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溶け合った先に
しおりを挟む「久しぶりに名前を呼んでくださいましたね」
彼の言う通り、彼の名前を呼ぶのは久しぶり。
名前を忘れていたわけではない。呼ぶ必要がなかったから呼ばなかっただけ。でも、彼の名前を呼んで思い出したことがある。
「お嬢様、どちらへ?」
「お父様の書斎よ」
甘いホットミルクを置いて父の部屋に歩きだせば後ろから静かな足音が聞こえてくる。
「大丈夫ですか?」
「ええ」
父の部屋に入るのは母が亡くなって以来はじめてでドアノブを触ることさえ緊張する。
深呼吸をしてから中に入れば彼がよく掃除しているのか、雪景色のように積もっているのではと思っていた埃は微塵も見当たらず、まるで客間のようにピカピカだった。
「あった……」
父の部屋の奥にあるコレクション部屋に入ると私は一度目を閉じた。
宝石や珍しい銀器たちが飾られた光景は父らしいもので、今の私には少し辛い。
「タルト・タタン。レシピですか?」
「お母様のレシピよ。お母様は自分で一番美味しくできた時のレシピをこうして残していたの。お母様の物は何一つ処分されてなかったからここにあるだろうと思ったの」
母の私物は全てここにあった。父の大切な物は全てここにある。正解だった。
「娘の大好物。キャラメリゼは濃くなりすぎないように注意、ですか。かしこまりました」
「今は平気よ。この頃はまだ五歳だったし」
丁寧に書かれた日付は十五年も前のもの。
「お母様の注意書きには従わなければなりませんので」
「主は私でしょ」
「レシピは作者の物ですから」
レシピブックと書かれたファイル。母の字はいつ見ても心を穏やかにさせる。
優しい母の内面を映したかのような美しい字に注目した彼に眉を寄せるが、棚の真ん中に置いてある宝石箱に私は動きを止めた。
「これ……」
「宝石箱のようですね?」
「私の宝物……」
宝石箱に散りばめられた宝石の価値はわからない。熱心に語っていた父の言葉も思い出せない。それでも私はこれが宝物だった。
「開けてみて」
父が持っていた宝石の中で私が唯一興味を示し、父が母ではなく私に贈ると言ってくれた宝石。
彼に箱を渡すと戸惑いながらもフタを開けた彼の目が驚きに見開かれ、それを見ただけで嬉しくなる。
「美しいでしょ」
宝石を取り出して手のひらに乗せて見せるも彼はそれに触ろうとはしない。ただ釘付けになったように見つめていた。
「アメトリンよ。あなたの瞳を瞬間、あなたの名前にしようと思ったの。この宝石のように美しいと思ったから」
「これが……アメトリン……」
「大事にしなさいって父が言ってたわ。アメトリンは必ず私にパワーをくれるからって」
父が言ってた言葉はただの宝石言葉だと思う。幼かった私には宝石の言葉の意味もパワーという言葉もよくわからなかったけど、手にした今だからこそわかった。
「アメトリンは愛の守護関や真実の愛をもたらすって言われてるの」
「真実の愛……」
「愛って言葉はあやふやなものだと思うの」
「神の存在のように?」
「ええ、そうね」
二二種類の宝石が混ざったアメトリンの二種類の言葉はどちらも愛。
父や母がよく口にしていた言葉だ。
だが、世の中は愛を使う言葉が多くて愛とは一体何なのかわからない時がある。定義がない以上、明確なものなの存在しないのかもしれないと思っていた私に彼が髪の存在の有無について口にする。神を信じていない彼らしい言葉に反論せず頷いた私に彼はまた驚いた顔をする。
「この命が永遠であるのなら、あなたが私を守るのも永遠。その間に私があなたへ抱くこの想いが真実の愛へ変わっていくかどうか確かめることができるでしょ? この命が永遠に続いて、あなたは永遠に私を守り続け、私は永遠にあなたを愛する。そうなったらやっぱりあなたはアメトリンなのよ。私が付けた名前は間違ってなかったことになる。面白いと思わない?」
彼が真実の愛をもたらすかはわからない。この想いは明日には消えているかもしれないし、今日より大きくなっているかもしれない。
私の心のことは私でもわからないのだから神様にだってわからないと思う。
わかるのはきっともっと先の未来かもしれない。それでも私達には時間がある。
彼の瞳の色がアメトリンと同じなのには意味がある。私はそれを信じたいと思った。
「では、私がそれを証明いたしましょう。お嬢様が真実の愛を見つけられるまでお傍に」
「見つかったら傍にはいてくれないの?」
彼が真実の愛を証明すると言いきったのだが、言い方が気になった。彼が不老不死になったという証拠がないことに一抹の不安を覚えた私の気持ちを見透かしたように笑顔を向けてくる。
「その時は家族になる、というのはいかがでしょう?」
紅茶でもいかがでしょう?と気軽な問いかけのような彼に私は固まる。そして笑いだす。
ロマンチストな彼にしてはロマンのない状況で問いかけるものだから笑いがとまらなかった。
「今言うことじゃないでしょ」
勝手に動き出した身体は彼の腕の中へと飛び込み、勝手に涙を流す。
上から降ってくる「泣き虫ですね」の声に「誰のせいよ」と言うと謝罪が降ってきた。
「その時はシャルロットとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「まだ家族になるとは言ってない」
「シャルロット様」
「お嬢様でしょ」
「シャルロットお嬢様」
何年かぶりに聞いた私の名前。母がとても気に入っていた名前だから私も気に入っていたが、彼には一度も教えなかった。それを知っているということは彼が語ったのが真実であるということ。彼は私を知っていた。
からかうように名前を連呼する彼が子供のようにハシャいでいるように見えておかしかった。
強く抱きしめる彼の胸に抱かれながら体温が上がっていくのを感じる。
彼の体温と合わさって溶けてしまいそうな気分だった。
もうこのまま溶け合ってしまってもかまわない。
だって私はこれからこの世の終わりまで生き続けるのだ。
でも一人じゃない。彼がいる。
欲しい物は手に入れた。
今は幸せを感じたまま終わりたい。
この世の終わりが私達の終わりなのではなく、今この瞬間でもかまわないと思うほど幸せを感じている。
美しい彼と溶け合った先には何があるのだろう?
きっと、父でさえ見たことがない美しい世界があるような気がした。
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