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祈りの日
しおりを挟む一年の最後の日、フロース王国では国中でパーティーが行われていた。
王室から振舞われた酒や食べ物に国民達は祈りも忘れて浮かれ、ハシャいでいた。
「嘆かわしい……」
窓に手を当てながら眺める景色は絶望さえ覚えるほど陽気なもので、ヴィンセントは目を閉じて首を振る。
毎年この時間は国民全員で神に祈りを捧げる一年で最も大切なものであるはずなのに、今年はヘレナの一言で決まった【感謝祭】という名のバカ騒ぎに変更された。
伝統を汚す愚かな人だと呆れさえ通り越して感心さえしてしまえる現状にヴィンセントはカーテンを閉めた。
「ヴィンセント、入るわよ」
毎日世話を焼くデアは返事をせずとも勝手に入ってくる。だからヴィンセントは返事をせず振り向いたが、入ってきたデアの姿に目を見開いた。
「その……格好は……どういうつもり?」
「これ? 神聖な日だから赤とか派手な色じゃなくて白にしようと思って今年は白のドレスにしてみたの」
白のドレスというより純白のウエディングドレスにしか見えず、デアが純粋に神聖な日だからと白を選んだとは思えなかった。
「似合ってる?」
「君はパーティーには出ないのか?」
話を逸らしたヴィンセントに近寄って腕を絡めるも拒むように腕を抜かれてしまう。これがフローリアならヴィンセントは耳が溶けるほど甘い言葉を囁いてそのままベッドに雪崩込むのだろう。
デアは嫌でも想像してしまう事に苛立ちながらも笑顔は崩さず服を軽くつまんで引っ張る。
「あなたも出席しないと」
「神への祈りも忘れて浮かれる者達を見ていろと?」
「一年間何事もなく過ごせたことに感謝して祝うのよ」
デアの言葉にヴィンセントが反応する。
「何事もなかった……? 僕はこの世でたった一人の……最愛の人と引き離された。それなのに何を祝えというんだ?」
「本性がわかって良かったじゃない。あなた以外に愛を囁く女だったんだから」
「違う。彼女はそんな人じゃない」
ヴィンセントは一度だって疑った事はない。フローリアが他の男を愛しているとは微塵も思っていないのだ。何か理由がある。そう思っているのに、部屋から出してもらえず、何も聞けないまま離婚が成立してしまった。
「そんな人だったのよ。その証拠にあなたに違うって言わなかったじゃない」
「言えなかったんだ。あの人がそんな時間を与えなかったから。彼女は繊細なんだ。大声で詰め寄られれば委縮するのは当然だろう」
「でも子供じゃないんだから違うと言うことぐらい出来たはず。あなたは隣にいたんだから」
ヘレナがフローリアを追い詰めたように、デアもヴィンセントを追い詰める。
いつまでもフローリアの残像ばかり追われては面白くない。傍にいるのはフローリアではなく自分なのだからとベッドに腰かけるヴィンセントの隣に腰かけて身体を寄せた。
「私だったらあんな女みたいに他の男に愛を囁いたりしない。あなただけを愛するって誓うわ」
「やめろ!」
耳元で囁かれた甘い声にゾッとしたヴィンセントは思わずデアを突き飛ばした。
「ヴィンセント……?」
何が起こったのかわからなかったデアは床に手をついたまま放心状態でヴィンセントを見上げると肩を上下させながら呼吸する姿が見えた。
「君が彼女の何を知ってるっていうんだ……」
自分を拒んでフローリアを庇うヴィンセントにデアの中で何かが切れた音がした。
「あの映像を見たでしょ! あれが全てよ! 自分を偽る事なんて簡単よ! あの女は他の男を愛していながらあなたと結婚した! あなたに愛を囁いたその唇で他の男にも愛を囁いた! 泣きながら抱きついて愛してると言ったのよ!」
立ち上がったデアが怒鳴り散らすように言葉を吐く姿はヴィンセントの目には醜悪なものにしか見えず眉を寄せた。
「だとしても、僕は彼女を許す。人間は過ちを犯す生き物だ。たった一度の過ちで彼女への愛が消えることはない」
