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番外編
変わらぬ愛と後悔と
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「ようこそ」
目の前に浮かぶ青白い人物に挨拶をした。人が見れば誰しもが彼を幽霊だと言うだろう。間違いではない。彼は幽霊だ。正確には幽霊ではなく魂。
無表情のようで、どこか訝しげで、どこか切なげにも見えるその表情をする彼に魔女は自分が座っている椅子の向かいに腰掛けるよう手で促した。
「……僕はお前が嫌いだ」
「私を喜ばせる言葉をご存知のようね。合格」
「でも……イベリスを助けてくれたことにだけは感謝している……」
その言葉に魔女は目を閉じてかぶりを振る。呆れているのだ。くだらないと。
「どうして僕を呼んだんだ?」
「少し、あなたと話してみたかったの? まだ現世に名残があるみたいだし、天国か地獄かを分ける門への道のりはとても長いしね。あなた、列に並んでなかったでしょ?」
「……お前はただの魔女だろう……?」
「ええ、そうよ。ただの魔女。でも知り合いがいるの」
「神と知り合いだと?」
「さあ?」
魔女が契約したせいでイベリスは苦しむことになった。それだけは絶対に許せない。だが、魔女がいなければイベリスは耳が聞こえることも自らの声で話すこともできなかった。イベリスを救い、解放したのは間違いなく魔女で、そこに感謝の念はある。自分の死は魔女とは無関係。イベリスを取り戻そうとして殺されたのではなく、自ら選んだものだ。
「僕は魔女と契約はしないぞ」
「できると思ってるの? 私はタダで契約するつもりなんてないし、生き返らせるつもりもない」
「なら、僕をここに呼んだ理由はなんだ?」
ロベリアのように生き返らせるつもりもないのに何故呼び出したのか。リンウッドはこの呼び出しに抗えなかった。だからこそ魔女に対して余計に不満がある。イベリスに見せていたような笑顔はなく、椅子に座って腕と足を組み、小さな魔女を見下すように少し顎を上げて視線だけ向ける。傲慢そうな態度だが、魔女は気にしない。魔女が許せないのは「お前」と呼ばれることだけだが、今回だけは別。リンウッドは勝手に会いに来たのではなく魔女自らが呼び出した相手だから。
「どうしてイベリスの前で死んだの? あの子はあなたの人生そのものだったでしょ? あの子にトラウマを植え付けた理由は?」
イベリスがテロスに嫁いでからの情報は全てサーシャから手に入れていた。リンウッドについてはサーシャがその場にいなかったためイベリスの記憶から手に入れたが、イベリスの記憶は無音であるため何が話されていたのかまではわからなかった。重篤な精神疾患患者のようでありながら、最後は誰が見ても別人のように穏やかな笑みを携えて死んでいった。一体どういう心境だったのか。それが知りたかった。
「魔女でもわからないことがあるんだな」
「人の心は学んでないの」
だからこそ最悪の魔女と呼ばれる。人の命を、人生を弄ぶ性悪。自分の住処へと続く森の中に凶暴な魔獣を放っておきながら「人間が勝手に入って勝手に死んでいくだけ」と言う。魔獣を放つ理由すら存在しないはずなのに、あくまでもあの森は魔獣の巣だと強調。結界を張り、解放も魔女の気分次第。それでよく勝手に挑むなどと言えたものだとウォルフが挑む様子を見ていて思った。
人の心を学んでいればもっと人に優しくなれるはず。魔女の言い分には納得だが、イベリスの件があるため肯定はしなかった。
「僕は……」
思い出すのはイベリスの涙。叫び声。悲痛な表情。切なる願い。実際には声など出てはいなかったが、リンウッドには全て聞こえていた。それでも死を選んだ。悲しむと。苦しむとわかっていながら。
「僕は卑怯者だから」
その言葉が全てなのだろうと悟った。それを肯定するつもりも否定するつもりも魔女にはない。ただ、彼が何故そうしたのかが知りたかった。
