溶け合った先に

永江寧々

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合格基準~執事side~

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「現地で面接って……面接会場ぐらい向こうに用意しろよ」

研究所で面接があると用意された船で現地に向かう間、口から出てくるのは文句だけ。
研究内容を合格者にしか告げないのであれば研究所で面接をする必要などないはず。受かった場合、ここでどういう研究をするかの説明があるのなら話は別だが、もしそれさえないのであれば移動時間というのはあまりにも無駄すぎる。

「金、持ってないわけじゃないんだよな……」

現地へ向かうクルーザーの大きさや内装に零細企業でないことは間違いないが、面接に行くのが自分一人しかいない不安から前向きに捉えるのは不可能だった。

「あの……面接はどのぐらい時間がかかるものですかね?」
「……」
「あとどのぐらいで着きます?」
「……」

こっちを監視するように立っている黒服の男に二度話しかけてみても返事はない。

「無視かよ……」

小さな舌打ちをして首を振り、見渡す限り海しかない景色に飽きたと感じながらも眠れる気もせず、到着までの一時間半、ただジッと変わりない景色を眺めていた。

「リゾート……」

船から降りると確かにそこはリゾートと呼ぶに相応しい場所だった。白砂にエメラルドグリーンの海。停泊中の豪華クルーズ。これだけでも十分リゾートを感じたが、用意された車に乗り込んで走った先に見えた高級ホテルのような宿舎。その駐車場に停めてある高級車。
給料は今の二倍。勤務地はリゾート地。家は高級ホテル。VIP待遇であるのは間違いないと確信を得るが、信用にはならない。
船から降りてここに到着するまで自由と言えば自由だったが、近くには必ず黒服の男がいて、変な動きをしないか監視されていた。気分的には〝案内〟ではなく〝連行〟に近かった。

「ここに荷物を」
「全部?」
「はい」

研究所に入るとすぐ荷物をロッカーに預けるよう指示があった。ペン一本さえ持ち込みは禁止。センサー付きのゲートを通ってようやくドアの前へ。

「失礼します」

黒服の男がノックすると中から返事はなかったがドアが開いた。
中は白に統一され、美しさはあったがそれと同時に不気味ささえ感じた。

「ようこそ」

部屋の真ん中で鎮座する男が笑顔で迎えてくれた。
それが彼女の父親だった。

「私がここの責任者のブラン博士だ」

男ながらに美しい人だと思った。整った顔立ち、握手からこちらへの着席指示、所作に漂う気品、話し方。研究者というよりは貴族のような印象を受けた。

「あの……」
「質問は最後だ。先にこちらからいくつか簡単な質問をさせてほしいんだが、いいかな?」
「あ、はい。失礼しました」

厳しい言い方ではなく子供に言い聞かせるような柔らかな言い方に頷いた。本当は今すぐにでも疑問を解決したかったが、彼の笑顔と声を聞いていると不思議と心が落ち着いた。

「七日後、君にここで働いてもらうと言ったらどうする?」
「一週間後⁉」
「そうだ」
「一週間、ですか……?」
「同じことは二度言わない主義でね。私は無駄が嫌いなんだ」
「す、すみません」

あまりの唐突さに驚いてしまった。現在研究職に就いていることは履歴書に書いてあっただろうし、研究者を募集していたのだからそれはわかっているはず。その上で聞いているのだとしたら本当に何を考えているのかがわからない。強引な会社なのかもしれないと動悸がするほどの不安に襲われる。
無駄が嫌いという笑顔は明らかに張り付けられたもので、さっきの柔和さは微塵も感じられず、威圧感だけがそこにあった。
父親は厳格な人間であったが、それでもここまでの威圧感は感じたことがなく、呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうだった。

「実家暮らしかい?」
「いえ、一人暮らしです。今の研究所は実家から少し遠くて」
「家族仲は良好かな?」
「えっと……」

質問の意図がわからない。就職と家族仲は関係ないはずだ。

「頻繁に親が会いに来て君の部屋を片付けたり、週に二度三度と夕飯を持ってきたり、何でもない報告をしたりしてるかい?」
「いえ、そういうのは全然。どちらかといえば一年に一度、ノエルに帰るぐらいで……」

