
「門を開けて」
「何用かと聞いている」
「門を開けろって言ってんの」
「こちらの質問に答えろ」
「門を開けなさいよ!!」

 忌々しいほど晴れた爽やかな空気を切り裂くような声が響き渡る。

「こっちは家を燃やされて何もかも失ったのよ! ベンフィールドがやったに決まってんだからさっさと開けなさいよ!」

 二人は夜勤だったため火事の様子をずっと見ていた。顔見知りであるティーナ・ベルフォルンの家とまでは把握していなかったが、門番の二人は顔を見合わせて大笑いする。

「何がおかしいのよ!!」

 顔を真っ赤にして怒るティーナを見た二人はまた顔を見合わせて笑い声を上げる。

「お前の家の火事にベンフィールド家が関わってるって?」
「お前の家なんか燃やして彼らになんの得があるってんだ?」

 二人揃ってありえないと笑う門番を押し退けて門を開けようとするティーナを持っていた槍の柄で逆に押し返した。

「触るんじゃない!」
「だったら呼びなさいよ! 今すぐここに! カイル・ベンフィールドを呼びなさいよ!」
「寝言は寝てから言え! 朝の貴重な時間をお前なんかのために使うわけないだろうが! さっさと帰れ! ああっと、帰る家がないんだったな」
「おいおい、それ言っちゃ可哀想だろ。燃えたばっかなんだぞ」
「それもそうか」

 不謹慎な笑い声を上げる二人に拳を構えて殴りかかるが、二人が持っているのは槍。リーチが違う。それも訓練を受けた門番だ。女が一人攻撃性を持って行動に出れば反射的に身体が動くようにできている。
 槍の石突部分で腹を突いた。
 怒鳴り続けているせいで口の中に溜まっていた唾液が地面に飛び、その場に蹲る。強烈な痛みと衝撃が腹に走り、一瞬、腹を貫かれたのかと錯覚を起こした。
 何度も咳きこむティーナにさっきまでの笑い声を引かせて警戒心を表に槍を構える門番を払い退けて門を押し退ける方法はない。

「去るか、捕縛か、選択肢を与えてやる」
「ッ……冗談じゃないわよ。こっちはね、失う物はもう何もないのよ……。こんなことならアリスの髪じゃなく首を切ってやればよかった……」 
「おいッ、冗談でも言っていい事ではないぞ!」
「冗談? そんなわけないでしょ。私はアイツを殺したいほど憎んでるのよ!! 殺しとけばよかったって後悔してんのよ!! 殺してやるから呼びなさいよ!!」
「コイツッ!!」

 唾を撒き散らしながら怒鳴り続けるティーナの言葉にカッとなった門番の一人が柄をティーナの背中めがけて振り下ろした。
 その痛みに地面に伏せたティーナだが、泣き声は上げない。

「私が大事な物を失ったのよ! ドレスも宝石もパパも! それなのにアイツだけ全部持ってるなんておかしいじゃない!! 絶対に許せない! 私より上に立ってるなんて絶対許せないんだから!! アイツの大事な物を奪ってやらなきゃ気が済まないのよッ!!」
「お前とアリス様では何もかもが違うんだ! 上に立っているのは当然だろ! 恩恵を受け続けたことも忘れて何様のつもりだ!! お前の行動は乞食も同然だ!」

 乞食と侮辱された事に立ち上がろうとするのを石突で押さえると手足をバタつかせてティーナが暴れる。

「ああぁぁあぁああああああああッ!!!!!!!!!! 離せぇッ! 絶対にあいつらがやったのよッ! 私にはわかってるんだからッ! 会わせろッ! アイツらを呼べーッ!」

 既に正常な意識を失っているティーナをどうするべきかと顔を見合わせる門番の耳に届いた一つの足音。振り返ると二人はティーナを押さえつけたままその場で姿勢を正す。

「一体なんの騒ぎだ?」
「カイル様! 申し訳ございません! この者が難癖をつけて門を開けようとしたので取り押さえつけておりました!」
「アリス様を殺すと言っていたものですから」
「ほう……アリスを殺すと……」

