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舞い上がる王子
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その場にいた全員が驚きに目を見開き、口を押さえた。
挨拶も返さずいきなりのプロポーズ。まだ話もしていないのに、と息子の突然の反応に一番驚きを隠せないのは両親だった。
結婚のための顔合わせ。これは既に決められた結婚であり、拒否は許されない。だからプロポーズも必要ないのにヴィンセントは膝をついてまでプロポーズをした。
「考えさせていただいてもよろしいですか?」
「フローリア!? 何を言ってるの!?」
断ることは許されない。でも保留することなら許されるのではないかとズルい考えでのもと、はいと返すことはしなかった。
フロース王家の後継として使命感で来た王子のプロポーズ。彼の母親が驚いているのだからこれは打ち合わせにはなかった話なのだろう。ならばこれは王子の独断による行動。
フローリアは自分の顔が世間でどの程度判断されるレベルなのかはわからないが、彼が自らの意思でプロポーズしたのであれば一目惚れの可能性があると考え、それならこう答えることも許されるのではないか。
独断で答えを口にしたのはフローリアも同じ。娘の発言に慌てる母親が横にしゃがんで汗をかきながら笑顔を見せる。
「結婚してくださいって言われたら嬉しいって言ってたじゃない!」
言ってない。そんなことは一言だって言ってはいない。
母親がこの結婚を逃させないよう必死なのはよくわかった。天使だなんだと言いながら結局は家のために娘の気持ちなど関係なく結婚させるつもりだと。
「レイラ王妃、挨拶もせずに口走った僕が悪いのです。フローリア王女、無礼をお許しください」
立ち上がって片手を胸に頭を下げて謝るヴィンセントはもう一度その場に膝をついて車椅子に座るフローリアと目線を合わせた。
「初めまして、フローリア王女。僕はヴィンセント・クロフォードです」
「新聞で見ました」
「拝見しました」
「あ、拝見しました」
耳打ちで訂正されるフローリアにヴィンセントは小さく笑って「大丈夫ですよ」と優しい声で言ってくれる。
笑顔が爽やかで優しい印象。
「レイラ王妃、フローリア王女と二人で散歩に出かけてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん! フローリア、よかったじゃない! 車椅子で嫌われないか心配してたものね」
会って一分も経たず二人きりになろうとする王子が何を考えているのかわからず戸惑いから咄嗟にウィルの手を握る。
「ウィルも一緒なら!」
そう言ってしまった。
「フローリア! ヴィンセント王子が二人きりでと言ってくださってるのに!」
ヴィンセントが言うことに素直に従う気配のないフローリアに母親は注意に声を上げる。過剰反応とも言える妻に父親が手を伸ばして注意するも聞きはしない。
女は男に従い守られる立場。車椅子というハンデを持つ世間知らずでありながら自分の感情有線で従わない女を誰が可愛いと思うのか。
心配する母親を横目にヴィンセントは笑顔を見せた。
「いいんです。初対面の相手に押されるのは不安ですよね。僕はまだ名前しか自己紹介ができていませんし、僕の従者も同行するからウィルも一緒に来てくれるかい?」
「承知しました」
ヴィンセントの後ろを立ち位置としている男が軽く頭を下げた。それに合わせてウィルも会釈を返す。
「行ってきます」
母親二人に頭を下げて先導するように前を歩いて王子自ら開いたドアの横に立って先に出るようフローリアとウィルに手で促す。
手を振るフローリアに両親二組が手を振り返して笑顔で見送った。
「お久しぶりでございます、ヴィンセント王子」
「本当だね。あれからもう三年になるか。君も大きくなったな」
優しい人だと絶賛していただけあってヴィンセントに会えたウィルの笑顔はいつもより明るくて、まるで離れ離れになっていた飼い主に会えた犬のようだった。
太陽の光に照らされた金色の髪は透き通って輝きを放ち、睫毛は長く、どこか中性的な感じにさえ見える。
美しい──その言葉は彼のためにあるようだと強烈な印象を受けた。
笑顔も声色も話し方も柔らかい彼は優しい人なのだろうと家族が言っていたことは間違いではなかったと、ここでようやく確信する。
この人が自分の〝夫〟となるかもしれないと思うと少し変な感じがした。
「お嬢様も自己紹介を」
見惚れていたフローリアがハッとして姿勢を正して笑顔を見せる。
「クローディア・ベルの妹でフローリア・ベルと申します。お会い出来て光栄です、ヴィンセント王子」
フローリアの挨拶にヴィンセントは笑顔を浮かべながら胸に手を当てて返事をした──
「美しい。天使だ……(こちらこそ、お会い出来て光栄です)」
つもりだった。
「え?」
「王子、それは心の声ですよ」
爽やかに挨拶を返そうと思っていたヴィンセントの失敗。
初対面で挨拶も返さずプロポーズ。そして心の声を間違って出した。
