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妖精が舞う

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 砂の感触、海の匂い、波の音、太鼓に笛の音、幻想的に照らすキャンドル。街灯など必要ないほど大きな満月が空に浮かんでいる。
 全てが揃った舞台に上がると皆が始まりを静かに待っていた。
 ビーチ一帯の電気が消え、キャンドルと月明かりだけの中、舞が始まる。
 静かに見ていたのは五分だけ。次第に大きくなっていく音楽に合わせて鳴る手拍子。普段は従わせる立場にいるグラキエスの兵士たちもこの瞬間だけはフローラリアの民に従って同じように手拍子をする。
 二人が舞えば衣装も舞う。汗が飛び、肌を伝い、二人は音に合わせて表情を変える。

「どうだ、本場で見る踊りは」

 グラキエスでの踊りがいかに緊張した中で行われたものだったのか、アルフローレンスは嫌でも理解した。同じ踊りであるはずなのに全く違うものに見えるのはミュゲットの心が落ち着いているからなのか、笑顔や妖艶な表情も全く別物だった。

「フランの肌に施されたラメの模様は美しいな」

 褐色肌にはラメが映える。動くたびにキラキラと輝き、目が離せなくなると目を細めるエルドレッドの言葉はアルフローレンスの耳には届いていなかった。
 ラメがなかろうとアルフローレンスの目はミュゲットだけを映している。でもミュゲットはアルフローレンスを見ることはない。立ち上がって近付けば手は届くはずなのに、幻想的な光景に身体が動かなかった。

「グラキエスで踊ったときと全然違うじゃねぇか」
「すげぇな……」

 グラキエスの兵士が無意識に口からこぼす褒め言葉にフランが反応してウインクをする。それだけで男たちはごくりと喉を鳴らして釘付けになる。
 フランは自分の魅せ方を知っている。自分の魅力も、どうすれば男たちが自分に夢中になるかも。ミュゲットが信じていた妹像はただの幻想であって真実ではない。

「チップ払えばなんかできんのかな」
「金持ってねぇだろ」
「もし持ってたらって話だよ」
「皇帝陛下のお気に入りだぞ。手ぇ出せるわけねぇだろ」
「妹のほうだって」
「ああ、じゃあイケるんじゃね? フローラリアの女だし」

 侮辱的な言葉もフランは気にしない。彼らの言葉はまさにその通りで、チップさえあればフローラリアの女は男を選ばない。恋人にするにはそれなりの条件を出すが、チップをくれる相手なら誰だっていいのだ。
 だが、二人が金を持っていないと聞いてフランの愛想は終わり。フランが一番よく見ているのはやはりエルドレッドだった。

「妖精の名は伊達じゃないな」

 静かに終わった音楽と共に二人がゆっくり身体を止めると歓声と拍手が溢れた。フローラリアの民もグラキエスの兵士も関係ない。今この瞬間だけはこの場にいる全員が同じ気持ちで拍手と歓声を送っていた。

「ミュゲット様! お帰りなさい!」
「フラン様最高でした! やっぱりあなたの踊りじゃないとダメだ!」

 次々と聞こえる声と共に舞台上に投げられる紙幣に金貨はあっという間に二人の足を埋め尽くす。
 肩を上下させながら呼吸を整えるミュゲットとは反対にフランは元気よく手を振りながら投げキッスを振りまく。それだけで男たちから歓声が上がり、舞台側まで詰め寄っていく。

「ミュゲット様、とてもお美しかったです」
「ありがとう」

 少し緊張した様子で話しかけてくる女性にミュゲットは笑顔でお礼を返す。

「娘もミュゲット様の踊りが大好きなんです。まだ三歳なんですけど、ミュゲット様の踊りだけはいつもジッと集中して見てるんです。今年も見られて良かったです」

 小さな子供が目を輝かせながら見つめてくる。短い腕を伸ばして小さな手を広げる様子に目を細めながら手を伸ばせばギュッと指を三本握った。
 フローラリアは子供が多い。一つの家庭で最低でも二人は必ず産んでいる。一人っ子というのはありえない。最初の子だろうか、二番目の子だろうかと考えながらその小さな手を上下に手を軽く動かすことで握手の真似を返す。

