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発覚

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 二人は昨日からほとんど話をしていない。

「フローリア」

 出てこないフローリアをドア越しに呼んでみても返事はない。
 こんな日に限って天気は大荒れで仕事がなくなるのだから神の存在も信じたくなった。

「俺は木が飛んできて窓が割れないよう固定してくる」

 外は嵐。周りは木々に囲まれている。雪の重みで折れた枝が飛んでくるかもしれないと嵐の時に使う木で作った窓のサイズに合った木の板を固定しに外に出た。
 玄関を開けただけでドアが風に持っていかれそうになるのを足を使って素早く閉めた。
 窓を叩きつける強烈な雨に目が開けにくく、すぐそこにある物置に行くのさえ困難に思えるほどで、こんな嵐は初めてだった。

「手を出したから怒っているのか?」

 神は信じていない。だが、冬にこれほどの嵐が来るのは珍しい。この時期に嵐が来ると知っていたら手製の雨戸は昨日の家の中に置いていた。
 だがこんな予想外の嵐、それも強烈すぎる勢力は昨日の行いのせいとしか思えなかった。

 キスをした直後、フローリアに胸を押されて拒絶を受けた。ショックを受けたような表情で唇を押さえながら流す涙はカイルのために流していた涙の残りか、それともヴィンセント以外としてしまった事への涙かわからなかったが後者だとカイルは思っている。
 戦争といえど人を殺してきた事に変わりはない。だがこの手は既に汚れきっている。
 フローリアは国や民を守るためと言ったがカイルはそう思って戦った事は一度もなかった。敵を倒すことで自分の存在を確かなものにするためだけに戦っていた。
 自分の存在を認めなかったバーナード家の人間に息子は死神だと名が届くように。

「一人しかいない、か……」

 初めて言われた言葉だった。
 兵士は大勢いる。たとえカイルが戦場で散っても気にする者はいないだろう。もしいたとしても同じ軍の仲間で、それも『死神が死んだか』程度にしかならないだろう。血に染まったカイルを見て涙する者など存在しない。両親はきっと遺体を引き取りにも来ない。
 だがフローリアは違う。きっとこのまま一緒に暮らし続ければカイルが死んだと聞いた時、涙するだろう。遺体の傍に膝をついて涙を流しながら優しい言葉をかけるはず。涙を流しながら頬を撫で、悲しみに震えた声でカイルの魂のために祈り、そして涙で血を洗い流してくれる。
 フローリアの優しさはカイルには眩しすぎてたまらなかった。
 それを手に入れたい。だが血に汚れた手では触れられない。

自分には過ぎたものなのだ。

「何度罰を受ければいいんだ」

 生まれた瞬間に絶望され、蔑まれ、疎まれ、家族は生まれた時からいないも同然だった。
 食事を与えてくれる人がいる。服をくれる人がいる。風呂に入れる場所がある。ただそれだけで、愛情をかけてくれる家族はいなかった。
 望まないと誓った優しさは何の恵みか、家と縁を切るために選んだ選択で手に入った。だが結局はそれも神の気まぐれであるかのように己から触れてはいけないようなものだった。
 前世で自分は一体どれほど罪深い事をしたのかと笑ってしまう。

「これで問題ないだ……」

 木を打ち付け終えて中に戻ると柔らかなタオルが頭からかけられた。

「ごめんなさい。お手伝いもしないで」

 ずぶ濡れになったカイルの髪をタオルで拭くが身長差があるため背伸びできる時間に限りがあり、何度も背伸びをし直す姿にカイルはその場に座った。

「お前が外に出れば吹き飛ぶ。俺は慣れているからいいんだ」
「お疲れさまでした」

 自分で拭く事も出来るのに今はこの優しさに甘えたかった。髪を優しく拭かれる気持ちよさをこの歳にして初めて知るとは思ってもいなかっただけに動揺はあるものの幸せだとハッキリ思える瞬間にカイルは目を閉じる。

「嵐は初めてか?」
「いえ、前に一度」
「ヴィンセント・クロフォードとか?」
「……はい」

 思い出すだけで胸がいっぱいになる。
 慣れない手つきで木を打ち付けに行ったヴィンセント。フローリアも一緒に行くと言ったが絶対にダメだと言われてずっと窓から見ていた。
 雨戸をマーヤが用意してくれていたが、それを打ち付けるのに時間がかかってずぶ濡れになったヴィンセント。
 あの日は今までの中で最も情熱的で甘い日だった。
 熱い肌が合わさり、熱を持った瞳と視線を絡ませ、このまま溶けて一つになりたいと思ったほど……。