「あなたは幼馴染だったでしょ? あなたが会いたいと言えばイベリスはいつでもあなたに会ったはず。死ねばもう会えないのに何故死を選んだの?」
「テロスで暮らして、イベリスに会う人生もあることはわかっていた。でも僕にはできなかった。イベリスを取り戻す。できなければ死ぬ。その二択しか考えられなかったんだ」
「極端よね」
「僕にとってイベリスは全てだった。一眼惚れしたあの瞬間からずっとイベリスだけを想って生きてきた。夫になれなくてもいい。婚約者になれなくてもいい。幼馴染として傍にいられるだけでもいい。ただ、僕以外と仲良くしなければそれで」
「随分と傲慢ね」
「そうだ。誰よりも僕がイベリス・リングデールを理解していた。誰よりも僕がイベリス・リングデールのために生きてきた。誰よりも僕がイベリス・リングデールを愛していた」
「でもあなたは自ら手放した」
「そうだ。そうするしか方法がなかったから」
蘇る地獄に落ちるよりも苦しい思い出。魂でありながら涙をこぼすリンウッドに魔女の瞬きが多くなる。感情的にならずに流れる涙を見たのは久しぶり。大体の人間は涙を流す際、感情的になって涙を流す。でも、彼は違った。少し俯き気味になって目を閉じ、涙を流している。
「あのままじゃ、イベリスを幽閉してしまいそうだったから。あのときの僕は毎日そうした考えが頭の中を占めていた。イベリスを誰の目にも触れさせず、僕だけを見る生活を送りたいと。でも、イベリスはそんなこと望まない。そんなことをすれば僕は嫌われてしまう。耳が聞こえなくてもイベリスは外に出て笑う。晴れが好き。雨も嫌いじゃない。風が気持ちいい。花の匂いがする。そんなことでたくさん笑うんだ。そんな子を閉じ込めるなんてできない。わかっているのに、日に日にその考えはどこか現実味を帯びるように鮮明になって、計画まで練り始めた。眠れないようになって、医者から出してもらった睡眠薬を見つめながら更なる計画が浮かんだ。極めつけは気付いたら不動産屋に入って物件の紹介を受けていたこと。いつ家を出て、どうやって不動産屋まで行って、何を話して物件の紹介を受けていたか覚えていなかった」
「実行一歩手前まで来てたってわけね」
「ゾッとした。吐き気までした。自分は本当にイベリスを幽閉しようとしているって。物件は良い意味で言えば山奥の別荘地。門から車で十分ほど走らなければ家には着かないほど広大な土地。門までの道のりも一本道で、まさにその家のために作られたような道だ。訪問者以外が走ることはない。イベリスを幽閉するにはぴったりの場所だった」
「購入はやめたの?」
「当然だ。やるわけがない。イベリスの笑顔が好きな僕がイベリスの笑顔を奪うなんてそんなことは絶対に許されない。すぐに不動産屋を飛び出した。すぐに別れ話をしなければならないと思った」
「イベリスを失うのに?」
「笑顔を奪うよりはずっといい。ただ僕が苦しめば済むんだから」
彼らの愛は決して平等ではなかった。日に日に大きくなっていく愛をイベリスは負担に思っていたはず。愛が独占欲へと変わり、それが純粋なままで終わればいいが、欲望によってどんどん汚れていく。薄汚い独占欲に変わったことにリンウッドも気付いていた。小さな芽から始まった独占欲は、いつしか本人でも止められないほど大きなものへと変わっていった。それを止めるには切り倒すしかない。別れという斧を振り上げ、一撃をくらわせる。あとはボキッと折れるだけ。
自分が苦しめば済む。簡単に言っているように見えるが、それにどれほどの覚悟がいるのか。
「僕は、どんなイベリスでも愛してた。どんなイベリスでも可愛いと思えた。好きだと思えた。愛おしいと思えた。狂おしいという言葉があるが、僕のイベリスへの愛はまさにそれだった」
目を開けたリンウッドが今度はどこか恍惚とした表情を浮かべる。狂おしい。そう言葉にする人間には相応しい表情だった。
