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はじまりの朝
しおりを挟む「おはようございます」
囁くような声がした。
起こすことを躊躇うような小さな声。でも確実に意識を覚まさせようとする色香を含んだ心地良い声を合図に私の一日は始まる。
私に朝だということを知らせるのはカーテンの隙間から差し込む眩しい光でも小鳥たちの歌声でもなく、この甘い声。
起きるのは嫌じゃないけど、もう少しこの声に起こされていたいと思うからいつもと同じように寝たふりを続ける。すると仕方ないとでも言いたげな溜息が聞こえ、ベッドが軋んだ。
「寝たふりがお上手になりましたね」
耳元でかけられる優しい嫌味。
子供の寝たふりに騙されてやるのも執事の仕事ではないのかと思うが、彼はこういうことには優しくない。
ゆっくり薄目を開ければすぐ隣に整った男の顔があった。見慣れた顔だが何度見ても美しいと思う。
美人は三日見れば飽きるという。それも今の私には当てはまらない言葉だ。飽きる日が来るなど想像もできないほど、私は彼の顔を気に入っていた。
ミケランジェロのダビデ像がなぜこれほど長く愛され続けるのか、惹かれ続ける人たちの気持ちがよくわかる。
白い手袋をした手が寝癖で乱れた髪を優しく撫でる。それだけで朝から気分がいい。これはよく晴れた日に森林の中で深呼吸をする気持ちよさにも勝るのだ。
彼の行動一つで私の気分は決まる。
彼は私の従者で、私が主だというのに、私は彼の言動一つ一つをとても気にするようになっていた。
「騙されたふりをしてくれてもいいじゃない。お上手だなんて嘘ばっかり。バレてないと思って目を閉じてたのがバカみたい」
寝たふりだと気付いても騙されてくれる方が嬉しい。もう一度優しい声で「起きてください」と言ってくれる方が喜べたのに、この執事は少し意地悪で、声だけが優しい時もあった。
寝たふりをしていると知って笑っていたんだと思うと急に恥ずかしくなって、胸元にあった布団を鼻の上まで引っ張り上げて顔を隠す私に彼は微笑んだ。そして髪を撫でる手がまたゆっくりと動きだす。
髪を撫でられるのは好き。だから怒ろうにも怒ったふりができなくなってしまう。頬を膨らませて手を振り払っても彼はきっと笑っている。焦るふりもせず、笑ったまま平謝りをするだけ。そういう男だ。でもだからといって笑って返したりはしない。拗ねたふりをする。実際少し拗ねてはいるのだが、彼の面白がる表情を見続けるのも癪だと起きることにした。
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