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差し金

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 ヴィンセルと一緒に過ごすようになったのは昨日今日の話ではない。それを今更になって令嬢たちが騒ぎ始めたのは誰かが勝手な噂を流したから。
 公爵令嬢であるアリスの噂を好き好んで流す人間など、アリス・ベンフィールドもベンフィールド家も恐れない人間しかいない。
 誰だと勘繰る必要もない。犯人はいつだって自分が優位だと思っている女なのだから。
 それに踊らされる令嬢も令嬢だと思うが、相手が相手なだけにそう簡単に諦めきれないというのもアリスにはわかる。
 だからありえない噂を信じて糾弾しようとしている彼女たちを責めはしない。
 
「アリスってば嘘が上手になったね」
「嘘って?」
「アリス言ってたじゃない。追いかけるなんて品のないことはしない。私だったらもっと上手くやるって」
「ッ!? そんなこと言ってない!」
「嘘ばっかり。ボーッとしたフリしてタイミングよくヴィンセル様の前に現れて怪我をする。ヴィンセル様が気にするのをわかってて自分で言うのは品がないからカイル様に頼んで送迎させるよう仕向けたって言ってたじゃない」
 
 アリスは思わず耳を疑った。ドリスたちにも同じことを言ったのだろう。もしかするとドリスたち以外の令嬢にも言っている可能性がある。
 これがもし始まりにすぎないのだとしたらこれからの学園生活は間違いなく地獄と変わる。
 アリスが言っていないと言ってもティーナは言ったと主張する。その言葉だけでは水掛論でしかなく、まるで子供の言い合い。
 既に暴走しているティーナを止められる気がしないアリスはどうすればいいのか考えるのも放棄したくなった。
 ここで場を離れれば自分の負けだとわかっていても、こんなくだらない言い合いはヴィンセルにも失礼だとアリスは首を振る。
 
「ヴィンセル様に想いを伝えようと頑張ってる彼女たち見て笑ってたじゃない。つり合わないのわかっててやってるんだからすごい。感心するってさ」
 
 嘲笑していたのはティーナだが、この場所で濡れ衣を着せることがティーナの考えた仕返しなのだと考えるとアリスは不思議と腹は立たなかった。
 ティーナ・ベルフォルンはずっと強い女性だと思っていた。なんでもハッキリ言えて、どんな場面でも胸を張っている強い女性だと。
 でも違った。一人で立ち向かうことはせず、周りを巻き込んで自分が悪者にならないように小賢しいまでに動くことがティーナのやり方。
 アリスは今初めてティーナを“可哀想”だと思った。
 
「言い返さないってことは事実って認めるのね?」
「ティーナ、こんなことやってなんの意味があるの? やめようよ」
「は? やめるって何を? なんの努力もしてないアンタが手首捻挫ぐらいでヴィンセル様に迷惑かけるのやめてから言いなさいよ」
 
 バカにしていたのはティーナで、欲しいと思っていたのに努力をしなかったのもティーナだ。本気だと言っていたのに彼がどういう人間か知ろうとさえしなかった。食べてもらいたいと思いながらもパン一つ作る努力もしなかった。
 アリス自身、まだ恋らしい恋をしたことがないため恋を実らせるために努力したことがあるかというと、ない。
 好きだと言われたのもセシルが初めて。それは努力もなしに勝ち得たもので、自分が偉そうに言えることではないとわかっているが、ヴィンセルに迷惑をかけているからやめろというのは一番迷惑をかけている者たちにだけは言われたくなかった。
 
「私たちはあなたよりずっと日々努力していますの。ヴィンセル様に少しでも近付きたくて、努力に努力を重ねていますのに貴女はご自分の立場を利用してズルをしていますのよ」
 
 ティーナという新たな応援を手に入れたドリスが仁王立ちで突っかかってくる。こうなると何を言おうと納得しないだろうとアリスは反応しなかった。
 アリスにとってこの時間は不毛でどうしようもない時間でしかなく、このままではランチタイムが終わってしまうと憂鬱になる。
 一緒にいるナディアとアリシアにも申し訳なかった。 

「聞いてますの!? 貴女なんかがヴィンセル王子の傍にいるのは迷惑だと言ってますの!」
「手首が治れば———」
「迷惑だって断ればいいだけなのに断らないアリスにも下心はあるってことだよね?」
「そうですわ! そう言われてもおかしくないことをしていますのよ! 大体貴女みたいな地味でブサ———キャアッ!」
 
 突然、上から降ってきた水を頭からかぶった令嬢たちの悲鳴が響き渡る。
 水はアリスの足元近くまでとんできたが、かかってはいない。
 
「セシル!?」
「セシル様ッ!?
 
