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わがまま王女

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「何してるのー?」

 アルフローレンスと一緒にいるところを見られたのは厄介だと思うが、追い出された身であるため今更どう思われようと関係ないと開き直って表情は変えなかった。

「馬に乗ってどこに行ってたのー?」

 答えなかった。ミュゲットの心にはフランの言葉がまだ深く突き刺さっている。それなのにフランはまるで何事もなかったかのように笑顔を向けている。
 自分が気にしすぎなだけなのだろうかと思いはするが、あの言葉をなかったことにして上手く言葉を交わせるほどミュゲットはできた人間ではなかった。

「皇帝陛下がご一緒されているのだ、皇帝陛下への挨拶が先だろう! 行くぞ!」

 エルムントがフランを引っ張り、慌てて下へと降りていくのを見たミュゲットは思わずアルフローレンスを見た。

「どうした? 何が不安なのだ?」
「いえ、別に……」

 アルフローレンスを見てどうしたかったのだと自分でも思う。フランが来るから帰ろうとでも言うつもりだったのかと自分に問いかけてもわからない。ただ今はフランに会いたくなかった。

「エルムントを処分したいのであればそう言え。処分してやる」
「処分する理由はありません」
「お前を追い出したという理由だけでは不十分か?」
「それはフランの言葉であって彼は何も……」
「一緒にいる時点で共犯だと思うがな」

 エルムントは確かに止めなかった。やめろ、馬鹿なことを言うなぐらいは言えたはずなのに何も言わなかった。だが、それを理由に処分など考えるつもりはない。エルムントが何も言わずとも追い出そうと考えたフランとあのまま一緒に暮らすことはきっとできなかっただろうから。遅かれ早かれ態度に出てアルフローレンスにバレていたはずだとミュゲットは考える。
 首を振って必要ないことを伝えるとアルフローレンスはミュゲットを自分のコートの中に抱き寄せた。

「な、なんですか?」
「無駄な挨拶の間にお前の身体が冷えてしまう」

 そんなことを気にするタイプなのかと疑問視しながらもミュゲットは大人しくしている。グラキエスは驚くほど寒い。どれだけ身体を暖めてもあっという間に冷えてしまう。嫌だからと拒めばまた震えることになると拒むのを諦め、暖かな毛皮の中でジッとしていることにした。

「皇帝陛下に拝謁いたします」

 走ってやってきたエルムントがアルフローレンスの前に片膝をついて胸の前で一本しかない腕を曲げる。フローラリアでは王に会うとき、ここまで仰々しい態度で挨拶をすることはなかったためミュゲットには違和感しかない。
 フローラリアよりグラキエスのほうが巨大な国であることはわかっている。この男が怖くて、と言うのもあるだろうと。しかし、雪の中でもこうして膝をついて挨拶をすることには驚いた。

「皇帝陛下、こんにちは」

 あのコートを着て出てきたフランの挨拶はまるで隣人にでも挨拶しているかのような態度で、驚いたエルムントが自分と同じようにしろと手を引っ張る。

「拝謁すると言え馬鹿者!」
「そんなに怒ることないじゃん! これがフローラリアでは普通の挨拶だもん!」
「皇帝陛下にそんな挨拶をする馬鹿がどこにいると言うのだ!」
「こんにちはだって挨拶でしょ!」

 挨拶の仕方よりも皇帝陛下の前で醜い言い争いをすることのほうが問題なのではないかと思うが、ミュゲットは様子を見ているだけで口にはしない。
 こうして我を通そうとするのも少し前まではフランらしいと思っていた。フランは気が強いし、自分というものをアピールするのが上手い。自分には真似できないため羨ましいとさえ思っていた。
 だが、客観的に見ればそれは非常識でもあると思った。フローラリアはあまり上下関係に厳しい国ではなかったため仰々しい挨拶もなかったが、ここは違う。彼こそこの国の象徴であり絶対的な存在なのだ。それに対して自分の挨拶の仕方など関係ないのにフランはそれがわかっていない。

「ねえ、それってコートにするの? すっごいねぇ!」

 後ろから引きずられてきているスノークルスを見て目を輝かせているフランが何を言いたいのかは聞かずともわかる。

「白い毛皮のコートっていいね。フランも欲しいなぁ」

 なんでも欲しがるフランらしい言葉。

「ね、これミュゲットのだからミュゲットに返すよ。そのかわり、これをコートにしたらフランにちょーだい?」

 一語一句違わない想像通りの台詞にミュゲットは首を振る。

「できない」
「どうして? コートにするんでしょ? これは皇帝陛下がミュゲットのためって贈ったものだけど、それはまだコートになってないわけだしフランにちょーだい」
「ダメ。あげられない」

 ハッキリ断るミュゲットにフランは気分を害したように眉を寄せてミュゲットを睨みつける。
 今までねだってもらえなかった物はない。それは全てミュゲットが快く譲ってくれたから、というわけではなくフランがあまりにも駄々をこねるから渋々譲っていたのもある。言えば譲ってもらえるのが当たり前だったフランにとってミュゲットの拒否は全くもって気に入らないことだった。

