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おかえり
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「あなたは心ない人間よ。誰からも愛されることなんてない。愛を知らない男が愛されたいなんて笑わせないでよ。人殺しのくせに!」
睨みつけて叫ぶミュゲット。
「私が本当にあなたを好きになったと思ってるの? あなたを怒らせて殴られるのが嫌だから渋々一緒にいるだけに決まってるじゃない。じゃなきゃ誰が人殺しの傍に好き好んでいるのよ。その汚い手で触られるだけで吐き気がするのに。自分の手がどれぐらい汚れてるか見たことある?」
自分の手を見ると赤黒い血がべったりとついている。
両親を殺した時に見た手だ。
「ミュゲット……」
「近寄らないでよ!」
「余はミュゲット・ファン・ランベリーローズをを愛している」
「気持ち悪い。自分がどういう人間か理解してないの?」
「しているさ。余は人殺しだ。言葉足らずで、命の重さも、お前が望む愛し方も知らぬ愚かな男だ」
「あなたに愛されたいなんて思ってないから!」
「それでも余は愛している」
「私はあなたなんて愛してない! 私はね、絵本に出てくるような金髪の王子様と結婚するの。それが私の幸せなのよ。あなたの傍でご機嫌取りのように笑うことじゃない」
本当は優しい人だと言ってくれたこと。自分の過去に涙を流してくれたこと。大丈夫だと言って抱きしめてくれたこと。
全てミュゲットが与えてくれた温もりだと優しさだ。
だからアルフローレンスは真っ直ぐミュゲットを見た。
「余の愛した女を汚すな」
「汚すな? あなたの目の前にいる女が別人だって言いたいの? これも私! あなたが愛してるミュゲット・フォン・ランベリーローズなの! 綺麗な部分だけ見ようとしないでよ!」
「ミュゲットは人を傷つけようとはせぬ。誰よりも美しく心優しい女だ」
「だからそれが上辺しか見てないって言うのよ! 私はあなたなんて愛さない! 氷みたいに冷たい人間の傍にいるなんて気持ち悪くて反吐が出──」
叫び続けるミュゲットをアルフローレンスが抱きしめた。
「もう苦しまずともよいのだ」
そう声をかけるとミュゲットの姿が子供の頃の自分へと変わる。
自分さえも愛せない自分が心のどこかでミュゲットへの愛情を否定し続けていた。
愛されているのだろうか、愛しているのだろうかと疑心になることもあった。愛される資格などあるのだろうかと悩むことも。
それは自分で自分一人さえも愛せない人間がなぜ人を愛せるのかという疑問がずっと消えなかったから。
両親でさえ愛さなかった人間をなぜ他人が愛せるのか。
でもこれ以上はもう疑うこともできない。
アルフローレンスはハッキリと自覚したのだ。
ミュゲット・フォン・ランベリーローズを愛していると。
そして彼女が向けてくれる感情も愛なのだと。
「だって……だって……愛されるわけないよ! 人殺しがいい子なわけないもん!」
「愛されているのだ」
「いつか捨てられる! いい子にしてなきゃ捨てられちゃうんだよ!」
「もういい子にしている必要などない。お前はそのままで……いや、少しは変わらなければならない。己の過ちを、愚かさを認めること。そして、素直になることだ」
ミュゲットと一緒に過ごす日々の中で気付いたことはあまりにも大きくて、自分がどこまでやれるか今もわかっていない。
変えられるのか、変えていけるのか、できない自分に愛想をつかしたりはしないだろうか──不安はある。
それでもアルフローレンスは努力すると約束した。
「どうして誰も愛してくれないの? どうして誰も助けてくれないの?」
「お前の心を救い、お前を心から愛してくれる者が必ず現れる」
「嘘だよ……」
「嘘ではない。余は嘘はつかぬ」
「嘘つきはいい子じゃないもんね……」
