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意中の相手
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聖フォンス学園は貴族の貴族による貴族のための学校。
教育に男女差別は禁止。若者に未来を、選択をという信条のもと作られた。
アリス・ベンフィールドも聖フォンス学園に通う生徒の一人だ。
「今日のアルフレッド様見まして!? また女性を引き連れて歩いてましたのよ!」
「あの方は品性が感じられないのであまり好きじゃありませんわ」
「でもロマンチックな方ですのよ。先日、囲われてる生徒の一人が誕生日に赤いバラの花束をもらったと泣いていましたもの」
「品性のない方からバラの花束をもらっても嬉しくありませんわね」
「セシル様からならいかが?」
「それはもう生涯枯らすなと庭師に命じて永久保存!」
「わたくしも一度でいいからアルフレッド様から花束をいただきたいですわ!」
昼休み、レディたちは人気の男子生たちの話で盛り上がる。
キャアキャアと黄色い声を弾ませながら頬を染めるティータイム。
「アリスはどうですの?」
「え? わ、私はそんなおこがましい恋なんて……」
公爵令嬢でありながら「おこがましい恋」と言えば相手が誰なのかは聞くまでもない。
「相手があれではね……」
「厳しいですわね……」
ドドドドドドドッと地鳴りのような音がこの学園に響き渡るのは毎日のこと。
何ことかと疑問に思う者はおらず、この音が聞こえると皆が『はじまった』と思うだけ。
「ヴィンセル様~! お待ちになってー!」
「今日こそ受け取ってくださいませー!」
「キャー! ヴィンセル様!」
「結婚してくださいませー!」
二十名は優に超えるだろう令嬢から必死の形相で逃げる男がいた。
「気持ちはありがたいが急用がある!」
ハンカチで口元を押さえながら後ろを振り返って『急用』と告げるも追いかける足を誰も止めようとはしない。それがヴィンセルの嘘だとわかっているから。
毎日こうして行われる騒がしい追いかけっこはもはや学園の名物となっていると言っても過言ではない。
「ヴィンセル・ブラックバーンに恋をするなんて不毛ですわね」
「そう、ですよね……」
恋と言ってもアリスの場合、彼とどうにかなりたいと本気で思っているわけではない。
どんな美人な令嬢もヴィンセルに絶対に受け入れようとしない。それ以前に立ち止まって話をしようとしないのだ。
男友達とばかり過ごしているせいで同性愛者と疑う者もいるほどヴィンセル・ブラックバーンは女嫌いで有名だった。
それでも自分に自信がある令嬢たちは本来であれば使用人に届けさせるはずの手紙やプレゼントを抱えて【彼が初めてプレゼントを受け取った女】になるため全力疾走で放課後を過ごしている。
「自分たちがしていることがいかに下品であるか気付きもしない低俗な人間はこの学園に相応しくありませんのに、学園長はどうして退学になさらないのかしら?」
「寄付がなくなるに決まってるじゃない」
「自分に気のある令嬢を堕としてもっと寄付させればよろしいのではなくて?」
「その考えはゲスいですわね。でもまあ、彼女たちの親の寄付なんてどうせはした金でしょうからそっちの方が有益かもしれませんわね」
この会話こそが下品であることに気付いていない二人に苦笑しながらもアリスは黙っていた。
「ではまた月曜日にお会いしましょう。ごきげんよう、アリス」
「ごきげんよう、アリス」
「ごきげんよう」
帰り道の馬車の中でアリスは今日の光景を思い出していた。
ヴィンセル・ブラックバーンは女嫌いで有名。だが、令嬢たちに厳しく当たる姿を見た者は一人もいない。令嬢たちから逃げる時も囲まれた時も困った顔で“急用”を理由にしている。
もし本当に女嫌いなのであればハッキリそう言ってしまえば追いかけるのをやめる令嬢もいるはずなのにそうしないのはなぜか。
