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アーラ島へ

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 ついにアーラ島へ出発の日がやってきた。

「ヴィンセント、料理はあなたがしなさい。絶対に」
「わかってるよ」

 見送りに来たエミリアにとってフローリアとの料理は今じゃトラウマとなっており、二人しかいない島で問題が発生しても誰も止められないのだからと忠告する顔は真剣そのものでヴィンセントは笑いながら頷く。

「ヴィンセント、気をつけて行ってきてね」
「ありがとう、デア」
「あなたの無事を祈ってるわ」

 見送りに来たデアが毎年恒例になっている頬にキスを送ろうとしたがヴィンセントが屈まなかったためそれも出来なかった。
 毎年必ず屈んで頬にキスをさせてくれるのに今年はそれもなし。あくまでも無事を祈っての事だと理由を付けたのにヴィンセントは理解しなかった。

「僕には幸運の天使がついてるから大丈夫。じゃあ行ってくるよ」

 船に乗り込んだ二人は家族が遠くなるまで手を振り続けていた

「キス出来なくて残念だったわねぇ」
「……別に。出来なくても私の祈りは変わりませんから」
「じゃあただ祈ってればいいのに。あれじゃ恥かいただけよね」

 エミリアの嫌味にデアは強く返せない。相手は第一王子の妻で次期王の妻だ。見るからに根に持つタイプであるエミリアに失礼を続ければ何をされるかわからない。

「あの子はもうフローリアのものなの。幼馴染だからって理由でいつまでも傍にいられると思ってるのが不思議だわ。厚かましい。あなたのお父様はそれでいいって躾けてきたのかしら? イケイケゴーゴー精神で育てられたの?」
「父をバカにするような発言はおやめください」
「フローリアを傷つけるような言動をやめるならね」

 トラウマは与えられたがエミリアにとってフローリアが可愛い義妹である事に変わりはない。いつまでも厚かましくクロフォード家に入り浸るデアの方がずっと不愉快だった。
 デアの行動が自分の欲のためとフローリアを傷つけるために取っている発言だと考えずともわかるためエミリアの鋭い反撃に思わず黙り込んだデアはそのまま去っていく。

「みっともないぞ」
「言わなきゃわからないじゃない。言ってもわからないだろうけど」

 エミリアの気の強さはアーサーよりずっと上で、母であるヘレナがあの性格であるため昔から口のたつ女と口論になる前に自分が黙るのが正しいと理解してあまり言い返さないようにしている。
 妊娠中の辛さについてヒステリーを起こす事もせず激務の夫を気遣い続けてくれている妻も王族育ちなのだから問題にならない程度に言葉を済ませるだろうと苦笑いで済ませた。



「二人きりのバカンス楽しみだね」
「でも……本当に二人で良かったのでしょうか?」
「ウィルかい?」
「いえ、家族旅行にした方が良かったのでは?」

 せっかく素敵な場所に行くなら二人ではなく皆で行った方が思い出になったと思うフローリアの優しさに額にキスを落とすもヴィンセントは首を振る。

「皆一斉に家を空けるというのは出来ないんだよ。僕は夏に休みを貰うけど兄はない。その代わり兄は冬に休みを貰うんだ」
「では冬の旅行はないのですか?」
「そうだね。でも冬のフロース王国はとてもキレイだよ。雪が積もって、稀に、本当に稀になんだけど氷の花が咲くんだ」
「氷の花?」
「そう。どういう原理で咲くのかはわからないんだけど、氷の花が咲く年があるんだ。一度しか見たことはないけど、とても美しかった。触れれば壊れてしまいそうで触れられなかった。今年は一緒に見られたらいいね」
「楽しみです」

 
 アストルム王国の冬はただ寒いだけの寂しいものだった。雪は降らず氷の花も咲かない。あるのは無機質な地面と葉を落とした木々だけ。
 旅行の代わりに楽しみはあると話すヴィンセントの言葉はいつもロマンチックで先の先まで楽しみを与えてくれる。

「君も同じだよ」
「私、ですか?」
「触れれば壊れてしまいそうだから」
「今はもう健康で丈夫ですよ」

 もう車椅子や杖がなくとも歩けるし、少しなら走る事だって出来る。風邪もひいていないし、病気にもなっていない健康そのものだと胸を軽く叩くフローリアに顔を近付けるヴィンセント。