 カイルの表情に門番達の背筋が限界まで伸びる。

「カイルッ! アンタの仕業でしょッ!!」
「なんの話だ?」
「しらばっくれんじゃないわよ! 私の家が燃えたのよ!」
「いつだ?」
「昨日の夜よ!」
「知らなかった。災難だったな。被害は?」
「白々しいのよ! 全部知ってるくせに! 全部アンタがやったってわかってるんだから!」

 押さえつけられながらもなんとか前に進もうとするティーナを門番達が押さえつける力を強めて止める。そんなティーナを見下すカイルの表情が無からクスッと小さな笑いをこぼした。

「本当に知らないんだ。男爵の屋敷がある場所はここから遠いし、何より興味がないからな。好き好んで見る人間はいないだろう」

 門番よりもひどい発言にティーナの全身が震える。地面に爪を立てながら拳を握り、地面に血の痕を残す。

「どうせ金は払えないだろうから屋敷を差し押さえようと思っていたんだが、残念だ。自警団の休憩場所程度にはなると思っていたんだがな」
「……こ……し……やる……」
「ん? なんだって?」

 地面を見つめたまま呟くティーナの言葉を聞こうと屈んだカイルが耳を傾ける。その顔に少しだけ掴めた砂利を投げると門番達が慌ててその手を同時に石突で突いた。
 痛みに声を上げて手を震わせるティーナだが、すぐに顔を上げて勝ち誇った顔を見せる。

「まだまだ話し足りないようだから奥で話そうか、ティーナ」
「よ、よろしいのですか?」
「ああ、もちろんだ。何か誤解があるようだから丁重にもてなして納得してもらうさ」
「連れてきてくれ」

 ニッコリと満面の笑みを見せたカイルにそれ以上の問いかけはできず、門番達は暴れるティーナの両脇を抱えて引きずっていく。

「自分で歩けるッ! 離しなさいよッ! 気安く触らな──」
「石を詰め込まれたくなかったら黙れ。アリスが起きるだろ」

 カイルの冷たい声に一瞬身体を硬らせたティーナが見た表情は既に笑顔ではなかった。
 やってみろと挑発でもしようものならカイルはやる。拳大の石を拾ってきて躊躇なくティーナの口に押し込むだろう。
 ティーナもそれがわかっているから挑発はしなかった。背中に、顎に、嫌な汗が流れる。
 
「あ、あの、こちらでよろしいのですか?」

 運んできたのは屋敷の中ではなく敷地の最奥にある小さな小屋。こんな場所で話し合いをするのかと戸惑う門番達の声を背にカイルがドアを開ける。

「ここは俺が息抜きをするために建ててもらった小屋だ。家族はまだ寝ている。そんな中で感情的なティーナと話をするなんてできないだろう?」
「そう、ですね……」

 中を覗くとベッド、丸テーブル、椅子、食器棚、小さなキッチンがあった。装備からして子供のおままごと用に建てられた小屋だろうかと認識する二人の手からティーナを受け取ったカイルは先にティーナを中に入るよう促した。

「早朝からご苦労だった。仕事に戻ってくれ」
「ここで待っていましょうか?」
「君たちがここで待っていたら門は誰が守るんだ?」

 カイルの指摘に顔を見合わせた男達は苦笑しながら頭を下げて自分達の担当である門へと戻っていった。
 時折振り返る二人に笑顔を送ると慌てて駆け出し、見えなくなるまで見送ってから中へと入る。
 狭い空間。久しぶりだと微笑みたくなる場所。

「……パパは銃なんか持ってなかった」
「そうか。順を追って説明してくれ。納得のいく答えをやろう」

 丸テーブルを挟んだ椅子に互いに腰掛けたカイルがまたニッコリと笑った。
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