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変わっていく喜び

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 翌日、フローラリアに向かった三人は降り立った。

「ここがフローラリアですか! 素晴らしい景色だ!」

 感動したように声を上げるシェスターにアルフローレンスが若干驚いている。

「フローラリアの空気は格別ですな。いやはやこれほどまで違うとは」
「シェスターさんはグラキエス生まれですか?」
「そうですね。雪国生まれなのでこうして南国の空気を味わう経験はほとんどなくて、今とても不思議な感覚です」
「燕尾服、暑くないですか?」
「これが正装ですから」
「着替えろシェスター。見ているだけで暑苦しい」

 グラキエスで薄着で生活している寒々しいアルフローレンスを見ているのと同じだとミュゲットも頷く。

「しかし、一日のためだけに買うのは……」
「ここはグラキエスの支配下だぞ。金を払う必要は──」
「とんでもない! 陛下、支配下といえど、ここにはこれだけの民がいるのです。強盗のようなお考えはいけません」
「余に金を払えと?」
「ランプには支払ったではありませんか。それと同じです」
「ふむ……それもそうか」

 フローラリアが支配下だからいいと言うのならグラキエスは自分が皇帝なのだから何でもタダでいいということになる。それなのにランプを買った際には金を支払うよう言った。
 ミュゲットの両親の店だからという意識が無意識に働いたのかもしれないが、それではダメだと指摘するシェスターにアルフローレンスも従う。

「郷に入っては郷に従え、ですかね」
「そうですね」

 フローラリアの土産物屋で定番の衣装に着替えたシェスターには違和感しかなく、アルフローレンスは微妙な顔をしていたが本人は満足らしく笑顔を見せていた。

「私はこれから自由に回ってきますので、どうぞお二人もご自由にお過ごしください」
「よいのか?」
「せっかくの休暇です。一人で回るのが醍醐味ですよ」
「ハメを外しすぎるなよ」
「年寄りになんてことを。暴言ですぞ」

 ククッと喉奥を鳴らして笑うアルフローレンスが片手を上げて浜辺へと歩いていく。

「ここでお前に会った。あの生垣に頭を突っ込んでリスを見ていたんだ」
「リスが入っていったから追いかけてたの」

 今思えば頭を突っ込んで下半身だけ出していた子供は奇妙に見えただろうと苦笑する。

「あなたが付き合ってくれるなんて思わなかった」
「気まぐれだ」

 その気まぐれが出会いのキッカケだった。

「シーポティリを拾ってお前は嬉しそうに太陽にかざしていたな」
「だって世界の色が変わるんだもの」

 そう言ってミュゲットは砂浜に落ちているシーポティリの中から薄い水色を選んで拾い上げた。

「あなたの目の色」

 ミュゲットにはこんな色に見えているのだとジッと見つめているとミュゲットが笑う。

「何かあった?」
「何がだ?」
「なんだか少し変わったように見えるから」

 これはシェスターも気付いたことだった。ミュゲットが目覚めてからシェスターはアルフローレンスに「また一つ大きくなられましたな」と言った。
 人の世話などしたこともない人間がせっせと世話を焼いているからかと思っていたが、そうではないことに今気付いた。
 
「お前がのんきに眠っている間に色々あったのだ」
「そう。私ものんきに眠っている間に色々あったの」
「……何があった?」
「内緒。あなたが先に色々を話してくれたら教えてあげる」
「卑怯な女だ」

 そう言いながらも少し微笑むアルフローレンスはやはりどこか変わった。
 今までも柔らかい雰囲気であることはあった。だが、ここまでではなかった。アルフローレンスの部下でさえその変化に気付くほど。
 目覚めてから一度も怒られなかったことが意外だった。
 アルフローレンスのことだから『気を許すなと言っただろう』と怒るのではないかと思っていたが一度もない。
 ただひたすらに安堵していただけ。
 怯えた子供のように。

「海に入る?」
「いや、また人魚に引きずり込まれてはたまらん」
「ふふっ、そうね」

 あれも今となって思い出の一つ。
 あの時点で自覚できるほどにアルフローレンスに惹かれていた。
 アルフローレンスの愛を疑い、心まで委ねてしまわないよう必死だった。