「あの子の何がいいのよ!」
「君に言ってもわからない」
心底惚れているというよりは依存を感じる事が気に入らなかった。長い年月を共にしてきたのは自分なのに、ぽっと出のフローリアに全て奪われた。
弱ってから誠心誠意尽くしてきたのに少しぐらい自分を見てくれてもいいのではないかと涙を浮かべるデアにヴィンセントの手は伸びない。
「僕は彼女を迎えに行くつもりだ」
「ヘレナ様は許さないわ」
「許可は必要ない」
本気なのだとわかった。
「あの子のために全てを捨てるっていうの!? あなたに期待してる国民を裏切るつもり!?」
「僕は期待なんかされてない。期待されてるのは兄さんだ」
「そんな事ない! あなたは———!」
デアの否定にヴィンセントは首を振る。
政治の大部分に関わっているのはアーサーであってヴィンセントはほとんど関わっていない。
王位を継ぐのもアーサーで自分ではないとわかっているヴィンセントには国民の期待などどうでもよかった。
それよりフローリアと二人の未来を築く方がずっと大事だった。
「僕は彼女がいれば他は何もいらないんだ。どこか遠くの小さな村で毎日二人で教会に行って祈る生活もいいと思ってる」
「ありえない……」
「僕は彼女を失う事の方がありえないんだ」
王子という立場を捨ててまでフローリアを選ぼうとしているヴィンセントにカッとなって掴みかかるもヴィンセントの表情は変わらない。
「あの子の何がそんなにいいっていうの!? どうして私じゃダメなの!? 私があの子に劣ってるものってなに!?」
フローリアはどう見ても良妻というには程遠い性格をしていた。縁の下の力持ちというタイプでもなければ、国民のためにと何かを提案するようなタイプではない。守られなければ生きていけない弱いタイプ。
自分が妻になったらヴィンセントが前を向いて生きていけるよう全身全霊で支える自信がデアにはあった。ヘレナに気に入られているため助言もしやすい。そのために幼い頃からヘレナに媚びを売り続けてきた。嫌な顔一つ見せずに言う事を聞いてきたのは全てヴィンセントとの未来のため。
それなのにヴィンセントはデアを受け入れようとせずフローリアを選び続ける。それはデアには考えられない事だった。
「君は美しく賢い人だ。フローリアに劣っているわけじゃない」
「じゃあどうして私を選んでくれないのよ!」
デアの詰め寄りにヴィンセントは写真立ての中にいる笑顔フローリアを見つめた。
「彼女が僕の全てだから」
たった一言がとてつもなく重たいものに感じた。絶対に覆せないもののように……。
「彼女は僕の全てで、僕の世界そのものなんだ」
寒くもないのに、怒りも感じていないのに全身が震えるのを感じる。いま自分が感じている感情が一体何なのか、デアは自分で説明できない状況にいた。
「あなたの愛を裏切ったのにまだ彼女を愛し続けるつもり……? あの女は……」
「僕の妻をこれ以上侮辱するつもりなら許さない」
ずっと言われたかった『僕の妻』という言葉は今もデアではなくフローリアに向けられている。
頭は真っ白なのに身体は勝手に動いてヴィンセントの頬を思いきり叩いた。
「彼女はあなたを愛してなんかない!」
「君にはわからない」
どれだけ現実だと突きつけてもヴィンセントの意思は揺るがない。本気でフローリアを許しているのだと絶望を感じるも、だからといってここで諦めるほどデアの愛も軽くはない。
幼い頃から想い続けていた相手が奪われ、そして自分で勝ち取ったチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「君は冷静でいられないぐらい誰かを愛した事がある? 僕はある。今だ。彼女のためなら全てを捨てる覚悟がある」
まるでデアが愛を知らないかのような言い方をするヴィンセントにデアは目を見開きながらドンッとヴィンセントの胸を叩いた。