「そうだな。だからこそ、余の言葉が真実だとわかるだろう。必ず愛される日が来る。そしてお前がその娘を愛する日も必ず来るのだ」
「ホント……?」
「ああ。だからもう泣かなくていい」
滝のように溢れる涙を拭って、もう一度抱きしめた。
そして──
「大丈夫」
魔法の言葉を唱えると幼い自分が笑って腕の中から消えた。
安心したようなひどく幼い笑顔だった。
「晴れるか……」
何も感じなかった心がミュゲットと再会して変わった。
恐怖を知り、怒りを知り、焦りを知り、愛を知ったのだ。
暗闇の中に差した一筋の光が暗闇を晴らして一面を光へと変えていく。
いない相手に縛られている必要はない。
もう誰も脅さないし手を上げない。
これからは自分もそうしなければならない。
簡単に命を奪うことをやめて、脅すこともやめる。
そうしなければミュゲットを安心させられないから。
「暖かいな」
凍ったものが全て溶けていくような感覚に目を閉じると光が強くなり、次に目を開けると天井が見えた。
「あ、起きた?」
見覚えのある顔が見えた。
「魔女か……」
「たくさん泣いたわね。自分の心と向き合ってどうだった? 爽やかになれた?」
「……悪趣味なやり方だな」
疲労感があるのに心は驚くほどスッキリしている。どこか空白ができたような感じがしながらも心地良い感じがある。
泣いたのだとわかる目の重さにミュゲットが今の自分を見たら笑うだろうかと想像すると笑ってしまう。
「そうやって笑ったほうがいいわよ。せっかくイケメンなんだからもったいないじゃない。ブサイクだって笑えば愛嬌があったりするんだから、イケメンならちゃんと笑いなさいよ」
笑っている自分はどんな顔をしているのか想像もつかない。だが、笑えるなら笑いたい。ミュゲットが笑ったとき、一緒に笑えるようになりたいと思った。
「解毒薬は作れるのか?」
「ええ。十個できたはずの氷の涙が九個しかないのが気になるけど、まあいいわ」
「足りないのか?」
「いいえ、一個あればいいのよ。他はコレクション用と新しい薬の開発に使うわ。ふふっ、高く売れる薬が作れるわよ」
「悪用するな」
「私に命令しないで。ほら、さっさとこれ持って帰りなさい」
起き上がって問いかけるアルフローレンスの目の前に出された淡く白色に発光する液体が入った小瓶が差し出される。
「なんのつもりだ……」
それを取ろうとしたが魔女がそれを引っ込めたためアルフローレンスが眉を寄せた。
「もう一度、私の目を見て」
またかとため息をつくも目を見つめた。
人形のように大きな瞳。子供というには色気のあるその顔に囚われる者がいる気持ちはアルフローレンスにもわかる。
実際、ここまで一緒に来たロードリックは既に魅了されているように落ち着きなく二人を見ていた。
「もういいか?」
前回決められた五秒以上経っても目を逸らさない魔女に問いかけると怪訝な表情を見せる。
「私の目を見て何も思わない?」
「大きな目だな」
「そうじゃなくて、ムラムラするとかドキドキするとか」
「ないな」
「……これでも?」
ボンッと音が鳴ると同時に上がった白煙の中から現れたのは子供から大人になった魔女。
絶世の美女といっても過言ではない美しさだが、アルフローレンスの心臓は平常運転。
「あなたって不感症かなにか?」
「いや」
「私のこの姿を見た者って過去に数人しかいないんだけど」
「その者たちは魅了されたのか?」
「……全員が不感症だっただけ」
その言葉だけで言いたいことがわかったアルフローレンスは頷きながらベッドから降りた。
「お前は美しい。だが余はお前に心を奪われることはない。お前のその瞳より美しい瞳を知っているのだ」
「何その言い方、ムカつく」
「すまぬな」
「あとで請求書送るからちゃんと払いなさいよ」
「ああ」