「怒っていても笑っていても泣いていても拗ねていても静かでも寝ていても愛おしいと思えた。散歩中の犬、塀の上を歩く猫、大空を舞う鳥、木々を揺らす風、波打つ海、お気に入りのケーキと紅茶、面白い本。耳が聞こえなくても彼女は世界を楽しむ方法を知っていた。目に映る全ての物を楽しむ子だったから。だからどこにだって連れて行ったし、なんだって見せた。それは僕の役目で、僕の愛で、僕の生き甲斐でもあった」
「狂愛ってやつ?」
「その言葉は好きじゃないが……常軌を逸していたのは確かだ」
ふふッと笑うリンウッドが椅子の上で背を預けながら膝を抱える。
「イベリスのために生きてきた。イベリスさえいれば世界なんてどうでも良かった。世界恐慌が起きようと、戦争が起きようと、イベリスが傍にいて僕に笑いかけてくれるならそれで良かった」
「でも別れを告げた」
「そうするしかなかった」
苦しんで苦しんで苦しみ抜いて別れを告げた。イベリスが強がっているのはわかっていたし、あの瞬間のあの表情は死んでも尚忘れられない。魂すら苦しめるほど辛い思い出だ。
「じゃあどうしてテロスまで取り戻しに行ったの?」
「色々聞いたからだ。テロスで幸せにしてるなら苦しみ続けるつもりだったが、イベリスは苦しんでいた。何も知らずに嫁いだイベリスがあの場所で、あの男が相手で幸せになれるはずがない。もう一度、今度は必ず幸せにすると誓って取り戻しに行ったんだ」
「あんな様子で?」
もう一度目を閉じるリンウッドは当時のことを思い出すと苦笑すら浮かべることはできなかった。かといって何かの感情を表に出すわけでもなく、静かなものだった。
「何度も鏡を見たけど、自分の顔が異常とは思わなかった。周りの目は昔から気にすることはなかったし、頭の中はイベリスを取り戻すことでいっぱいだったから余計に気にもならなかった。大丈夫か?と声をかけられることにすら疑問を持たなかったんだから、その時点でおかしいってことだもんな」
常軌を逸している者はいつもそうだ。自分がおかしくなっていることに気付かず、思うがままに行動してしまう。鏡の前に立ってもそうだったのなら止めようはない。彼の運命はその時点で既に変えられないものとなっていた。
目の前に浮かぶ青白い人物に挨拶をした。人が見れば誰しもが彼を幽霊だと言うだろう。間違いではない。彼は幽霊だ。正確には幽霊ではなく魂。
無表情のようで、どこか訝しげで、どこか切なげにも見えるその表情をする彼に魔女は自分が座っている椅子の向かいに腰掛けるよう手で促した。
「……僕はお前が嫌いだ」
「私を喜ばせる言葉をご存知のようね。合格」
「でも……イベリスを助けてくれたことにだけは感謝している……」
その言葉に魔女は目を閉じてかぶりを振る。呆れているのだ。くだらないと。
「どうして僕を呼んだんだ?」
「少し、あなたと話してみたかったの? まだ現世に名残があるみたいだし、天国か地獄かを分ける門への道のりはとても長いしね。あなた、列に並んでなかったでしょ?」
「……お前はただの魔女だろう……?」
「ええ、そうよ。ただの魔女。でも知り合いがいるの」
「神と知り合いだと?」
「さあ?」
魔女が契約したせいでイベリスは苦しむことになった。それだけは絶対に許せない。だが、魔女がいなければイベリスは耳が聞こえることも自らの声で話すこともできなかった。イベリスを救い、解放したのは間違いなく魔女で、そこに感謝の念はある。自分の死は魔女とは無関係。イベリスを取り戻そうとして殺されたのではなく、自ら選んだものだ。
「僕は魔女と契約はしないぞ」
「できると思ってるの? 私はタダで契約するつもりなんてないし、生き返らせるつもりもない」
「なら、僕をここに呼んだ理由はなんだ?」
ロベリアのように生き返らせるつもりもないのに何故呼び出したのか。リンウッドはこの呼び出しに抗えなかった。だからこそ魔女に対して余計に不満がある。イベリスに見せていたような笑顔はなく、椅子に座って腕と足を組み、小さな魔女を見下すように少し顎を上げて視線だけ向ける。傲慢そうな態度だが、魔女は気にしない。魔女が許せないのは「お前」と呼ばれることだけだが、今回だけは別。リンウッドは勝手に会いに来たのではなく魔女自らが呼び出した相手だから。