「んー……」
ハンカチ王子と呼ばれるほどハンカチを手放さないヴィンセルは女嫌いの他に潔癖症と言われている。だから他人が触れた物に触れたくなくて手紙やプレゼントの一切を受け取らないようにし、触れ合わないために逃げ回っているのだとも。
「叶うわけないもの」
追いかける令嬢たちが抱える想いと同じ類の想いだとしても、アプローチをしたことがない自分は名前どころか顔さえも知られていないのだから恋人になるなど妄想の中でしかありえないことだった。
妄想の中でならなんでもできる。手を繋ぐことも、見つめ合うことも、その先も──
「──さま──……アリスお嬢様? 着きましたよ」
「え? あ、ああっ! ご、ごめんなさい! ご苦労様、ありがとう」
いつの間にか頭の中は彼への疑問より彼と恋人になったときの妄想という名のシミュレーションを繰り広げていたせいで到着に気付かず、慌てて降りたアリスはいつもなら警戒するドアの向こうを警戒しないまま開けてしまった。
「おかえり我が妹よ!」
「か、カイルお兄様、ただいま帰りました」
こっそり入っても堂々と入っても結局待ち伏せした兄の強烈なハグで出迎えられる日々をいい加減終わりにしたいと思っているのだが、カイルはまだその兄離れを受け入れるつもりはないらしく『いつか嫁に行ってしまうお前を今愛さないでいつ愛すんだ』と言うばかり。
アリスもいつまでのこの家にはいない。いつか結婚相手を見つけてこの家を出て行く日が来るのは確かで、そう言われてしまうと何も言えなくなってしまうためアリスはもう何も言わないでおこうと決めた。
「お兄様、今日はお帰りが早いんですね」
「ああ、仕事は家に持って帰ってきた」
「家でぐらいお休みになられたらいいのに」
「気分転換になるんだ」
仕事を休んで趣味に勤しむ気分転換ならわかるが、場所を変えただけの気分転換というのはアリスには理解できない。
聖フォンス学園の生徒会長を務めるカイルは毎日大忙しで、ヴィンセルとは違った駆け回り方をしている。
生徒だけではなく教師からも頼られる優秀で完璧な兄カイル・ベンフィールドはアリスの誇り。
「お兄様、一つお聞きしたいのですが」
「なんだ?」
「ヴィンセル王子はどういう方ですか?」
冬かと思うほど一瞬にして凍った場にアリスが周りを見回すと使用人たちが触らぬ神に祟りなしとでも言うように慌てて階段を上がっていくのが見えた。
「ヴィンセルに興味があるのか? ん? まさか恋をしてるんじゃないだろうな?」
「そ、そういうわけでは……!」
ニッコリ笑っているはずなのにカイルの笑顔はどこか威圧感があり、使用人たちが逃げた理由を察するとアリスは目を泳がせる。
「アリス、お前に恋はまだ早い。まだ十七歳じゃないか。どこの世界に十七歳で恋をするレディがいるというんだ?」
「もう十七歳です、お兄様。この歳になって婚約者がいないのは私だけです。アリシア様もナディア様も婚約者がい──」
「いいか、アリス。セシルもアルフレッドもヴィンセルも婚約者はいない。そして兄様もいない。十七歳で婚約者がいないぐらい恥ずかしいことでもなんでもないさ。お前にはいつか素敵な王子様が現れる。兄様が見つけてやる。何十年、何百年かかろうともな」
見つけるつもりがないことはよく伝わってくるカイルの言葉に苦笑しながらヴィンセルに恋をしていることは黙っておこうと静かに首を振り、一緒に玄関へと続く階段を上がっていく。
「今日、アリシア様たちとお茶をしているときにヴィンセル王子をお見かけしたんです。誰からもプレゼントや手紙を受け取らないのは女嫌いか極度の潔癖症のせいだとか言われているので実際はどうなのかと思っただけです」
アリスの言葉に納得したのか数回頷きを見せたカイルは彼を象徴する爽やかな笑顔を浮かべながら妹の肩を抱いて玄関ホールを通って二階へと続く階段を上がっていく。
