溶け合った先に

永江寧々

文字の大きさ
上 下
12 / 29

依存

しおりを挟む
久しぶりに夢を見た。

真っ白な空間に私がいて、父も一緒だった。目を開けていられないほど眩しい光に私はうっすらとだけ目を開ける。白い壁や床に光が反射して、この空間全体が光っているように見える中で父が私の顔を覗き込んだ。

大好きなあの優しく美しい顔ではなく、私を置いていった、私が最後に見た父だった。

あれからずっと眠っていないのか、目の下に大きなクマを飼っている。

父は私の頬に触れ、囁いた。

「お前の美しさは私の宝だ。どんな宝石よりも美しい。美しさとは永遠でなければならない。お前のその美しさも永遠であるべきなんだ」

急に昔の、私が大好きだった父の顔に戻った。だが、その笑顔はひどく優しくてひどく冷たい。柔らかな笑顔なのに凍りつきそうなほど冷たく感じた。

「お前も……となる……。お前の……も……宝……。研究……」

私の隣にも誰かがいる。父が隣に移動して何かを囁いているのに私は天井を見上げたまま横を見ようとはしなかった。

途切れ途切れの父の言葉は何を言っているのか聞き取ることができず、光の強さに負けて私は目を閉じた。

たったそれだけの夢だった。

「お嬢様」

彼の声が私を呼ぶ。それなのに「おはようございます」がなかった。まだ夢を見ているのかもしれないと慌てて目を開けると彼はいつも通りの彼で、違うといえば甘い声ではなく、聞き飽きた心配めいた声であることぐらい。

目を覚ました視界はいつもの甘い世界ではなく、色のない、どこか滲んだ世界のように感じた。

彼の指が私の目尻をなぞったことでそれが泣いているせいなんだと気付いた。

「悪夢でも?」

あれは悪夢なのだろうか?

「父の……夢を、見たの」
「お父様の? いつ頃の夢でございますか?」
「たぶん……母が亡くなった後……。私は真っ白な部屋にいて、父は病人みたいな顔をしていたわ。母が亡くなった後の顔はそれしか知らないからだと思う」

たぶん悪夢ではない。悪夢と呼ぶには弱い。

心のどこかで父に会いたいと思っている私がいて、それが夢を見せただけ。

「悪夢では……」

父のことは大好きだったし、尊敬もしていた。でも父は私を置いてどこか行ってしまった。この家に、この愛情にも思い出にも溢れていた家に、私を一人残して消え、そしてどこかで死んだ。

本当に会いたいのは母のほう。母の優しさに触れたい。母のあの甘くて優しい匂いを胸いっぱいに吸いこみたい。母のタルトタタンが食べたい。でも母は一度も夢にも出てきてはくれない。私に会いに来てもくれないのだ。

母の最後の言葉は「父を許せ」だった。仕事に行ってしまったことに対してだろうが、今思えば、母は自分が死んだら父がどうなるかわかっていたのかもしれない。

父を怒るなと言った母は父を愛していた。その父は私を母より美しいと言い続けてくれたが、母が死んで私を捨てた。

父が愛していたのは母だけで、私はその中にいなかった。それも含めて許せということだろうか……。

私を一番に愛してくれていたのは……誰?

「お父様と何かお話になられましたか?」
「いいえ、何も。父は私の美しさは永遠であるべきだと。あの日と同じことを言ってただけ」
「そうですか……」
「隣に誰かいたけど、わからなかったわ」
「隣に……」
「研究とか宝とか言ってたけど、聞き取れなかったの」

彼はいつもちゃんと聞いてくれる。どんなくだらない話も、オチのない夢も茶化さず聞いてくれる。だから私はいつも全て話す。あれもこれも全部。話を聞いてくれる彼の笑顔が好きだから。

でも今日に限って彼の表情に笑顔はない。甘さも穏やかさも爽やかさもなく、夢の中の父のように一点を見つめてまた「そうですか……」と呟くだけ。

「父は私を気にしてるのかしら?」
「気にしてらっしゃるでしょうね。夢にまで会いに来られるぐらいですから」
「まだ美しいかって?」
「そのようなことは……」

意地悪だった。

「いいのよ。お父様が気にすることなんてそれぐらいしかないもの」

亡くなった人物が夢に出てくるのはそのものが気にかけているからだと聞いたことがある。父が最後まで口にしていたのは私の美しさに関してのことだけ。私が無事かどうかとか、そんなことは何も言わなかった。

ハリケーンの後、帰宅した父が一番に心配したのは母だったし、母が亡くなっていたことに絶望し、私の美しさが消えることを危惧しながらも失踪した虚ろな目をした父。そんな父を私は本当に恋しがっているのだろうか?