「どうしてイベリスの前で死んだの? あの子はあなたの人生そのものだったでしょ? あの子にトラウマを植え付けた理由は?」
イベリスがテロスに嫁いでからの情報は全てサーシャから手に入れていた。リンウッドについてはサーシャがその場にいなかったためイベリスの記憶から手に入れたが、イベリスの記憶は無音であるため何が話されていたのかまではわからなかった。重篤な精神疾患患者のようでありながら、最後は誰が見ても別人のように穏やかな笑みを携えて死んでいった。一体どういう心境だったのか。それが知りたかった。
「魔女でもわからないことがあるんだな」
「人の心は学んでないの」
だからこそ最悪の魔女と呼ばれる。人の命を、人生を弄ぶ性悪。自分の住処へと続く森の中に凶暴な魔獣を放っておきながら「人間が勝手に入って勝手に死んでいくだけ」と言う。魔獣を放つ理由すら存在しないはずなのに、あくまでもあの森は魔獣の巣だと強調。結界を張り、解放も魔女の気分次第。それでよく勝手に挑むなどと言えたものだとウォルフが挑む様子を見ていて思った。
人の心を学んでいればもっと人に優しくなれるはず。魔女の言い分には納得だが、イベリスの件があるため肯定はしなかった。
「僕は……」
思い出すのはイベリスの涙。叫び声。悲痛な表情。切なる願い。実際には声など出てはいなかったが、リンウッドには全て聞こえていた。それでも死を選んだ。悲しむと。苦しむとわかっていながら。
「僕は卑怯者だから」
その言葉が全てなのだろうと悟った。それを肯定するつもりも否定するつもりも魔女にはない。ただ、彼が何故そうしたのかが知りたかった。
「あなたは幼馴染だったでしょ? あなたが会いたいと言えばイベリスはいつでもあなたに会ったはず。死ねばもう会えないのに何故死を選んだの?」
「テロスで暮らして、イベリスに会う人生もあることはわかっていた。でも僕にはできなかった。イベリスを取り戻す。できなければ死ぬ。その二択しか考えられなかったんだ」
「極端よね」
「僕にとってイベリスは全てだった。一眼惚れしたあの瞬間からずっとイベリスだけを想って生きてきた。夫になれなくてもいい。婚約者になれなくてもいい。幼馴染として傍にいられるだけでもいい。ただ、僕以外と仲良くしなければそれで」
「随分と傲慢ね」
「そうだ。誰よりも僕がイベリス・リングデールを理解していた。誰よりも僕がイベリス・リングデールのために生きてきた。誰よりも僕がイベリス・リングデールを愛していた」
「でもあなたは自ら手放した」
「そうだ。そうするしか方法がなかったから」
蘇る地獄に落ちるよりも苦しい思い出。魂でありながら涙をこぼすリンウッドに魔女の瞬きが多くなる。感情的にならずに流れる涙を見たのは久しぶり。大体の人間は涙を流す際、感情的になって涙を流す。でも、彼は違った。少し俯き気味になって目を閉じ、涙を流している。
「あのままじゃ、イベリスを幽閉してしまいそうだったから。あのときの僕は毎日そうした考えが頭の中を占めていた。イベリスを誰の目にも触れさせず、僕だけを見る生活を送りたいと。でも、イベリスはそんなこと望まない。そんなことをすれば僕は嫌われてしまう。耳が聞こえなくてもイベリスは外に出て笑う。晴れが好き。雨も嫌いじゃない。風が気持ちいい。花の匂いがする。そんなことでたくさん笑うんだ。そんな子を閉じ込めるなんてできない。わかっているのに、日に日にその考えはどこか現実味を帯びるように鮮明になって、計画まで練り始めた。眠れないようになって、医者から出してもらった睡眠薬を見つめながら更なる計画が浮かんだ。極めつけは気付いたら不動産屋に入って物件の紹介を受けていたこと。いつ家を出て、どうやって不動産屋まで行って、何を話して物件の紹介を受けていたか覚えていなかった」
「実行一歩手前まで来てたってわけね」