「だいすき」

 高い声で告げられた言葉にミュゲットは驚いたように目を瞬かせた後、涙が頬を濡らす。

「ミュゲット様」

 慌てる女性に大丈夫と涙を拭っては笑顔を見せる。

「嬉しくて」

 両親がいなくなり、フランと不和になってからこんな気持ちになることはなかった。ずっとアルフローレンスに振り回されて、寒い国でいつどうなるかわからない状況の中、機嫌を取ることばかり考える毎日に心は疲弊していた。それが今の言葉で氷が溶けたように暖かくなり、涙が止まらない。

「抱っこしても?」
「もちろんです」

 舞台を降りたミュゲットは子供をゆっくり抱き上げた。嬉しそうに笑う純粋無垢な子供の清らかさと尊さがミュゲットを癒してくれる。

「ミュゲット様の子供を両陛下はきっと楽しみにしておられたでしょうね」

 楽しみにしてくれていたのだろうか。母親は自分に嘘の世界を教えていた。もし子供を楽しみにしていたのであれば結婚まで純潔を守るのがフローラリアの習わしとは言わないのではないかと何度も考えた。
 フランには真実を教えていて自分には教えていなかった理由を聞くことはできないが、期待されていなかったような気がして苦笑する。

「フローラリアの現状は?」
「……良いとは言えません。男どもは奴隷のように働かされていますし、女は……」

 聞いていた通りだと眉を寄せる。
 
「フローラリアの女性は行為に慣れていると聞いたのだけど……」
「ッ!? ど、どうしてご存じなのですか……」

 大袈裟なほど驚く女にミュゲットの苦笑は続く。自分には何も知らせるなと通達が出ていたのかもしれないと考えると本当に理由がわからなかった。同じ娘なのになぜ差別したのか、それが本当にわからなかった。

「ミュゲット様……」
「全部知ってるから大丈夫よ。だから教えて。女性たちは苦しんでる?」

 苦しい顔を見せる女が緩く首を振る。

「観光客を相手にするのと違ってお金がもらえないので不満は出ていますが、延長戦だと思えばと割り切っている者もいます。グラキエスは大きな国と聞きますし、そこの兵士と繋がりを持っておこうと思っている者も。フローラリアの女は力もありますし、武器に頼るような男たちに怯える者はほとんどいません」
「そう……」

 木を蹴って実を落とす女性を見たことがあるためか弱いとは思っていなかったが、武器を恐れないほど自信があることには驚いた。

「ですが男たちは……毎日重労働を課せられています。早朝から深夜まで休みなく働いている状態なんです。うちの人は先日、過労で倒れました……」

 涙をこぼす様子にミュゲットは片腕で女性を抱きしめる。

「大丈夫。きっと良くなるから」

 小さな声を漏らしながら何度も頷く女性を離して笑顔を見せるとミュゲットは子供を返し、その足でアルフローレンスの元へと向かった。

「子供が好きなのか?」
「お話があります」
「余を無視するのか?」
「子供は好きです。お話があります」

 すぐに寄って来なかったことに若干の不満を抱いているのだろうアルフローレンスの雰囲気が少し硬くなる。
 話しやすい雰囲気を作るべきなのだが、先に解決しておきたいと焦っていた。

「……話せ」

 渋々といった様子で許可を出したアルフローレンスに隣のエルドレッドが興味深げな表情を向けている。

「フローラリアが今やグラキエスの支配下にあることはわかっています。国民をどう扱おうとあなたの自由であることも」
「わかっているならなぜ言うのだ」
「どうか、この国の男に過剰な労働を強いるのはやめてください」

 ミュゲットの言葉に賑やかだった辺りが一斉に静まり返る。
 これだけ賑やかになったのは二人が戻ってきたからでも舞が見られたからでもなく、日々の苦しみが解放された瞬間だからだったのではないかとミュゲットは思った。支配される前のフローラリアに戻ったように思えたからではないかと。
 穏やかでのんびりしているのがフローラリア。過剰労働など必要もなく、そうする理由もない。一体何をやれば過剰労働になるのかとミュゲットは理解できずアルフローレンスに怪訝な表情を向ける。