「ッ!? こ、こちらこそお会いできて光栄です! 散歩に行きましょうか!」
「はい」
あまりのかっこ悪さに羞恥し、思わず大きめの声が漏れた。
「足の調子はいかがですか?」
「順調です」
「嘘はいけませんよ」
「嘘じゃないもの」
「リハビリをサボってばかりで困っているんです」
勝手に暴露するウィルの袖を引っ張るもサボるからだと言いたげな表情を向けられると文句も言えなくなる。
歩けないままでいれば公務もできないのだから嫁にもらおうなどと思わないはずだと考えていたからサボっていた。
母に叱られ、父親に宥められ、ウィルに説得されても抵抗を続けたのだが、ヴィンセントは予想と違い、断る意思がないように見える。
サボっていると聞いても見せる優しいから笑顔。これはフローリアの想像とは全く違うものだった。
「そのままでも大丈夫ですよ。僕が抱えますから」
歩けないことを疎むどころか抱えると言った。
「王子、甘やかしてはいけません。本当にそうしてもらえると勘違いしますから」
「僕は本気だよ。こんなに細い体だ。ムリをさせる必要はない。長い時間眠っていたんだから長い時間かけて身体に慣れればいいんだ」
やれやれと首を振る従者は何も言いはしないが、あからさまに呆れていた。
「ウィルも口うるさく言ってないでヴィンセント様を見習ったらどう?」
「甘やかしすぎたとさえ思っているぐらいですから」
「誰を?」
「あなたをです」
「嘘ばっかり! 全然甘やかしてくれないじゃない!」
甘やかしたとウィルは言うが、フローリアは甘やかされた記憶がない。時にウィルの注意は母親よりも厳しいことがあった。どうしてそんな言い方をするの、と聞くと決まって「あなたのためです」と言う。
歩けないより歩けたほうがいい。ウィルはそう思っている。そのためにはフローリアの努力が不可欠なのに、本人がその努力をしようとしないから注意を続けた。
「ほら、王子に笑われてしまいましたよ」
「ウィルのせいよ」
二人のやりとりにクスッと声を漏らしたヴィンセントが顔の前で手を揺らす。
「愛らしい天使だ(感情豊かだなと思って)」
「王子、また心の声が出てますよ」
言おうと思っていることが出てこず。心の声ばかり漏れる失態に口を押さえるヴィンセントを見上げながらフローリアは数回瞬きを繰り返す。
「王子様でも誰かに指摘されることがあるのですね」
「お恥ずかしい」
口を押さえたまま顔を赤くするヴィンセントに今度はフローリアがクスッと小さな笑いを漏らした。
「私もです。王女なのにいつもウィルに指摘されてばかり。同じですね」
優しい人だとは聞いていたが、実際に会ってみなければ人柄まではわからなかったためずっと不安だった。覚悟を決める決めると決意しては翌日には揺らいで。顔合わせ当日の今日もさっきまで覚悟を決められていなかった。
だが、そんな不安は杞憂でしかなかった。ほんの小さなことだが、フローリアは完璧ではないヴィンセントの様子に安堵を覚えたのだ。
「フローリア王女」
「王子」
何をしようとしているかわかった従者が止めようとするもヴィンセルはそれを無視して下が地面であることも気にせず膝をついた。
「結婚してください」
笑顔を見つめたヴィンセントはもう一度膝をついてまたプロポーズをした。
なぜ今このタイミングでもう一度しようと思ったのかわからないフローリアが目を瞬かせる様子を当然だと思い、額に手を当てながら天を仰ぐ従者と苦笑のウィル。
「あ……もう少し考えさせてください」
「あ、はい……」
二度目のプロポーズも同じ言葉で保留となった。
「あれからまだ100メートルも歩いてないのに何言ってんですか」
「す、すまない。つい……」
困らせてどうすると注意され、申し訳ない気持ちを顔に出すヴィンセントが立ち上がってフローリアに影を落とす。
「大きいですね」
「成長しすぎですよね。確か百九十五あったっけ?」
車椅子に座っているせいもあるが、それでもウィルよりもオズワルドよりも背が高いように見えた。
この中で最も背が高い人物のことを聞いているのだと思ったのはヴィンセントだけで、振り返って身長を問いかけるも返ってくるのは苦笑。
「王子のことだと思います」
「え、僕?」
「はい」
素っ頓狂な声を出すヴィンセントが慌てる。
「これは失礼! 僕のことだとは思わなくてっ」
「いえ、名前をお呼びしなかった私の言い方が悪かったのです」
「そんなことは! 僕は百八十八ありますが、彼は百九十五ありますよ」
「俺のことはいいですから自分のことを話してください」
なぜ自分より大きい者がいると注目させようとするのかわからない。
この短時間で二度もプロポーズするほど結婚したいと思った相手に気に入られるためにはもっと自分のことを知ってもらわなければならないのに今日は珍しく失敗ばかり。
ヴィンセント・クロフォードは穏やかで心優しく差別をしない聖人のような男。失敗もほとんどなく、完璧に近い男だったのに、今日は失敗続き。
それほどまでにフローリアに心揺れ動かされているのかと驚いている。
「教会はお好きですか?」
唐突な質問ではあったが、ヴィンセントは迷わず頷いた。
「毎日通っています」