「ミュゲットだけ二枚も持ってるなんてズルい! フランは一枚も持ってないんだよ!? 可哀想だと思わないの!?」
「それはフランの物よ」
「ヘ~、そうなんだ。新しいの手に入るからもういらないってこと?」
「そうじゃない。私は最初からフランにあげたつもりよ」

 そのコートはアルフローレンスがミュゲットのためにわざわざ狩りに出てミュゲットのために仕立てたコートだが、アルフローレンスはフランが袖を通したから価値がないと言った。きっと返してもらっても着るなと言うだろう。だがそれを伝えると何を言い出すかわからないため言えない。

「ミュゲットって男に媚びるタイプだったんだね」
「どうして、そういう言い方するの……?」
「だって事実でしょ? でなきゃミュゲットだけ二枚ももらえるなんてあり得ないもん。フランが地下牢に閉じ込められてたとき、ミュゲットは別のとこにいたって言ってたよね? どこにいたの? 皇帝陛下のとこでしょ?」

 ミュゲットは思わずエルムントを見た。だがエルムントは首を振って何も言っていないと否定している。

「聞かなくてもわかるよ。っていうか考えなくてもわかるでしょ、普通は。今の状況もそうだけど、おかしいじゃん」

 氷帝と呼ばれた男のコートに包まれているミュゲットの様子を見て【普通】だと答える者はいないだろう。誰がどう見てもおかしい。だってミュゲットは【捕虜】なのだ。それなのにミュゲットだけがこうしてアルフローレンスの傍に置いてもらっている。姉妹揃って捕虜なのにミュゲットだけが特別扱いされていることをおかしいと言うフランの抗議はなんらおかしなことではないとミュゲットは黙りこんだ。

「ホント、ミュゲットってムカつく!」

 怒気を含んだ声で言い放つフランにミュゲットは唇を噛み締める。
 不満を抱いているのはわかる。フランは家の中にしかいられないのにミュゲットは皇帝に気に入られているからと外に出られる。馬に乗って出かけることだってできる。そして上質なコートを二枚も与えられる。自分は何もないのに、と。

「皇帝陛下、フランもコートが欲しいです」

 言えば叶えてくれるのは間違いないと思ったフランが急に媚びた声を出してアルフローレンスを見て手を伸ばして触れようとするのをエルムントが勢いよく手首を掴んで止める。

「何するのよ!」
「お前のような女が馴れ馴れしく触れていいお方ではない!」
「はあ? 意味わかんない。何それ。お前のような女? フランのこと見下すような発言は控えてよ!」

 止めるのは当然だが、エルムントの顔が真っ青になっているのはフランがとんでもないことをしでかそうとしていたからだけではなく、フランが伸ばした手に向けたアルフローレンスの目があまりにも鋭く冷たかったから。
 もし指先の皮膚一枚でも触れていればフランの腕はなかったかもしれない。アルフローレンスという男は一切の躊躇なしにそういうことをしてしまうことをエルムントはよく知っている。

「余は貴様らの茶番にいつまで付き合えばよいのだ?」
「ッ! た、大変申し訳ございません! お時間をいただきましたこと、感謝申し上げます!」
「コートの話終わってないんだけど!」
「お前にコートなど必要ないだろう! そんなに欲しければそれを着ていろ!」
「白がいい! 白のほうが可愛いもん!」

 嫌がるフランを引きずって家へと連れ戻すエルムントは極寒の地だというのにうっすら汗をかいているのが見えた。滲み出る汗などすぐに乾いてしまうはずなのに、額にはずっと汗が光っていた。
 彼がアルフローレンスという男にどれだけの恐怖を抱いているのかよくわかる。

「戻るぞ」

 城の中に入るとようやく身体が解放される。コートを脱いで執事長に渡したアルフローレンスが部屋に向かう後ろをミュゲットも歩いていく。
 今までは兵士が前を歩き、地獄へ向かうような気持ちで向かっていた。まるで死刑台への道を歩いているような感覚に陥って歩けなくなる日もあった。それが今はその地獄の王だと思っていた男の後をついて歩いている。これは幸か不幸か、ミュゲットには判断できない。
 フランから庇うような素振りは一切見せなかったが、それでもこれ以上面倒な会話が続くのを避けられたのは彼のおかげ。
 ミュゲットは大きな背中を見つめながら自分はこれからどうすればいいのかを考えていた。
 彼が言った『飽きるまで』それがいつなのかわからないのが一番怖い。明日、目が覚めたら急に「出ていけ」と言われる可能性だってある。そのとき、自分はきっと素直に受け入れるだろうとミュゲットは予想する。想像できるのだ。強がって「よかった」と言う自分が。
 これが恋愛小説であれば意地を張るヒロインの後を男は追いかける。涙するヒロインを抱きしめて愛を伝えるのだろうが、アルフローレンスにそんな期待はしない。そもそも自分は捕虜であってヒロインではないし、現実は恋愛小説のように上手くいかないと苦笑する。

