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家族

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 ミュゲットは朝からずっとソワソワして落ち着かなかった。
 今日は三人がやってくる日。
 この日のために特別にドレスを用意してもらい、久しぶりに身綺麗にした。
 おかしくないかと何十回と確認するミュゲットに三回は答えたアルフローレンスもそれ以降は何も答えなくなったが、ミュゲットはそれでも問いかけ続けた。

「おかしくない?」

 今度は鏡に向かって自分に問いかけるミュゲットを冷めた目で見るアルフローレンスのことなど気にもならない。

「何をそんなに気にすることがある。一週間前に会ったばかりだろう」
「あのときは毛皮を着てたし」
「お前が今着ている物はあれ以上の価値がある」
「そうだけど……」

 値段の問題ではなく、このドレスが似合っているかどうかが問題。
 フローラリアで生きてきたミュゲットにとってオシャレというのは無縁のもの。ワンピースを着ればそれでよかったためこうしたドレスを着るのは初めてで落ち着かない。

「こういうのって小説の中で身分ある令嬢が着てる物だもの」
「お前は自分が王女であることを忘れているのか?」
「そう、だけど……フローラリアはこういうのが正装じゃなかったし……」
「それでよく似合っているという余の言葉をお前はかれこれ一時間も疑い続けているわけか」
「不安なの。あなたは何を着ても変じゃないからいいけど、私は背も低いし、メリハリある身体じゃないから」
「それに合わせて作った物だ」

 否定しないのがなんとも憎らしいが、事実は事実だと認めて深呼吸をしているとノックの音に大袈裟に身体が跳ねる。

「お客様が到着されました」

 シェスターの声にアルフローレンスがソファーから立ち上がって歩いていく。その後ろをついていくミュゲットは今にも口から心臓が飛び出しそうだった。
 
「何をそんなに緊張することがある」
「だって妹がいるなんて知らなかったし、あの子は私の顔を知ってた。それって絶対事情があるでしょ? それを知ることに緊張してるの」
「聞いてしまえばそんなものはどうでもよくなる」
「聞く前だから緊張してるの」
「覚悟を決めろ」

 他人事だからそう言えるのだとため息をつくも差し出された腕に小さく笑ってエスコートしてもらう。
 応接間の前に到着すると深呼吸をしてから中へと入っていく。

「皇帝陛下、お招きいただきありがとうございます」
「こんにちは!」
「アイリス、挨拶は静かにしなさい」

 三人とも今日のために仕立てたのだろうか、店で見たときとは別人のようなおめかしをしている。
 明るいアイリスに笑顔を返し、引かれた椅子に腰掛けた。

「お城ってすごく大きいね」

 人懐っこいアイリスを見ていれば彼女がどれだけ愛情豊かな家庭で育ったのかよくわかる。
 屈託のない笑顔がミュゲットの緊張を少しだけ和らげてくれる。

「こちらの予定に合わせていただき感謝いたします」
「皇帝陛下のお時間をいただきましたこと、感謝いたします」

 二人の挨拶にアルフローレンスは頷きだけ見せる。

「アイリス、だったか」
「はい!」
「お前はなぜミュゲットを知っていたのだ?」
「写真見てたから」
「それについては私のほうからお話しさせてください」

 エレノアが鞄から取り出した手紙の束。差出人はノーラ・フォン・ランベリーローズ。

「お母様と手紙のやり取りをしていたのですか?」
「ええ。一年に一度だけ、手紙と一緒に写真を送ってくれていたの」

 父親の手紙にはそのことは書いていなかった。当然だ、許すはずがない。
 ノーラが隠れてやっていたことなのだろう。

「私がフローラリアを出た一ヶ月後、ノーラから手紙が届いたんです」

 差し出された古い手紙。日付は十六年前になっている。
 取り出して内容を確認するとミュゲットは目を細めた。

【私も子を持つ身。我が子と引き離されたあなたの気持ちは痛いほどわかっているつもりです。一目会うことが叶わないのであれば、せめて写真だけでも受け取ってください】

 エルドレッドを産んですぐ引き離されたノーラは一目見ることも叶わないままこの世を去った。
 愛おしい我が子がどんな育てられ方をしていたのかも知らずに。
 知ればきっと絶望していただろう。いつまでも忘れられない初恋の男を嫌悪したかもしれない。
 知らないほうがいいこと、というのをミュゲットは初めて知った。

「もしアイザックにバレたら何をされるかわからないからやめてと知人を頼って伝えてもらったのだけど、彼女は頑固なところもあってね、私が何を言おうと一年に一度、必ずこうして送ってきてくれたの」
「……私だけの写真を取るからどうしてかなって思ってたんです。いつも父とフランがいないときに撮っていたから」
「これらに見覚えある?」

 並べられた写真は赤ん坊の頃から記憶に新しいものまであって、どれもハッキリ覚えている母が撮ってくれたものばかり。

「ミュゲットはとてもいい子です。賢くて大人しくて笑顔が可愛い愛らしい子に育っています。私はあの子をこの地の者として育てるつもりはありません。あなたが願いを込めてつけた名に恥じない子に育てます、と約束してくれたの。バレては困るから私から返事を出すことはできなかったけど、ずっと感謝はしてたの」
「……あなたは、聞いてたの?」
「本当のことはミュゲットお姉ちゃんが来てから聞いたの。私はずっとお姉ちゃんは事情があって南の国にいるってことしか聞いてなかったから」