「フロース王国は花がたくさん咲いていると聞きました。花が豊かな国の教会はとても美しいでしょうね」
「それはもう、教会の周りには花が咲き乱れ、教会の中も朝露をまとう瑞々しく美しい花々で彩られています」
「素敵! 見てみたいです!」
花がない国アストルムと違い、フロース王国には花が咲き乱れるほど豊富だとウィルに教えてもらって以来、一度は行ってみたいとずっと思っていた。結婚ではなく旅行で行きたいと。
花があろうとなかろうと教会の存在意義は変わらない。それでも美しいほうがいいに決まっている。その光景を想像するだけで懐かしくも幸せな気分になった。
「来ますか? 我が国に」
「是非!」
「では結婚の準備を──」
「王子」
「……わかってる」
すぐ結婚にこじつけようとする王子にさすがにしつこいと注意し、自覚があるのかヴィンセントはそれ以上言葉を続けるのはやめた。
「結婚に焦っておられるのですか?」
フローリアには不思議だった。これほど顔の良い男であれば女が放っておかないだろうと。
実際、ヴィンセントが廊下を歩くだけでメイドたちは頬を染め、身を寄せ合いながらキャッキャとはしゃいでいた。しかも称号は【王子】。ともなれば結婚相手は選び放題なはず。それなのに結婚しなかった理由は何なのか。
「いえ、そういうわけではありません」
「私はクローディアお姉様のように優秀ではありませんし、自分の国のことでさえまだ右も左もわかっていないんです。そんな無知な私を妻にすればヴィンセント様の信頼に関わると思います。それはヴィンセント様も想像されたことがあるのではありませんか?」
天界でやりたい仕事だけやってきたせいで記憶はもちろん集中することも苦手で、人間となり、王女となり、本格的な勉強が始まったがサッパリ理解できない。最初こそ面白いと思っていた世界の歴史も最近は同じ内容の繰り返しで集中できていない。
新しい国に嫁げばまたその国についての新しい勉強が始まる。それもウィルではない教師のもとで。それを考えると不安になる。
だが、それよりも不安なのは人間との結婚。
ヨナスは人間を愛せと言ったが、ヨナスが言ったから心が恋をしようとするわけではない。フローリアが最も心を許せた相手はレオで、今もレオが頭から離れない。
天界にも恋人という関係が許されるのなら恋人になっていただろうし、結婚という制度があれば結婚もしていただろう。二人はそれができるだけの感情を持っていた。
でもフローリアの心には当然初対面の相手への感情がない。ヴィンセントが今日、何度プロポーズしようともフローリアの心は揺らがないだろう。
悪い人には見えない。それどころかウィルや母親が言うように〝良い人〟だと思った。しかしそれだけ。
不安げな表情を見せるフローリアの前に立ったヴィンセントは目線を合わせてそっと手を握った。
「あなたからの信頼は僕自身の努力で勝ち取り、僕自身の失態で失うものです。あなたはまだ長い眠りから目覚めたばかりだ。そんな人に誰が何を求めるというのです。目覚めたことに喜びはしても何も知らないことを責める者はいません。あなたがあなたらしく生きられるよう努力していくつもりです」
射貫くように見つめてくるサファイアのような深い青の瞳に吸い込まれそうになるのを感じたフローリアは不思議そうにジッとその目を覗き込む。
「知らなければ知ればいい」
「私、物覚えが悪いんです」
「なら、覚えたいことから覚えればいい。知りたいことから知ればいい」
「でもそんなこと……」
「僕はあなたに自由に学んでほしいです」
「あ、あの……」
良いことを言ってくれている。安心できるよう優しい言葉をかけてくれている。良い人だと思いはするが、なぜ顔を近付けてくるのかがわからない。このままいけば額が、鼻が、顔がぶつかる。避けるべきだろうか。でも失礼にあたるのではないか──ない頭を絞って考えているとヴィンセントの動きが止まった。
「魅了されるのは結構ですが、まだお相手から許可を得てもいないのですからご乱心なさらぬよう」
「お嬢様、さすがに受け入れるのはまだ早いのではないでしょうか?」
ヴィンセントは首根っこを、フローリアは車椅子をそれぞれの従者に引かれて引き離された。
「目がとてもキレイなの。ウィルは緑、私は水色、ヴィンセント様は青。人ってそれぞれ目の色に違いがあるのね。他にも違う色の瞳をした人がいるのかしら?」
「お嬢様」
ヴィンセントの瞳の色に惹かれて避けなかったのだとすれば厄介なことになる。もしヴィンセントと結婚したとして、見たことがない色の瞳を持った人物に出会って迫られたら見惚れている間にキスを受け入れる可能性がある。車椅子のままであれば従者がいるが、歩けるようになったら……と考えるとゾッとする。
無邪気では許されないことだ。
「どうしたの?」
「い、いえ、お嬢様にはまだまだお教えしなければならないことがたくさんあると実感していただけです」
ヴィンセントに嫁ぐまでに一般常識ぐらいは叩き込んでおかなければならない。
「ごめんなさい。私、何か失礼をしてしまったみたいです」