「アイツにも色々と事情があってな。潔癖症な節はあるが、女嫌いというわけではない。アルフレッドが近くにいることもあまり良しとしていないぐらいだからな」
「でもいつも四人でいらっしゃいますよね?」
「まあな。気が合うと言えば聞こえはいいが、一緒にいるメリットを考えて行動しているらしい」
「メリット?」
「俺たちは自分の人気を理解してる。だから一緒にいると高嶺の花だなんだと言われて邪魔されない。そこが最大のメリットだ」
「だから個人行動になった途端……」
「そいいうことだな」
ヴィンセル・ブラックバーン、カイル・ベンフィールド、アルフレッド・アンベール、セシル・アッシュバートンは聖フォンス学園で絶大な人気を誇る四人組で、いつも行動を共にしている。
ヴィンセルがアルフレッドを良く思っていないのは初耳だが、理由を口にしないことから詳しく話せない理由があるのだろうと悟って追及はしなかった。
「アリス、あの三人は絶対にやめておけ」
「え?」
「ヴィンセルはお前も知っての通り、女を近付けない。アルフレッドは常に多数の女子生徒を連れ歩いている。セシルは恋愛事に興味がない。全員顔がいいだけのポンコツだ」
「ポンコツ……」
目を瞬かせるアリスの肩に手を置いてまたニッコリ笑うこの瞬間のカイルがアリスは苦手だった。
「お前は兄様の可愛い妹だ。だから兄様が認めた相手としか結婚しちゃいけないし、いっそ結婚しないって手もある。兄様も結婚はまだ考えてないから兄様と暮らそう。それがお前にとって一番良い人生じゃないか?」
「それはちょっと……」
「そうか! よかった! じゃあ兄様は仕事に戻るから、お前も恋ではなくお菓子作りしなさい。恋より甘くて美味しいぞ」
恋を知らない兄に何がわかるのだろうと疑問は浮かぶも力説されては面倒だからと到着した自室のドアを開け、少し中へ入ってから手を振り、すぐに閉めた。
カイルは恋の話になったらいつも圧をかけてくる。そして妹の意見は採用しない。
「アルフレッド様と彼女たちの共通点って何だろう?」
制服から部屋着に着替えながら首を傾げる。
ヴィンセルが男と過ごしていると言っても特定の三人とだけ。アルフレッドとヴィンセルの追っかけをする令嬢に共通点があるとすれば“ミーハー”という部分だけ。
アルフレッドは可愛いよりも美しいを重視するらしく、背の高い美人を周りに置くという噂。事実、彼は美人が通れば声をかける。追っかけをしている令嬢たちの中にもヴィンセルだけを追いかけているわけではない者もいるらしい。アルフレッドが好きだったが声をかけられなかったり【花】としての基準を満たせていなかったりで鞍替えした者もいるとアリシアが言っていた。
「でも、良く思ってないけどアルフレッド様と行動することはやめないのよね」
良く思っていないのであれば行動を共にすることは控えそうなものだが、そこはカイルが言っていたようにメリットの大きさにあるのだろう。
だが、思えばアルフレッドとヴィンセルはいつも両端にいた。一緒に行動はするが、端と端で距離を取っている。
「メリット、かぁ。大変なのね」
あれだけの人数からハートをまき散らしながら追いかけられれば誰でも嫌になるとと同情する。
ヴィンセルが迷惑に感じているのは見ればわかるのだから追っかけ令嬢たちもそれに気付いているはずなのに自分の気持ちを優先する令嬢をヴィンセルが受け入れたくないのも理解できるのだが、アリスは過去に一度だけ見たことがあった。
「どんな美人が相手でも受け取らない人……」
一年前のある日、ヴィンセルが一人でいた所に一人の生徒が寄ってきた。学園でも女神と呼ばれるほど人気があった三年の先輩が赤い顔で声をかけたのだ。兄を探していたアリスは一年生の廊下から階段を上がって二年生の教室に向かうために角を曲がろうしたところでそれを見かけた。
ハンカチが入っていたのだろう薄い箱がキレイにラッピングされ、それを差し出しながら女神は『もしよろしければ学園主催のダンスパーティーに誘っていただけませんか?』と言っていた。誰もが羨む申し出だが、ヴィンセルは申し訳なさそうな表情で首を振り、そのまま去っていった。