「蝋燭は常備してある。心配するな」

 電気は通っていないためアーラ島の時のように暗闇になる心配はない。いつも通りの生活を送る中で天気が嵐というだけ。

「お風呂に入ってきてください。風邪をひいてしまいます」
「……俺が風邪をひいたら看病してくれるか?」
「ご飯が……」
「ああ……」

 フローリアの看病は聖母のように優しいものだろうが、治るための食事が問題だった。
 初めて食事を作った日、カイルは見た事もない物が鍋に入っている事に気付き、有毒ガスが発生している事に気付いて慌てて外に捨てに行った。
 混ぜるな危険と書かれた調味料でも置いてあったかと思わず確認したほどだ。
 切って煮るだけの物が何故こうなると目を疑って以来、作らせない事にしたのだが、風邪をひいた時は自分では作れない。ということはフローリアが作る事になる。
 結果として想像出来るのは風邪で倒れるのではなくフローリアが作った看病食で毒殺される結末だった。

「風呂に入ってくる」
「私がやります」
「お前は座ってろ」

 暖炉の火を任せたら家ごと燃えそうだと座るよう指示して暖炉に火をつけてから風呂に入りに行った。

「望むな。お前には過ぎたものだ」

 服を脱ぎ捨て、鏡に映る自分に言い聞かせる。
 フローリアは浮気をして離婚する事になったと手に入れた新聞で読んだ。それからオーランドに話を聞くと『フロース王国の王妃がヒステリーを起こしただけだろう。花瓶を取りに行って花を摘んでくる女だぞ。どんくさいアイツにそんな器用な事が出来るはずがない』と言っていた。
 何が真実なのかわからないが、フローリアは今でもヴィンセントを愛していて恋しがっている。
 まだたった一週間しか共に過ごしていないが、フローリアは一度も擦り寄っては来ない。本命がいながら浮気をするような女なら寂しいを理由に擦り寄ってもおかしくはない。だがフローリアはそうしない。擦り寄るどころか必要以上の接触を避けようとしている。

「ヒステリーか」

 母親というものはどこも同じなのだと自分の母親を思い出して納得する。

『不倫なんてしないのにお前のせいで私は今も肩身が狭いのよ!』

 鬼の形相で手を上げる母親はカイルが生まれた日から夫の隣ではなく三歩下がった状態を保つよう言われた。次に子供を宿した時、母親は一切笑わず不安定になっていた。月日が経つにつれてそれは大きくなり、叫び、暴れ、手が付けられないようになった。
 次に生まれてくる子供がカイルと同じだったら……そう考えて不安になっていたのだろう。生まれてきた白い双子を見た時の母親は離れた場所にいたカイルにまで泣き声と喜びに震えた声が聞こえてきた。

 くだらない事を思いだしたと熱いシャワーを頭から浴びた。

「しっかり拭いてください。お風呂に入った意味がなくなりますよ」
「面倒だ」
「いけません」

 頭を拭いて出なかったのはフローリアがこうするとわかっていたから。

「座ってください」

 大人しく座るカイルの首からタオルを取ってまた髪を拭き始める手つきは優しい。

「ウィルがいつも言ってました。あったかいお湯に入ってもその後ちゃんと乾かさないと風邪をひいてしまうって」
「ウィル?」
「執事です。真面目で、口うるさくて、心配性で、とても心優しい執事なんです」

 優しさの中で育ったのだとフローリアを見ればわかる。
 前髪も襟足も丁寧に拭いてくれる気持ちよさにこの時間が永遠であればいいと願わずにはいられない。

「軍人は雨に慣れている。暑さにも寒さにもな」
「軍人さんも人間です。オーランドお兄様だって疲れた顔をしますし、私の歌がないと眠れない時もあるんですから」
「オーランド・ベルが?」
「子供みたいでしょう? 人はお兄様を完璧だって言うけれど、そうじゃない。完璧であろうとしてるだけ。だからカイル様も弱さを見せていいんです。風邪をひいたら私が看病します。眠れない時は私が歌います。軍人だからって言葉は必要ないんですよ」

 雨で冷えた身体が熱いのは熱いシャワーを浴びたからだと自分に言い聞かせる。自分は死神で、必要なのは勝利だけ。ここは戦場ではなく親が息子を追い出すために買い与えたただの家。ここを居場所にしてはいけない。優しさに心を動かしてはいけない。心を奪われていけない。

「俺はお前が……」

 頭とは裏腹に腕の中に引き寄せたカイルは心から今にも溢れだしそうな想いを伝えようとした。

「カイル様……?」

 どうしたんだと少し不安めいた声に身体を離して立ち上がる。

「お前が好きな物を作る」

 伝えられなかった。

「昨日のスープがまだ残っている。ここにチーズを入れるか?」
「チーズすごく美味しそうです。昨日のスープとっても美味しかったですから」
「そうか。ならここにチーズを入れて……フローリア?」

 一緒に鍋を覗き込んだフローリアが急に口を押さえてトイレに駆け込んだ。

「まさか……」

 フローリアの苦しげな声と吐く音にカイルは嫌な予感がした。

「すみません。急に気持ち悪くなって……」

 トイレから出てきて口をゆすぎに行ったフローリアがスープが腐っていたわけじゃないと否定するのを無視して肩に手を置くカイルの表情はなんとも言えないもので

「妊娠しているのか……?」
「え……?」
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