「ゾッとした。吐き気までした。自分は本当にイベリスを幽閉しようとしているって。物件は良い意味で言えば山奥の別荘地。門から車で十分ほど走らなければ家には着かないほど広大な土地。門までの道のりも一本道で、まさにその家のために作られたような道だ。訪問者以外が走ることはない。イベリスを幽閉するにはぴったりの場所だった」
「購入はやめたの?」
「当然だ。やるわけがない。イベリスの笑顔が好きな僕がイベリスの笑顔を奪うなんてそんなことは絶対に許されない。すぐに不動産屋を飛び出した。すぐに別れ話をしなければならないと思った」
「イベリスを失うのに?」
「笑顔を奪うよりはずっといい。ただ僕が苦しめば済むんだから」
彼らの愛は決して平等ではなかった。日に日に大きくなっていく愛をイベリスは負担に思っていたはず。愛が独占欲へと変わり、それが純粋なままで終わればいいが、欲望によってどんどん汚れていく。薄汚い独占欲に変わったことにリンウッドも気付いていた。小さな芽から始まった独占欲は、いつしか本人でも止められないほど大きなものへと変わっていった。それを止めるには切り倒すしかない。別れという斧を振り上げ、一撃をくらわせる。あとはボキッと折れるだけ。
自分が苦しめば済む。簡単に言っているように見えるが、それにどれほどの覚悟がいるのか。
「僕は、どんなイベリスでも愛してた。どんなイベリスでも可愛いと思えた。好きだと思えた。愛おしいと思えた。狂おしいという言葉があるが、僕のイベリスへの愛はまさにそれだった」
目を開けたリンウッドが今度はどこか恍惚とした表情を浮かべる。狂おしい。そう言葉にする人間には相応しい表情だった。
「怒っていても笑っていても泣いていても拗ねていても静かでも寝ていても愛おしいと思えた。散歩中の犬、塀の上を歩く猫、大空を舞う鳥、木々を揺らす風、波打つ海、お気に入りのケーキと紅茶、面白い本。耳が聞こえなくても彼女は世界を楽しむ方法を知っていた。目に映る全ての物を楽しむ子だったから。だからどこにだって連れて行ったし、なんだって見せた。それは僕の役目で、僕の愛で、僕の生き甲斐でもあった」
「狂愛ってやつ?」
「その言葉は好きじゃないが……常軌を逸していたのは確かだ」
ふふッと笑うリンウッドが椅子の上で背を預けながら膝を抱える。
「イベリスのために生きてきた。イベリスさえいれば世界なんてどうでも良かった。世界恐慌が起きようと、戦争が起きようと、イベリスが傍にいて僕に笑いかけてくれるならそれで良かった」
「でも別れを告げた」
「そうするしかなかった」
苦しんで苦しんで苦しみ抜いて別れを告げた。イベリスが強がっているのはわかっていたし、あの瞬間のあの表情は死んでも尚忘れられない。魂すら苦しめるほど辛い思い出だ。
「じゃあどうしてテロスまで取り戻しに行ったの?」
「色々聞いたからだ。テロスで幸せにしてるなら苦しみ続けるつもりだったが、イベリスは苦しんでいた。何も知らずに嫁いだイベリスがあの場所で、あの男が相手で幸せになれるはずがない。もう一度、今度は必ず幸せにすると誓って取り戻しに行ったんだ」
「あんな様子で?」
もう一度目を閉じるリンウッドは当時のことを思い出すと苦笑すら浮かべることはできなかった。かといって何かの感情を表に出すわけでもなく、静かなものだった。
「何度も鏡を見たけど、自分の顔が異常とは思わなかった。周りの目は昔から気にすることはなかったし、頭の中はイベリスを取り戻すことでいっぱいだったから余計に気にもならなかった。大丈夫か?と声をかけられることにすら疑問を持たなかったんだから、その時点でおかしいってことだもんな」
常軌を逸している者はいつもそうだ。自分がおかしくなっていることに気付かず、思うがままに行動してしまう。鏡の前に立ってもそうだったのなら止めようはない。彼の運命はその時点で既に変えられないものとなっていた。
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