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婚約破棄

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 次男の口から語られた現状に全員が絶句した。

「それ、本気で言ってるの?」
「冗談だとしたら最悪だよね」
「……いや……ウォレン兄ちゃん逃したってことは婚期も逃したってことだろ、あの王女。リズ以上のバカじゃん」
「いちいちリズのこと言わないでよ」
「わかりやすくていいだろ。お前は人類のバカ代表なんだから」

 今はダニエルの暴言を止める気にもならない。ウォレンが婚約を破棄された、それも一方的に。ウォレンに非があったのなら仕方ない。相手も一国の王女、断る権利はある。だが、断るにもそれなりの理由が必要。ウォレンは気こそ弱いが、底抜けに優しい。相手を注意するにしても決めつけることはせず、じっくりと話を聞いて相手の気持ちを整理させながら答えを出してからと決めている。
 彼以上に優しい男はいないのではないかときょうだいはいつも口にする。

「宝石の大きさが男の甲斐性だと言う女性なんてこっちからお断りよ。こんなこと言いたくないけど、何様のつもりなの? 大きな宝石を贈られるだけの女になってから言いなさいよ。ダニエルの言うとおり、絶対に婚期を逃したわ。次に結婚する相手は逮捕歴のある変態でありますように」

 はらわたが煮え繰り返るほどの怒りに普段なら絶対に言わない言葉を連発するクラリッサの怒りをどう鎮めるべきかと焦りはあるものの、若干の引きもあってきょうだいたちはなかなか言葉が出てこない。
 だが、完璧な王女にこのまま暴言を吐き散らかせるわけにはいかないとダニエルが手を上げた。

「…………イエローカード」

 言えたのはそれだけだが、確かに効果があった。

「ごめんなさい」

 素直に謝るクラリッサに全員が安堵する。いつ何時も感情を乱さずに生きてきたクラリッサが感情を乱した姿は初めて見るだけに意外だったが、きょうだいたちはクラリッサもちゃんと怒れるのだとわかって少し嬉しかった。

「世の中にこんなにも腹が立つことがあるなんて知らなかった。お兄様、どうか気を落とさないで。むしろこれで良かったと思うべきよ。お兄様の優しさではなく宝石の大きさでしか結婚に価値を見出せない女なんてお兄様のほうからお断りすればいいのよ」
「王子様が向かう先には必ずお姫様がいるんだよ」
「ええ、そうよ、そのとおり。お兄様のお姫様はあの人じゃなかっただけ」
「そうだね。そう思ってる。怒ってくれてありがとう、クラリッサ」

 ウォレンのような優しい人には優しい相手が嫁いできてほしい。誰もがそう願っていた。

「おにーちゃんの王女さまっておねーちゃんの宝石もらえるって言ってた人?」
「ああああああああああッ」

 ウォレンが慌ててロニーの口を押さえるが言い終わったあとではもう遅い。クリームだらけの口を押さえた手にクリームが付いただけ。

「本当に……最低な女ね。そんなに宝石が欲しければ倉庫に眠ってるネックレス全部首に巻いてやればいいのよ。ピアスも全部耳に付けてやればいいんだわ。耳だけじゃなく鼻にも唇にもつけて、指が見えなくなるまで指輪をつけて、頭全体に髪飾りを乗せてやればいい。本当にもうッ、なんなのよッ!」

 父親に婚約破棄させられたときよりもずっと腹が立っているクラリッサが両手を拳に変えた耳の横で震わせるとそのまま勢いよく振り下ろしたのをウォレンとダニエルが手のひらで受け止めた。
 それなりの勢いで振り下ろしたためバチンッと強めの音が鳴る。ウォレンはそうでもないが、ダニエルは痛かったのか顔をしかめた。

「ご、ごめんなさい! またっ……! 大丈夫? 怪我してない?」
「お姉ちゃん意外と馬鹿力なんだな」
「ごめんなさい。痛かったわよね」

 ガラス戸の向こうで待機している使用人にタオルを濡らして持ってくるよう伝えてダニエルの手のひらを撫でる。

「テーブル叩いたら紅茶がこぼれてリズが泣く。泣いたらコイツうるせーもん。お姉ちゃんの手こそ痛かったんじゃね?」
「大丈夫よ。お兄様も大丈夫?」
「僕は平気。クラリッサこそすぐに手を拭いて。クリームついた手だったから君の手にもついちゃった」
「あとで拭くわ。本当にごめんなさい」

 クラリッサはひどく自分を情けなく思った。笑顔や仕草をいくら完璧にできても怒りをコントロールできないのでは完璧とは言えない。怒りを出さないようにはできるが、一度怒りが出てしまえば抑えられなくなってしまう。
 あまりの情けなさにため息をついてクリームのついた手で顔を押さえようとしたクラリッサの前にクッキーが差し出された。

「どーぞ」

 無邪気な笑顔で差し出すロニーに目を瞬かせる。丸いクッキーの真ん中にジャムを乗せて焼いたロニーのお気に入りのクッキー。

「レナードが意地悪するってボクが怒ったり泣いたりしたらね、おねーちゃんいつもこっそりクッキーくれたでしょ? 甘いもの食べたらおいしくて笑顔になっちゃうのよって。だからおねーちゃんも甘いもの食べたら笑顔になるよ」
「ああ……ロニー。ええ、そうね。笑顔にならなきゃね。ありがとう」

