溶け合った先に

永江寧々

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囚われし者

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「おとうさま?」
「神はいない……この世に神など存在しなかった……私は何と愚かだったのだろうか……」
「かみさまはいるわ。いつもわたしたちをみまもってくださって……」
「見守るだけなど誰にでもできることだ。救いを与えてこその神だろう……」
「でも神様は……」
「神などいない! なぜ彼女をつれていった! なぜいつものように治めてくれなかった! なぜ私から奪ったのだ! なぜだ!」

目を開けない母を抱きしめたまま泣き叫んでいた父が震え始めたことに不安になって声をかけると父は私に向かって神はいないと強く言い放った。

神の存在を誰より信じていた父の言葉とは思えないもので、私が神の存在を肯定しようとしても父は否定を続けた。
大声は次第に叫び声に変わり、五回、六回、七回と「なぜ」を叫び続けた父の表情は絶望に満ちていて、狂気さえ感じさせるほど恐ろしいものだった。

私は動くこともできず、父の怒りが納まるまでその場に立ち続けた。

「おとうさま、どこへ行くの?」
「……お前の美しさだけは守らねば……」
「おとうさま?」
「この美しさだけ……神になど奪わせない……」

母の葬儀が終わった後、父はすぐにどこかへ行く支度をしていた。大きな鞄の中には下着でも服でも食べ物でもなく書斎から持ってきた本や紙の束を無作為に詰めこまれるだけ。

美しいと思っていた父の横顔は母が亡くなって一日しか経っていないのに美しかった金色の髪は真っ白になり、実年齢よりずっと老けて見える父は本当にあの父かと疑うほどで、血走る目がどこか不気味にも思えた。

傍に寄って服を引っ張れば私の方を向くが、以前のように優しく笑って抱きあげてはくれない。虚ろな目はどこを見ているのかわからないほど焦点が合っておらず、顔は私の方を向いているのに目は虚空でも見ているかのようだった。

それでも私のことを口にする。美しいと。私に言っているのではなく、独り言のようにも思えるものだったが、それでもこんな状態の父の中にまだ私はいるのだとそれだけが救いだった。

「もう二度と……奪わせてなるものか……」

虚空を見つめたまま呟く姿は精神病棟に隔離されている患者のようで、もはやこれが父であると認識するほうが難しかった。

鞄を持つ父にどこへ行くのかと聞いても父は相変わらず同じことを呟くだけで答えてはくれず、虚ろな目のまま馬車に乗り込んだ父。

父の姿を見たのはそれが最後だった気がする。

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