「そんなことはないですよ。僕は間近で合法的に顔を見られて嬉しかった(まだ目覚めたばかりですからね)」
「王子、駄々洩れです」
「ああッ……!」
口を押さえて失態に強く目を閉じるヴィンセント。いつも穏やかで爽やかなヴィンセントの連続する失敗にフローリアは笑うが、ウィルは驚きっぱなし。
「普段は何をして過ごされているのですか?」
「お勉強をしたり、お散歩をしたり、教会へ連れて行ってもらったり」
「忙しそうですね」
「そうなんです」
私は笑顔で頷くフローリアにウィルが「忙しいのは私です」と心の中で呟く。
フローリアが何かするときは必ずウィルが一緒。教師役もウィル、散歩や教会への同行もウィル。最近のフローリアは目覚めたときよりずっと自分の意思を口にするようになったため手を焼いている。
クローディアが異常なほど自己主張のない女性で人形のように大人しかっただけにフローリアもそうなるのではないかと思っていたが、姉妹といえど別人。フローリアはまだ目覚めたばかりで子供のように何にでも興味を持っている。それに振り回される日々は苦労の連続。
「食べるのに苦労していると手紙には書いてあったのですが、食事のほうはいかがです?」
「まだ馴染みません」
「何を召し上がられているのですか?」
「ふわっとしたイイ香りのするアレが大好きなんです」
「なるほど。ふわっとしたイイ香りのするアレですね」
何の事を言っているのかわからなくとも話を合わせるように相槌を打ちながら目でウィルにアレの正体を答えを教えてくれと訴える。
「シフォンケーキが好きなんですよね?」
「そうそう、シフォンケーキ! ふわふわしていてとっても美味しいんですよね」
舌の上を滑るスープは嫌いで、油物は論外。脂肪もあまり好きではなく、色々試行錯誤した結果、シフォンケーキに落ち着いた。それもまだ大口を開けて食べられるようにはなっておらず、サイコロほどの大きさにカットしたのをゆっくりと時間をかけて食べている。
だからまだ食堂で家族一緒に食事をしたことはない。オーランドがいないときならいいのでは、と両親が提案してくれたが、フローリアが断った。
「シフォンケーキは僕も大好きです」
「ウィル、聞いた? ヴィンセント王子もシフォンケーキが大好きなんですって。お茶の時間にシフォンケーキ出してくれる?」
「承知しました」
ヴィンセント王子は甘い物はあまり得意ではないはずだが、困った顔はしなかった。きっとお茶の時間に出しても完食するだろう。
見た目だけは一級品のフローリアだが、中身は人を困らせることに長けたポンコツ。王妃として務まるとは思えず、一目惚れだとしても答えを急ぐべきではないとヴィンセントに提言したかった。
「フローリア王女は結婚についてどうお考えですか?」
「正直に言えば結婚したくありません」
「お嬢様!」
正直すぎる答えにピシっと音を立てて石化したヴィンセントを見たウィルが慌てて口に指を当てて言うなと伝えるも無視。
フローリアにとって結婚はまだ未知のもので想像もつかない。覗き見した結婚式。その瞬間、自分たちがこの世で最も幸せであることを証明する二人の愛に満ちた笑顔が印象的で輝いて見えた素晴らしい物だが、自分がその一人になることは今もまだ想像できないでいる。
この人と手を繋いで赤い絨毯の上を歩き、神の前で永遠の愛を誓うなどできるだろうか。嘘偽りのない言葉を吐けるようになるのだろうか。
その自信がないから正直に言葉にする。どうせ断れないのだから言うぐらいはいいだろうと。
「でも、結婚しなければならないんですよね。この結婚は絶対のようですし」
「そう、ですね」
「クローディアお姉様じゃなくてがっかりしたでしょう。ごめんなさい」
「そんなことは……」
ないと断言してしまうのは違うと判断して途中で口を閉じた。
クローディアとは顔合わせもしたことがあり、こんな風に話をしたこともある。印象としては自分に自信がない大人しい人、だった。苦笑が笑顔かわからない表情のまま俯き、褒めても『私なんて』か『気を遣っていただかなくて結構です』と言うばかり。
政略結婚に希望を見出していたわけではないが、クローディアとの結婚はヴィンセントにとって苦痛なものになることは間違いなかった。それこそ後継問題に直面するだろう不安さえあった。
だからクローディアが床に伏せ、結婚の話がなくなったと聞いたときは正直、安堵したほど。それがまたベル家との結婚話が持ち上がり、その相手が今度はクローディアの妹と聞いて更に気が重くなっていた。十五年も眠りについていた妹を結婚させる相手の両親もそれを許諾した自分の両親も何を考えているのかと。
気が乗らないまま顔合わせにやってきた今日、抱えていた不安が杞憂でしかなかったとわかった。むしろ絶対にフローリアと結婚したいとさえ思った。
「クローディア王女は聡明で素敵な女性でした」
「王子がそう言っていたことを聞けばきっと喜ぶと思います」
その言葉をクローディアに伝えられないのが残念だった。
「教会へ行きませんか? お花はないですが、それでもとても美しい場所ですから」
「教会で見るあなたは天使なんだろうな(是非ご一緒させてください)」
「王子」
「あああっ」