今までの活動内容や能力の把握ではなく、完全に個人情報を聞きだされている。だが、見知らぬ土地で逃げ場はなく、荷物もなければ味方もいない状態で質問に答えないという選択肢はない。
聞き取りにくかっただろう小声に刃なったが、ブラン博士は満足げに笑って「そうかそうか」と頷いていた。

「では、もう一度だけ聞こうか。七日後、ここで働けるかい?」
「あの、今の家……」
「まず、イエスかノーで答えなさい」
「ッ……イエス、です……」

ああ、この人は責任者ではなく支配者なのだと本能が告げていた。逆らうべきではないと。
今の家は契約したばかりで引っ越すのなら違約金を払わなければならないことや、親に説明するために仕事内容を聞くこと。なにより、今の職場にどう言えばいいのか聞こうと思ったのに何一つ問いかけることはできず、思わず〝イエス〟と答えてしまった。

「では、質問をどうぞ」

まるで調教師のようだと思った。

「あ、あの……今の家はまだ契約したばかりで……退去も三か月前に申告という約束で……」

社会に出た大人が発言一つでしどろもどろ状態というのはあまりにも情けない話だと自分でもわかっていたが、緊張で上手く声が出なかった。
喉が震えて言葉がつっかえて、話内容も整理がついていない状態。それでもブラン博士は笑みを崩さず、優しい父親のようにゆっくり頷き、テール部の上で組んだ手の上に顎を乗せた。

「こちらが急な要求をしているからね。そういう対処はこちらでさせてもらうつもりだよ。職場への心配も必要ない。研究所へ求人を出させてもらった時に説明はしてあるし、君の移動はすぐに認められるだろう。何の心配もいらない」

答えの用意が良すぎる。唐突な問いかけに戸惑うことは予想できているにしても、準備が良すぎる。今日、面接に受かったとして一週間後に働かせたいほど人手が欲しいのであれば今まで受けた者の中から何人か合格者を出せばよかったのに、彼はそうしなかった。
一人暮らしで不便はなかったが、自宅面積は今よりずっと広くなり、リゾート地で働くことができ、面倒な手続きは全て相手がしてくれる。おまけに給料は今の二倍。
両手放しで喜ぶべきことなのだろうが、この緊張感ではそう楽観的にもなれなかった。

「では、君は合格だ」

笑顔で告げられた言葉を脳が理解するのに十秒かかった。

「は? え? ご、合格? ま、まだ何も喋ってないし……その……」

自己紹介もまだしていない。一週間後に働けるかにイエスと答えただけ。

「君の仕事ぶりについては研究所に問い合わせ済みだし、履歴書も見た。あとは君がどういう人間なのか直接話して確認したかったんだ」
「一言二言しか……」
「私にはよくわかったよ。どうもありがとう。では、七日後にまた会おう」
「は、はい……」

面接時間たったの五分。船に乗って研究所までの移動ほんの三時間。
何をしに来て、何を理解されたのか全くわからないまま面接は終わり、来た時に預けた荷物を受け取ってまた車に乗り込み一時間半かけて船着き場まで行く。そして一時間半かけて地元へ帰る。
俺がしたことは、ただ口を開けて情けない顔を晒し、ブラン博士の問いにイエスと答えただけ。
合格基準が何だったのか全くわからなかったが、一週間後、自分はあの美しい男の下で研究員として働いているのだということだけは理解できた。

「あ、研究内容聞くの忘れた」

一番聞きたかったことを聞けていなかったのを船の中で思い出したが、黒服の男達に聞いたところで声一つ漏らすことはないのだから聞かなかった。どうせ一週間後にはわかるのだから。

「受かった⁉ マジで⁉ やったじゃん!」

合格したと友人に報告すると自分のことのように喜んで祝ってくれたが、一週間後にはアパルトマンを解約して今の研究所も辞めると言うと驚かれた。

「審査基準は顔か……」
「それならモデル事務所に求人出した方が早いだろ」

自分もそう思わなかったわけではない。ブラン博士もそうだが、サングラスでハッキリとはわからなかったものの黒服達の顔も整っていたように思えた。美しい男の下で働くにはそれなりの顔の基準はあったのかもしれないと。だが、そんなことで決められたのでは研究者としては恥だ。
くだらないことを言うなと言って友人と別れてから一週間はあっという間だった。
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