「私だってある! 今よ! 冷静でいられないぐらいあなたを愛してるの! 子供の頃からずっとあなただけを見てきた! それなのにあなたは一度だって私を見てくれなかった! でもあなたは神に全てを捧げると決めた人だからって自分に言い聞かせてきた! それで納得してたのに!」
一度言い出すともう止まらなかった。
ずっと良い女だと思われたくて吐き出さなかった言葉を今全て吐き出している。
「何が天使よ! 何が神への信仰より崇高よ! ふざけないでよ!」
驚いた顔はしていたが、それもすぐ静かなものへと変わり首を振られる。
「僕もこの身は一生神に捧げるものだと思ってた。でも出会ってしまったんだ。僕の天使に。ずっと恋焦がれていた相手に」
写真を見る顔は慈愛に満ちていて、それが自分に向けられる事は一生ないのだと嫌でも思ってしまう。
「君じゃダメなんだ」
申し訳ないとでも言うような表情にデアは込み上げる笑いを堪えられなかった。
壊れてしまったんだと自分でも思うぐらい笑いは大きなものへと変わり、腹を抱えて笑い続ける。
「デア?」
心配そうに声をかけるヴィンセントと目が合った事でようやく笑いは収まり、号泣したように涙で濡れた頬を拭いながら姿勢を戻すと「ちょっと待ってて」と言って部屋を出たデアは新聞を持って戻ってきた。
バサッと地面に放り投げたのを拾うヴィンセントを見るデアの表情は歪んだ笑みに染まっている。
「これ、は……」
ショックを受けたように唇を震わせるヴィンセントの傍に寄って煌びやかなネイルが施された爪で一面を飾る写真の上に書かれた文字をなぞる瞬間、デアは異常な高揚感に身体を震わせた。
「あなたが苦しんでいるというのに彼女はもう他の王子と噂されてるのよ。見てこの笑顔。あの女はあなたがいなくても笑えるの。これにも理由があるのかしら?」
ドンッと一面を飾る【フローリア王女の次の熱愛相手はミーレス王国の第三王子!】の文字。そしてその下にはカイル王子と一緒に笑い合うフローリアの写真があった。
国ではなく、どこか森の中を散歩する二人の写真にヴィンセントの手が震える。
「これは彼女の選択じゃない」
「まだ彼女を信じるっていうの!? こんな写真まで撮られてるのよ! これが現実よ! 彼女はもうあなたの妻じゃないし、カイル王子の妻になるの!」
デアの予想を裏切って、まだフローリアを信じようとするヴィンセントにデアは唇を噛むももう一つの新聞をヴィンセントに叩きつけるように投げつけるとヴィンセントの目は今にもこぼれ落ちそうなほど大きく見開かれた。
「こんなでたらめ……誰が……」
二人の熱愛報道にデアを見るもデアは腕を組んだまま片方の口端だけ上げて笑みを歪ませる。
「こっちが先に出たのよ」
「そんなっ———!」
「フローリア王女もこれを見た事でしょうね」
クスクスと笑いを漏らすデアがまだ何か喋っていたがヴィンセントには聞こえていなかった。
「これを信じたから彼女はカイル王子と再婚する事にしたのよ。あなたに相手が出来たなら自分もって思ったんでしょうね。親が決めたとしても嫌だったらこんな笑顔を見せたりしないはず。ましてや手を繋ぐだなんてね」
「違う……」
まだ信じようとしているが、否定は今までで一番弱いもので、動揺は隠せていなかった。
「あなただけに愛を誓っておきながらこれだもの。男を知れば女は変わる。彼女も例外じゃなかったってこ———」
それでも肩に置かれた手は強く払われる。
「それ以上、彼女を悪く言うつもりなら君を追放する……」
〝追放〟という強い言葉を使ったとしてもヴィンセントにそんな権限がない事ぐらいデアは知っている。何よりヴィンセントは今、味方が一人もいない状態で誰も手を貸してはくれない。
弱い立場はどちらか……。
「これが現実よ、ヴィンセント」
「帰ってくれ……」
ふふっと笑い声を残して部屋を去ったデア。
「フローリア、君に会いたいよ……」
床に両膝をついて新聞を抱きしめながら涙するヴィンセントは一人絶望の中で年を越した。
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