今日一日何も良いところを見せられていない悔しさと羞恥に重い溜息を吐き出しながら一緒に教会へと向かった。
挨拶も返さずいきなりのプロポーズ。まだ話もしていないのに、と息子の突然の反応に一番驚きを隠せないのは両親だった。
結婚のための顔合わせ。これは既に決められた結婚であり、拒否は許されない。だからプロポーズも必要ないのにヴィンセントは膝をついてまでプロポーズをした。
「考えさせていただいてもよろしいですか?」
「フローリア!? 何を言ってるの!?」
断ることは許されない。でも保留することなら許されるのではないかとズルい考えでのもと、はいと返すことはしなかった。
フロース王家の後継として使命感で来た王子のプロポーズ。彼の母親が驚いているのだからこれは打ち合わせにはなかった話なのだろう。ならばこれは王子の独断による行動。
フローリアは自分の顔が世間でどの程度判断されるレベルなのかはわからないが、彼が自らの意思でプロポーズしたのであれば一目惚れの可能性があると考え、それならこう答えることも許されるのではないか。
独断で答えを口にしたのはフローリアも同じ。娘の発言に慌てる母親が横にしゃがんで汗をかきながら笑顔を見せる。
「結婚してくださいって言われたら嬉しいって言ってたじゃない!」
言ってない。そんなことは一言だって言ってはいない。
母親がこの結婚を逃させないよう必死なのはよくわかった。天使だなんだと言いながら結局は家のために娘の気持ちなど関係なく結婚させるつもりだと。
「レイラ王妃、挨拶もせずに口走った僕が悪いのです。フローリア王女、無礼をお許しください」
立ち上がって片手を胸に頭を下げて謝るヴィンセントはもう一度その場に膝をついて車椅子に座るフローリアと目線を合わせた。
「初めまして、フローリア王女。僕はヴィンセント・クロフォードです」
「新聞で見ました」
「拝見しました」
「あ、拝見しました」
耳打ちで訂正されるフローリアにヴィンセントは小さく笑って「大丈夫ですよ」と優しい声で言ってくれる。
笑顔が爽やかで優しい印象。
「レイラ王妃、フローリア王女と二人で散歩に出かけてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん! フローリア、よかったじゃない! 車椅子で嫌われないか心配してたものね」
会って一分も経たず二人きりになろうとする王子が何を考えているのかわからず戸惑いから咄嗟にウィルの手を握る。
「ウィルも一緒なら!」
そう言ってしまった。
「フローリア! ヴィンセント王子が二人きりでと言ってくださってるのに!」
ヴィンセントが言うことに素直に従う気配のないフローリアに母親は注意に声を上げる。過剰反応とも言える妻に父親が手を伸ばして注意するも聞きはしない。
女は男に従い守られる立場。車椅子というハンデを持つ世間知らずでありながら自分の感情有線で従わない女を誰が可愛いと思うのか。
心配する母親を横目にヴィンセントは笑顔を見せた。
「いいんです。初対面の相手に押されるのは不安ですよね。僕はまだ名前しか自己紹介ができていませんし、僕の従者も同行するからウィルも一緒に来てくれるかい?」
「承知しました」
ヴィンセントの後ろを立ち位置としている男が軽く頭を下げた。それに合わせてウィルも会釈を返す。
「行ってきます」
母親二人に頭を下げて先導するように前を歩いて王子自ら開いたドアの横に立って先に出るようフローリアとウィルに手で促す。
手を振るフローリアに両親二組が手を振り返して笑顔で見送った。
「お久しぶりでございます、ヴィンセント王子」
「本当だね。あれからもう三年になるか。君も大きくなったな」
優しい人だと絶賛していただけあってヴィンセントに会えたウィルの笑顔はいつもより明るくて、まるで離れ離れになっていた飼い主に会えた犬のようだった。
太陽の光に照らされた金色の髪は透き通って輝きを放ち、睫毛は長く、どこか中性的な感じにさえ見える。
美しい──その言葉は彼のためにあるようだと強烈な印象を受けた。
笑顔も声色も話し方も柔らかい彼は優しい人なのだろうと家族が言っていたことは間違いではなかったと、ここでようやく確信する。
この人が自分の〝夫〟となるかもしれないと思うと少し変な感じがした。
「お嬢様も自己紹介を」
見惚れていたフローリアがハッとして姿勢を正して笑顔を見せる。
「クローディア・ベルの妹でフローリア・ベルと申します。お会い出来て光栄です、ヴィンセント王子」
フローリアの挨拶にヴィンセントは笑顔を浮かべながら胸に手を当てて返事をした──
「美しい。天使だ……(こちらこそ、お会い出来て光栄です)」
つもりだった。
「え?」
「王子、それは心の声ですよ」
爽やかに挨拶を返そうと思っていたヴィンセントの失敗。
初対面で挨拶も返さずプロポーズ。そして心の声を間違って出した。
「ッ!? こ、こちらこそお会いできて光栄です! 散歩に行きましょうか!」
「はい」
あまりのかっこ悪さに羞恥し、思わず大きめの声が漏れた。
「足の調子はいかがですか?」
「順調です」
「嘘はいけませんよ」