「ジリジリと鬱陶しい太陽だな」
「太陽はどこで見てもこんな感じだと思うけど」
「暑すぎる」

 同じ色白でもミュゲットはここで十六年間育ったためそれほど汗をかきはしないが、アルフローレンスの額には汗が滲んでいる。
 今日は確かに特に暑く感じるが、そこまでかと笑ってしまう。
 
「何がおかしい」
「ううん、ハンサムだなって思っただけ。汗をかいてるあなたを見るのってレアだもの」
「毎晩見ているだろう、ベッドの中で」

 ボッと火がついたように赤くなるミュゲットを見るのは久しぶりでアルフローレンスのおかしそうに喉奥が鳴る。

「今更だな」
「急に耳元で囁くからでしょ! びっくりしただけ!」

 表情がわかりやすくなった相手と手を繋ぎながら砂浜を歩く。

「でもこうして快諾して一緒に来られたのはすごく嬉しい」
「用事もあったしな」
「用事?」
「そうだ」
「フローラリアに? あなたが?」
「そうだ」

 この国にはアルフローレンスの利益になるような物は何もない。それなのにアルフローレンスは自らが用があると言う。
 ミュゲットは知りたいと目で訴えるようにジッとアルフローレンスを見つめた。

「そのうち話す」
「今は?」
「まだ内緒だ」

 秘密主義というわけではない相手が秘密というにはなんらかの理由がある。それが知りたいと思うが、相手に話させるのは素手で岩を砕くより難しい。
 
「待っていろ」
「わかっ──」
「ミュゲット!」
「フィル」

 大声で名前を呼ばれたことに振り返るとフィルが駆け寄ってきていた。

「お前、大丈夫なのか!?」
「え?」
「解毒薬は手に入ったんだな?」
「どうして……」

 なぜフィルが知っているんだとアルフローレンスに顔を向けると

「ここなら解毒薬があるのではないかと足を運んだ際に会っただけだ」

 会っただけでは毒の話などしないだろう。
 ちゃんと会話をしたのだとミュゲットは手をギュッと握って再びフィルに顔を向ける。

「もう大丈夫。彼が解毒薬を手に入れてくれたの」
「イードルにあったのか?」
「いや、東の森だ」
「……そうかよ」

 東の森といえば何があるのか大体の者は知っている。
 魔女を頼ることがどういうことなのかも。
 それでもフィルはそこまでしてミュゲットを助けたいと思ったのなら、それでミュゲットが助かったのなら何も言わないと決めた。
 こうしてミュゲットが元気にしているならそれでよかったと。

「フローラリアに帰ってこいよ」
「フィル……」
「お前にはここが合ってる。フローラリアも少しずつ変わり始めてんだ。良い方にな。だから──」
「ミュゲットは生涯グラキエスで暮らすと決まっているのだ」
「テメーにゃ聞いてねぇよ」

 吐き捨てるように拒絶を口にするフィルにミュゲットが苦笑を見せる。

「フランがいればよかったんだけど……」
「いや……フランは状況をヤバくするだけだろ」
「そうかな……」
「まあ、アイツも色々頑張ってたけどな」

 フィルはミュゲットが知らないことを知っている。
 ミュゲットと違って長時間外で過ごしてきたフィルとフランは接触も多かっただろう。
 だが今更それをどういう感じだったかと聞くことはしない。
 何を聞いても今更でしかないし、理解したつもりになりたくない。
 フランが努力していた、我慢していた頃に理解してやるべきだったのだ。
 
「俺らの仲から王って選んでいいのか?」
「フローラリアの王は余だ。グラキエスの支配下にある以上、フローラリアに関する全ての決定権は余にあるのだ」
「あーそうかよ。はいはい」

 誰かが統率したほうがいいのは確かだが、アルフローレンスがそれを認めない。

「お前ら下々の者たちの中から王が生まれるのは危険だ」
「生まれながらにして皇子には下々の気持ちなんざわかんねぇもんな」
「わからぬ」

 嫌味が通じないことがフィルの苛立ちを増幅させるもミュゲットの前でみっともない姿を晒したくはないことから深呼吸をしてミュゲットを抱きしめた。

「余のものに触れるな」
「はあ!? 勝手に連れていっといて何が余のものだ! ふざけんのも大概にしろよ!」
「フィル、落ち着いて」
「ミュゲット、帰ってこいよ。こんな奴の傍にいる必要ねぇって」