女神がその場でしゃがみ込んで泣いていた光景は今でも鮮明に残っている。
アリスが見ていたように別の場所で他の生徒も見ていたかもしれない。反対側の廊下、ヴィンセル側の曲がり角、隣の教室などいくらでもある学校で、もし彼が受け取ったと広まれば〝誰からも受け取らない〟というのは通用しなくなってしまう。
「人気者って大変だなぁ」
顔がイイというだけで得することもあるだろうが、損することもあるのだとヴィンセルを見ていると感じる。
本来であればのんびり過ごせるはずの放課後をヴィンセルは逃げ回って過ごすだけ。
モテとは無縁のアリスは兄と似ることはなく、平々凡々な学園生活を送っている。幼少期から誰かにアプローチされたこともなければ、今の学園でダンスパーティーに誘われたこともない。むしろ人気者を羨ましいと思っていたぐらいだ。
しかし、今こうして考えてみるとモテない人生で良かったのかもしれないと思い始めている。
「恋愛なんて勉強よりずっと難しいよ」
素敵だと思う殿方がいても知り合えなければ意味がない。
毎日プレゼントを持参して追いかけて回している令嬢の中の一体何人がヴィンセル・ブラックバーンに認知されているのだろう。
カイルの妹ということで認知されている可能性はある。それはアリスも考えたことがないわけではない。
だが、もし認知されていても女性嫌いなのであればそれは特でもなんでもない。
カイルの妹と名乗れば他の令嬢のように無下に扱われることはないかもしれないが、結局は困らせるだけ。
兄と一緒に歩いていたヴィンセルの笑顔を素敵だと思った。あの笑顔を向けてもらえたらどんなにいいだろうと。だからこそ困った顔は見たくない。令嬢たちに追いかけ回されているときのような顔は特に──……
「きゃっ! わわわわわっ! は、はい! アリス・ベンフィールドです!」
机の上に置いていた通信機の音に慌てて駆け寄りボタンを押すと笑い声が聞こえた。
幼い頃から一緒に育ってきた大切な幼馴染であり親友のティーナだった。
教育に男女差別は禁止。若者に未来を、選択をという信条のもと作られた。
アリス・ベンフィールドも聖フォンス学園に通う生徒の一人だ。
「今日のアルフレッド様見まして!? また女性を引き連れて歩いてましたのよ!」
「あの方は品性が感じられないのであまり好きじゃありませんわ」
「でもロマンチックな方ですのよ。先日、囲われてる生徒の一人が誕生日に赤いバラの花束をもらったと泣いていましたもの」
「品性のない方からバラの花束をもらっても嬉しくありませんわね」
「セシル様からならいかが?」
「それはもう生涯枯らすなと庭師に命じて永久保存!」
「わたくしも一度でいいからアルフレッド様から花束をいただきたいですわ!」
昼休み、レディたちは人気の男子生たちの話で盛り上がる。
キャアキャアと黄色い声を弾ませながら頬を染めるティータイム。
「アリスはどうですの?」
「え? わ、私はそんなおこがましい恋なんて……」
公爵令嬢でありながら「おこがましい恋」と言えば相手が誰なのかは聞くまでもない。
「相手があれではね……」
「厳しいですわね……」
ドドドドドドドッと地鳴りのような音がこの学園に響き渡るのは毎日のこと。
何ことかと疑問に思う者はおらず、この音が聞こえると皆が『はじまった』と思うだけ。
「ヴィンセル様~! お待ちになってー!」
「今日こそ受け取ってくださいませー!」
「キャー! ヴィンセル様!」
「結婚してくださいませー!」
二十名は優に超えるだろう令嬢から必死の形相で逃げる男がいた。
「気持ちはありがたいが急用がある!」
ハンカチで口元を押さえながら後ろを振り返って『急用』と告げるも追いかける足を誰も止めようとはしない。それがヴィンセルの嘘だとわかっているから。