いくらとは聞かずに小瓶を受け取るアルフローレンスに拗ねた顔を見せる魔女の頭を撫でようとしたが、魔女の周りに結界のような物が張ってあって触れられなかった。
「……ねえ」
そのまま小屋を出て行こうとしたアルフローレンスが足を止める。
「愛した人に愛されるってどんな感じ?」
魔女の問いかけに振り返るアルフローレンスは目を細めた。
「幸せという言葉の意味を知った感じだな」
柔らかい声が語る感想を無言で聞いていた魔女は少しして肩を竦めた。
「つまらない上に語彙力のない男ね。もっとロマンチックな物言いはできないわけ?」
「愛した男はいないのか?」
「魔女が人を好きになると思う?」
「ああ」
「私はね、ムダなことが大嫌いなの。一緒には生きられない相手を好きになっても意味ないし、こんな森の奥で誰が一緒に暮らすっていうのよ。人間はすぐに嘘をつくし、動物や自然を壊す。大嫌いよ」
「お前にもいつか現れる」
「赤ん坊に言われてもね」
三千年以上生きている魔女からすればこの世界の人間は全て赤ん坊に見えるだろう。
誰とも生涯を共にできない悲しき存在。
誰かを愛しても必ず置いていかれる。
それはアルフローレンスも理解してやることができない。
「もう一つ、頼みがある」
「別料金発生するわよ」
「かまわぬ」
「叶えるかは別としてまず話を聞いてあげる」
アルフローレンスは稀に見る美丈夫だが、自分の魅了にかからない男という時点でお気に入りにはできず、ましてやその理由が愛している女がいるから。自分より美しいはずがないのに美しいと言いきるその性格はあまりにも可愛くないため叶えるかは気分次第と言う魔女。
「グラキエスの空にかかる雲を払うことはできるか?」
予想もしていなかった依頼に目を瞬かせるが、魔女はすぐにおかしそうに肩を揺らして笑いだした。
「雲を払えって? あの何百年もかかったままの分厚い雪雲を?」
「そうだ」
「冗談言えるか試してる?」
「いや」
真剣な願い事だとわかると魔女は笑ったまま首を振って「はあっ」と大きく息を吐き出した。
「そんなの私が出る必要なんてないじゃない」
「どういう意味だ」
「そのままよ。さっさと帰って。彼女持ちなんかに興味ないから。あ、この子は置いてってね。暫く楽しく遊べそうだから」
犬を追い払うように手を動かした魔女が指を鳴らすと一瞬で景色が変わった。
「陛下!?」
「アル!?」
目の前には驚いた顔をするシェスターとエルドレッドがいた。
グラキエスに戻ってきたのだ。
「ああっ本当によくお戻りになられました!」
「無事だったんだな!」
二人の安堵した表情を一瞬だけ視界に入れるも感動の再会は再現せず、アルフローレンスはそのままミュゲットの前まで歩いていく。
「解毒薬、手に入れたのか?」
「エルドレッド様」
アルフローレンスが小瓶を手にしていることから解毒薬が手に入ったのだと喜ぶエルドレッドをシェスターが静かにしているよう促した。
「ミュゲット」
氷に手を当てると一瞬で砕け散り、粒子レベルまで細かくなった氷がキラキラと輝きながらゆっくりと落ちていく。
ゆっくりとアルフローレンスの腕の中に落ちてくるミュゲットを受け止めるとアルフローレンスはミュゲットの唇に小瓶を当てて解毒薬を飲ませた。
魔女を見ても乱れなかった脈が乱れる。心臓が速く動き、不安が加速する。
これが解毒薬であるという保証はない。魔女に正義感があるとか、約束を破らない生き物だとは誰も言っていない。
人を陥れ、不幸にする存在かもしれない。
だが、アルフローレンスはあの魔女がそういうタイプとは思えなかった。
自分と同じタイプだと感じていた。
だからこれは本物だと信じている。
「……ア、ル……?」
まつ毛が動き、閉じていた瞳がゆっくりと開く。
まだはっきりとしていない意識の中、ミュゲットの視界を覆うアルフローレンスの顔にミュゲットが名を呼ぶ。
苦しげだった呼吸は落ち着いており、虚ろだった瞳は少し眠たげに見える。
もう大丈夫。