 きょうだいはおやつの時間以外におやつを食べることを禁止されている。太っては困るからだ。クラリッサには毎日のおやつ時間はない。夜にお茶を飲むときに一枚か二枚だけクッキーを持ってきてもらえる。こうしてお茶会をする際、目の前に食べる物がたくさんあっても紅茶以外には手を出さない。紅茶に入れていいのも砂糖ではなく蜂蜜。
 今日はおやつの日ではないが、クラリッサはロニーの手からそれを受け取って一口かじった。

「美味しい」

 いつも部屋で一人で食べるクッキーとは違ってこのクッキーからは幸せな味がした。
 作った笑顔ではなく自然に溢れる笑顔に皆が笑顔になる。 

「……お兄様にもいつか素敵な女性が現れるわ。お兄様の優しさや逞しさに魅力を感じて支えてくれる人がきっと」
「気長に待つよ。僕は後取りじゃないし、期待もされてないからね」
「そんなことない。お父様もお母様もお兄様の優しさを絶賛してたわ」
「優しさしか取り柄がないって?」
「私が顔しか取り柄がないって言われてるのと一緒。それでも褒められてるんだからいいじゃない」

 下手に慰めたところでウォレンは自分が期待されていないことを知っている。期待されているのは優秀な長男だけ。だからクラリッサは自分もそうだと笑う。

「リズも期待されてない」
「そりゃそうだろ。俺も将来性がないって言われたし、ロニーは今も乳離れできてねぇし」
「ね? 期待されてないのは皆同じ。こんなにきょうだいがいても期待されてるのは一人だけだもの、落ち込む必要ないわ」
「ふっふふふふっ、そうだね」

 やっと表情が明るくなったウォレンに安堵するとお茶会を再開する。皆それぞれに好きな食べ物を皿に取ってお茶を楽しむ。リズとダニエルの言い合いがあって、甘えるロニーがいて、穏やかなウォレンがいるお茶会の時間がクラリッサには癒しの時間だった。
 
 夜になり、風呂に入ってサッパリしたあとは使用人を追い払って一人の時間を満喫する。
 テラスに出ても森の中から合図はない。そういう日もあるため今日は会えない日と納得して部屋に戻ると皿の上に何かがいるのが見えた。

「……虫……?」

 もぞもぞと動いている。人のようにも見えるが手のひらサイズの人など見たことがない。一体なんだと目を凝らしながら恐る恐る近付くと謎の生き物が振り向いた。

「オイラは虫じゃないぞ!」

 小さな両手でクッキーを抱え、口元には食べカスがついている。背中には人間にはない羽根が見えるし、顔も確かに人間に見え、言葉もわかる。リズから聞いた絵本の話に出てきた小人という存在だろうかと頭は冷静なのに身体はそれとは反対に思いきり息を吸い込んで悲鳴を上げていた。
 屋敷に響き渡るクラリッサの悲鳴に使用人だけではなく家族まで飛んできた。

「どうした!?」

 侵入者かとドアを蹴破って入ってきた兄が手紙の封を切るレターオープナーを手にクラリッサに駆け寄った。

「何があった!?」

 大勢の人間が駆けつけても小人はテーブルの上から逃げようとはしない。両手で持ったクッキーに何度も齧り付いて味わっている。
 使用人がベッドの下やテラス、テラスから庭に降りて辺りを見回し、ドアを全て解放して捜索したが怪しい点は見つからなかった。

「クラリッサ、何があったのだ?」

 誰もテーブルの上の存在に気付いていないのかと黙ってテーブルを指差せば皆がその指の先を目で追うも誰も驚きはしない。

「クッキーがどうした?」
「え? あ、あの、そっそう! クッキーに大きな虫が止まってて驚いてしまっただけなんです。ごめんなさい、大きな声を出して」
「本当か? 本当は何か見たんじゃないのか?」

 ギクッとしたクラリッサは泳ぐ目を見られまいと目を閉じて何度も首を振る。

「何もないわ。もう大丈夫。虫も出ていったみたい」
「だから夜はテラスに出るなと言っておいたのに」
「寝る前に夜風に当たるとよく眠れるの」
「……困った子だ」
「気をつけるわ。ごめんなさい。確認してもらったら安心したからよく眠れそう」
「しっかり寝なさい。夜更かしするんじゃないぞ。肌が荒れては大変だからな」
「はい。おやすみなさい」

 父親が部屋から出ていくと使用人たちも一緒に出ていく。エヴァンだけが心配そうに部屋に残っていたが、もう寝るからと言って追い出した。
 窓から外を覗くと使用人が数名外に立っている。今日の見張りとして立たされたのだろう。申し訳ないと心の中で謝ってから改めて小人に向き直る。

「……小人、さん?」

 クッキーを一枚食べきって満腹になったのか、パンパンに膨らんだ腹を撫でながらテーブルの上に寝転んでいる小人に声をかけた。
 目だけこっちに向けて起きあがろうとしない小人が人差し指を立ててクラリッサに言い放った。

「オイラは小人じゃない! 妖精だ!」

 初めて聞くその名前にクラリッサが首を傾げる。
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