「じゃあ今夜、確かめてもいい?」
「いいですよ」
「約束だよ」

 まだ何のことかわかっていないだろう事に気付いていながらもヴィンセントは小指を絡めて約束をさせた。 
 運命の相手だからこそ大切にしたく、当たり前の日常の中での思い出は嫌だった。だから皆が『子供はいつ頃?』と聞いてきても「まだ何も始まってないから」と答えていた。
 自分の家、自分の部屋、自分のベッド。そこで迎えるハジメテだけは絶対に嫌だと考えていたから結婚してからもずっと我慢をし続けた。
 今日この日のために。

「海ってキレイですね」
「君の方がキレイだよ」
「もう、ヴィンセント様はすぐに私と比べるんですから」
「だってキレイだから」

 何かをキレイと言う度に定型文のように『君の方が~』というヴィンセントにフローリアは首を振る。見渡す限り青が続く海の美しさに勝てるはずがないと否定するもヴィンセントはそれを否定する。

「君は美しすぎて誰もが君を好きになる」
「大袈裟です」
「そんな事ない。僕をパーティーに呼ぶ王子達の目的は僕との会話じゃなく君を一目見るためだろうしね」
「パーティーのお誘いがあるのですか?」
「うん。でも忙しくて全部断ってるんだ」

 実際はフローリアを見せたくないがために招待を断り、訪問も断っている。
 喋らずとも美しい妻が笑顔を見せれば誰だって恋に落ちてしまうと危惧している大袈裟な夫の考えを知らないフローリアは〝忙しい〟だけに納得していた。

「僕はね、フローリア。この髪の毛の一本まで僕のものにしたいんだ。叶うなら誰の目にも触れる事のないよう鳥かごに君を閉じ込め愛でていたいと思ってる」

 リガルドとウィルが聞けばあからさまに顔を歪めるだろう発言もフローリアは笑って受け止めた。

「人が入れる鳥かごがあるのですか?」
「そうだね。気になるなら手配しようか?」
「ふふっ、邪魔になりそうなのでいいです」

 想像するだけで部屋を圧迫しそうだと断ればヴィンセントも笑顔を見せるが、笑っているのは口元だけで目は笑っていなかった。

「………」

 ジッと見つめてくるフローリアを暫く見つめ返していたが手が伸びてきた事で唇を重ねた。

「あ、あの……」

 背中に腕を回した瞬間に離れた唇が放つ戸惑いの声。

「どうかした?」
「いえ、あの、瞳の色を見ていただけで……」

 キスを求めていたわけではないと弁解するフローリアにヴィンセントはもう一度キスをする。

「目を見つめるのはキスの合図だって知らないのかい?」
「教えてくださらなかったじゃないですか」
「そうだったね。じゃあ教えてあげようか。目を見つめるのはキスの合図だよ」

 フローリアが抵抗する間も与えず重ねられた唇は少し深めに押し付けられて何度か角度が変えられていく。このキスがフローリアはまだ苦手でわけがわからなくなる。
 どうやって息をするのか、自分はどうすればいいのか頭で考えている間に手は背中から腰へと下がり、そのまま引き寄せれる。
 密着する身体が相手の体温を感じて身震いを起こした事でようやく唇が離れた。

「鼻で息するの忘れちゃった?」
「はい……」
「ゆっくり覚えていこうね」

 肩で息をするフローリアは力が抜けたように胸にもたれかかりながら頷くも出来れば覚えずに済みたいと願うが、一日数十回とキスの雨を降らせる男が夫ではそれも叶わぬ願いだった。

「でもどうして僕の瞳を見てたんだい?」

 何度か深呼吸を繰り返してから顔を上げると優しい微笑みを向けるヴィンセントの瞳を再び見つめた。口を押さえながら。

「今までずっとヴィンセント様の瞳は澄み渡った空みたいって思ってたんです。でも今日、初めて海を見て、空ではなく海の色だって思ったんです。これからはヴィンセント様の瞳を見る度に海を思い出せそうです」
「じゃあキスも思い出せるようにもう一度してもいいかな?」
「そ、それは……ちょっと待っていただいても……」
「待たない」

 笑顔で断ったヴィンセントと唇が重なるのはあっという間で、これでは瞳を見る度に本当に思い出しそうだとフローリアはヴィンセントの服を強く握った。
 それが力なく落ちるのはあっという間で、ヴィンセントは誰も止める人間がいないこの状況を一人満喫する。


 フローリアがキス地獄から開場されたのはアーラ島に到着してからの事だった。

「フローリア、これが僕達が二人で暮らす家だよ」
「素敵、ですね」

 ぐったりしているフローリアは身体の力が抜けて立てなかったため船を降りる時からずっとヴィンセントに抱かれたままで、家を見てもいつものように満面の笑みを浮かべる事が出来なかった。

