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依存
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久しぶりに夢を見た。
真っ白な空間に私がいて、父も一緒だった。目を開けていられないほど眩しい光に私はうっすらとだけ目を開ける。白い壁や床に光が反射して、この空間全体が光っているように見える中で父が私の顔を覗き込んだ。
大好きなあの優しく美しい顔ではなく、私を置いていった、私が最後に見た父だった。
あれからずっと眠っていないのか、目の下に大きなクマを飼っている。
父は私の頬に触れ、囁いた。
「お前の美しさは私の宝だ。どんな宝石よりも美しい。美しさとは永遠でなければならない。お前のその美しさも永遠であるべきなんだ」
急に昔の、私が大好きだった父の顔に戻った。だが、その笑顔はひどく優しくてひどく冷たい。柔らかな笑顔なのに凍りつきそうなほど冷たく感じた。
「お前も……となる……。お前の……も……宝……。研究……」
私の隣にも誰かがいる。父が隣に移動して何かを囁いているのに私は天井を見上げたまま横を見ようとはしなかった。
途切れ途切れの父の言葉は何を言っているのか聞き取ることができず、光の強さに負けて私は目を閉じた。
たったそれだけの夢だった。
「お嬢様」
彼の声が私を呼ぶ。それなのに「おはようございます」がなかった。まだ夢を見ているのかもしれないと慌てて目を開けると彼はいつも通りの彼で、違うといえば甘い声ではなく、聞き飽きた心配めいた声であることぐらい。
目を覚ました視界はいつもの甘い世界ではなく、色のない、どこか滲んだ世界のように感じた。
彼の指が私の目尻をなぞったことでそれが泣いているせいなんだと気付いた。
「悪夢でも?」
あれは悪夢なのだろうか?
「父の……夢を、見たの」
「お父様の? いつ頃の夢でございますか?」
「たぶん……母が亡くなった後……。私は真っ白な部屋にいて、父は病人みたいな顔をしていたわ。母が亡くなった後の顔はそれしか知らないからだと思う」
たぶん悪夢ではない。悪夢と呼ぶには弱い。
心のどこかで父に会いたいと思っている私がいて、それが夢を見せただけ。
「悪夢では……」
父のことは大好きだったし、尊敬もしていた。でも父は私を置いてどこか行ってしまった。この家に、この愛情にも思い出にも溢れていた家に、私を一人残して消え、そしてどこかで死んだ。
本当に会いたいのは母のほう。母の優しさに触れたい。母のあの甘くて優しい匂いを胸いっぱいに吸いこみたい。母のタルトタタンが食べたい。でも母は一度も夢にも出てきてはくれない。私に会いに来てもくれないのだ。
母の最後の言葉は「父を許せ」だった。仕事に行ってしまったことに対してだろうが、今思えば、母は自分が死んだら父がどうなるかわかっていたのかもしれない。
父を怒るなと言った母は父を愛していた。その父は私を母より美しいと言い続けてくれたが、母が死んで私を捨てた。
父が愛していたのは母だけで、私はその中にいなかった。それも含めて許せということだろうか……。
私を一番に愛してくれていたのは……誰?
「お父様と何かお話になられましたか?」
「いいえ、何も。父は私の美しさは永遠であるべきだと。あの日と同じことを言ってただけ」
「そうですか……」
「隣に誰かいたけど、わからなかったわ」
「隣に……」
「研究とか宝とか言ってたけど、聞き取れなかったの」
彼はいつもちゃんと聞いてくれる。どんなくだらない話も、オチのない夢も茶化さず聞いてくれる。だから私はいつも全て話す。あれもこれも全部。話を聞いてくれる彼の笑顔が好きだから。
でも今日に限って彼の表情に笑顔はない。甘さも穏やかさも爽やかさもなく、夢の中の父のように一点を見つめてまた「そうですか……」と呟くだけ。
「父は私を気にしてるのかしら?」
「気にしてらっしゃるでしょうね。夢にまで会いに来られるぐらいですから」
「まだ美しいかって?」
「そのようなことは……」
意地悪だった。
「いいのよ。お父様が気にすることなんてそれぐらいしかないもの」
亡くなった人物が夢に出てくるのはそのものが気にかけているからだと聞いたことがある。父が最後まで口にしていたのは私の美しさに関してのことだけ。私が無事かどうかとか、そんなことは何も言わなかった。
ハリケーンの後、帰宅した父が一番に心配したのは母だったし、母が亡くなっていたことに絶望し、私の美しさが消えることを危惧しながらも失踪した虚ろな目をした父。そんな父を私は本当に恋しがっているのだろうか?
