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祈り

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「ミュゲットの周りで鼻を鳴らしていた子犬か」
「フィルだ。名前忘れてんじゃねぇぞクソ野郎」

 恨みを宿す瞳にアルフローレンスはすぐに視線を月へと戻す。

「ミュゲットはどうしたよ」
「グラキエスにいる」
「なんでお前一人で来たんだ? 何用だよ」
「資料を探しに来ただけだ」
「だったらミュゲットも連れてきてやれよ。この国が好きなのわかってんだろ」

 連れてこれるものならそうしている。だがそんなことはできない。今はあそこから一歩だって動かすことはできない。
 
「これは仕事だ」
「お前の仕事は人殺しだろ。戦争屋」
「のんきに生きているだけの貴様にはわからぬだろうな。非難することしか能がないのだからな」
「テメーを棚に上げて人を非難すんのかよ。笑わせんな。ミュゲットはフローラリアにいるのが合ってんだ。返せ」

 非難するだけなら聞き流そうとも思っていたが、返せという言葉には思わず鼻で笑ってしまう。

「何がおかしんだよ」
「ミュゲットが望んでいるのは貴様のような軟弱な口だけ男の傍ではない。余の傍だ」
「ハッ、暴力で支配することしかできねぇテメーみてぇなクソ野郎をミュゲットが選ぶわけねぇだろ! 勘違いしてんじゃねぇぞ!」
「吠えるな、煩わしい」
「どいつもこいつも……ミュゲットはな、欲を満たすための道具じゃねんだよ!」

 フィルの言葉にアルフローレンスの眉が少し反応する。

「貴様は……知っていたのか、アイザックの行動を」
「……なんでテメーが知ってんだよ」
「貴様に話す義理はない。だが貴様は答えよ。アイザックの行動を知っていたのか?」
「答える義理は……ッ」

 喉元に突きつけられる氷の刃。皮膚に触れる刃先から感じる強烈な冷気。それだけで皮膚が凍ってしまいそうなほどで、フィルはごくりと喉を鳴らす。

「……知ってたよ。隠してたつもりだろうが皆知ってた。あの植物が一体なんなのか、どういうつもりで国王が植え始めたのかもな」
「管理していたのは誰だ」
「国王とこの国の奴じゃねぇ男が三人」
「そうか」
「この国の植物は全部国の物であり、俺たち民の物でもある。なのに一定の区画だけは絶対に近付けないようにしてやがった。自国の奴じゃなく他国の奴を連れてそこに入ってくんだ。おかしいと思うだろ」

 世界最大数の植物保持国だとしても麻薬となれば話は別で、慣れている者を連れて育てていたのだろう。

「植物についてどうやって知ったのだ?」
「西にガストーラって国がある。そこに旅行に行ったオッサンがいて、そこで知ったんだと。だから間違いねぇって言ってた」
「わかっていながらその恩恵を受けていた者は?」
「大勢だ。国民も観光客もな。女は特に」

 ミュゲットがフローラリアの慣習に従わずに済んだのはノーラが守っていたから。しかし他の者はそうはいかないだろう。ある一定の年齢に達すると観光客の相手をするようになる。
 だが誰もがそれを喜んで受け入れるわけではない。でも断ることはできない。そんな者に与えて感覚を麻痺させる仕組みができていたのかもしれないとアルフローレンスは考えた。
 なんとも愚かで哀れな国。

「お前も恩恵を受けていたのか?」
「んなわけねぇだろ」
「舞の後の粉もそうだな?」
「ああ。あれをマジで貝の粉だって信じてた奴はいねぇよ」
「ミュゲットは信じていた」
「あー……アイツはいいんだよ。マジでなんも知らなかったし、知らないままいてくれてよかった」

 どこか安堵しているように見えた表情にフィルの気持ちが伝わってくる。
 大事に思い、できる限り守ってきたのだと。
 ミュゲットはフローラリアでも幸せにはなれただろう。舞のあと、ミュゲットを解放してフィルに任せれば穏やかに暮らせたはずだ。
 アルフローレンスがその選択肢を選べなかっただけ。
 今こう思っていてもやはり選ぶ選択肢は同じで、返すことなどできない。
 