 上を見上げると花瓶を逆さに持ったセシルが二階の窓から顔を覗かせていた。
 一緒にいたナディアが口を押さえながらドリスたちとは違う悲鳴を上げる。

「イジメ? すごいことしてるんだね」
「イ、イジメなんてしていません! 私たちは少しお話を──」
「あーどうでもいい。君たちの説明とか聞きたくないし」
 
 ドリスの取り巻きの中にはセシルファンもいるのか、この状況がいかにマズイ状況か理解して焦って身を隠す令嬢もいた。
 一人が抜けるともう一人も抜ける。対峙する相手はドリスとティーナだけになった。
 
「仮にそこで行われてるのが話し合いだとして、大勢で一人に何を聞くの? 公爵令嬢へのファンミーティングでも行われてる? それなら納得だけど」
「そ、そうで———」
「嘘ついたらヴィンセルに言うから」
 
 ドリスに最も効果的であろう言葉に冗談はない。アルフレッドならまだ冗談と思えても、セシル相手では冗談と聞き返すこともできなかった。
 
「わ、わたくしたちは———ティーナ・ベルフォルンから言われたんです!」
「は!? ちょっと何言ってんのよ! 冗談言わないでよ!」
「ヴィンセル王子は困ってるのにベンフィールド公爵令嬢がそれを無視して無理矢理送迎させている。私たちの助けが必要なんじゃないかって!」

 慌てるティーナを無視してドリスは大声で釈明する。

「へえ」
「だから———」

 信じてほしいと言いかけたドリスの言葉を遮ってセシルが口を開く。

「それを君たちは信じたわけだ?」
「それ、は……」
 
 言い合いに発展した理由はティーナがそこにいる時点で考えるまでもない。
 銃を持っていた真実を話した自分がまるで嘘つきのように扱われたことへの仕返し。ティーナにとって今やアリスは親友ではなく敵なのだろう。
 そうでなければ人を使って攻撃するなどありえない。いや、最初から親友ではなく利用価値がある【餌】としか思っていなかったのかもしれない。
 
「ま、本当のこと言ってもヴィンセルに言うけどね」
「ッ!? そんなッ!」
 
 告げられた言葉に目を見開くドリスにこれ以上の弁解の余地も与えずに窓から顔を引っ込めたセシルにドリスは顔を青ざめる。
 ヴィンセルに好意を寄せていた者にとってイジメだと言われて悪いイメージがつけば近付くこともできなくなってしまう。
 ドリスが心配しているのはそれもあるが、それだけではなく、ヴィンセルの追っかけたちから冷遇されるのではないかということ。
 貴族の世界で孤立することは大袈裟に言えば死を意味している。令嬢たちの世界でも同じこと。一つの輪の中で生きてきたドリスが一つの大きな失敗によりリーダーではなくなってしまう可能性が出てきた。
 冷遇されることを想像するだけで身体が震える。
 
「アリス!」
「ヴィンセル様」
「大丈夫か!?」
 
 そんなドリスに追い打ちをかけるように駆け付けたヴィンセル。
 息をきらせているところを見るとセシルが告げる前にどこかから見ていて駆けつけてくれたように思えた。
 騒ぎを見ていた令嬢たちは傍観しているだけで止めに入ろうとしなかったと思われたくないと顔を見られないよう逃げ出すように去っていく。
  
「ヴィンセル様、私は──」
「触るな」
「ッ!」
 
 ヴィンセルは怒鳴りはしない。ただ冷たく突き放すような声にドリスの目に涙が溜まる。
 
「俺が彼女の傍にいることが気に食わないのであれば俺に直接言えばいい。俺が逃げるから直接言えないのかもしれないが、それなら手紙を書くなりなんなりできたはずだ」
 
 ほらねと言わんばかりの表情をナディアがドリスに向ける。

「君がしていることは人として最低だ」

 静かに言い放たれた言葉にボロボロと涙をこぼすドリスが走り去るとヴィンセルは安堵したように一度溜息を吐き出してアリスに向き直る。
 
「何かされてはいないか?」
「いいえ、なにも。ここに通う令嬢たちは暴力を振るったりはしません」
「退学になりますものね」
「いっそなってしまったほうが平和でいいようにも思いますけど」

 顔を見合わせて笑う双子にアリスが笑う。

「ナディア様とアリシア様が彼女に応戦してくださって、私は後ろに隠れていただけなんです」
「わたくしたちが隠したのですわ。アリスは小さいからすっぽり隠れてしまいますのよね」
「羨ましい限りですわ」
 
 二人は女性にしては高身長で、アリスからすればその高さによる美しさは羨ましいほど。

「感謝する」

 頭を下げるヴィンセルに二人はまた顔を見合わせ、今度は大笑いする。
 なぜ笑われているのかがわからないヴィンセルが頭を上げて二人を見ると、いつの間にか取り出していた扇子で顔を隠して笑っている。

「王子にこんなことを言うと不敬罪に問われるかもしれませんけど、まるで婚約者か夫気取りですのね」
「ナディア、その言い方は不敬罪に問われますわ。こう言ったほうがよろしくてよ。伴侶のようだ、とね」

 言ってしまえばヴィンセルは無関係の相手。互いに想い合っているのなら話は別だが、二人はどう見ても想い合ってはいない。
 それなのにヴィンセルが頭を下げて感謝を口にするため二人はその姿がどうにもおかしくて笑っていた。

「そ、そんなつもりはない!」
「そうですの? 兄であるカイル様がされる行動ですわよ?」
「同感ですわ。でも、王子から感謝されるなんて今後一生ない経験かもしれませんから、素直に受け取っておきますわね」

 クスクスと笑うナディアとアリシアにヴィンセルが苦笑する。
 王子だからと腰を低くされるよりはずっといいが、小馬鹿にされている感じがして上手く笑えなかった。

「しかし、セシルも大胆なことをするものだ」
「そうですね。でもおかげで助かりました。あのままではお昼休みが終わるまで話が続きそうだったので」
「やはり学長に話して予定を合わさせてもらったほうがいいと思うんだが……」
「よし、記録完了」
 
 突如後ろに現れたカイルに四人の心臓が外へと飛び出しそうになった。
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