もし今、目の前に父が出てきて「会いたかった」と言っても私はきっと駆け寄らないだろう。
「お嬢様、私がお傍におります」
「そうね、あなたがいる。だから大丈夫よ。ちっとも寂しくなんかないわ。でも、あなたは私が年老いて醜くなってもお嬢様と呼んで傍にいてくれるのかしら?」
「……老いたら……」
「あ、その反応は嫌ってことね?」
「いえ! とんでもない! どんなお姿になられても私は一生、お嬢様の執事でございます。お嬢様と共にあることが私の全てなのですから」
父の話をするといつも気にする。傍で膝をついて必ず私の手を両手で握って約束してくれる。だが時々、とても不安になる。父が私を絶賛したように、私が人から見て美しいと判断される顔をしてるのなら彼もそれで私を選んだのかもしれないと。
彼はそんな人ではないとわかっていても不安になってしまう。
今の美しさは永遠ではない。永遠に残る美しさなんて存在しない。
いつかは老いて皺だらけになってしまう。それでも彼は今のように優しい声で私を呼んでこうして手を握ってくれるだろうか……。
「お慕いしております、お嬢様」
問いかけはしない。彼は私を安心させてくれる唯一の人だから。
だから私は笑顔を見せる。その瞬間、安堵した笑顔で手の甲に口付けを落とす姿は本の中に現れる王子様そのもの。
私をお姫様にしてくれる私だけの王子様。
そう、これは私だけの物語なのだ。
真っ白な空間に私がいて、父も一緒だった。目を開けていられないほど眩しい光に私はうっすらとだけ目を開ける。白い壁や床に光が反射して、この空間全体が光っているように見える中で父が私の顔を覗き込んだ。
大好きなあの優しく美しい顔ではなく、私を置いていった、私が最後に見た父だった。
あれからずっと眠っていないのか、目の下に大きなクマを飼っている。
父は私の頬に触れ、囁いた。
「お前の美しさは私の宝だ。どんな宝石よりも美しい。美しさとは永遠でなければならない。お前のその美しさも永遠であるべきなんだ」
急に昔の、私が大好きだった父の顔に戻った。だが、その笑顔はひどく優しくてひどく冷たい。柔らかな笑顔なのに凍りつきそうなほど冷たく感じた。
「お前も……となる……。お前の……も……宝……。研究……」
私の隣にも誰かがいる。父が隣に移動して何かを囁いているのに私は天井を見上げたまま横を見ようとはしなかった。
途切れ途切れの父の言葉は何を言っているのか聞き取ることができず、光の強さに負けて私は目を閉じた。
たったそれだけの夢だった。
「お嬢様」
彼の声が私を呼ぶ。それなのに「おはようございます」がなかった。まだ夢を見ているのかもしれないと慌てて目を開けると彼はいつも通りの彼で、違うといえば甘い声ではなく、聞き飽きた心配めいた声であることぐらい。
目を覚ました視界はいつもの甘い世界ではなく、色のない、どこか滲んだ世界のように感じた。
彼の指が私の目尻をなぞったことでそれが泣いているせいなんだと気付いた。
「悪夢でも?」
あれは悪夢なのだろうか?
