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表裏一体

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「ああ……お父様は……全て知っていたのね」

 アルフローレンスの手をそっと離してまた新しい手紙に目を通すとその手紙を胸に押し当てて大きく息を吐き出す。

「エルドレッド様のことも、お母様が私を通して先代皇帝を見ていたことも……」

 アルフローレンスは過去に一度だけ会っているが、エルドレッドは会っていない。きっと一目だけでも会いたかっただろうと思うと切なくなる。
 夫であるアイザックを愛していたのも嘘ではないが、初恋は忘れられないもの。だから色白の、グラキエスの血が入っているミュゲットを見ていつまでも忘れられない初恋を燻らせ続けていた。
 それに気付いていた父親はどんな気持ちだったのかは、この一文を見ればわかる。

『私はそんな妻を許すつもりはない』

 恨みが詰まっている言葉になんとも言えない気持ちになった。
 ミュゲットにとってあの二人は理想の夫婦。いつまでも愛し合う二人のような夫婦に、自分も愛する人と結婚したら彼らのようになりたいと思っていた。
 でもそれはどこか仮面をかぶって見せていた部分もあったのだと気付いた今、二人の想いが完全に重なり合っていたわけではなかったことに寂しさを感じる。

「お前は過去に両親が死んだのは余のせいだと言ったが、それは間違いないことだ」

 手紙に書いてある『もし皇帝陛下がフローラリアに乗り込んでこられたら、私は妻と共に死ぬつもりです』の言葉がずっと謎だった二人の死の真相の全てを物語っている。
 暴れた形跡がなかったことから母親はきっと強制的に道連れにされたのではなく、前々から言われていたことだったのだろうこともわかった。
 だから覚悟を持ってあの懺悔の手紙を残した。
 彼女なりの償いだったのだろうかと閉じた目からまた涙がこぼれ、頬を伝う。

「あれは彼らが自分で選んだことだったのよ……」

 アルフローレンスが到着する前に両親が亡くなっていたことはミュゲットがずっと抱えていた謎だった。
 手紙にはグラキエスに攻撃を仕掛けることも考えているという類の言葉は書いていなかった。たとえ銃を持って馬で駆ける兵士に勝てたとしてもアルフローレンスに勝てるとは限らない。彼が作る氷の壁がどれほど頑丈なのか誰も知らないだろうし、何より、銃だ大砲だと所持を完璧にしても凍ってしまえば使い物にはならない。ただの無機物の置物と化してしまう。
 過去に父親がアルフローレンスを見たのは彼が皇帝に即位する一年前。そのときは何も知らなくても、皇帝になってからのアルフローレンスの能力は耳に入っていたはず。
 それでも武器が強力なら勝てると思っていたのだろうか?
 アルフローレンスがなぜ氷帝と呼ばれているのかを知っていれば『死ぬつもり』の言葉などなんの効力も持たないことは分かりそうなものだが。
 その考えに至らなかったからこそ本当に乗り込んできた恐怖に勝てなかったのかとようやく少し理解することができた。

「余が乗り込んだからだとは思わぬのか?」
「最初はずっとそう思ってたけど……」

 首を振るミュゲットをアルフローレンスはジッと見つめる。

「こう書かれていたのにどうしてフローラリアに乗り込んできたのか理由を教えてくれる?」

 先代と違ってフローラリアと手を組むつもりなどなかったアルフローレンスがなぜ攻め入ったのか、それもずっと謎だった。

「アイザック・フォン・ランベリーローズはお前を嫁に出そうとしていた」
「……そんな話、父からされたことない」

 いつだって嫁に行くにはまだ早いと言っていた父は一体何を考えていたのか本当にわからない。
 笑顔でダメだダメだと言いながら本当は嫁に出すつもりだった。社交性のある妹ではなく、社交性のない姉を。
 
「手紙にそう書いてあった」

 差し出された手紙に目を通すと思わず表情が歪む。

「……ああ……ホントだ……」

 そこに書いてあったのは父親が娘を嫁に出すつもりがあったという証言。

「グラディアってどこ?」
「東の国にある武器商人の拠点となっている国だ」
「戦争参加国?」
「いや、違う。奴らは国内だけで争うドブネズミの集団だ。国内で分かれた派閥争いに武器を使う。日常的に行われているため武器商人にとっては良い儲け場所だろうな」
「内戦?」
「ああ。殺人、麻薬、誘拐、強盗などの光景はお前がフローラリアで海を見ているようなものだろうな」