そう確信できるものだった。
シェスターは涙を浮かべ、エルドレッドはガッツポーズを。
アルフローレンスは強く目を閉じながらミュゲットを抱きしめた。
睨みつけて叫ぶミュゲット。
「私が本当にあなたを好きになったと思ってるの? あなたを怒らせて殴られるのが嫌だから渋々一緒にいるだけに決まってるじゃない。じゃなきゃ誰が人殺しの傍に好き好んでいるのよ。その汚い手で触られるだけで吐き気がするのに。自分の手がどれぐらい汚れてるか見たことある?」
自分の手を見ると赤黒い血がべったりとついている。
両親を殺した時に見た手だ。
「ミュゲット……」
「近寄らないでよ!」
「余はミュゲット・ファン・ランベリーローズをを愛している」
「気持ち悪い。自分がどういう人間か理解してないの?」
「しているさ。余は人殺しだ。言葉足らずで、命の重さも、お前が望む愛し方も知らぬ愚かな男だ」
「あなたに愛されたいなんて思ってないから!」
「それでも余は愛している」
「私はあなたなんて愛してない! 私はね、絵本に出てくるような金髪の王子様と結婚するの。それが私の幸せなのよ。あなたの傍でご機嫌取りのように笑うことじゃない」
本当は優しい人だと言ってくれたこと。自分の過去に涙を流してくれたこと。大丈夫だと言って抱きしめてくれたこと。
全てミュゲットが与えてくれた温もりだと優しさだ。
だからアルフローレンスは真っ直ぐミュゲットを見た。
「余の愛した女を汚すな」
「汚すな? あなたの目の前にいる女が別人だって言いたいの? これも私! あなたが愛してるミュゲット・フォン・ランベリーローズなの! 綺麗な部分だけ見ようとしないでよ!」
「ミュゲットは人を傷つけようとはせぬ。誰よりも美しく心優しい女だ」
「だからそれが上辺しか見てないって言うのよ! 私はあなたなんて愛さない! 氷みたいに冷たい人間の傍にいるなんて気持ち悪くて反吐が出──」
叫び続けるミュゲットをアルフローレンスが抱きしめた。
「もう苦しまずともよいのだ」
そう声をかけるとミュゲットの姿が子供の頃の自分へと変わる。
自分さえも愛せない自分が心のどこかでミュゲットへの愛情を否定し続けていた。
愛されているのだろうか、愛しているのだろうかと疑心になることもあった。愛される資格などあるのだろうかと悩むことも。
それは自分で自分一人さえも愛せない人間がなぜ人を愛せるのかという疑問がずっと消えなかったから。
両親でさえ愛さなかった人間をなぜ他人が愛せるのか。
でもこれ以上はもう疑うこともできない。
アルフローレンスはハッキリと自覚したのだ。
ミュゲット・フォン・ランベリーローズを愛していると。
そして彼女が向けてくれる感情も愛なのだと。
「だって……だって……愛されるわけないよ! 人殺しがいい子なわけないもん!」
「愛されているのだ」
「いつか捨てられる! いい子にしてなきゃ捨てられちゃうんだよ!」
「もういい子にしている必要などない。お前はそのままで……いや、少しは変わらなければならない。己の過ちを、愚かさを認めること。そして、素直になることだ」
ミュゲットと一緒に過ごす日々の中で気付いたことはあまりにも大きくて、自分がどこまでやれるか今もわかっていない。
変えられるのか、変えていけるのか、できない自分に愛想をつかしたりはしないだろうか──不安はある。
それでもアルフローレンスは努力すると約束した。
「どうして誰も愛してくれないの? どうして誰も助けてくれないの?」
「お前の心を救い、お前を心から愛してくれる者が必ず現れる」
「嘘だよ……」
「嘘ではない。余は嘘はつかぬ」
「嘘つきはいい子じゃないもんね……」
「そうだな。だからこそ、余の言葉が真実だとわかるだろう。必ず愛される日が来る。そしてお前がその娘を愛する日も必ず来るのだ」
「ホント……?」
「ああ。だからもう泣かなくていい」