毎日こうして行われる騒がしい追いかけっこはもはや学園の名物となっていると言っても過言ではない。
「ヴィンセル・ブラックバーンに恋をするなんて不毛ですわね」
「そう、ですよね……」
恋と言ってもアリスの場合、彼とどうにかなりたいと本気で思っているわけではない。
どんな美人な令嬢もヴィンセルに絶対に受け入れようとしない。それ以前に立ち止まって話をしようとしないのだ。
男友達とばかり過ごしているせいで同性愛者と疑う者もいるほどヴィンセル・ブラックバーンは女嫌いで有名だった。
それでも自分に自信がある令嬢たちは本来であれば使用人に届けさせるはずの手紙やプレゼントを抱えて【彼が初めてプレゼントを受け取った女】になるため全力疾走で放課後を過ごしている。
「自分たちがしていることがいかに下品であるか気付きもしない低俗な人間はこの学園に相応しくありませんのに、学園長はどうして退学になさらないのかしら?」
「寄付がなくなるに決まってるじゃない」
「自分に気のある令嬢を堕としてもっと寄付させればよろしいのではなくて?」
「その考えはゲスいですわね。でもまあ、彼女たちの親の寄付なんてどうせはした金でしょうからそっちの方が有益かもしれませんわね」
この会話こそが下品であることに気付いていない二人に苦笑しながらもアリスは黙っていた。
「ではまた月曜日にお会いしましょう。ごきげんよう、アリス」
「ごきげんよう、アリス」
「ごきげんよう」
帰り道の馬車の中でアリスは今日の光景を思い出していた。
ヴィンセル・ブラックバーンは女嫌いで有名。だが、令嬢たちに厳しく当たる姿を見た者は一人もいない。令嬢たちから逃げる時も囲まれた時も困った顔で“急用”を理由にしている。
もし本当に女嫌いなのであればハッキリそう言ってしまえば追いかけるのをやめる令嬢もいるはずなのにそうしないのはなぜか。
「んー……」
ハンカチ王子と呼ばれるほどハンカチを手放さないヴィンセルは女嫌いの他に潔癖症と言われている。だから他人が触れた物に触れたくなくて手紙やプレゼントの一切を受け取らないようにし、触れ合わないために逃げ回っているのだとも。
「叶うわけないもの」
追いかける令嬢たちが抱える想いと同じ類の想いだとしても、アプローチをしたことがない自分は名前どころか顔さえも知られていないのだから恋人になるなど妄想の中でしかありえないことだった。
妄想の中でならなんでもできる。手を繋ぐことも、見つめ合うことも、その先も──
「──さま──……アリスお嬢様? 着きましたよ」
「え? あ、ああっ! ご、ごめんなさい! ご苦労様、ありがとう」
いつの間にか頭の中は彼への疑問より彼と恋人になったときの妄想という名のシミュレーションを繰り広げていたせいで到着に気付かず、慌てて降りたアリスはいつもなら警戒するドアの向こうを警戒しないまま開けてしまった。
「おかえり我が妹よ!」
「か、カイルお兄様、ただいま帰りました」
こっそり入っても堂々と入っても結局待ち伏せした兄の強烈なハグで出迎えられる日々をいい加減終わりにしたいと思っているのだが、カイルはまだその兄離れを受け入れるつもりはないらしく『いつか嫁に行ってしまうお前を今愛さないでいつ愛すんだ』と言うばかり。
アリスもいつまでのこの家にはいない。いつか結婚相手を見つけてこの家を出て行く日が来るのは確かで、そう言われてしまうと何も言えなくなってしまうためアリスはもう何も言わないでおこうと決めた。
「お兄様、今日はお帰りが早いんですね」
「ああ、仕事は家に持って帰ってきた」
「家でぐらいお休みになられたらいいのに」
「気分転換になるんだ」
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聖フォンス学園の生徒会長を務めるカイルは毎日大忙しで、ヴィンセルとは違った駆け回り方をしている。
生徒だけではなく教師からも頼られる優秀で完璧な兄カイル・ベンフィールドはアリスの誇り。