「父の……夢を、見たの」
「お父様の? いつ頃の夢でございますか?」
「たぶん……母が亡くなった後……。私は真っ白な部屋にいて、父は病人みたいな顔をしていたわ。母が亡くなった後の顔はそれしか知らないからだと思う」
たぶん悪夢ではない。悪夢と呼ぶには弱い。
心のどこかで父に会いたいと思っている私がいて、それが夢を見せただけ。
「悪夢では……」
父のことは大好きだったし、尊敬もしていた。でも父は私を置いてどこか行ってしまった。この家に、この愛情にも思い出にも溢れていた家に、私を一人残して消え、そしてどこかで死んだ。
本当に会いたいのは母のほう。母の優しさに触れたい。母のあの甘くて優しい匂いを胸いっぱいに吸いこみたい。母のタルトタタンが食べたい。でも母は一度も夢にも出てきてはくれない。私に会いに来てもくれないのだ。
母の最後の言葉は「父を許せ」だった。仕事に行ってしまったことに対してだろうが、今思えば、母は自分が死んだら父がどうなるかわかっていたのかもしれない。
父を怒るなと言った母は父を愛していた。その父は私を母より美しいと言い続けてくれたが、母が死んで私を捨てた。
父が愛していたのは母だけで、私はその中にいなかった。それも含めて許せということだろうか……。
私を一番に愛してくれていたのは……誰?
「お父様と何かお話になられましたか?」
「いいえ、何も。父は私の美しさは永遠であるべきだと。あの日と同じことを言ってただけ」
「そうですか……」
「隣に誰かいたけど、わからなかったわ」
「隣に……」
「研究とか宝とか言ってたけど、聞き取れなかったの」
彼はいつもちゃんと聞いてくれる。どんなくだらない話も、オチのない夢も茶化さず聞いてくれる。だから私はいつも全て話す。あれもこれも全部。話を聞いてくれる彼の笑顔が好きだから。
でも今日に限って彼の表情に笑顔はない。甘さも穏やかさも爽やかさもなく、夢の中の父のように一点を見つめてまた「そうですか……」と呟くだけ。
「父は私を気にしてるのかしら?」
「気にしてらっしゃるでしょうね。夢にまで会いに来られるぐらいですから」
「まだ美しいかって?」
「そのようなことは……」
意地悪だった。
「いいのよ。お父様が気にすることなんてそれぐらいしかないもの」
亡くなった人物が夢に出てくるのはそのものが気にかけているからだと聞いたことがある。父が最後まで口にしていたのは私の美しさに関してのことだけ。私が無事かどうかとか、そんなことは何も言わなかった。
ハリケーンの後、帰宅した父が一番に心配したのは母だったし、母が亡くなっていたことに絶望し、私の美しさが消えることを危惧しながらも失踪した虚ろな目をした父。そんな父を私は本当に恋しがっているのだろうか?
もし今、目の前に父が出てきて「会いたかった」と言っても私はきっと駆け寄らないだろう。
「お嬢様、私がお傍におります」
「そうね、あなたがいる。だから大丈夫よ。ちっとも寂しくなんかないわ。でも、あなたは私が年老いて醜くなってもお嬢様と呼んで傍にいてくれるのかしら?」
「……老いたら……」
「あ、その反応は嫌ってことね?」
「いえ! とんでもない! どんなお姿になられても私は一生、お嬢様の執事でございます。お嬢様と共にあることが私の全てなのですから」
父の話をするといつも気にする。傍で膝をついて必ず私の手を両手で握って約束してくれる。だが時々、とても不安になる。父が私を絶賛したように、私が人から見て美しいと判断される顔をしてるのなら彼もそれで私を選んだのかもしれないと。
彼はそんな人ではないとわかっていても不安になってしまう。
今の美しさは永遠ではない。永遠に残る美しさなんて存在しない。
いつかは老いて皺だらけになってしまう。それでも彼は今のように優しい声で私を呼んでこうして手を握ってくれるだろうか……。
「お慕いしております、お嬢様」
問いかけはしない。彼は私を安心させてくれる唯一の人だから。
だから私は笑顔を見せる。その瞬間、安堵した笑顔で手の甲に口付けを落とす姿は本の中に現れる王子様そのもの。
私をお姫様にしてくれる私だけの王子様。
そう、これは私だけの物語なのだ。
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