「余はイヌサフランの毒の解毒薬の生成方法を探している。知っているか?」
「イヌサフラン? なんでそんな物が必要なんだよ」
「答えろ。知っているのか?」

 自分は何も答えず人に応えさせるばかりのアルフローレンスにフィルが苛立つ。

「知ってたとしてもテメーなんざに教えるわけねぇだろうが」
「その毒でミュゲットが苦しんでいるとしてもか?」
「………………は?」

 戸惑いにフィルの瞳が揺れる。

「どう、いう……意味……だ? ミュゲットが……毒で、苦しんでるって……」
「フラン・フォン・ランベリーローズに仕込まれた毒でミュゲットは苦しんで……いや、死にかけている」
「……なんで……なんでだよ! なんでフランがッ……いや、アイツならいつかやるんじゃねぇかと思ってた。アイツはいつも毒草について調べてたし、解毒薬がある物はどれかってよく聞いてきた……でもまさかマジで何かしでかすなんて……」

 絶句するフィルは戸惑ったままアルフローレンスの胸ぐらを掴んだ。

「お前は結局ミュゲットを不幸にしてるだけじゃねぇか! ミュゲットから大事なもんばっか奪って、傷つけて、不幸にしてる! お前が現れてからアイツはずっと不幸だ!」

 フィルの言葉にアルフローレンスは反論しない。笑ってくれたとか受け入れてくれたとか返す言葉はあるのに何も言わないのはそれも当てはまっているからで、不幸にしているのも確かだった。

「ミュゲットはここにいるほうが幸せなんだよ! アイツが幸せでいられんのはお前の傍じゃねぇ! ここなんだよッ!」
「離せ」
「苦しめるだけ苦しめて捨てるつもりか!? アイツがどんなに優しい女かも知らねぇで傷つけて不幸にしてなんのつもりだよ! 何考えてんだテメーは!」
「余に同じことを二度言わせるな」
「ぐッ……!」

 胸ぐらを掴んでいた腕を握られると走った痛みに手が離れ、砂の上に投げられてしまう。
 その痛みに思わず声を漏らした情けなさに唇を噛みながら立ち上がるとアルフローレンスを睨みつける。

「解毒薬の作り方を知っているのかと聞いている。答えろ」
「イヌサフランの毒に解毒薬はねぇよ……」
「そうか」
「やっぱテメーは人殺しだ……結局はミュゲットまで殺すんだからな……」

 フィルの震えた声を聞きながら踵を返すアルフローレンスからの返事はなかった。
 それがまたフィルを苛立たせる。
 自分はまだ十代の子供で、背もそんなに高くなければ戦場を駆け回って戦えるだけの力もない。
 アルフローレンスと戦ったところで秒で決着がつくのは目に見えている。
 大声を上げるのも自分だけ。相手はいつも余裕があるように冷静。
 大嫌いだった。

「ああ、陛下」
「何用だ」
「お食事はお気に召しませんでしたか?」
「食欲がなかっただけだ。問題ない」

 部屋に戻ると食事を下げに来たのだろう使用人がいた。
 不安げに問いかける使用人に言葉を返すとひどく安堵した表情になる。
 今日はミュゲットが望む通り、極力静かな対応をしたつもりだったが氷帝の名が大陸中に馳せている以上はどこでどんな対応をしようと今更評判は変わらない。

「今日はこちらでお休みになられますか?」
「ああ」
「かしこまりました。何かご用がございましたらいつでもお申し付けくださいませ」

 笑顔で部屋を出る使用人。
 ベッドに背を預けたアルフローレンスは天井を見上げながら思い出していた。

『神様……』

 帰らないと訴えるミュゲットに怒り、酷い抱き方をした日、ミュゲットは何度も呟いていた。
 苦しげな声を漏らし、痛みを訴える中で天井を見上げながら救いもしない神に祈っていた。
 優しくしたいのに仕方がわからない。どんな言葉が優しいのか、どんな行動が優しさになるのかわからないアルフローレンスにとって身体を繋げることだけが唯一繋がりを感じる方法だった。

『共に体温と快楽を分け合うことが愛なのよ』

 そう言い続けた母親の愚言をこの歳まで信じていたことがおかしいのに、アルフローレンスはそれを信じてミュゲットを抱き続けた。
 抱き続ければこの愛が伝わるだろうと。
 だが実際は違った。
 思いは言わなければ伝わらない。
 当たり前のことだ。

「ミュゲット、許してくれ……」

 苦しんでいるのは自分のせいだと眉を寄せ呟くとベッドから起き上がって再び書庫へと向かった。
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