 海は毎日見ていた。それを殺人や強盗が起きている光景に変えるとあまりにも恐ろしく、ミュゲットは思わず身震いを起こした。

「二年前、お前が十四になると同時に奴は手紙を寄越してきた。ミュゲットは十四になった。もし良ければ嫁にどうかとな」 
「あなたはなんて?」
「交渉に娘を使うな。不愉快だと返事を出した」
「断って私が誰かのもとへ嫁に行っても平気だったの?」
「そんなわけあるか。もし、心からお前を望む相手にお前が心から惹かれたのであれば余はお前を諦めるつもりだった」
「それを知る術がある?」
「内偵すればよいだけのこと」

 二年前、氷帝のもとへ嫁に行けと言われていたらきっとミュゲットはそれに従っていた。
 フローラリアは大きな国のように王族は王族と結婚するのが常識というものはなかったが、それでも皇族と結婚できるのであればそれに乗るべきだと思っただろうから。
 自分が結婚することでフローラリアのためになるならと向かっていたに違いない。
 でもアルフローレンスは断った。

「余の返事に気を悪くしたのかは知らぬが、半年前、その手紙が来たのだ」

 再び手紙に視線を落とす。

『ミュゲットはグラディアのアレハンドロ様のもとへ嫁に出すつもりです』と書かれた一文に誰だと目で訴えた。

「武器商会のトップだ」
「知り合い?」
「一度だけグラキエスに来たことがある。豚のような姿にコンプレックスを抱いているのか短い指全てに希少価値の高い宝石を施した悪趣味な指輪をしていた。少しでも身綺麗にと思ってのことだろうが、豚に真珠とはまさにあのことだ」

 父親の手紙を読んで想像した貴族の姿そのものだとミュゲットは笑いそうになった。

「お前があのような豚に手篭めにされるなど余には耐えられん。だから最終警告だと返事を出した。交渉に娘を使うなとな」
「二度目の警告……」
「ああ、本来なら処刑ものだ」

 二度目はない。それが氷帝のやり方。

「残念なことにお前の父親はそれがどういう意味かも理解できぬほどの愚か者でな、命知らずにも余に刃向かってきた」
「なんて書いてあったの?」

 思い出したのか不愉快そうな表情を見せるアルフローレンス。

「向こうは娘を欲しがっている。あなたに命令される筋合いはない。私は義理堅い人間だから報告して差し上げただけのこと、だとな」

 氷帝に向かって恐ろしいことを書いたものだと首を振る。

「その手紙は?」
「破いた」

 ビリビリビリビリッと勢いよく破く姿を想像するとおかしくて笑ってしまう。

「笑いどころなどあったか?」
「あなたが手紙を破く姿を想像したら面白くって」
「お前が嫁に行かずに済んだのは余のおかげなのだぞ」
「でも捕虜にされた」
「そうするしか方法がなかったのだ。それぐらいわかるだろう」

 今なら理解できる。
 自らの手で連れ帰ったのも、家を与えて寒くない生活をさせたのも、自分の部屋に置いていたのも全て彼の優しさだったのだと。
 いや、毛皮を与えてくれた時点でわかっていた。それを認めたくなかっただけ。
 
「あなたは人を思いやることも愛することもできない冷たい人間だと言ったことを謝罪します」
「事実だ」
「事実じゃない。あなたはいつだって私のことを考えてくれてた。愛してくれてた。そうでしょ?」
「……わからぬ」
「私がそう感じてるから事実じゃないの」

 アルフローレンスの言う通り、彼が来なければグラディアという国に嫁に出されていた。
 どんな国か教えられることもなく、向こうに着いて初めて知ることとなっただろう。
 それを回避できたのはアルフローレンスのおかげ。
 出会った瞬間から今まで幸せだったとは言えないが、それでもグラディアに行くよりはマシだったのではないかと思っている。
 
「余が行かねばお前は両親は健在だったがグラディアに送られていた。余が行ったからお前はグラディアに行かずに済んだが両親は死んだ。後者を選んだことに後悔はないが、余の感情とお前の感情は別物だからな」
「グラキエスは雪ばっかりで退屈だけど、犯罪が日常的じゃないからグラキエスかな。殺人は目の前で何度か行われたけど」
「あれが余のやり方だ」
「そうね……」

 犯罪が日常茶飯事の国の権力者の妻になる人生と今の人生を比べようとしても前者は想像がつかないためわからない。
 それでも暴力や強盗、殺人などが広がる景色より外の木々も見えないほどの吹雪のほうがマシだということはわかる。