 アイリスの言葉にミュゲットが頷く。
 自分が嫁いだ国から、よりにもよって息子に追放されたなどと話せるわけがない。
 それでもエレノアはミュゲットを自分の子として話していた。自分の愛おしい娘にそれを隠すことなく写真を見せて話していたのだろう。

「あなたが愛されて育っていることはノーラの手紙を読めばわかっていたし、不安はなかったの」
「愛情豊かな両親でした」
「差別はなかった?」
「全然。一度も感じたことはありません」
「そう。よかった」

 瞳が潤むエレノアにミュゲットまで目頭が熱くなる。
 今日は泣かないと決めた。化粧もしているし、凛としていようと決めたのにここ数日泣くことが多かったせいで涙腺が緩みきっていると鼻を啜った。

「店主、お前はすぐにわかったか?」
「もちろんです。ただ、どう反応していいのかわからず店主として対応しようと思っていました」
「写真のまんまだもんね」
「でもきっと写真を見たことがなくてもわかったさ。こんなにも愛おしい気持ちになる相手が娘じゃないわけないからな」

 ミュゲットの頬を涙が伝う。
 これは一体どういう涙なのだろう。
 今まで一度だって会ったことがなかった相手。目の前にいる相手が生みの母だと知ったのはつい最近で、なんの思い入れもないはずなのに、その言葉に胸が震える。

「エレノア、お前はアイザックが裏で何をしていたか知っていたか?」
「薬のことでしょうか……」

 知っていたのならいいと頷くアルフローレンスにエレノアは膝の上で拳を握る。

「今回のことは自業自得としか言いようがありません。王として守るべきものは両手では抱えきれないほど大きいというのに、あの子は何一つ守ることなく両手を広げたまま無責任に王を続けた。あの子に王としての素質はありませんでした。情けないことです……ッ」

 新聞で見ただろうフローラリア陥落の知らせ。
 自分を追放しても我が子というのは変わらない。立派な王になってほしいという願いだけは消えなかったのだろう。
 今回のことをアルフローレンスの一方的な侵攻だとは思わず、自業自得と言いきったエレノアの思いは震えた拳に表れている。

「許せ。全てはミュゲットを守るためだったのだ」
「ノーラからの手紙に書いてありました。何があってもアイザックの計画は阻止すると。もしかして、皇帝陛下のもとにノーラから連絡が?」
「いや、余の自己判断だ。武力行使にはなったがな」
「ありがとうございます」

 ミュゲットと違い、エレノアはちゃんとフローラリアの実態を知っていた。夫がしていたことも、息子がそれを継いでしまったことも。
 手紙を読んで憤ることもあったが、当然口も手も出せない状況であるため無力を感じることも多かった。

「ノーラも共に逝ってしまったことは残念としか言いようがありませんが、あの子はこれを償いだと言っていました。彼を一途に愛せなかったこと、私の追放を止められなかったこと、一人の娘の人生を嘘で固めてしまったことへの償いだと。でも、彼女が背負うべき業は何もなかったんです。彼女は母親として立派にこの子を育ててくれました。感謝してもしきれないほどの愛情をかけて……」

 大粒の涙がエレノアの瞳からこぼれ落ち、嗚咽が漏れる。

「最後の手紙には全てを書き残すと書いてありました。あの子を一人ぼっちにさせないためにと。いつか、訪ねていくかもしれないからそのときは母親だと名乗ってくださいと書いて……ッ!」

 堪えきれなくなったエレノアの鳴き声が応接間に響く。
 夫と娘が寄り添って抱きしめる姿にミュゲットは目を閉じる。
 望んで預けたわけではなく、息子に奪われたようなもの。ノーラにはその辛さが、痛みがわかるから放っておけなかった。
 
「あの子は苦しんでいなかったのでしょうか?」
「ああ、あの国は花の国だ。抽出された花の毒を使ったようだが、苦しんだようには見えなかった」
「ああっ、よかった!」

 ずっと気になっていたのだろう。
 夫と共に逝くつもりだと書いてあったとき、エレノアはすぐにでも馬車を走らせてフローラリアに行きたかった。息子の頬を叩いて怒鳴りつけて考え直せと言ってやりたかった。
 でもそうすることでノーラが今までしてくれた努力とそれに対する覚悟を台無しにするような気がしてできなかったのだ。
 だからフローラリア陥落と共に知った両陛下の死亡記事を見てずっと気になり、そして後悔し続けていた。
 今ようやく、エレノアの心に安堵が訪れた。

「ノーラはああ言ってくれたけど、私はあなたにミルクさえ与えたことがないの。だから今更あなたの母親だと主張するつもりはないわ。でも心の中ではあなたは私の大事な娘だと思ってる。それだけはどうか許してください」