滝のように溢れる涙を拭って、もう一度抱きしめた。
そして──
「大丈夫」
魔法の言葉を唱えると幼い自分が笑って腕の中から消えた。
安心したようなひどく幼い笑顔だった。
「晴れるか……」
何も感じなかった心がミュゲットと再会して変わった。
恐怖を知り、怒りを知り、焦りを知り、愛を知ったのだ。
暗闇の中に差した一筋の光が暗闇を晴らして一面を光へと変えていく。
いない相手に縛られている必要はない。
もう誰も脅さないし手を上げない。
これからは自分もそうしなければならない。
簡単に命を奪うことをやめて、脅すこともやめる。
そうしなければミュゲットを安心させられないから。
「暖かいな」
凍ったものが全て溶けていくような感覚に目を閉じると光が強くなり、次に目を開けると天井が見えた。
「あ、起きた?」
見覚えのある顔が見えた。
「魔女か……」
「たくさん泣いたわね。自分の心と向き合ってどうだった? 爽やかになれた?」
「……悪趣味なやり方だな」
疲労感があるのに心は驚くほどスッキリしている。どこか空白ができたような感じがしながらも心地良い感じがある。
泣いたのだとわかる目の重さにミュゲットが今の自分を見たら笑うだろうかと想像すると笑ってしまう。
「そうやって笑ったほうがいいわよ。せっかくイケメンなんだからもったいないじゃない。ブサイクだって笑えば愛嬌があったりするんだから、イケメンならちゃんと笑いなさいよ」
笑っている自分はどんな顔をしているのか想像もつかない。だが、笑えるなら笑いたい。ミュゲットが笑ったとき、一緒に笑えるようになりたいと思った。
「解毒薬は作れるのか?」
「ええ。十個できたはずの氷の涙が九個しかないのが気になるけど、まあいいわ」
「足りないのか?」
「いいえ、一個あればいいのよ。他はコレクション用と新しい薬の開発に使うわ。ふふっ、高く売れる薬が作れるわよ」
「悪用するな」
「私に命令しないで。ほら、さっさとこれ持って帰りなさい」
起き上がって問いかけるアルフローレンスの目の前に出された淡く白色に発光する液体が入った小瓶が差し出される。
「なんのつもりだ……」
それを取ろうとしたが魔女がそれを引っ込めたためアルフローレンスが眉を寄せた。
「もう一度、私の目を見て」
またかとため息をつくも目を見つめた。
人形のように大きな瞳。子供というには色気のあるその顔に囚われる者がいる気持ちはアルフローレンスにもわかる。
実際、ここまで一緒に来たロードリックは既に魅了されているように落ち着きなく二人を見ていた。
「もういいか?」
前回決められた五秒以上経っても目を逸らさない魔女に問いかけると怪訝な表情を見せる。
「私の目を見て何も思わない?」
「大きな目だな」
「そうじゃなくて、ムラムラするとかドキドキするとか」
「ないな」
「……これでも?」
ボンッと音が鳴ると同時に上がった白煙の中から現れたのは子供から大人になった魔女。
絶世の美女といっても過言ではない美しさだが、アルフローレンスの心臓は平常運転。
「あなたって不感症かなにか?」
「いや」
「私のこの姿を見た者って過去に数人しかいないんだけど」
「その者たちは魅了されたのか?」
「……全員が不感症だっただけ」
その言葉だけで言いたいことがわかったアルフローレンスは頷きながらベッドから降りた。
「お前は美しい。だが余はお前に心を奪われることはない。お前のその瞳より美しい瞳を知っているのだ」
「何その言い方、ムカつく」
「すまぬな」
「あとで請求書送るからちゃんと払いなさいよ」
「ああ」
いくらとは聞かずに小瓶を受け取るアルフローレンスに拗ねた顔を見せる魔女の頭を撫でようとしたが、魔女の周りに結界のような物が張ってあって触れられなかった。
「……ねえ」
そのまま小屋を出て行こうとしたアルフローレンスが足を止める。
「愛した人に愛されるってどんな感じ?」