「少し休もうか?」

 やりすぎたかと心配はするも唇を満喫したヴィンセントに後悔はなかった。
 中に入ってベッドルームに移動すると実家ほど大きくない普通のダブルベッドにフローリアを寝かせた。

「ごめんね、意地悪して」
「意地悪だったのですか?」
「ううん、意地悪のつもりはなかったけど君には意地悪になっちゃったのかなって思って」
「恥ずかしかっただけですから」
「今夜はもっと……あとで教会を見に行こうね」

 恥ずかしいという言葉はやめて今日の予定を口にするヴィンセントにフローリアは頷いた。
 一刻も早く教会に行きたかったが、わけのわからない感情を抱えたまま教会に入りたくはないと少し休む事にしてヴィンセントの手を握る。

「誰の邪魔も入らない二人だけで暮らせるなんてまだ信じられないよ」

 ベッドルームに来るまでに見た間取りは広いというには足りないが、狭いというほどでもなく、二人で暮らすにはじゅうぶんなものだった。
 この場所で一か月間、二人だけで暮らすというのはフローリアにも想像がつかないものだが、ヘレナに会わなくていいと思うと嬉しかった。
 エミリアが食事時のルールを提案してからヘレナは余計にフローリアを目の敵にするようになり、会うだけで小言を言うようになってしまった。それをいちいちヴィンセントに報告はしないが、クロフォード家はヘレナよりヴィンセントに付く者が多く、必ずどこからかヴィンセントの耳に入るようになっている。それを知らないのはヘレナだけ。
 だからヴィンセントはヘレナの被害に遭わないよう極力自分の傍に置いておきたかったが、仕事を優先してほしいとフローリアに言われては拒否するわけにはいかず、この旅行のために死ぬ気で仕事をした。
 そして手に入った喉から手が出るほど欲しかった生活。喜び以外の感情が出てこない。

「でも食事はどうしましょう? 私は包丁を握らない方が死者が出なくていいとエミリア様に言われたので……」

 可愛がっている義妹にも容赦ない言葉を放つエミリアの性格は大したものだと感心するも心配ないと胸を叩くヴィンセント。

「僕が作るよ」
「でも……」
「ウィルのレシピ通りに作るから大丈夫。ほらこれ、生活に必要なことは全部ウィルが書いてくれたんだ。本が出来上がったよ」
「まあ」

 荷物から一冊のノートを取り出して中を見せると几帳面な字で最後のページまでびっしりと書かれていることにフローリアも笑う。
 わかりやすく箇条書きにしては色を変えたペンで補足も書かれてある。

【味を足す時は必ず味見を繰り返しながらすること】
【洗剤の用量は守ること】
【自堕落な生活を送らないこと】
【勉強は欠かさないこと】
【夜更かししすぎないこと】

 その他諸々、最後のページの最後の行にまで書かれてあるお小言は実にウィルらしく、これを読んでいるだけでウィルがそこに立っているような気になる目を細める。
 愛する人と二人きりの生活は嬉しい。でも目を覚ましてからずっと一緒だったウィルがいないというのは少し寂しい。リガルドのヴィンセントに対する小言や呆れ顔も。

「ウィルがいないと寂しい?」
「少し。でも帰ったら会えますから」
「僕はここでずっと君と二人で暮らすのも悪くないと思ってる」
「でも帰らないとアーサー様に冬休みあげられませんよ?」
「冬前に帰るっていうのはどうかな?」
「リガルド様が船を出してお迎えに来られると思います」
「うぐ~……」

 容易に想像がついてしまうリガルドの行動を否定できず眉を寄せる顔に笑いながらゆっくり起き上がったフローリアは背中を支えられながら改めて部屋を見回した。

「素敵なお部屋ですね」
「これを外せば外からも見られない」
「誰もいないのに」
「天使が見てるかも」
「もうっ、変なこと言わないでください」

 天蓋付きベッドに付いているカーテンを下ろしても見えないわけではない。影はしっかり見えるし音だって聞こえる。
 天使は人間に見えないだけであって天使が集う教会があるならここにだっているかもしれないと不安になるフローリアはヴィンセントの胸を軽く叩いた。

「お風呂見ておく?」
「全部見ます」
「そうだね。じゃあルームツアーだ」

 さほど時間はかからないルームツアーだが、二人は手を握ってゆっくりとヴィラの中を歩き回った。
 一ヵ月という短いのか長いのかわからない期間、ここで二人きりの生活を送るのだと考えるとヴィンセントは何度も深呼吸をして気を静めなければならない欲に襲われ、フローリアはただただどういう日々を過ごすのか楽しみだった。

 
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