もし今、目の前に父が出てきて「会いたかった」と言っても私はきっと駆け寄らないだろう。

「お嬢様、私がお傍におります」
「そうね、あなたがいる。だから大丈夫よ。ちっとも寂しくなんかないわ。でも、あなたは私が年老いて醜くなってもお嬢様と呼んで傍にいてくれるのかしら?」
「……老いたら……」
「あ、その反応は嫌ってことね?」
「いえ! とんでもない! どんなお姿になられても私は一生、お嬢様の執事でございます。お嬢様と共にあることが私の全てなのですから」

父の話をするといつも気にする。傍で膝をついて必ず私の手を両手で握って約束してくれる。だが時々、とても不安になる。父が私を絶賛したように、私が人から見て美しいと判断される顔をしてるのなら彼もそれで私を選んだのかもしれないと。

彼はそんな人ではないとわかっていても不安になってしまう。

今の美しさは永遠ではない。永遠に残る美しさなんて存在しない。

いつかは老いて皺だらけになってしまう。それでも彼は今のように優しい声で私を呼んでこうして手を握ってくれるだろうか……。

「お慕いしております、お嬢様」

問いかけはしない。彼は私を安心させてくれる唯一の人だから。

だから私は笑顔を見せる。その瞬間、安堵した笑顔で手の甲に口付けを落とす姿は本の中に現れる王子様そのもの。

私をお姫様にしてくれる私だけの王子様。

そう、これは私だけの物語なのだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

公爵子息に気に入られて貴族令嬢になったけど姑の嫌がらせで婚約破棄されました。傷心の私を癒してくれるのは幼馴染だけです

エルトリア
恋愛
「アルフレッド・リヒテンブルグと、リーリエ・バンクシーとの婚約は、只今をもって破棄致します」 塗装看板屋バンクシー・ペイントサービスを営むリーリエは、人命救助をきっかけに出会った公爵子息アルフレッドから求婚される。 平民と貴族という身分差に戸惑いながらも、アルフレッドに惹かれていくリーリエ。 だが、それを快く思わない公爵夫人は、リーリエに対して冷酷な態度を取る。さらには、許嫁を名乗る娘が現れて――。 お披露目を兼ねた舞踏会で、婚約破棄を言い渡されたリーリエが、失意から再び立ち上がる物語。 著者:藤本透 原案:エルトリア

不倫していた男に婚約破棄された悪役令嬢は投獄された地下牢から人生をやり直す!

masa
恋愛
子爵令嬢レイラ・ナサニエル・ナターシャは婚約相手に不倫されたあげく、パーティ場で直接に婚約破棄を言い渡されてしまう。家の恥として地下牢に投獄され、餓死を待つしかなかった彼女は、通気口から入った月光に照らされた牢屋の床に奇妙な紋様を見つける。

初恋の還る路

みん
恋愛
女神によって異世界から2人の男女が召喚された。それによって、魔導師ミューの置き忘れた時間が動き出した。 初めて投稿します。メンタルが木綿豆腐以下なので、暖かい気持ちで読んでもらえるとうれしいです。 毎日更新できるように頑張ります。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

うちの執事は最恐です。

酒田愛子(元・坂田藍子)
恋愛
辺境伯の一人娘シャーロットは、母親を早くに亡くし、父親に甘やかされて育ったお転婆娘。 学園に入学するのに併せて、婚約話が出て来た。せっかくなので候補者を見に行こうとしていることが執事にバレた!

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。

ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。 なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。 妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。 しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。 この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。 *小説家になろう様からの転載です。

処理中です...