魔女の問いかけに振り返るアルフローレンスは目を細めた。
「幸せという言葉の意味を知った感じだな」
柔らかい声が語る感想を無言で聞いていた魔女は少しして肩を竦めた。
「つまらない上に語彙力のない男ね。もっとロマンチックな物言いはできないわけ?」
「愛した男はいないのか?」
「魔女が人を好きになると思う?」
「ああ」
「私はね、ムダなことが大嫌いなの。一緒には生きられない相手を好きになっても意味ないし、こんな森の奥で誰が一緒に暮らすっていうのよ。人間はすぐに嘘をつくし、動物や自然を壊す。大嫌いよ」
「お前にもいつか現れる」
「赤ん坊に言われてもね」
三千年以上生きている魔女からすればこの世界の人間は全て赤ん坊に見えるだろう。
誰とも生涯を共にできない悲しき存在。
誰かを愛しても必ず置いていかれる。
それはアルフローレンスも理解してやることができない。
「もう一つ、頼みがある」
「別料金発生するわよ」
「かまわぬ」
「叶えるかは別としてまず話を聞いてあげる」
アルフローレンスは稀に見る美丈夫だが、自分の魅了にかからない男という時点でお気に入りにはできず、ましてやその理由が愛している女がいるから。自分より美しいはずがないのに美しいと言いきるその性格はあまりにも可愛くないため叶えるかは気分次第と言う魔女。
「グラキエスの空にかかる雲を払うことはできるか?」
予想もしていなかった依頼に目を瞬かせるが、魔女はすぐにおかしそうに肩を揺らして笑いだした。
「雲を払えって? あの何百年もかかったままの分厚い雪雲を?」
「そうだ」
「冗談言えるか試してる?」
「いや」
真剣な願い事だとわかると魔女は笑ったまま首を振って「はあっ」と大きく息を吐き出した。
「そんなの私が出る必要なんてないじゃない」
「どういう意味だ」
「そのままよ。さっさと帰って。彼女持ちなんかに興味ないから。あ、この子は置いてってね。暫く楽しく遊べそうだから」
犬を追い払うように手を動かした魔女が指を鳴らすと一瞬で景色が変わった。
「陛下!?」
「アル!?」
目の前には驚いた顔をするシェスターとエルドレッドがいた。
グラキエスに戻ってきたのだ。
「ああっ本当によくお戻りになられました!」
「無事だったんだな!」
二人の安堵した表情を一瞬だけ視界に入れるも感動の再会は再現せず、アルフローレンスはそのままミュゲットの前まで歩いていく。
「解毒薬、手に入れたのか?」
「エルドレッド様」
アルフローレンスが小瓶を手にしていることから解毒薬が手に入ったのだと喜ぶエルドレッドをシェスターが静かにしているよう促した。
「ミュゲット」
氷に手を当てると一瞬で砕け散り、粒子レベルまで細かくなった氷がキラキラと輝きながらゆっくりと落ちていく。
ゆっくりとアルフローレンスの腕の中に落ちてくるミュゲットを受け止めるとアルフローレンスはミュゲットの唇に小瓶を当てて解毒薬を飲ませた。
魔女を見ても乱れなかった脈が乱れる。心臓が速く動き、不安が加速する。
これが解毒薬であるという保証はない。魔女に正義感があるとか、約束を破らない生き物だとは誰も言っていない。
人を陥れ、不幸にする存在かもしれない。
だが、アルフローレンスはあの魔女がそういうタイプとは思えなかった。
自分と同じタイプだと感じていた。
だからこれは本物だと信じている。
「……ア、ル……?」
まつ毛が動き、閉じていた瞳がゆっくりと開く。
まだはっきりとしていない意識の中、ミュゲットの視界を覆うアルフローレンスの顔にミュゲットが名を呼ぶ。
苦しげだった呼吸は落ち着いており、虚ろだった瞳は少し眠たげに見える。
もう大丈夫。
そう確信できるものだった。
シェスターは涙を浮かべ、エルドレッドはガッツポーズを。
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