「何をしている。さっさと入れ」
「あ、はい」

 いつの間にか立ち止まっていたことに気付き、ミュゲットは早歩きで中に入ると慣れた暖かさにホッと息を吐き出す。

「お前はなぜ怒らぬ」
「え?」
「妹にあのような口を利かれて悔しくないのか?」
「……悲しいというのはありますけど、私がフランより優遇されているのは間違いないですから」

 媚びているという言葉は辛いが、そう言われても仕方ないだけの優遇を受けている。何もしていないと言われるほうが余計に腹立たしく思うのではないかと思って否定しなかった。
 フランは昔からそうだった。ミュゲットが贈り物をもらったとき、フランはいつも『ミュゲットは何もしてないのにどうしてもらえるの?』と両親に聞いて困らせていた。
 ミュゲットはフランの言う通り、ある一定の地位ある人間から好かれやすかった。金に困っていない連中は遊び好きでどこへ行っても金を使って女と遊ぶ。遊び慣れた女を相手にしているとたまに遊び慣れていない女を相手したくなるのか、誘う手段としてミュゲットに贈り物をしていた。だがミュゲットは一度もその誘いに乗ったことがない。いつも『私が代わりに返事をしておくよ』と父親が言ってくれていたから。
 今回も皇帝陛下という地位ある者にこうして優遇してもらっており、フランの性格を考えれば文句が出てくるのも仕方ないと理解していた。

「余は兄弟があのような生意気な口を利けば痛い目に遭わせるがな」
「怖い人」

 暖炉前のソファーに腰掛ける男に苦笑しながらベッドに腰掛けるもこっちへ来いと顎で指示される。

「フローラリアにフランを連れて帰ることは──」
「さきのようなことがあってまだ愚妹に温情を見せるか。愚かだな」

 黙って帰ることもできるが、ミュゲットは愚かにもまだ希望を捨てきれていなかった。
 フローラリアに戻れば、拗れたフランとの関係が少しは改善されるのではないだろうか。グラキエスに来て軟禁生活が続いているからストレスであんな風になっているのであって、フローラリアに帰れば元のフランに戻るのではないかと。

「あの愚妹がいなければ舞は完成せぬのだろう?」
「……また、舞うのですか?」
「慣れた場所で舞うのお前が見たい」

 驚きに目を瞬かせるミュゲットを見てアルフローレンスは近くで立ち止まったミュゲットの手を引っ張って自分の前まで歩かせる。

「お前が自然体でいられるのはフローラリアだろう」
「そう、ですけど……」
「ならばフローラリアで舞うお前が見たいと思うのはおかしなことではないはずだ」
「そう、です……ね?」

 ミュゲットは混乱していた。見たいという単語を使ったこの男が一体何を考えてそんなことを言っているのかがわからない。舞はもう見せた。あの日、確かに失敗はあったが失敗したのは返事をしなかったことであって舞での失敗はない。それなのにもう一度舞わせようとする理由はなんだとミュゲットは怪訝な顔で男を見た。

「何か言いたげだな」

 キュッと軽く握ってくる手は冷たく、まるで氷に触れているよう。またどうしてこんなに冷たいのかと考えながらアルフローレンスに顔を向けるとあの目と目が合った。

「フローラリアの舞、気に入っていただけたのですか?」
「余がかけてやった言葉をもう忘れたのか?」

 素直に「そうだ」と言えばいいものを、いちいちそういう言い方をする男に眉を寄せるのを我慢しながらミュゲットは片手を伸ばして頬に触れた。フランもきっとこうして触るつもりだったのだろう。もしエルムントが止めていなかったらあのまま触れさせていたのだろうかとミュゲットは考える。あのときはアルフローレンスが背後に立っていたこともあってミュゲットはエルムントが見た酷く冷たい目を見ていなかったため、アルフローレンスがどういう行動に出ようとしていたのかわからない。
 ほんの少し前まではこの男にだけは妹を会わせないと思っていたのに、今日の様子から見るに妹には一切の興味を示してはおらず心配する必要はなさそうだと判断した。

「気に入っていただけましたか?」
「余に二度も同じことを言わせたいらしいな」
「言ってください」

 今日の自分はどうかしている。頭がおかしくなってしまったのかもしれないと思いながら冷たい頬を撫でて静かにお願いする。
 どちらも逸らすことなく絡み合う視線。切長の奥にある氷のように冷たい瞳がいつか優しく微笑むことはあるのだろうかとそんなことを考えながらミュゲットは近付いてくる顔に目を閉じる。

「フローラリアの蒼き妖精を手に入れたことが余の感想だ」

 素直に言うつもりがない相手はまるで子供だと見方を変えて腰に回る手に身を任せた。
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