「お兄様、一つお聞きしたいのですが」
「なんだ?」
「ヴィンセル王子はどういう方ですか?」
冬かと思うほど一瞬にして凍った場にアリスが周りを見回すと使用人たちが触らぬ神に祟りなしとでも言うように慌てて階段を上がっていくのが見えた。
「ヴィンセルに興味があるのか? ん? まさか恋をしてるんじゃないだろうな?」
「そ、そういうわけでは……!」
ニッコリ笑っているはずなのにカイルの笑顔はどこか威圧感があり、使用人たちが逃げた理由を察するとアリスは目を泳がせる。
「アリス、お前に恋はまだ早い。まだ十七歳じゃないか。どこの世界に十七歳で恋をするレディがいるというんだ?」
「もう十七歳です、お兄様。この歳になって婚約者がいないのは私だけです。アリシア様もナディア様も婚約者がい──」
「いいか、アリス。セシルもアルフレッドもヴィンセルも婚約者はいない。そして兄様もいない。十七歳で婚約者がいないぐらい恥ずかしいことでもなんでもないさ。お前にはいつか素敵な王子様が現れる。兄様が見つけてやる。何十年、何百年かかろうともな」
見つけるつもりがないことはよく伝わってくるカイルの言葉に苦笑しながらヴィンセルに恋をしていることは黙っておこうと静かに首を振り、一緒に玄関へと続く階段を上がっていく。
「今日、アリシア様たちとお茶をしているときにヴィンセル王子をお見かけしたんです。誰からもプレゼントや手紙を受け取らないのは女嫌いか極度の潔癖症のせいだとか言われているので実際はどうなのかと思っただけです」
アリスの言葉に納得したのか数回頷きを見せたカイルは彼を象徴する爽やかな笑顔を浮かべながら妹の肩を抱いて玄関ホールを通って二階へと続く階段を上がっていく。
「アイツにも色々と事情があってな。潔癖症な節はあるが、女嫌いというわけではない。アルフレッドが近くにいることもあまり良しとしていないぐらいだからな」
「でもいつも四人でいらっしゃいますよね?」
「まあな。気が合うと言えば聞こえはいいが、一緒にいるメリットを考えて行動しているらしい」
「メリット?」
「俺たちは自分の人気を理解してる。だから一緒にいると高嶺の花だなんだと言われて邪魔されない。そこが最大のメリットだ」
「だから個人行動になった途端……」
「そいいうことだな」
ヴィンセル・ブラックバーン、カイル・ベンフィールド、アルフレッド・アンベール、セシル・アッシュバートンは聖フォンス学園で絶大な人気を誇る四人組で、いつも行動を共にしている。
ヴィンセルがアルフレッドを良く思っていないのは初耳だが、理由を口にしないことから詳しく話せない理由があるのだろうと悟って追及はしなかった。
「アリス、あの三人は絶対にやめておけ」
「え?」
「ヴィンセルはお前も知っての通り、女を近付けない。アルフレッドは常に多数の女子生徒を連れ歩いている。セシルは恋愛事に興味がない。全員顔がいいだけのポンコツだ」
「ポンコツ……」
目を瞬かせるアリスの肩に手を置いてまたニッコリ笑うこの瞬間のカイルがアリスは苦手だった。
「お前は兄様の可愛い妹だ。だから兄様が認めた相手としか結婚しちゃいけないし、いっそ結婚しないって手もある。兄様も結婚はまだ考えてないから兄様と暮らそう。それがお前にとって一番良い人生じゃないか?」
「それはちょっと……」
「そうか! よかった! じゃあ兄様は仕事に戻るから、お前も恋ではなくお菓子作りしなさい。恋より甘くて美味しいぞ」
恋を知らない兄に何がわかるのだろうと疑問は浮かぶも力説されては面倒だからと到着した自室のドアを開け、少し中へ入ってから手を振り、すぐに閉めた。
カイルは恋の話になったらいつも圧をかけてくる。そして妹の意見は採用しない。
「アルフレッド様と彼女たちの共通点って何だろう?」
制服から部屋着に着替えながら首を傾げる。
ヴィンセルが男と過ごしていると言っても特定の三人とだけ。アルフレッドとヴィンセルの追っかけをする令嬢に共通点があるとすれば“ミーハー”という部分だけ。