 ミュゲットにとって母親はノーラ・フォン・ランベリーローズ一人だけ。それはきっとこの先も変わることはない。
 でも、この人がいなければ自分は生まれていなかった。それだけは感謝している。

「もちろんです」

 上手く言葉が出てこなくてそれしか返せなかったけど、エレノアは笑顔を見せてくれた。
 二人にとってはそれだけでじゅうぶんだったのだ。

「私はミュゲットお姉ちゃんに会えて嬉しかったよ! だから心の中だけなんて絶対にやだ。これからもお姉ちゃんって呼びたいし、また会いたいよ」
「すごく嬉しい」

 両手を上げて喜ぶアイリスにミュゲットは心臓が速く動くのを感じていた。 
 フランという妹がいて、昔はずっとこんな感じだった。無邪気で感情豊か。そんなフランが好きだった。
 でも見れば見るほど似てなくて落ち込むことも多かった。
 アイリスは自分に似ていると思うほど容姿の共通点が多い。
 外見が似ていればというわけではないが、ミュゲットにとってこうして自分の存在を喜んでくれる人がいることは何より嬉しいことだった。

「パパ、アレ渡さないの?」
「あ、ああっ、そうだったな!」

 立ち上がってソファーの後ろへと回り、大きな箱を持ってきた。
 箱には何も書いていない。
 一体何だろうと首を傾げるミュゲットの前でゆっくりと開封するとミュゲットは目を見開いた。

「スズラン……の、ランプ?」

 葉から花の細部まで再現されているランプ。
 いくつもの小さな白い花が愛らしく、本当にランプなのかと驚いてしまう。

「いつか、君に会えたら渡そうと思っていたんだ」
「パパってば毎年作り直してたんだよ!」
「パパの技術は毎年向上してるって言っただろ?」
「どれも同じだったよ?」
「違うんだ。色合いとか色々あってだな──」
「はいはい、わかったわかった」

 二人のやりとりにミュゲットが笑うと二人は顔を見合わせて嬉しそうに笑う。

「庭に咲いている花に混ぜてもわからないぐらい再現されていてすごく美しいです。ありがとうございます」
「喜んでもらえて嬉しいよ」
「良かったね、パパ!」

 彼らも色々と抱えていたのだろうと思うと今日こうして集まれたことは結果的に良かったことなのだとミュゲットは横にいるアルフローレンスに頭をもたれかからせた。

「お姉ちゃん、また遊びに来てもいい?」
「アイリス、ここは遊ぶ場所じゃないんだ。わがまま言うんじゃない」
「じゃあお姉ちゃんが来てくれる?」
「ええ、また伺います」
「約束だよ!?」
「約束」

 差し出された小指に小指を絡めて上下に振る。
 嬉しそうに笑うアイリスが馬車に乗り込み、窓から何度も手を振る様子にミュゲットも手を振り返した。

「皇帝陛下、本日は──」
「堅苦しい挨拶は聞いた。二度も言うな」
「ミュゲットのこと、よろしくお願いいたします」
「ああ」
 
 短い返事だったが、彼がどういう人間か知っている以上、二人は不満げな顔を見せることなく馬車に乗り込んだ。何度も何度も頭を下げ、それは門から出るまで続いた。
 帰っていく家族を見送るミュゲット。
 見えなくなるとアルフローレンスは後ろからミュゲットを抱きしめてコートの中に入れた。

「寂しいか?」
「どうして?」
「そんな顔をしていた」
「そんなこと……」

 相手に嘘は通用しないことを思い出して苦笑してしまう。

「血は繋がっていても私はあの家族の中には入れない。フランが離れて、あなたがいなくても、私はあの家族の一員にはなれなかっただろうなって思ったの」
「血が繋がっていれば家族というわけではない」
「そうね……」

 真っ白な息を吐き出してミュゲットは空を見上げる。

「家族、か……」

 フランがいてももう家族とは呼べない。
 一人ぼっちにさせないためにと手紙を書いた母親は今の光景を見てどう思っているだろうと考える。安堵しているだろうかと。

「ミュゲット」
「はい」

 空からアルフローレンスへと顔を移すといつも通りの顔がある。

「あの家族に入れぬお前は確かに一人かもしれぬ。親も妹も奪ったのは余だからな。知り合いもいないこの国で行き続けることになる中で、余はお前に友人を作る機会を与えてやることもできぬ。余は知り合いがいないからな」
「そうですね」

 相手に親しい友がいると聞いたらミュゲットは驚きで月まで飛べそうだと思った。

「だが、余がいる」

 呟くように出てきた言葉に目を瞬かせる。

「それではダメか?」

 友達も作れず、遠出もできない。一生この国の中で、この城の中で飼い殺しのような生活を送ることになる。
 誰かと楽しいティータイムをすることも、惚気話をすることもない。
 暖か日差しを感じながらのんびり外を散歩したり、花や木々の匂いを感じることもできない国で話す相手はたったの数人。
 でも今のミュゲットはそれを苦痛には感じない。
 こうしてちゃんと言葉をかけてくれる人がいるから。

「それでじゅうぶんです」

 笑顔でそう返すほど、ミュゲットはこの男を愛している。
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