「嘘じゃないもの」
「リハビリをサボってばかりで困っているんです」
勝手に暴露するウィルの袖を引っ張るもサボるからだと言いたげな表情を向けられると文句も言えなくなる。
歩けないままでいれば公務もできないのだから嫁にもらおうなどと思わないはずだと考えていたからサボっていた。
母に叱られ、父親に宥められ、ウィルに説得されても抵抗を続けたのだが、ヴィンセントは予想と違い、断る意思がないように見える。
サボっていると聞いても見せる優しいから笑顔。これはフローリアの想像とは全く違うものだった。
「そのままでも大丈夫ですよ。僕が抱えますから」
歩けないことを疎むどころか抱えると言った。
「王子、甘やかしてはいけません。本当にそうしてもらえると勘違いしますから」
「僕は本気だよ。こんなに細い体だ。ムリをさせる必要はない。長い時間眠っていたんだから長い時間かけて身体に慣れればいいんだ」
やれやれと首を振る従者は何も言いはしないが、あからさまに呆れていた。
「ウィルも口うるさく言ってないでヴィンセント様を見習ったらどう?」
「甘やかしすぎたとさえ思っているぐらいですから」
「誰を?」
「あなたをです」
「嘘ばっかり! 全然甘やかしてくれないじゃない!」
甘やかしたとウィルは言うが、フローリアは甘やかされた記憶がない。時にウィルの注意は母親よりも厳しいことがあった。どうしてそんな言い方をするの、と聞くと決まって「あなたのためです」と言う。
歩けないより歩けたほうがいい。ウィルはそう思っている。そのためにはフローリアの努力が不可欠なのに、本人がその努力をしようとしないから注意を続けた。
「ほら、王子に笑われてしまいましたよ」
「ウィルのせいよ」
二人のやりとりにクスッと声を漏らしたヴィンセントが顔の前で手を揺らす。
「愛らしい天使だ(感情豊かだなと思って)」
「王子、また心の声が出てますよ」
言おうと思っていることが出てこず。心の声ばかり漏れる失態に口を押さえるヴィンセントを見上げながらフローリアは数回瞬きを繰り返す。
「王子様でも誰かに指摘されることがあるのですね」
「お恥ずかしい」
口を押さえたまま顔を赤くするヴィンセントに今度はフローリアがクスッと小さな笑いを漏らした。
「私もです。王女なのにいつもウィルに指摘されてばかり。同じですね」
優しい人だとは聞いていたが、実際に会ってみなければ人柄まではわからなかったためずっと不安だった。覚悟を決める決めると決意しては翌日には揺らいで。顔合わせ当日の今日もさっきまで覚悟を決められていなかった。
だが、そんな不安は杞憂でしかなかった。ほんの小さなことだが、フローリアは完璧ではないヴィンセントの様子に安堵を覚えたのだ。
「フローリア王女」
「王子」
何をしようとしているかわかった従者が止めようとするもヴィンセルはそれを無視して下が地面であることも気にせず膝をついた。
「結婚してください」
笑顔を見つめたヴィンセントはもう一度膝をついてまたプロポーズをした。
なぜ今このタイミングでもう一度しようと思ったのかわからないフローリアが目を瞬かせる様子を当然だと思い、額に手を当てながら天を仰ぐ従者と苦笑のウィル。
「あ……もう少し考えさせてください」
「あ、はい……」
二度目のプロポーズも同じ言葉で保留となった。
「あれからまだ100メートルも歩いてないのに何言ってんですか」
「す、すまない。つい……」
困らせてどうすると注意され、申し訳ない気持ちを顔に出すヴィンセントが立ち上がってフローリアに影を落とす。
「大きいですね」
「成長しすぎですよね。確か百九十五あったっけ?」
車椅子に座っているせいもあるが、それでもウィルよりもオズワルドよりも背が高いように見えた。
この中で最も背が高い人物のことを聞いているのだと思ったのはヴィンセントだけで、振り返って身長を問いかけるも返ってくるのは苦笑。
「王子のことだと思います」
「え、僕?」
「はい」
素っ頓狂な声を出すヴィンセントが慌てる。
「これは失礼! 僕のことだとは思わなくてっ」
「いえ、名前をお呼びしなかった私の言い方が悪かったのです」
「そんなことは! 僕は百八十八ありますが、彼は百九十五ありますよ」
「俺のことはいいですから自分のことを話してください」
なぜ自分より大きい者がいると注目させようとするのかわからない。
この短時間で二度もプロポーズするほど結婚したいと思った相手に気に入られるためにはもっと自分のことを知ってもらわなければならないのに今日は珍しく失敗ばかり。
ヴィンセント・クロフォードは穏やかで心優しく差別をしない聖人のような男。失敗もほとんどなく、完璧に近い男だったのに、今日は失敗続き。
それほどまでにフローリアに心揺れ動かされているのかと驚いている。
「教会はお好きですか?」
唐突な質問ではあったが、ヴィンセントは迷わず頷いた。
「毎日通っています」
「フロース王国は花がたくさん咲いていると聞きました。花が豊かな国の教会はとても美しいでしょうね」
「それはもう、教会の周りには花が咲き乱れ、教会の中も朝露をまとう瑞々しく美しい花々で彩られています」