アルフレッドは可愛いよりも美しいを重視するらしく、背の高い美人を周りに置くという噂。事実、彼は美人が通れば声をかける。追っかけをしている令嬢たちの中にもヴィンセルだけを追いかけているわけではない者もいるらしい。アルフレッドが好きだったが声をかけられなかったり【花】としての基準を満たせていなかったりで鞍替えした者もいるとアリシアが言っていた。
「でも、良く思ってないけどアルフレッド様と行動することはやめないのよね」
良く思っていないのであれば行動を共にすることは控えそうなものだが、そこはカイルが言っていたようにメリットの大きさにあるのだろう。
だが、思えばアルフレッドとヴィンセルはいつも両端にいた。一緒に行動はするが、端と端で距離を取っている。
「メリット、かぁ。大変なのね」
あれだけの人数からハートをまき散らしながら追いかけられれば誰でも嫌になるとと同情する。
ヴィンセルが迷惑に感じているのは見ればわかるのだから追っかけ令嬢たちもそれに気付いているはずなのに自分の気持ちを優先する令嬢をヴィンセルが受け入れたくないのも理解できるのだが、アリスは過去に一度だけ見たことがあった。
「どんな美人が相手でも受け取らない人……」
一年前のある日、ヴィンセルが一人でいた所に一人の生徒が寄ってきた。学園でも女神と呼ばれるほど人気があった三年の先輩が赤い顔で声をかけたのだ。兄を探していたアリスは一年生の廊下から階段を上がって二年生の教室に向かうために角を曲がろうしたところでそれを見かけた。
ハンカチが入っていたのだろう薄い箱がキレイにラッピングされ、それを差し出しながら女神は『もしよろしければ学園主催のダンスパーティーに誘っていただけませんか?』と言っていた。誰もが羨む申し出だが、ヴィンセルは申し訳なさそうな表情で首を振り、そのまま去っていった。
女神がその場でしゃがみ込んで泣いていた光景は今でも鮮明に残っている。
アリスが見ていたように別の場所で他の生徒も見ていたかもしれない。反対側の廊下、ヴィンセル側の曲がり角、隣の教室などいくらでもある学校で、もし彼が受け取ったと広まれば〝誰からも受け取らない〟というのは通用しなくなってしまう。
「人気者って大変だなぁ」
顔がイイというだけで得することもあるだろうが、損することもあるのだとヴィンセルを見ていると感じる。
本来であればのんびり過ごせるはずの放課後をヴィンセルは逃げ回って過ごすだけ。
モテとは無縁のアリスは兄と似ることはなく、平々凡々な学園生活を送っている。幼少期から誰かにアプローチされたこともなければ、今の学園でダンスパーティーに誘われたこともない。むしろ人気者を羨ましいと思っていたぐらいだ。
しかし、今こうして考えてみるとモテない人生で良かったのかもしれないと思い始めている。
「恋愛なんて勉強よりずっと難しいよ」
素敵だと思う殿方がいても知り合えなければ意味がない。
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だが、もし認知されていても女性嫌いなのであればそれは特でもなんでもない。
カイルの妹と名乗れば他の令嬢のように無下に扱われることはないかもしれないが、結局は困らせるだけ。
兄と一緒に歩いていたヴィンセルの笑顔を素敵だと思った。あの笑顔を向けてもらえたらどんなにいいだろうと。だからこそ困った顔は見たくない。令嬢たちに追いかけ回されているときのような顔は特に──……
「きゃっ! わわわわわっ! は、はい! アリス・ベンフィールドです!」
机の上に置いていた通信機の音に慌てて駆け寄りボタンを押すと笑い声が聞こえた。
幼い頃から一緒に育ってきた大切な幼馴染であり親友のティーナだった。
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