「貴様、来い」
「ヒッ! は、はい!」

 指名された一人の兵士が怯えた声のあと、全速力で走って目の前で片膝をついた。訓練された無駄のない動きで頭を下げてすぐに上げる。

「フローラリアの男たちに何をさせているのか答えよ」
「そ、それは……その、ですね……」
「答えられぬと?」
「ヒィッ! ち、違います! フローラリアが所持する鉱山があって、そ、そそそそこにはベリライトと呼ばれる宝石が採れるんです! そ、それを掘るために男手を必要としていまして──ヒイッ!」 

 喉元に突きつけられた氷の剣先に兵士が叫び声に近い悲鳴を上げる。

「誰の指示だ?」
「へ、陛下にお届けしようと──」
「余の言葉が理解できぬか?」
「勝手にしていました! 陛下にお届けすべく我らの勝手な判断でしておりました! お許しください! どうかお許しください!」

 片膝だけついていた兵士はいつの間にか土下座スタイルに変わっており、叫びながら許しを請う。何度見たかわからない光景にミュゲットはアルフローレンスの手を握った。彼がこのあと何をするつもりなのかわかっているから。

「なんのつもりだ」

 不愉快そうに問いかけるアルフローレンスにミュゲットは首を振る。

「子供が大勢いる前で処刑だけはしないでください」

 子供の前で見せていいものではないとお願いするミュゲットをジッと見つめる。

「貴様らも同罪か?」
「お許しください!」
「お許しください陛下!」

 他の兵士に声をかけると次々に土下座が始まる。まるでショーのように順番に頭を下げながら許しを請う兵士たちは必死だった。アルフローレンスがどういう男なのか、彼らはミュゲッとよりもずっとよく知っている。
 昨日まで笑い合って酒を飲んでいた兵士が翌日には死体袋に入れられて焼却炉に放り込まれるのを何百回と見てきたのだ。兵士たちは次は自分の番かもしれないといつも緊張している。それがフローラリアに来て緩んでしまったのだろう。穏やかな気候、のんびりとした雰囲気、そして何より我らが氷帝は最北端にいる。監視の目がないこの国で男たちは緊張を忘れていた。

「貴様、こいつをそこの海に沈めろ」
「……は?」
「……変更する。貴様も対象だ」

 思わず声を漏らした兵士の反応が気にいらなかったのだろうアルフローレンスから追加の指示が出されると二人の兵士はガタガタと大袈裟なほど震えはじめた。暖かな気候で震えなど起きるはずがなく、これは恐怖によるもの。
 助かるためには逃げるしかない。しかし、逃げようにも他の兵士たちは全員がアルフローレンスの指示に従う。その証拠に兵士たちの手はいつでも腰の剣を抜けるよう準備していた。

「アル、どうかお願いです。どんな処罰もここではやめてください」

 ギュッと手を握るとアルフローレンスの手から剣が消えた。

「グラキエスに連れて行け」
「はっ!」
「お許しください陛下! どうか命だけは! 陛下! お慈悲を! 陛下ー!」
 
 二人の叫び声も虚しく、仲間によって二人は連行されていった。
 この場での処刑がなくなったのは安堵すべきことだが、二人はアルフローレンスがグラキエスに戻れば処刑される。何百回何千回と声が枯れるまで許しを請おうと振り下ろされた剣は止まらない。
 なぜこうも短気なのかと眉を下げながらアルフローレンスを見ると腰を抱き寄せられる。

「ミュゲット様! ありがとうございます! ありがとうございます!」
「皇帝陛下! お慈悲をありがとうございました!」

 男たちが駆け寄り、地面に膝をついて祈るように手を合わせては頭を下げて涙を流す。

「フローラリアは余の物だが、余は貴様らを苦しめるつもりはない。余の顔に泥を塗らぬのなら自由に暮らすことを許可する」

 その言葉に女たちも駆け寄り、男たちと同じように何度もお礼を口にする。
 この男が攻め込んできて失った物があるのはミュゲットたちだけ。過剰労働以外はほとんど変わりなく生活していたのだ。この男が奪ったのだという恨みもこれによって解消された様子にミュゲットは複雑な心境ながらも嬉しかった。
 国民が涙を流しながらも喜びに笑みを浮かべ、抱き合う姿にミュゲットも笑顔になれた。

「点数稼ぎなんてさすがね、ミュゲット。ホント、媚びることだけは得意なんだから。アンタが持つ唯一の才能ね」

 ゆっくりと嫌味ったらしく鳴らす拍手と共に吐き捨てるような台詞をフランが口にするまでは──
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