「素敵! 見てみたいです!」
花がない国アストルムと違い、フロース王国には花が咲き乱れるほど豊富だとウィルに教えてもらって以来、一度は行ってみたいとずっと思っていた。結婚ではなく旅行で行きたいと。
花があろうとなかろうと教会の存在意義は変わらない。それでも美しいほうがいいに決まっている。その光景を想像するだけで懐かしくも幸せな気分になった。
「来ますか? 我が国に」
「是非!」
「では結婚の準備を──」
「王子」
「……わかってる」
すぐ結婚にこじつけようとする王子にさすがにしつこいと注意し、自覚があるのかヴィンセントはそれ以上言葉を続けるのはやめた。
「結婚に焦っておられるのですか?」
フローリアには不思議だった。これほど顔の良い男であれば女が放っておかないだろうと。
実際、ヴィンセントが廊下を歩くだけでメイドたちは頬を染め、身を寄せ合いながらキャッキャとはしゃいでいた。しかも称号は【王子】。ともなれば結婚相手は選び放題なはず。それなのに結婚しなかった理由は何なのか。
「いえ、そういうわけではありません」
「私はクローディアお姉様のように優秀ではありませんし、自分の国のことでさえまだ右も左もわかっていないんです。そんな無知な私を妻にすればヴィンセント様の信頼に関わると思います。それはヴィンセント様も想像されたことがあるのではありませんか?」
天界でやりたい仕事だけやってきたせいで記憶はもちろん集中することも苦手で、人間となり、王女となり、本格的な勉強が始まったがサッパリ理解できない。最初こそ面白いと思っていた世界の歴史も最近は同じ内容の繰り返しで集中できていない。
新しい国に嫁げばまたその国についての新しい勉強が始まる。それもウィルではない教師のもとで。それを考えると不安になる。
だが、それよりも不安なのは人間との結婚。
ヨナスは人間を愛せと言ったが、ヨナスが言ったから心が恋をしようとするわけではない。フローリアが最も心を許せた相手はレオで、今もレオが頭から離れない。
天界にも恋人という関係が許されるのなら恋人になっていただろうし、結婚という制度があれば結婚もしていただろう。二人はそれができるだけの感情を持っていた。
でもフローリアの心には当然初対面の相手への感情がない。ヴィンセントが今日、何度プロポーズしようともフローリアの心は揺らがないだろう。
悪い人には見えない。それどころかウィルや母親が言うように〝良い人〟だと思った。しかしそれだけ。
不安げな表情を見せるフローリアの前に立ったヴィンセントは目線を合わせてそっと手を握った。
「あなたからの信頼は僕自身の努力で勝ち取り、僕自身の失態で失うものです。あなたはまだ長い眠りから目覚めたばかりだ。そんな人に誰が何を求めるというのです。目覚めたことに喜びはしても何も知らないことを責める者はいません。あなたがあなたらしく生きられるよう努力していくつもりです」
射貫くように見つめてくるサファイアのような深い青の瞳に吸い込まれそうになるのを感じたフローリアは不思議そうにジッとその目を覗き込む。
「知らなければ知ればいい」
「私、物覚えが悪いんです」
「なら、覚えたいことから覚えればいい。知りたいことから知ればいい」
「でもそんなこと……」
「僕はあなたに自由に学んでほしいです」
「あ、あの……」
良いことを言ってくれている。安心できるよう優しい言葉をかけてくれている。良い人だと思いはするが、なぜ顔を近付けてくるのかがわからない。このままいけば額が、鼻が、顔がぶつかる。避けるべきだろうか。でも失礼にあたるのではないか──ない頭を絞って考えているとヴィンセントの動きが止まった。
「魅了されるのは結構ですが、まだお相手から許可を得てもいないのですからご乱心なさらぬよう」
「お嬢様、さすがに受け入れるのはまだ早いのではないでしょうか?」
ヴィンセントは首根っこを、フローリアは車椅子をそれぞれの従者に引かれて引き離された。
「目がとてもキレイなの。ウィルは緑、私は水色、ヴィンセント様は青。人ってそれぞれ目の色に違いがあるのね。他にも違う色の瞳をした人がいるのかしら?」
「お嬢様」
ヴィンセントの瞳の色に惹かれて避けなかったのだとすれば厄介なことになる。もしヴィンセントと結婚したとして、見たことがない色の瞳を持った人物に出会って迫られたら見惚れている間にキスを受け入れる可能性がある。車椅子のままであれば従者がいるが、歩けるようになったら……と考えるとゾッとする。
無邪気では許されないことだ。
「どうしたの?」
「い、いえ、お嬢様にはまだまだお教えしなければならないことがたくさんあると実感していただけです」
ヴィンセントに嫁ぐまでに一般常識ぐらいは叩き込んでおかなければならない。
「ごめんなさい。私、何か失礼をしてしまったみたいです」
「そんなことはないですよ。僕は間近で合法的に顔を見られて嬉しかった(まだ目覚めたばかりですからね)」
「王子、駄々洩れです」
「ああッ……!」
口を押さえて失態に強く目を閉じるヴィンセント。いつも穏やかで爽やかなヴィンセントの連続する失敗にフローリアは笑うが、ウィルは驚きっぱなし。