 上半身は服を着ていないため首根っこを掴めず、代わりに腕を掴んで無理矢理引き剥がした。
 それでも諦めずにミュゲットに訴えかけるもミュゲットが首を縦に振ることはない。

「ごめんね、フィル」

 その言葉だけで諦めるにはじゅうぶんだった。
 睨みつけられているわけでも脅されているわけでもなく、これはミュゲットの言葉。
 ミュゲットはフローラリアには帰らずグラキエスで生きていくことを決めたのだと。

「……でも、帰りたくなったら帰ってこいよ。ここはお前の国なんだから」

 嬉しい言葉に笑顔で頷くとフィルは強く腕を振ってアルフローレンスの手を払う。

「イードルと東の魔女は繋がっているようだな」
「らしいな。でも大体の奴は魔女になんか頼まねぇよ。何求められるか、何されるかわかんねんだから。お前は何を取られた?」
「何も取られてはいない。余の過去を見せただけだ」
「そりゃ悪趣味なこって。ま、お前がどうなろうとミュゲットが生きてりゃそれでいいわ」

 離れる前にミュゲットの手を軽く握ったフィルはそのまま手を上げて去っていく。
 アルフローレンスに比べると小さな背中ではあるが、ミュゲットはその背中をよく見ていた。
 いつだってミュゲットの前に立って守ってくれた。
 思えばフランもそうだった。
 いつも先に行ってしまうフランの後を追うばかりだったが、自分より先を歩くことで皆に知らせていたのかもしれないと。
 他国の者が見れば汚れていると思うだろう光景を見せないように。

「海ばっかり見てないで他も見てればよかった」

 ポツリと呟くミュゲットの手を引いて城へと向かうアルフローレンス。
 余計な慰めを言わないことがミュゲットには救いだった。

「魔女に会ったの?」
「ああ」
「どんな人だった?」
「幼女だった」
「おばあさんじゃなくて?」
「ああ」

 小説に出てくる魔女はどれも腰の曲がった老婆。
 幼女が魔女というのは聞いたことがないと首を傾げるミュゲットは不思議そうに「うーん」と音を漏らす。

「可愛かった?」
「それなりに」
「会ってみたいなぁ」

 男でさえ選り好みするのだから女など東の森にさえ入れないだろうとアルフローレンスは何も言わなかった。
 
「過去を見せたって言ってたけど、どうして魔女は過去を見たがったの?」
「過去を見たがったのではない。解毒薬を作るためには氷の涙とやらが必要だった」
「氷の涙?」
「生憎、余の涙は枯れ果てていてな。流せと言われて流せるものではない故、枯れ果てた理由である過去の記憶に入りこんだのだ」
「そんなことができるの?」
「膨大な魔力を所持していればできぬことなどないだろうな」

 魔法を持たないミュゲットからすれば魔法というのはファンタジーでしかない。
 だが何度もそのファンタジーを目の当たりにしてきた以上、疑うことはない。
 魔女という存在さえも確かなものかミュゲットは知らないが、それでも嘘はつかないと言っている相手がこうして淡々と話すのだからと信じていた。

「それで少し変化があったの?」
「自分ではわからぬが、その変化はお前にとって良いものか?」
「ええ、とっても」
「ならいい」

 見たくもない過去だった。
 怯える自分。泣く自分。全てに絶望し、全てを諦めた自分。吐き気がするほど醜い父親。歪んだ愛で縛りつけた母親。
 なぜ心を凍らさなければならなかったのかを思い出すことが何より辛かったが、一度も忘れたことなどなかった光に再び出会えたことだけは幸運だった。
 
「お前の好きな景色を余も好きになってきた」
「ふふっ、そう言えることこそ、あなたが変わった証拠だと思う」
「……そうか」

 上手く言葉にできないことも多いが、自然と出てきた言葉がミュゲットを笑顔にしているのであればこんなに嬉しいことはない。
 小さな笑みを浮かべながらミュゲットの部屋から見渡す景色を暫く黙って眺めていた。
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