「正直、余はお前以外がどうなろうとどうでもいいと思っていた。だからお前を守るために脅しをかけたのだ」
「なんて?」
「お前の気持ちは理解した。王の座も命さえも惜しくないというその覚悟、受け取ろう、と書いた。そのあとに来たのがお前が前に読んだ必死な懇願文だ」

 書き殴られた手紙を読んで勘違いした愚かな自分に言ってやりたいとミュゲットは思った。
 まず相手に事情説明を求めなさいと。

「覚悟などできていなかったのだろうが、余からの返事がなかったことと直接乗り込んできたことから死ぬ覚悟を決めたのだろう」
「でもあなたはまだ両親に会ってなかった」
「恐怖とはそういうものだ。殺されるぐらいならと自ら死を選ぶ者は少なくない」
「どうして? 殺されないかもしれないのに」
「余からの返事を見てその希望を抱く者はいないだろう。お前とて捕虜となった頃、余に殺されると思ったことぐらいあるだろう」

 相手が言った『飽きるまでは抱いてやる』からずっとそう思っていた。飽きれば殺されると。

「殺されないかもしれない。それは確かにそうだ。だが、その可能性を信じることができる者は少ない。捕まってからではどういう処罰を受けるかわからぬからだ」
「あなたは拷問するタイプじゃないでしょう?」
「余はな。兵士は違う」
「拷問部屋はないって言ったじゃない」
「拷問部屋はない。地下牢がその場所に適しているというだけだ」
「地下牢で拷問するの?」
「捕虜の前で拷問を見せれば愉快なほど芋づる式に吐く。効率が良い」
「吐いた捕虜はどうするの?」
「虫の息で送り返す。自分の足で国まで辿り着ける者は少ないだろうが、偵察に来た者が発見するだろうからな」

 冷血漢なだけではないとわかってはいるが、そういう仕打ちは理解できない。
 上に立つ者の考えと自分の世界だけで生きてきた人間の考えが交わることがないことだけは理解できる。

「人に殺される恐怖と自らの意思で死ぬ恐怖は別物だ」

 捕まればどんな目に遭わされるかわからないから、捕虜になる前に両親は死を選んだ。
 母親は道連れだったのだろうが、手紙を書いたということはそういうことだと納得している。

「お父様にとって私はどういう存在だったのかな……」

 愛情を疑いたくはない。彼が与えてくれた笑顔や愛情全てが嘘偽りでできていたわけではないと信じたかった。

「お前の父親は必死に父親になろうとしていた。母親の子であり、己の妹である赤ん坊を自らの子として育てるのは楽ではなかっただろう。自分の遺伝子など一つも入っていないのだからな。追い出すのなら赤ん坊も共に追い出せばよかったのだ。追放ということは二度とフローラリアには戻らせるつもりはないということ。その赤ん坊がどうなろうと考えなければ済む話。それでもお前の父親はそうしなかった。お前に差別を感じさせず、平等に育てることは当たり前のことではないのだ」

 父親から一切の愛情を受けず、母親からは異常な愛情を与えられていたアルフローレンスの言葉には重みがあって、ミュゲットは静かに頷く。

「ただ、その中に存在したグラキエスの遺伝子だけが許せなかったのかもしれぬな。自分との子では絶対にありえぬその白い肌が」

 ミュゲットも母親の手紙を読んでそれは感じていた。
 彼にとって愛する妻は一人だけなのに、妻にはいつまでも忘れられない愛する男がいた。
 大陸最大の支配力を持つ国。
 占いで出た娘の運命の相手。
 全てグラキエスなのだ。

「お前の母親がお前を通して先代皇帝を見ていたことに気付いていたのだ。きっと本人にも言っていたのだろう。だから、お前の母親が抵抗もなく夫が選んだ死に付き合ったのは償いのつもりだったのかもしれぬ」
「私もそう思う……」
「愛とはどういうものか余に語ることはできぬ。だからそれも愛だと言うことはできぬが、一つの形ではあるのかもしれぬな」

 きっと母親が拒んだとしても父親は無理矢理連れて行ったのではないかとミュゲットは想像している。
 許さないという言葉がずっと胸に重くのしかかっているのだ。
 ミュゲットにとってそれが夫婦としての正しい在り方の一つかどうかはわからない。
 愛を語るにはミュゲットも経験が足りない。この胸の中にある感情が愛だと相手に伝えられていない以上、よくわかっていない部分でもある。

「愛と憎しみは表裏一体、か……」

 静かな声色にアルフローレンスを見上げるといつもは合う目が合わなかった。

「アル?」
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