「普段は何をして過ごされているのですか?」
「お勉強をしたり、お散歩をしたり、教会へ連れて行ってもらったり」
「忙しそうですね」
「そうなんです」
私は笑顔で頷くフローリアにウィルが「忙しいのは私です」と心の中で呟く。
フローリアが何かするときは必ずウィルが一緒。教師役もウィル、散歩や教会への同行もウィル。最近のフローリアは目覚めたときよりずっと自分の意思を口にするようになったため手を焼いている。
クローディアが異常なほど自己主張のない女性で人形のように大人しかっただけにフローリアもそうなるのではないかと思っていたが、姉妹といえど別人。フローリアはまだ目覚めたばかりで子供のように何にでも興味を持っている。それに振り回される日々は苦労の連続。
「食べるのに苦労していると手紙には書いてあったのですが、食事のほうはいかがです?」
「まだ馴染みません」
「何を召し上がられているのですか?」
「ふわっとしたイイ香りのするアレが大好きなんです」
「なるほど。ふわっとしたイイ香りのするアレですね」
何の事を言っているのかわからなくとも話を合わせるように相槌を打ちながら目でウィルにアレの正体を答えを教えてくれと訴える。
「シフォンケーキが好きなんですよね?」
「そうそう、シフォンケーキ! ふわふわしていてとっても美味しいんですよね」
舌の上を滑るスープは嫌いで、油物は論外。脂肪もあまり好きではなく、色々試行錯誤した結果、シフォンケーキに落ち着いた。それもまだ大口を開けて食べられるようにはなっておらず、サイコロほどの大きさにカットしたのをゆっくりと時間をかけて食べている。
だからまだ食堂で家族一緒に食事をしたことはない。オーランドがいないときならいいのでは、と両親が提案してくれたが、フローリアが断った。
「シフォンケーキは僕も大好きです」
「ウィル、聞いた? ヴィンセント王子もシフォンケーキが大好きなんですって。お茶の時間にシフォンケーキ出してくれる?」
「承知しました」
ヴィンセント王子は甘い物はあまり得意ではないはずだが、困った顔はしなかった。きっとお茶の時間に出しても完食するだろう。
見た目だけは一級品のフローリアだが、中身は人を困らせることに長けたポンコツ。王妃として務まるとは思えず、一目惚れだとしても答えを急ぐべきではないとヴィンセントに提言したかった。
「フローリア王女は結婚についてどうお考えですか?」
「正直に言えば結婚したくありません」
「お嬢様!」
正直すぎる答えにピシっと音を立てて石化したヴィンセントを見たウィルが慌てて口に指を当てて言うなと伝えるも無視。
フローリアにとって結婚はまだ未知のもので想像もつかない。覗き見した結婚式。その瞬間、自分たちがこの世で最も幸せであることを証明する二人の愛に満ちた笑顔が印象的で輝いて見えた素晴らしい物だが、自分がその一人になることは今もまだ想像できないでいる。
この人と手を繋いで赤い絨毯の上を歩き、神の前で永遠の愛を誓うなどできるだろうか。嘘偽りのない言葉を吐けるようになるのだろうか。
その自信がないから正直に言葉にする。どうせ断れないのだから言うぐらいはいいだろうと。
「でも、結婚しなければならないんですよね。この結婚は絶対のようですし」
「そう、ですね」
「クローディアお姉様じゃなくてがっかりしたでしょう。ごめんなさい」
「そんなことは……」
ないと断言してしまうのは違うと判断して途中で口を閉じた。
クローディアとは顔合わせもしたことがあり、こんな風に話をしたこともある。印象としては自分に自信がない大人しい人、だった。苦笑が笑顔かわからない表情のまま俯き、褒めても『私なんて』か『気を遣っていただかなくて結構です』と言うばかり。
政略結婚に希望を見出していたわけではないが、クローディアとの結婚はヴィンセントにとって苦痛なものになることは間違いなかった。それこそ後継問題に直面するだろう不安さえあった。
だからクローディアが床に伏せ、結婚の話がなくなったと聞いたときは正直、安堵したほど。それがまたベル家との結婚話が持ち上がり、その相手が今度はクローディアの妹と聞いて更に気が重くなっていた。十五年も眠りについていた妹を結婚させる相手の両親もそれを許諾した自分の両親も何を考えているのかと。
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「クローディア王女は聡明で素敵な女性でした」
「王子がそう言っていたことを聞けばきっと喜ぶと思います」
その言葉をクローディアに伝えられないのが残念だった。
「教会へ行きませんか? お花はないですが、それでもとても美しい場所ですから」
「教会で見るあなたは天使なんだろうな(是非ご一緒させてください)」
「王子」
「あああっ」
今日一日何も良いところを見せられていない悔しさと羞恥に重い溜息を吐き出しながら一緒に教会へと向かった。
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